5話 エル先生の理科講義

 がさっ。

 布の擦れあう音でハクトの目は覚めた。起き上がって周りを見るとそこは寮ではなかった。色合いからして女の子の部屋である。そして隣のベッドには下着姿の女の子らしき姿が...。

「う、うわあああ」

 ハクトは咄嗟に布団の中にもぐりこむ。頭が真っ白になる。

 ここはどこ?この子は誰?

「す、すみませんっ、決してわざとではっ」

 布団の中でもぞもぞしながらハクトが騒ぐ。エルは白衣を着ながらため息をついた。

「何ばかなことをしている。早く起きろ。ご飯にするぞ」

 エルはすたすたと廊下へ歩いていく。

「ん?」

 ハクトは一旦深呼吸し、今までに何が起きたか考える。

 今の言葉からして自分が女の子の家に転がり込んだわけじゃないらしいことがわかる。

 たしか、兵器を破壊してその中から女の子が出てきた。そしてその子に助手を任命され研究室に来た。

 そして、彼女の名はエル。ここは研究室だ。

 ハクトが全てを理解して布団から顔を出すとエルがコーヒーカップを両手に持って部屋に入ってくるところだった。

「まだそんなことをやっているのか。早く起きろ」

 ハクトは着替えようとベッドを降りたがハクトの目はエルの服装に留まってしまった。

「エル、白衣の着方おかしいよ」

 エルは先ほどの下着の上に大人物の白衣をワンピースのように着ている。ズボン類は身につけていない。

「別にいいだろう。下着が見えているわけではない。恥じることではないだろう」

「そうだけど...」

 白衣だけしか身にまとっていないというのは意外にも艶かしくみえる。ハクトにはとても直視できない。

「まあエルがいいならいいけど」

 ハクトも棚に用意されていた白衣と黒いズボンに着替える。着替え終わるころに廊下のほうからバターの焦げるいいにおいがしてきた。

 そうかと思うと廊下からフレンチトーストを持ってエルが入ってきた。

「エルは地球の物で料理も出来るんだね」

 もしハクトだったら初めて見た食材で料理なんか出来ない。

「分子の組み合わせを考えれば味はおのずと分かる。それに卵や小麦は私の星にもある」

 エルはハクトの前にあるテーブルにお皿を置いた。

「私は研究室で準備をしているから用意が出来たら来い」

 そういうとまたエルはすたすたと歩いていってしまった。

 ハクトは目の前に置かれたフレンチトーストの匂いを嗅ぐ。微かに蜂蜜の匂いもするようだ。お皿に乗っているフォークを手に取り、早速突き刺した。

 すでに一口サイズに切り分けて合ったのでそのまま口の中へ放り込んだ。塩味と甘味がほどよく調和している。

 最後の一切れを口に放り込んでコーヒーで流し込むとハクトはお皿をキッチンへと戻した。そしてきっちり歯を磨いて寝癖も直すとようやくハクトも支度が出来た。

 廊下の扉を開けるといきなり吹き抜けの研究室が広がっている。やはりこの組み合わせは不自然さを感じる。広い研究室を見渡すと奥の方で棚のものを取ろうとしているエルを見つけた。ハクトは急いで駆け寄るとエルが取ろうとしていたものを取ってあげた。

「おお、助かる」

 相変わらず真顔のままエルは言った。

「さあ、実験開始だ」

 エルは手袋を付け、防護眼鏡を掛けると手術開始みたいに手の甲を前に向けている。ハクトも慌ててそれらを身に着けた。

「まあ、小学校の実験程度の簡単なものだ。気楽にやればいい」

 そう言うとエルはまず昨日も使っていたはんだごてのようなものを取り出した。

「昨日も説明したが、簡易核融合器といって核融合させ別の物質に変えるものだ。これの材料は地球にはない物質、トルプロテンとクローゼノだ。クローゼノは陽イオンに触れるとイオタ波と呼ばれる放射能の一種を発する。地球で言う電池のようにクローゼノを使ったエネルギー発生装置は各家庭で使われている。イオタ波は空気中を通り抜けることが出来ないが、触れるだけで核融合が起きてしまう。金属に限るがな。そこで、このトルプロテンはそのイオタ波をよく通す。これらを組み合わせることでこの簡易核融合器が出来るわけだ」

 抑揚のない声で長々と難しい説明をされ、理数系のハクトでさえ付いていけない。しかしエルはそのまま実験を進める。

「では早速始める。この銅に簡易核融合器を使う」

 エルは桶の中に銅片を入れると、スイッチを入れ簡易核融合器を銅片に当てた。すると銅片はみるみるうちにどろどろになり最終的に完全な液体になってしまった。

「この物質はカルヴィロウムという物質だ。沸点は7000万15度、融点はマイナス273度だ」

「両極端だね」

 つまり、簡単には固体や気体に出来ないということだ。

「ああ。そして、この物質を二つに分ける」

 エルは試験管を一本取り、その中に半分ほどカルヴィロウムを入れた。

「ここに塩酸を加える。これからやる実験は毒ガスが発生するから近づくなよ」

 もちろんそんなことを言われて近づく馬鹿はいない。ハクトは大人しく頷いた。

 エルはきれいな桶を取って水道水を入れると、真ん中にさっきの試験管を固定し、その中に塩酸を注ぎ始めた。

 試験管の中ではブクブクと泡が出てシューシュー音を立てている。

「この毒ガスは水酸化塩素といって人体に触れると即死する。ただ、水にはとてつもなく溶けやすい」

 そしてエルは泡の出なくなったことを確認して試験管を手に取った。

「この固体が二水化カルヴィロウムだ。この物質は特に変わった性質はない。これは後で使う。そして、水酸化塩素は水に溶けやすく、大気より重いから下に張った水に溶けている。水酸化塩素は水に溶けると無害になるから、そのまま流す」

