7話 弓道家の少女

 三日目の朝。

 ハクトは伸びをして洗面所に向かう。さすがにもうエルを見て驚いたりはしない。

「今日は早いな」

 キッチンで朝ごはんを作っていたエルがハクトに軽く挨拶をする。

「今日は、じゃなく、いつも」

 昨日はいろいろな事情があっただけだ、という言葉は我慢して飲み込んだ。

 昨日の朝と同じように、顔を洗い、歯を磨き、寝癖を直した。

 そして部屋に戻ると小さな机の上には野菜が挟まれたサンドイッチが置いてあり、近くのベッドではエルが座って待っていた。

「待たなくて良かったのに」

「何を言っている。物を食べるときはなるべく他の人と一緒に食べるのがマナーなんだろう」

 ハクトはエルに会ってからずっと思っていたが、エルはルールとかそういうものに従順すぎる。それがエルの良いところなのだが。

「じゃあ、食べるか」

 エルはハクトが座ったのを確認して、律儀に手を合わせて食べ始めた。

 昨日といい今日といい、食材をどこから調達してきたのかは知らないが、料理に疎いハクトでも使われている野菜類がいいものだということは分かる。

 聞こうにも律儀なエルは黙って食べているので、ハクトはまた後で聞くことにした。

 かじる度にシャキシャキ音がする具沢山のサンドイッチを食べ終えると、エルはハクトに着替えのスーツを寄こす。

「さあ、ハクト。仕事の時間だ」

「へ?」

 歯磨きをしていたハクトは間抜けな声を出す。

「昨日話しただろう。仲間作りはお前の仕事だ」

 エルは腰に手をあて「まったく」といった顔をする。

「いや、仕事はいいんだけど、どこにいけばいいかな」

「それを考えるのもお前の仕事だ」

 正直、軍の中にエルの条件に合う人、つまり女子はいないとハクトは踏んでいた。

 そうなれば、外に出て一般人を連れ込むしかない。

 とりあえず、昨日取ったメモを取り出し、作戦を練ることにした。

「最初の人は金髪ツインテール敬語調弓道、か」

 「金髪、ツインテール、敬語調」は抜きにして、弓道という条件に答えるにはやはり弓道場に行くのが妥当ではとハクトは確信した。

 ハクトはポケットから黒いスマートフォンを取り出した。

「お前は携帯機器を持っていたのか」

 エルに茶々を入れられるが、相手にせずスマホを起動する。

 「東京都 弓道場」、検索。

 すぐに東京都の弓道場の一覧が出てきた。

 しかし、そこに表示された件数は二件。

「最近は文化なんてどうでもいいんだろうなあ」

 なんてったって宇宙戦争の真っ最中だ。文化尊重などと言ってられない。

 近い方の弓道場はここから往復400円。所要時間は片道30分程度だ。

「じゃあ請求申請してくるよ」

 こういう軍事的行動の場合、軍司令部にお金を請求しなくてはならない。お偉いさんに頭を下げるのはハクトも苦手だ。

「その必要はない」

 エルはポケットから千円札二枚を取り出し、ハクトに差し出してきた。

「え?まさか自分でお金を作ったなんて言うんじゃ...」

「そんなことしても実際には使えないだろう?黒城というヤツに言って自由に使える金を毎月入れてもらえるようにしたのだ」

(さすが少尉。本当にエルを敬ってるんだな)

