第23話結婚の許し

18-23      結婚の許し

食事処で珍しく悠斗はお酒を飲んで陽気に成っていた。

緊張を解き解す為に飲んだのだろうと結衣は思っていた。

「一杯だけ飲んでも良い?」と甘えて頼むとグラスに注いで「乾杯!」と益々陽気に成っていた。

仲居が「明日錦川の河川敷の駐車場に止めるなら、車はこの宿の駐車場に止めて、歩かれた方が楽ですよ」

「この辺りのお勧めスポット有りますか?」

「岩国城に登ると、明日は好天ですので、遠く迄見えますよ」

「彼女この辺りの出身なのですが、殆ど覚えていなくて」

「そうなのですか?何歳まで住んでいらしたのですか?」

「小学校二年です」と答える結衣に仲居は遠い昔を思い出すように「私の知り合いの人も、子供一人だけ助かって、その子も確か小学校の二年生だったわ」

「えー、それは火事ですか?」と悠斗が声を変えて聞いた。

「そうですよ、隣の家が放火されて類焼で、私の友人も焼け死にました」

その話を聞いていた結衣が「もしかして、その焼け死んだ友人って真中って言いませんでしたか?」と尋ねると「そうよ、何故?まさか、貴女!紀子の娘さん!」河野智子と云う仲居は紀子の友人だった。

「そうです、真中結衣と申します」と立ち上がってお辞儀をした。

「そう云われれば、どこか似ているわ、紀子の若い頃に、世間は狭いわね」と懐かしそうに言うと「施設に引き取られたと聞いていたけれど、もう結婚したの?」横から悠斗が「婚約者です」と嬉しそうに言った。

「今回は、報告に来たの?」

「そうです、結衣の両親に僕達の結婚の許しを貰う為に来ました」と悠斗が元気よく言うと「悠斗、それ本当なの?」そんな話を聞いて無かった結衣は、嬉しくて涙が溢れだした。

両親の墓参りに来たと思っていたから、結衣はもう嬉しくて涙が止まらなく成ってしまった。

仲居の河野が慌てて、ティシュを持参して「良かったね、心配していたのよ、お墓はね毎年私がお参りしているから」

「本当ですか?ありがとうございます」と河野にお礼を述べて、墓の場所も教えてくれたのだ。

長い食事が終わって「良かったね、良い人ばっかりだ。場所も探さなくても良かったし、明日朝から墓に行こう」と言いながら、部屋に戻って行った二人だが、悠斗はこっそりと、明日の墓参りの為の線香と花の用意を河野に頼んでいた。

部屋に戻った結衣は感傷的に成って、悠斗に寄り添って過ごすと浴衣の間に垣間見られる、結衣の美しい身体と胸の膨らみは悠斗の身体を元気にさせて、今度はベッドに結衣を倒して、初めてのSEXに成った。

一度目で失敗したが今度は暴発も無く、結衣も辛うじて悠斗の物を受け入れた。

多少の痛みが有ったが、結衣にはこれで悠斗と結ばれた満足感の方が大きかった。

翌朝、晴々とした表情の二人が出掛けようとすると「これ、用意しました」と花と線香をさりげなく持参していた。

「ありがとうございます」そう言うと二人は車に乗って、河野に教えて貰ったお寺に向かった。

小さな墓石には真中家先祖代々の墓と刻まれていた。

「ここだ!」と悠斗が花を結衣に手渡して、線香に火を点けて居ると、住職がやって来て「真中さんの娘さんですか?」と話かけた。

「はい」と答えると、お経を始める住職、頼んでいないのにと驚き顔の結衣と悠斗、住職に促されて手を合わせる二人。

線香の香りが辺りに立ちこめて、住職は「よくお参りくださった」と一礼をして立ち去った。

悠斗が「結衣のお父さん、お母さん、僕達結婚します、お許し下さい」と手を合わせて言った。

思わず泣き出す結衣「お父さん、お母さん、悠斗さんは良い人でしょう、結婚しても良いわよね」と語りかける様に言った。

墓参りが終わって、お寺の中に向かう二人は先程のお経のお礼を言う為に「済みません先程はありがとうございました、お礼を如何ほど。。。」と言い出すと「河野さんに頂いております,お気遣い無く,遠路お参りご苦労様でした」と言われた二人。

河野の気遣いに感謝して、寺を後にして、岩国神社に向かう。

「流石に人多いわね」

「ゴールデンウィークだからね」

 錦帯橋は山口県最大の河川である錦川(川幅約200m)の架かっている5連の木造橋であり、今から約330年前の1673年(延宝元年)、第三代藩主吉川広嘉によって創建されました。

 岩国藩の悲願である流れない橋として誕生したこの橋は、創建翌年の1674年(延宝2年)5月の梅雨の洪水によりあえなく流失したが原因を徹底的に究明し、同年10月末に二代目錦帯橋が完成しております。それから、276年間不落を誇った錦帯橋でしたが、1950年(昭和25年)9月に岩国地方を襲ったキジヤ台風によって2度目の流失をしてしまいました。

しかし、岩国市では橋脚に近代工法を取り入れるなどして直ちに再建工事に着手し、三代目錦帯橋は1953年(昭和28年)しました。以来、半世紀にわたって人々を渡し続けてきた錦帯橋ですが、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、2001(平成13年)年から平成の架け替えが行われました。この架け替えは、木造部分(橋脚部分を除く)を現橋の形・構造通りに原形修復し、総工費26億円を要する大事業となり、2004年(平成16年)3月四代目錦帯橋が完成しました。

「変わった形の橋ね」

「本当だね、川の水位も低い」二人は手を繋いで、向こう岸に渡って「佐々木小次郎だって」と銅像の前に行く

「宮本武蔵は実在の人物なのね、小説の中の人だと思っていたわ」と説明書きを読む結衣。

お墓で悠斗が言ってくれた結婚の言葉が、今も耳の中に心地よく残っていた。

「白蛇が居るらしいわ」と珍しそうに言いながら案内版の方に行く二人。

シロヘビは長さ180cm、胴回り15cm余り、目はルビーのように赤く、全身は白く光沢があり、清楚な姿でとても神秘的である。

性質はおとなしく温順で人に危害を加えることもない。

 このシロヘビの最初の記録として残っているものは、今からおよそ250年前に書かれた「岩邑年代記」である。そこには1738(元文3年)年6月、千石原(岩国市横山3丁目)に出現と記されている。

 シロヘビの誕生がいつ頃かは不明であるが、約380年前、関が原の戦いで岩国に移封された岩国藩初代藩主吉川広家が錦見一帯で米作りに努めた頃、多くの米倉でネズミを餌にしていたアオダイショウが色素細胞のない変種で、それを遺伝し生まれてきたとされている。

当時の人々はこの珍しいヘビを、有益で幸運を呼ぶ家の守り神として大切に保護したと考えられ、その数も増したといわれている。

1927年(大正13年)国の天然記念物に指定され、1972年(昭和47年)「岩国のシロヘビ」と指定替えされた。シロヘビは麻里布地区、川下地区に多く住んでいたが、近年は生息地域の都市化が進み、餌となるネズミ等の動物相も変化するなど、環境の変化により、その生息数は減少しつつある。

 「岩国のシロヘビ」は、文化財として貴重な国民的財産で大切に保存することを義務付けられており、岩国市の屋外飼育場で飼育されています。


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