4話 今日から始まる同棲生活

 ハクト達は蛍光灯で薄暗く照らされた灰色のコンクリートむき出しの殺風景な階段を下り、第三実験室のある地下三階に辿り着いた。それこそ真っ白どころかまんまコンクリートの廊下を歩いていくと黒いマッキーで適当に書かれたような「第三実験室」という文字が見えてきた。

「ここだな」

 エルは扉の前に立っている見張りの間をすり抜け、ためらいも無く肌色の鉄の扉を開けた。ハクトも慌ててそれに続く。

 中に入ると、廊下のようなコンクリートむき出しの壁とも、宿舎の白い壁とも似つかない清潔感のある白で統一され、ところどころにあるクリーム色の引き出しや小物入れがアクセントになっていて爽やかだ。

 天井は地下二階まで吹き抜けになっていて、棚もそれにしたがって縦に長い。棚には地球上の原子全てがきれいに陳列されていた。ハクトは予想だにしないほどきれいだったので、暫く固まっていた。ハクトも地下三階に来たことはあるが、実験室に入ったのは初めてだった。

「意外にきれいだな」

 エルは無表情に言ったが、本当は心の中で驚いているのだろう。きれいの「き」の字が一瞬詰まった。そしてくるりと踵を返すと入ってきたドアの向かいにあるドアを開けた。ハクトも後を追う。

 そこは一軒家の廊下のようにフローリングになっていて、3つのドアが見える。

 目の前のドアを開けるとそこは洗面台と黄色いかごや小さい棚があり、足拭きマットも置いてある。曇りガラス(ガラスではないが)の扉を横に開けると黄色い壁にピンク色のシャワー、そして純白の小さい浴槽が秩序よく置いてあった。

「うむ」

 エルは感動とも嬉しさとも似つかぬ表情をし、再び踵を返し廊下に出ると隣の部屋へ入った。

 そこはキッチンでコンロはIH電気コンロだし、他の電気製品も最新式だ。そしてどれもピンクや水色などかわいらしい色だ。

 最後の部屋は寝室だった。かなり広いスペースがあってピンクと茶色のカーペットが敷いてあり、その上には動物型のクッション、部屋の隅には大きいベッドが用意されていた。

 全部の部屋を見て、エルがため息をついた。

「予想外だな、ハクト」

 エルは少し表情を緩めるとハクトの方を向いた。エルも生活環境が厳しくなると思い、落胆していたのだろう。エルはポシェットをふかふかな水色のベッドの上に置いた。

 不意に後ろから音が聞こえ、ハクトは反射的に振り返る。

 目の前にはハクトが何回もテレビで見たことがある人物だった。

「ねっ、根木沙綾さんですか?」

「あら、知っていてくれたのね。光栄だわ」

 彼女はにこやかに笑うと白衣のポッケに手を突っ込んだ。

 根木沙綾は日本の誇る研究員でありニュースやワイドショーなどによく出ている。その華奢な体つきとピンクのワイシャツ、そして黒斑の赤い眼鏡はまさしくテレビと同じだった。

「でも、根木さんがなんでこんなところに?」

 根木はピンク色のハンドバッグを小さい机に放った。

「だってここ、もともと私の部屋だもの」

 そう言って澄まして小さいイスに腰掛けた。ハクトは己の耳を疑った。

「今、なんて?」

「ここは私の研究室だったの。それをあなたたちに譲ったわけ」

 ハクトは顎が外れるほど口をあんぐりと開けた。

「じゃ、じゃあ私たちが根木さんを追い出してしまったってことですか」

「そうじゃないわよ。あなた達が来る前から私は拠点を移す予定があったの。今は国立大学の研究室にいるわ」

「それなら良かったです」

 ハクトはほっと胸をなでおろした。

「でも、それならなぜここへ?」

 文句を言うためでないとするとここへ来た意図がつかめない。

「私の趣味はどギツイから引いてるんじゃないかって心配になってね」

 根木は眉をハの字に曲げながら肩をすくめて笑った。

「いえ、そんな、全然です。逆に明るくて過ごしやすいです」

「そう言ってもらえるとありがたいんだけど」

 すると、いままでベッドの上で二人の話をじっと聞いていたエルが突然立ち上がった。

「私も気に入った。良い趣味をしているな」

 エルが言うと根木は立ち上がって軽く礼をした。

「あなたがエルエールさんね。そう言って頂けて光栄だわ」

 根木とエルはお互いに控えめに笑っている。似たような二人だ。

「もし万が一、変えたい部分があったら黒城少尉に言うといいわ」

「え?どうして少尉なんですか?」

 ハクトが聞くと待ってましたとばかりに根木が笑いながら話し始める。

「少尉はねエルエールさんには頭が上がらないらしいのよ。『子供の癖に俺を論破しやがった。大したタマだ』とか言って」

 根木の少尉の真似が地味に似ていたため、ハクトも吹き出しそうになった。

「だから少尉はあなたの言うことなら何でも聞いてくれると思うわよ」

 エルも満足そうな顔をして頷いている。恐らく根木はこの話をするためだけに来たのだろう。テレビで見た彼女もそういう人だ。

「じゃあ、失礼するわね」

 根木は鞄を持つと、そのまま自分で扉を開けて帰っていってしまった。ハクトは開けっ放しにされたドアをゆっくり閉めた。

「ハクト、今のは友人か?」

 エルは根木の去ったドアを指差して言う。

「いや、この星の有名人だよ。友人なんてとんでもない」

 ハクトもエルに対して敬語を使わず喋ることに慣れてきた。

「なんだ。ハクトの友人ならば毎日でも話すのだが」

 エルはもの寂しげに言うとそのままベッドに横になった。今まで突っ立っていたハクトもベッドに腰を下ろす。

 ハクトが時計を見るともう午後10時を回っている。

「あのさ、向こうの星ではお風呂は入るの?」

 ベッドの上で寝転んでいたエルは寝転がった状態のまま寝返りを打ってハクトの方を向いた。

「汚れた体を湯に浸かって洗うという文化のことか。あるぞ。よく似た文化がな。というか、同じだ」

 ハクトは部屋に備え付けの棚からタオルを取り出した。

「じゃあ、どっちから入る?」

 ハクトはタオルを取り出すときにパジャマを見つけ、それも取り出した。水色とピンクの二着があることから根木がわざわざ用意してくれたのだろう。

「一緒に入るという選択はないのか?」

「な、ないに決まってるでしょ?」

 ハクトは顔を真っ赤にして大声を出した。エルは突拍子のないことを言っておきながらすまし顔をしている。

「じゃあ私から入るとするか」

 エルは立ち上がってハクトからタオルと着替えを受け取ると廊下へと歩いていった。

 一人になったハクトはこの部屋に来てから初めてベッドの上で横になる。ずっと寮の敷布団で寝ていたものだからふかふかのベッドはありがたい。ハクトは横になると疲れていたのかそのまま寝息を立て始めた。

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