序章……(ニ) 【嵐前の閑古鳥】
外套の一派は頷き合い、それと時を同じくして“ポツリ、ポツリ”と曇天から雫が降り出し始める。まもなく完全に人通りの途絶えた大通りを、人目が無いのは幸いとばかりに四人は進み始めた――。
◇◇◇
――それから少し時間が経過し。
場所は変わり、町中のとある一軒の
「――ごめんください、と」
何者かが掲げられていた
その者は足取り軽く、ぐるり玄関を見廻す。
そうして玄関の脇に置いてあった物品に興味を示したようで近付いて行き。その物品、筋肉質で逆三角形の体型をしていて二の腕を盛り上げた姿勢の、妙に存在を主張する狸の置物の前で声を弾ませて言う。
「よし。良いんじゃないかな、この宿。
古風、主張しない佇まいに年季の入った建物。それでいて堅苦しくなく、田舎のお婆ちゃんの家的な親しみがもてる。ノスタルジックな感じで、いかにも良い宿な雰囲気を出してて俺の好みだ。どこでも良いならここにしてみないか……?」
一向にお客が入らず。もういい加減に暇で暇で舟を漕ぎ始めた宿屋の彼女を
「ここにチェックインでどうだろう?
あれ? おーい、皆? あれ……?」
その美しい声に似合わず、平易というか俗っぽい砕けた口調。飄々とした言葉遣いをする人だ。
宿屋の彼女は寝惚けていて頭が回らぬが。
察するに、訪問者の女性……? その者は『この宿に泊まろう』とでも考えてくれているようだ。
「おきゃくしゃ……いらっしゃ……。
ちぇっくい……ん? はわぁ……あ」
寝起きで
この宿屋の受付をしていた彼女は、意識せずとも口から出てしまいそうになった
目に入ったのは、防寒や雨風を凌ぐ為にしても着込み過ぎな……。彼女にとってなんとも表現し難い本当に稀有な稀人というか。顔も含めて全身を隠すように純白の頭巾と外套を身に纏った者の姿。
これは、んん。お一人様なのかと思いきや、
「泊まる宿を探しているんだが……。
えーと、皆どこ行ったんだ? ……あぁ来た」
「リンリ殿? いえ、旦那様……。
よもや、そのまま入っていかれるとは」
「リンリ……様、本当に、ここかぁ?
なんじゃ……その、なんというかじゃの」
と。
――彼等の呼称を聞くに。
最初に店へと踏み込んで来た者は、外套姿をした一派の“旦那様”と呼ばれている者らしい。その旦那様に遅れて入ってきた従者の二人様といった形か。
「あの、宜しいので?」
「少々……。いんゃとても物好きじゃの。
さすが儂が見込んだ物好き者じゃ! あ勘違いするでないぞ。無論これは皮肉じゃからのぉ?」
「……サシギ、シルシ。なんか酷いな。
おい、なぜそんな微妙な反応をしてるんだ……?」
一方の旦那様は、理解できないという風に。自分の選んだ宿にケチを付けるような態度の二人に同じく怪訝そうな身振りでもって言葉を返す。
「リンっ、いえ旦那様。……本当にこの宿で宜しいのでしょうか? ……先程の私達の冗談へお返しをされているのではなく? 恐れながら、向かいの宿の方が幾分か宿としての位は上かと存じますが」
「サシギ……しかしなぁ」
外套の一人は、やたら畏まった固い話し方をする女性の声。呼ばれた名はサシギ。
「――外装だけなら間違いなく、向かいの宿はこの町一番じゃろうな。んまあ、と言ってもばっと見た限り現在のところ、まだ暖簾を出している
「シルシ、お前もここじゃ不服だと?」
「あえてここを選ぶ意味が解せぬだけじゃ」
「……って、言われてもなぁ。あんな悪趣味な……ピカピカ装飾過多な宿はちょっとご免かなぁ。高そうだし雰囲気的に入りづらいしさ。もう一軒は知らんが。というか二人とも、そーゆうのは店の外で、その店の人に聞こえない所で言ってくれ……失礼だろ?」
「失礼? いえ比較した結果、この宿に妥当な評価をしたまででございます。それに加え、安い宿は警備も不充分で、客に対しても配慮が足りない場合が考えられ、その点も踏まえてご判断を」
「リンリ様や、お主が宿に『失礼』や『気兼ね』など下らないものを感じる必要は無いのぅ。旅の費用はたっぷり持っておるし。もしも散財したとしても我々、特にサシギが身を売ってでもやりくりして何とかかんとか……てぇッ痛ァ!」
シルシはサシギに頭をはたかれた。
「……そうか。うーむ、しかたない。じゃあ今回の宿はやっぱり二人が決めてくれ。旅先で“宿”とか決めるのにちょっと心踊ってなぁ。まぁよく考えてみると、正直俺もハクシと同じでこの世界の宿とかに疎いからさ。ここまで来て悪いな。頼んだよ」
旦那様は少し残念そうに言うが、二人の意見も尤もだと思ったのか。素直に引き下がり、今回の宿を決める役を辞退する事にした様子。
だけれど。そこで、
「――ここで、良い! ……良いよ!