 頭をぺこぺこ下げる少尉の姿が目に浮かんで、ハクトは笑いを堪える。

 エルはその様子を見て顔をしかめる。

「そうか、いらないならいいのだが」

「いります。すいませんでした」

 ハクトは素直に謝る。

 ハクトはすごすごとエルからお金を受け取るとポッケに突っ込んだ。

「ところで、今日も実験するの?」

「ああ。出来るだけ早く、と言ってしまったからな」

 エルは自嘲気味に笑う。

「そう。僕も出来るだけ早く帰るから、帰ってきたら手伝うよ」

「ああ、頼む」

 エルは早速実験用手袋を腕にはめた。


 ハクトは駅から地下鉄を乗り継いで目的地へ向かっていた。

 最近の地下鉄はほぼリニアモーターカー形式で音がとても静かだとニュースで言っていたことを、ハクトは思い出した。

 リニアと同じ仕組みということであって、スピードを出すわけではないらしい。

 しかしどうもハクトにはその違いが分からない。

 そんなことを考えていて、ふと目の前の車内電光案内板を見ると、「川越市行き」と表示されていた。

 東京都の地下鉄がなぜ都外まで走るのか分からず、路線図を見ると合点が言った。

 地下鉄の中でも、他の路線に乗り入れているものはリニア方式は使えないのだ。

 どうりで違いが分からないわけだ。

 次に乗り換えた先もまた、他の路線に乗り入れるため、普通の電車だった。

 そうこうしているうち、弓道場最寄の駅に到着した。

 バスやらタクシーやらがごった返す駅前を抜け、ビルとビルの合間を走る道路を真っ直ぐ歩いた。

 調べた住所にあったのは、住宅街の家のような色合いの近代的なビルが建っていた。

 まずは許可を取るために事務室へ行かなければならない。

 今さらながら、ハクトはアポイントメントを取っておけばよかったと後悔した。

 しかし、外でうじうじしていても始まらないのでハクトは勇気を持って中に入った。

「すみませーん」

 挨拶してドアを叩く。

 すると、ガラスの向こう側で作業していた白髪のおじさんが重たい腰を上げ、えっちらおっちら歩いてきた。

「はい?」

「その、軍の者なんですけど」

「ああ?軍だあ?お前また何の権限があって人様の土地を買収するんだ?」

 なんだか在らぬ誤解を掛けられているようなので、全面的に否定する。

「いえ、そうではなく、軍の人員をスカウトしに来たんです」

「スカート?」

「スカウト...つまり仲間を探しに来たんですよ」

「仲間ねえ」

 おじさんは腕を組んで何かを考え始めてしまった。

「あの、入る許可さえもらえれば練習してる人に勝手に声かけますので、入室許可さえもらえれば...。ところで、今は練習してる人はいるんですか?」

「そんなことならここへ声掛けずとも、そのまま入ればよかったのに。そこの階段下りれば練習場だ。今日は2,3人来とったかな」

 おじさんはそう言うとすごすごと席に戻っていった。

 ハクトは腰を折ってお礼をすると、案内された階段を下った。

 中は意外に広く、人工芝が一面敷き詰めてあった。

 手前ではよぼよぼのおじいさんが弓を構え、その一つ奥では大学生と思しき女性が黙々と矢を放っている。

(そうそう簡単に見つかるわけないか...)

 とハクトが練習場を後にしようとしたとき、その奥にもう一人いるのが分かった。

 きらりと光る髪。それはまさしく...

