『矢口 蘭堂』というキャラクター(ネタバレ)

『シン・ゴジラ』という作品の実質的主人公。

 肩書きは『内閣官房副長官政務担当』


 若くして出世した有能な人物として描かれているが、物語の『主人公』になりきれなかったキャラクターである。


 序盤では『巨大生物の存在』を察知していたにも関わらず、彼の意見は呆気なく却下されてしまう。中盤では『ゴジラ対策』が間に合わず、『タバ作戦』が実行され、『ゴジラ』の暴れっぷりを見ているだけという立ち位置。


 こう書くと『矢口 蘭堂』というキャラクターが無能のように思えるかもしれないが、彼は組織(現実)の中で出来る限りの努力をしていたように思う。


 序盤のときは『巨大生物の存在』を二度提言している。

 中盤でも『巨災対』のリーダーとして『ゴジラ』の解析を進めている。

 

 だが、結果だけを見れば彼の努力も空しく、中盤の悲劇を止めることが出来なかった責任者の一人となってしまう。彼が最後に責任を語るのは、この部分でしょう。


 けっして無能では無かった。

 出来ることを出来る範囲でやりきった。


 それでも『ゴジラ』を止めることが出来なかった。

『ゴジラ』とは日本の限界を超えた存在だったのだ。


 その事実が『核』という現実を呼び覚ます。

 日本政府もその使用を容認した中で、組織の一員である『矢口 蘭堂』に出来ることは何も無かった……はずだった。


 ここでは『矢口 蘭堂』は『現実』を逸脱する。

 あくまでも組織の中で戦ってきた彼は暴走を始めるのだった。使えるモノは何でも使う。意地でも『ヤシオリ作戦』を成功させる。日本に核を落とさせない。その狂気は他のキャラクターにも伝染するほどであった。


『核』という『現実』に抗うために、彼は『物語の主人公』という『虚構』の道を歩みだしたのである。


 その結果、『ヤシオリ作戦』は成功し、『矢口 蘭堂』を『主人公』として物語は終わりを迎える。


 だが、『矢口 蘭堂』が最初から『物語の主人公』として振舞っていたのならば、『シン・ゴジラ』という物語はもっと違った形になっていただろう。


 ある意味、この物語は『矢口 蘭堂』が『主人公』になるまでの物語とも言える。『ヒーロー』と言い換えてもいいかもしれない。絶望の中でこそ『希望』が生まれるという構図かもしれない。


 ただ彼の場合はあくまでも『非常時のヒーロー』であり、『ゴジラ』という災害が過ぎ去ってしまえば、また組織の一人として『現実』の中で戦うのだろう、と思う。


『虚構』は再び『現実』へと帰るわけだが、それは別の話で(たぶん)

 では、次こそは最後まで『現実だったキャラクター』のお話。


 いやーまさかここまで遠回りすることになるとは予定外です。

 文章というのはきちんと予定を立てて書かないと駄目ですね。

 反省。


<第六回 完>

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