 そう言うとエルはそれをそのまま流そうとする。

「ちょっと待って。もし蒸発とかしたらやばいんじゃないの?」

 ハクトが慌てて言うとエルはきょとんとしている。

「さっき言っただろう。水に非常に溶けやすいと。近くに水があればすぐ溶けるんだ。下水道に混ざって海まで行ったら地球上の水が全てなくならない限り大丈夫だ」

「なるほど」

 ハクトはそう言って手をポンと打った。エルはそのまま桶の中の水を流しに流した。

「さ、次に銀に簡易核融合器を使う」

 そう言うとエルは銀に簡易核融合器を押し当てた。するとぱらぱらと砂のように粉々になり、下に置いてあった入れ物に入った。その物質の青い色が机に映って綺麗に見える。

「これはズランギドという物質だ。これも先ほどと同じく特に変わった特徴はないが、これとさっき作った二水化カルヴィロウムと加熱すると反応を起こす」

 そしてエルが棚から軽量器を取ろうとしているので、ハクトはまた取ってエルに渡してあげた。

「ズランギド:二水化カルヴィロウム=13:7にして加熱する」

 そしてエルは計量器を使ってズランギドを26g、二水化カルヴィロウムを14g量り一つの試験管に入れた。そしてマッチを使ってガスバーナーを点火すると、試験管を火の上に固定した。

 火を当てて1分もしないうちに中の物質は真っ黒くなってしまった。エルはガスバーナーを消し、冷ましてから試験管を手に取る。試験管を逆さにするとくっついてカチカチに固まった物が出てきた。

「これはカルヴィロウム亜合金という物だ。金属ではないが、ほぼ絶対障壁となり得るものだからそう呼ばれている。ちなみに、これをハンマーで叩いてみろ」

 エルに指示されハクトは机の上にあったハンマーを力いっぱいその黒くみすぼらしい物質をぶっ叩いた。

 ハンマーを上げると、そこには一切変形していないそれと凹んだ机があるだけだった。

「割れてない」

 もう一回叩こうとハクトがハンマーを振り上げるが、エルがそれを制した。

「これ以上やったら机が持たん。そんなことしなくても変形させる方法はある」

 そう言うとエルはまたガスバーナーを点ける。

「この物質は融点がたったの百度だ。それゆえ加工がしやすい」

「水と同じくらいということ?」

「水の場合は沸点だ。決して同じじゃない」

 そしてエルは再び試験管にそれを入れると加熱し始めた。

 しかしいつまで経っても変化するどころか全く動きが見られない。

「遅いなあ」

「熱伝導が著しく低いからな。ざっと25分から30分掛かるだろう。放っておいて次の実験にいくか」

 エルは試験管をバーナーの上に固定し、引き出しから他の物質を取り出した。

「次は金だ。地球上では高価な物らしいが遠慮なく使わせてもらうぞ」

 引き出しから掌サイズの金塊を取り出すと机の上に置いた。そして、簡易核融合器を当てる。

 これまたすごい勢いで金が崩れ落ちていく。あっという間に灰のような色をした粉になってしまった。

「この物質はソニウム。これを水に溶かして蒸発させると衝撃吸収剤になる。金は私の星にはたくさんあるからな。使い捨ての衝撃吸収剤として使われている」

 それを聞いてハクトは「少しくらい地球に分けてくれればいいのに」と思ったが腹黒い男だと思われたくなかったのでもちろん口には出さなかった。

「では水に溶かすぞ」

 エルはきっちり量った水を用意するとソニウムを試験管に入れ、そこに水を加えた。

 かき混ぜると液は透明になってしまった。

「ソニウム水溶液はとてつもなく強い酸性だ。触れるとたちどころに焼ける」

 エルは新しい瓶を用意し、ソニウム水溶液をいれるとシールに「ソニウム水溶液」と書いてぺたっと貼った。

「よし、次行くぞ」

 今度エルが用意したのは銀色の細長い金属だ。

「次はマグネシウムに簡易核融合器を使う。その前に用意をしなければ」

 試験管を逆さまに固定し試験管のフチのところでマグネシウムリボンに簡易核融合器を当てた。するとマグネシウムはシューっという音とともに消えてなくなった。

「上方置換方だね」

「その通りだ」

 ハクトも中学校で習ったから知っている。水に溶けやすく大気よりも軽い気体を収集するときに使う方法だ。

 エルは試験管の口をゴム栓で閉じるとひっくり返した。

「この気体はマムヌステンという物質だ。私の星では主に燃料として使われる。燃やすと酸化マムヌステンになるが、水に浸すと水と反応を起こしてマムヌステンに戻る、半永久的に使える燃料だ」

 エルはシールに「マムヌステン」と書くと試験管にぺたっと貼った。

 ……その後もその調子でどんどん金属類を物質変化させ、新たな物質を作り出していった。10個ほど作り上げたところで、エルが振り返る。

「今日の実験はこれで終わるか。あまり長時間やるのもよくない」

 それだけ言うとエルは実験道具の片付けを始めた。何か手伝おうと残っていたハクトだったがエルに戻るように言われ、すごすごと部屋へと戻ったのだった。

 ――結局ハクトには半分も理解できなかった。

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