「金髪っ」

 興奮してつい大声を出す。手前のおじいさんはそのせいで的を大きく外した。

「すいません」

 ハクトは頭をくつにつける勢いで謝ってからその金髪の元へ駆け寄った。

「あの、ちょっといいですか?」

「すみません、後にしてください」

 既に構えているのに話しかけたハクトはきっぱり注意され、後ろの方で縮こまった。

 ツインテールではないものの、長い金の髪の毛をポニーテールに束ねた女の子だ。あのくらい長ければ楽にツインテールには出来る。

 パアーッン。

 むちを打ったような音が鳴り響く。

 見ると少女の放った矢が見事的の中心を射ていた。

 少女は弓を下ろし、息を思い切り吐き出すと、クルッとハクトの方を振り返った。

「それでご用件は何でしょう」

 先ほどの真剣な表情とは打って変わって柔らかい笑顔を浮かべた。

 全体的にぷにぷにしてそうで、触ったら気持ちよさそうだな...はっ、いかんいかん...。

「実は私、軍から来たものなんですけど」

「ええーーーっ、軍っ?」

 彼女は飛び跳ねて大声を出す。またも、例のおじいさんの矢はあらぬ方向へ飛んでいった。

「すいません...」

 彼女は顔を赤くして下を向く。

 しかし、すぐにハクトの方を向きなおす。

「で、軍の人が何でここに?」

「それは、その、あなたに軍に入ってほしいんです」

「わ、私に?」

 少女は自分の顔を指差し、くびを傾げている。

「そういう命令なんです」

 詳しくはハクトだって聞いていない。ただ、エルに頼まれた(命令された)だけなのだから。

「今週の土曜日、豊州駅に来られますか?」

「えっと、土曜日は大丈夫ですけど...」

「では、土曜日、8時に豊州駅でお願いします。お名前よろしいですか?」

 ハクトはポケットからメモ帳を取り出し、ペンを構える。

「御七後美鈴です」

 金髪で、いかにも「外国人」という容姿に不釣合いな日本人らしい名前だったものだから、ハクトは少しばかり驚いた。

「あのぅ、まだちゃんと状況を把握できてないので、どこかお店で話しませんか」

 美鈴からの提案をハクトは当然のように呑んだ。

 ハクトももう少し美鈴のことを知っておきたかったからだ。

「わかりました。場所を移動しましょう」

 建物の出口で落ち合う約束をして練習場を後にした。

 その後ろでは何も無いのにおじいさんが矢をあらぬ方向に飛ばしていた。


「お待たせしました」

 美鈴の落ち着いた声が聞こえ、ハクトは振り向く。

「えっっっ?」

 どさっ。

 ハクトの手からメモ帳が滑り落ちる。

「えええええええええ?」

 ハクトは口に手を当てて絶叫する。

「あの、どうかしましたか?」

 美鈴が変なものを見るような目で、否変なものを見て顔をしかめている。

「dddddどうもこうも...」

 長く伸びる美鈴の金色の髪の毛は両肩の上でそれぞれ結ばれ、宙を漂っている。

「そ、その髪の毛...」

 ハクトは興奮を収められずその風になびいて光る髪の毛を指差した。

「ああ、いつもは髪の毛は二つ結びにしてるんです。練習のときは邪魔なので後ろで一気に縛っちゃってるんです」

 ここまで条件と合致する人間がいたものかとハクトは自分の視覚及び大脳の働きを疑った。

「あ、あの、早くお店に行きませんか?こんなところではなんですし」

 気持ち悪いですし、と言いそうになったのを美鈴はすんでのところで止めた。


 幼さが残る人懐こい顔に、きらきら光る二つ結びにされた金色の髪の毛。そして極め付きはジャージの上からでも十分すぎるくらい大きいと分かる、身長に不相応な二なりの果実。

 どこかのRPGのヒロインのように見える彼女と、ハクトは喫茶店で向き合って座っていた。

 周りから見たらカップルのデートだと思われるかもしれない。

「あらためて自己紹介します。御七後・エイミー・美鈴です。エイミーというのはミドルネームです。外国に行った時しか使わないので御七後美鈴で大丈夫です」

「はあ」

 ハクトは生気のない返事を返す。

 はきはきとした物言いの美鈴に自分のペースを乱されている。

「ということはハーフ?」

「はい。父親がアメリカ人です」

 娘は父に似るというからお父様はさぞ幼顔なのだろうとハクトは頭の中でその父親を想像して見たが、こけしの髪の毛を金髪にしたようなものしか浮かばず、考えを破棄した。

「ところで、あなたは軍の偉い方なんですか?」

 美鈴が品定めするような目でハクトを見る。

「いや、偉いなんてとんでもない。ただの下っ端です」

 ハクトはその視線に戸惑い、はにかむ。

 美鈴の方も「なぜ下っ端の人がスカウトなんて?」と思っていることだろう。

「僕はその、軍の特別班に所属していまして、そこの研究員に戦闘員の調達を頼まれたんです」

「戦闘員ですか?」

 美鈴は怯えたように身震いする。ただの女子高校生なのだから、怯えたとしても不思議はない。

「それってもちろん危ないですよね?」

「はい、危ないとは思うんですが...」

 ハクトははっきり言うべきか迷い、口ごもる。

「が?」

 美鈴に先を促され、ハクトは渋々話を進める。

「さっきの研究員が『私の作った兵器を使えば危ないことはない』と...」

 明言してしまったハクトは美鈴の様子を見る。

 しかし、美鈴は驚くでもなく、事実を淡々と受け止め、一人頷いている。

「その研究員さんってどんな人なんですか?」

「それは極秘事項にあたるのでお話しすることは出来ません。ご期待に添えなくて申し訳ない」

 ハクトは大袈裟に頭を垂れた。

「それで、その研究員さんはどうして私を指名したんでしょう。私、弓道くらいしか特技ないんですけど」

 美鈴はエア弓で矢を放つジェスチャーをした。

「いえ、指名ではないんですが...。これを見てください。これが研究員の出した条件です」

 そう言ってハクトは条件を書いたメモ帳を美鈴に見せた。

『金髪 ツインテール 喋り方が敬語調 弓道をしている』

「これってまさしく私じゃないですか」

 美鈴が信じられないといった様子で言う。

「そうです。だからあなたを見つけた時とても驚いたんです」

 驚きを分かち合えたハクトはなんだかいい気分になった。

「逆にここまで一致している人はこの世にあなたしかいないと思うんです」

 ハクトにしきりに勧誘されて、美鈴は腕を組んで唸る。

 そして顔を上げるとメモ帳を返しながら言った。

「これも何かの縁です。親にも相談してそういう方向で話を進めたいと思います」

「あ、ありがとうございます」

「土曜日、豊州駅に8時ですよね」

「間違いありません」

「では私はこれで」

 美鈴は振り返ってハクトに向かって手を振ると喫茶店を後にした。

 そして、ハクトも今日の収穫を伝えるべく、意気揚々と喫茶店を出た。

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