第38話耳に風が囁いて

 18-38      耳に風が囁いて

四月に成って修平が正式に近藤工業に入社して、いきなり総務部係長に抜擢されて、社員全員が羨望の眼差しになったが、学歴を聞いて中々自分達には真似が出来ないと諦めた。

修平の住まいは勿論近藤の自宅、運転手と同じ別棟での生活だ。

結衣は本宅の豪華で広い部屋、いつ生まれても大丈夫な子供の道具が揃っている。

家の中を大きなお腹を抱えて、歩く姿にもう目を細めて見る近藤夫婦「大丈夫か?」歩く度に言う哲二。


しばらくして、結衣は予定通り男の子を出産して哲二が「間違い無い、悠斗の子供だ」と大きな声で言うと美代も「悠斗にそっくりだわ」と喜びの声をあげる。

哲二夫婦も多少の不安は有ったが、孫の顔を見て不安は杞憂に終わったと思った。

結衣は「頑張ったよ!悠斗、見てくれた」と悠斗に語りかけると耳に手を添える。

「ありがとう」と微笑む結衣。

結衣の心の支えは悠斗、今悠斗の子供が生まれた事を一番喜んでいるのは悠斗自身だろうと思った結衣だ。


数年後、英才教育を始める修平、会社では総務部から企画課長に成って、由奈にも子供が生まれて叔父さんに成っていた。

施設の子供ではなく、近藤工業のやり手の課長の妹はもう肩身の狭い思いをしなくて橋詰誠との生活を送っていた。

その年、施設の園長朝野順子が亡くなったと知らせが届いて、修平も結衣も駆け付けて、そこには昔の仲間が全員集まっていて、その中の一人正木美由が「修平兄ちゃん凄いわね」と褒め称えた。

「美由さんは独身なの?」

「誰も貰ってくれないわ、施設と云う理由で二回程破談に成ったからね、もう諦めているわ」

「まだ、若いから大丈夫だよ、頑張れ、俺も独身だからな」

「えー、修平兄ちゃん独身なの?」

「結衣の子供の先生と会社で忙しくて、相手探す暇がないよ」と笑う修平、昔から修平に憧れを持っていた美由は今だと思って「私を貰ってくれない?」と言ってしまった。

しばらく見つめて修平が「貰ってやるか」と微笑んだのだ。

「えー、冗談で言ったのに、本気にするわよ」と笑う美由に「本気にして良いよ」と笑う。

美由も可哀想な子だったと遠い昔を思い出していた修平、結衣は二十二歳で未亡人同い年の美由はこれから結婚か?同じ施設に育っても全く異なる人生を歩むのだと思う修平だった。


半年後、修平と美由の結婚式が行われて、二人が近藤の別棟で新婚生活を始めた。

その後、施設は結衣と修平の全面的なバックアップで規模を大きくして、沢山の児童を受け入れた。


結衣の子供悠介は八歳に成って、修平の英才教育でめきめきと成績を伸ばして行く。

完全にお婆さんに成っている美代は、悠介を目に入れても痛くない可愛がり様、勿論哲二もそうなのだが、最近は少し老化が目に付いて来た。

その数年後、哲二は完全に現役を引退、結衣が表舞台に登場したのだ。

結衣は総ての事を悠斗と修平に相談して決めるので「貴方が影の社長よ」と微笑む結衣。

その的確な判断力は結衣の能力として称えられたが、行動に移すのは修平の仕事だ。

数年後に会社の名称も株式会社KONDOUHDに変更して、世界に名を馳せる企業へと変身していった。

児童養護施設「朝の喜び」は全国規模に拡大されて、株式会社KONDOUHDの一つの慈善事業として行われて、全国十数カ所に施設を拡大、就職の支援も積極的に行った。

その中で哲二が孫の成長に目を細めながら亡くなって、後を追う様に美代も他界、病院から一度も出る事もなく哲斗も病死をして、社長近藤結衣、専務渋谷修平の強固な会社に成長していた。

世間では女帝と呼ばれて、息子悠介が東大を卒業して会社に入った時は、自宅の結衣とは全く異なる姿を見たのだ。

どの様な事柄も相談する三人、的確な判断力の悠斗、流石の二人も悠斗には敵わない。

「無理よね、貴方は神様の様な人だからね」と笑う結衣。


数十年後、年老いた結衣が息子悠介に社長を譲り、会長として支える立場に変わった。

修平も副会長職で退いて、悠介の子供達が会社で活躍する程の時間が流れた。

「会社、大きく成ったわね」

「嘘の様だ、今でも信じられないけれど、悠斗は君の側に居るのだな」

「はい、昔のままよ、あの宮島で悠斗を感じてもう六十年に成るわ、私の一部よ」

「結衣が死んだら、会えるのかな?」

「もう、随分前に聞いた事が有るのよ、私が死んだら、二人は貴方の様に誰かに付いて行くの?例えば悠介とか?とね」

「そうしたら?」

「君が死んだらもう、会えないこの世との接点は結衣が生きている事なのだよと、教えてくれたわ」

「長生きしないと、駄目だね」

「はい、悠斗の思い出が消えるからね、悠斗も自分が死んで六十年も世間が見られるとは思わなかったでしょうね」

「不思議な話だな、でも悠斗の助言で会社は大きくなった」

「でも修平さんのお陰よ、施設で育った二人がこんなに大きな仕事が出来たのだから」会長室で話す二人、時間の流れを感じていた。


その数年後曾孫と遊ぶ結衣、総ての仕事から解放されて「悠斗、貴方の残した子孫が沢山増えたわね、私が妊娠したからよ、嬉しい?」そう言うといつもの様に耳に手を持っていく。。。。。。。。。

結衣、だがその手はもう永遠に耳を覆ったままだった。

七十年間風の囁きを聞いてきた結衣は、静かに息を引き取った。

「お婆ちゃんから、男の人が出て行ったよ」曾孫の悠太が大きな声で叫んだ。

悠太の母智子が「どんな、男の人?」と聞くと「若い、男の人、お父さんに似ていたよ」と答えた。

日頃から、側に居ると聞いていた智子はこの時初めて、結衣の話が本当だったと思った。


結衣の葬儀は社葬として盛大に行われた。

葬儀によぼよぼで参列した修平が「結衣、あの時自殺しなくて良かったな、風と囁く事を知って君の人生は幸せに変わったのだよ」と遺影に語りかけた。

株式会社KONDUHDに大きな功績を残した結衣、その結衣を支え続けた修平も後を追う様にその年の暮れに亡くなった。

修平の子供達も孫も同じ会社に働いている。

火事で一人だけ助かって施設で育った結衣が、愛する悠斗とそれを支えた修平と三人で大きく成長させた会社はその後も発展を続けて、世界有数の会社に成って行くのだった。



                   完


                  2015,08,25


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今耳に風が囁く 杉山実 @id5021

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