第36話嬉しい結衣

18-36       嬉しい結衣

施設に戻った結衣を順子は暖かく迎えて、修平の話を聞いて「そうなの、悠斗君が側に居るのかい?」

「はい私が亡くなるまで一緒に居ます」

「それは凄い事だね」と驚いて見せる順子、心の中では全く信じてなかったが結衣がそう思う事で今後生きて行けたら、それは大変良い事だと思う順子だ。

翌日結衣は近藤の自宅を訪れたいと修平に言った。

葬儀の前に近藤夫妻に教えたので、結衣が自宅を訪問しても混乱は起こらないだろうと同行する修平、そのまま東京に二人は帰る予定だ。


大阪の近藤の自宅は静まりかえって、誰も居ないのかと思う程の静けさ、家政婦に案内されて玄関を入ると、線香の匂いが家の奥から漂っている。

部屋一杯に花、提灯が飾られて、蝋燭の形の電球がしめやかさを増幅させていた。

中央の写真は悠斗の微笑む顔「悠斗、変でしょう自分で自分を見るのは?」結衣が語りかけた時、憔悴しきった哲二夫婦が二人の前に現れて「真中さんすまなかった」とお辞儀をしたので、修平が「もう、その話は」と慌てて止めた。

「渋谷君、何が起こったのかと思うよ、長男は病院に、次男は事故死、私は一瞬にして子供を失ったよ」

「哲斗さん何処かお悪いのですか?」

「精神を痛めて、病院に入ったよ、治る見込みは少ないらしい」

「えー、精神病院に入られたのですか?私の為に尽力下さっていたのに、何故?急に」と結衣が言うとその場の空気が変わってしまった。

美代が「そうなの、哲斗が珍しい事だわね」と呆れた様に言った。

「お父様、お母様、今ここに悠斗さん一緒に来て居るのですよ」と笑顔で話す結衣を見て「この子も精神を患ったのね、可哀想に」と言う美代に修平が「本当の様です、この結衣さんに悠斗君が宿っているのです」と話すと「何処に、何処に悠斗が居るの?見せて」と取り乱す美代。

「誰にも見えませんよ、結衣さんとだけ話が出来るらしいのです」

「何故?何故?」と美代が言うと「お母さん、結衣さんにだけ見えるのかも知れない、諦めなさい」と嘘の話に真剣に成るなと言う哲二。

「悠斗も会いに来て貰えて喜んでいるよ、ありがとう」と哲二はお礼を言うと、奥の部屋に肩を落として出て行った。

「悠斗さん、お母さんに気を落とさずに長生きして下さいと言う?」と急に独り言を言う結衣そして耳に手を当てると「はいと悠斗さんが言っていますわ、私は東京に帰ります、折角授業料を出して頂いていますから、卒業迄頑張ってみます」二人はお辞儀をして近藤家を後にした。

修平はもう二度とここには来ないだろう、東京に戻ったら区切りの良い三月で卒業と就職を探そう近藤家から解放されると、気分が楽に成ったのかも知れなかった。


東京に戻った結衣を梶原達が待っていて「大変だったわね、彼氏亡くなったのね」と話して慰められると「今も、一緒ですから、寂しく有りません」と明るく答える結衣に「何???」と不思議な顔をする梶原に「ゴーストに成って一緒に居るのよ、ここに」と指を指す。

「そうなの、好きだったのね!彼の事が」と慰める梶原だ。

「今夜は鰻だよ、暑さを吹き飛ばしてね」

「暑かったわ、宮島と錦帯橋にまた行って来たのよ」ともみじ饅頭の箱を差し出す結衣。

「これ、美味しいのよ!種類が沢山有るから楽しみなのよ」と笑う梶原だが、可哀想に精神が病んでいるのねと思っていた。


結衣は翌日からバイトに復帰して「大変な仕事でしょう?」と独り言を言って耳に手をやる結衣、同僚から「耳が痒いの?海へ行ったなら、中耳炎を心配した方が良いよ」と言われて苦笑いの中で仕事と悠斗との時間を過ごす楽しさを見いだす結衣。

夏休みが終わって修平は就職活動も兼ねて、企業を訪問するが東大の大学院で普通の企業は敬遠する。

勿論施設育ちも選考に加味されていたのを、充分承知の修平だった。

そんな時期に今度は妹の由奈が、恋人が出来たと連絡をしてきて、相手は同じ銀行の男性だと教えてくれた。

今度帰ったら会って欲しいと言う、付き合いが進んでいる様なメールの内容だった。

相手の名前は橋詰誠で、由奈より三歳年上で地元の和菓子屋の息子、修平は早く就職して、お金を稼がないと嫁入りの支度も出来ないと焦りだした。


東京で修平は時々結衣に会う、耳に囁く話は誰も見ていないし、証明も出来ない。

半分以上信用している修平だが、結衣の事は心配で様子を見る為に会うのだ。

九月の彼岸前に会った時、結衣は凄く上機嫌で「修平兄ちゃん、悠斗との話し方も考えたのよ、はいといいえで答えられるから、沢山の選択肢を言ってね、番号で答えるのよ、楽しいでしょう」

「それは面白いね、悠斗答えるの?」

「はい、頑張って風で囁くのよ」と嬉しそうな結衣だが、急に「修平兄ちゃん私ね、悠斗が亡くなってから、変なのよ」

「悠斗が側に居るから?」

「違うのよ、女の子で無くなったのよ」

「えー、意味が判らないけれど」

「生理が消えたのよ」と恥ずかしそうに言う結衣に「今、悠斗の事故から全く無いの?」

「結衣ちゃん、それって悠斗の子供が出来たって事じゃあないの?」

「嘘」と言って考える結衣、白浜のホテルを思い出していた。

「もし、悠斗の子供なら、大変な事に成るよ、近藤工業の跡継ぎだよ」

「困るな、あの叔父さん達苦手なのよ」

「結衣一人では育てられない、それに悠斗もそれを望んでないと思うよ」

「待って、聞いて見るわ、まず子供が居るの?」両方の耳に手を当てる結衣がしばらくして、微笑んで「居るって、言った」と喜ぶ。

「ほら、子供だよ!結衣、悠斗の子供だよ」と自分の事の様に喜ぶ修平。

「待って、子供は男ならはい、女ならいいえで教えて」と言う結衣、再び両方の耳に手を当てる。

「男の子なの!わあー悠斗に似た男の子」一気に明るく成った結衣を見て修平は本当に悠斗が結衣の後ろに見えて、微笑んでいる気がしていた。

修平に説得されて、修平と一緒に大阪の近藤の自宅に行く事にした。

修平も由奈に会いたいから悠斗の彼岸のお参りを口実に、連休の間の総てバイトを休んで向かった。


もう来る事は無いと思っていた近藤の家のチャイムを鳴らすと、お手伝いの梶が出て来て「お彼岸のお参りでしょうか?」

「はい、それと他にお話が有りまして」

「実は奥様が今月に入られてから、体調を崩されて入院されていたのですが、三日前に退院されて戻られたばかりで、寝たり起きたりの状態でして」

「そうでしたか、社長はいらっしゃいますか?」

「社長も会社に出られるのも回数が減って元気が無いのですよ、息子さんが二人もあの様な事に成ったのがショックだったのでしょうね」そう話して、部屋に案内する。

部屋は七月のままで殆ど変化が無い状態、もう何もする気力が無くなっている二人の日常が読み取れるのだ。

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