『赤坂 秀樹』というキャラクター(ネタバレ)
最初から最後まで(ほぼ)現実を貫き通す有能キャラクター。
肩書きは『内閣総理大臣補佐官』
『赤坂 秀樹』というキャラクターに関して、小生は違和感を覚えていた。
それは彼が『矢口 蘭堂』と『カヨコ・アン・パタースン』という二人のキャラクターと同じように、メインキャラクター(メインキャスト)として扱われていることだった。
『矢口 蘭堂』と『カヨコ・アン・パタースン』ならば理解できる。
それぞれが物語にとって重要な人物だからだ。
もちろん『赤坂 秀樹』にも役割がある。
『矢口 蘭堂』を諫めるようなシーンも多い。
『核』を受け入れたうえでの復興プランを説明するのも彼だ。
だが、この『シン・ゴジラ』という物語の中で、彼は裏方に過ぎないという印象が残る。個人的には『巨災対』のメンバーの方が目立っているように感じた。
『赤坂 秀樹』の立ち位置としては『泉 修一』に近い。
活躍していないわけではないが、メインキャラクターと言われると疑問の余地が残る。物語で描写されていない部分で活躍しているのは分かるが、その活躍が意図的に除外されている気がする。
小生のこの疑問は映画を見終わった後も続き、今回の企画を続ける過程で判明することになった。
『矢口 蘭堂』
『カヨコ・アン・パタースン』
『赤坂 秀樹』
この三人がそれぞれ何を背負っているか、という問題なのだ。
以前書いたことをまとめると、
『矢口 蘭堂』=『日本』
『カヨコ(略』=『アメリカ』
『赤坂 秀樹』=?
という形になる。
では、『赤坂 秀樹』というキャラクターが何を背負っているのか?
その答えはこの文章の最初に書いてある。
彼の担当は『現実』なのである。
つまり、
『矢口 蘭堂』=『日本(虚構)』
『カヨコ(略』=『アメリカ(半虚構)』
『赤坂 秀樹』=『日本(現実)』
このようになり、それぞれが物語の重要な要素を背負っている。
もうちょっと変換させると、
『矢口 蘭堂』=『核否定派』
『カヨコ(略』=『核を撃つ者(と核を撃ちたくない者)』
『赤坂 秀樹』=『核容認派』
という考え方もできる。
最終的にはこの三人が『シン・ゴジラ』という物語の代表として描かれている。小生の疑問に対する答えはこれだった。彼も『シン・ゴジラ』という物語を構成するための主要人物の一人なのである。
まあ、『核』を受け入れると決めたのは『赤坂 秀樹』ではないという指摘もあるかもしれないが、核に関して『矢口 蘭堂』を説得するシーンなどがあるため、物語の象徴としては『赤坂 秀樹』というキャラクターが相応しいと考えられる。
そして、この三人が『ヤシオリ作戦』を実行するために協力したことによって、『シン・ゴジラ』という物語は『虚構』としての結末を迎える。
ある意味では『矢口 蘭堂』と『赤坂 秀樹』は敵対関係にあり、それゆえに『赤坂 秀樹』というキャラクターの活躍が描かれなかった、という考え方もできる。一種の悪役・ライバルキャラ扱いかと。
そして、『赤坂 秀樹』の物語はこれから始まるのだろう、と思った。
『シン・ゴジラ』という物語が終わっても、全ての問題が解決したわけではない。
『ゴジラ』という『虚構』すら呑み込んだ『新たな現実』が続いていくのだ
様々な人々の思惑がある限り、その『現実』だって平和ではないだろう。
もしかすると、『ゴジラ』との戦いより困難な戦いになるかもしれない。
それでも『希望』は残されている、と思った。
それを示した物語こそ『シン・ゴジラ』であるような気がする。
では、次回からは映画の中身のお話をしていきましょう。
まだ語りたいキャラクターはいますが、切りがないのでひとまず終了。
二人の総理大臣とか、想定外男とか、姿を見せない彼とか。
まあ、機会があれば、ということで。
では、次の『ゴジ話』で会いましょう。
<第七回 完>
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