うん、ここ! ここにしよう、りんりぃ!」
「ん、ハクシ?」
二人と共に入って来るも、そのまま沈黙していた幼げな少女。旦那様の後方に張り付くようにして、存在感を消していた小さな外套の主。
呼ばれた名は――ハクシ。彼女が三人の円に向かって唐突に声を出し、そう主張する。
「「……ハクシ様?」」
「ハクシ、どうかしたのか……?」
「聞き逃したのか?『良い』と告げたのだ。
我が宿探しを任命した其方が、この宿を選んだのだ。ならばこの宿に何の憂いがあろう。ここで良いとも……せっかく選んでもらったからね?」
ハクシの主張に、旦那様は
サシギとシルシの二人はやれやれといった様子をするが、すぐ無言で頷き合った。
「――いいのか。じゃ、ここに決定だな。
えーと大丈夫? 決定で構わないかな皆?」
「承知いたしました」
「うむ。御意、じゃ!」
三人は声を合わせる。
「じゃあ、そこの受付係だろうお姉さん。
とりあえず一泊をお願いしたい。……外に
「……え? え、えと。その」
外套一派の旦那様は受付に向いた。
そのままの流れで、心の準備も出来ぬ間に喋り掛けられた受付の彼女は言い淀んでしまう。
「ゴホンッ、こちらの要望でございますが。
……部屋は二部屋。何処でも良いので一部屋と、多少高くても可能な限りの上部屋を一部屋、二人ずつの宿泊。食事の用意は二人分で結構でございます。この希望で、本日の宿泊は可能でしょうか?」
受付の彼女の様子に見かねたのか。
サシギが前に出てきて、そう告げる。
「あ、あの……その」
「……ん? 向かいのメッキ成金宿と違って、ここは
「いえ、あの。そこのところは、空き空き。
部屋は……ぜんぜん空いているのですが……」
「ですが? ふむ。となると、もしかして事前の予約制とか、一見様お断りとか、そんな感じかな……? あーそうかぁ、考えが至らなかったな。老舗旅館とくれば客くらい宿が選ぶものかもな――」
「あ、そんな、お客様を選ぶなんて、そんな。
とんでもないです。あ、い、いえ、泊まってもらえるのも……すごく歓迎なんですが……」
「それじゃあ、何が問題なんだ?」
「……とても失礼な事だと恐縮なんですが。
あ、あの、正体も顔も解らない方達を泊めるのは、この宿ではちょっと……。すいません。その。が、外套を脱いでもらって良いでしょうか……?」
受付の彼女はおずおずと、とても申し訳なさそうに外套一派の旦那様に伝えた。
受付の彼女が横に一歩二歩と動くと、その背後の壁に飾られておった掛軸が現れる。
或いは、例え客を追い返す事になっても。
代々続いたこの宿の、掛軸に書き込まれた文字『信用できる人間しか泊めない』という伝統なのだ。
ある意味で“客を選んでいる”が、けれどもだ。
掛軸に続く言葉『全ての客を尊重し、安心安全な持て成しをする』という宿の創業から継いだ伝統の理念にもとずいた取り決めである、と。
「んまぁ、もっともだ。失礼なんてとんでもない。
どんな土地でも世界でも不審者は居るもんな。当然、変な奴を泊めるわけにはいかないもんな。だったら泊める人間の身元確認は重要だろう。んー……ということらしいが、皆どうしようか?」
「我は構わぬ。……かな? どうせ、商人に見られている故に。案じてもしかたのない事。人の口は完全に塞げない、どこかで割り切るしかないよ」
「……客に配慮が無い。本来なら今からでも向かいの宿に行くところでございますが、旦那様が選び、ハクシ様がここで良いとの事なら」
「儂も異論はないの。今さら見られても構わん。
ならば、我等は従いましょうかのぅ」
サシギとシルシは、言いながらバサッと外套を脱いで素肌を外に晒す。それを見て、
「えっ――
受付の彼女は、思わず呟いてしまう。
目前の彼等は、そういった存在なのだろう。
「……イディオヌ。はて、なんだっけ?
えーと、あー、たしか【イディオヌ】と言うと。ファンタジー世界で言うところの“獣人”的なカテゴリーの人達の事をそう呼ぶんだったっけな……?」
旦那様が何やら呟く。
「
https://kakuyomu.jp/users/1184126/news/16818093084519457063
旦那様の言に続けた彼女。特徴的な紅い髪、それから肩から下の手首までが形こそ人間の物だが、美しい紅い羽毛で包まれた腕であり、その先が鳥類の鱗の生えた掌となっている長身の美女。サシギ。
「……そうかそうか、
https://kakuyomu.jp/users/1184126/news/16818093084519485303
さらに続けて。こちらは薄蒼い髪、珊瑚のような形をした掌大の角を二対、側頭部から生やし。頬に葵色の爬虫類の鱗、碧玉の眼、丸い眼鏡を掛けて、鱗に覆われた太尾を股下に
シルシは顔を歪ませ、口をとがらせている。何故だか獣合イディオヌの民と言われた事に複雑そうな心境を浮かべているようにも見て取れる。
「あ。ちょっと、あの。悪い。
不意で引っ張らないで欲しいぞ。この身体は必要以上に人に見られたくないんだけど。特に知らない人には……色々な意味で。本当に、心からっ!」
旦那様は自分の姿を晒す事を酷く躊躇しているご様子で、己の頭巾と外套を押さえているが、
「うぐぐぐっ! せ、せめて、心の準備をだな」
「その振舞いは良く無い。
彼ノ者を貶める言とも取れてしまう故に。我と同じ存在であると、なにより彼ノ者との縁を認めるべき。りんり、己の身体に自信を持つが良い。えーとね、うん。……じゃないと、我は怒るからねっ!」
「あっ、ハクシ! ちょっと待ってくれ!
外套を引っ張るな!! 悪い、お前と同じ存在ってのが嫌な訳じゃなくてなぁ!!」
――ハクシに後方より不意で引っ張られた旦那様の外套は、その拍子にカチャリと掛け合わせていた留め具が外れる。結果、力をかけられた方向へとスルリと脱げてしまった。
「あぁ――っ!!」
刹那。銀色の細糸、否、髪が舞う。
旦那様の外套が脱げて、現れたのは――
肩の辺りで短く切り揃えた銀髪に、琥珀を思わせる金の虹彩をした銀髪金眼の女性。
彼女のその見かけの齢は、十代の後半といったところか。少女とも大人の女性とも言い表せるものであるが、大人の艶やかさよりも少女的な可憐さの方が上回る為にどちらかというと若く見える。
https://kakuyomu.jp/users/1184126/news/16818093078967056381
彼女はその髪と同色の狐のような獣の耳を頭の上で窄ませ、同じく狐のようなフサフサとした獣の尻尾を腰から優雅に垂らしている。
そうして長い睫毛を揺らし、切れ長の瞳を辺りにさ迷わせると、その頬に赤みが差した。
そんな“人ならざる”ものの、美に精通した造形師が身心を注いで手掛けた人形のような。神秘的で儚げな、見る者を心惹かせる容姿の女性であった。
「み、見られたく……なかった……。はぁ」
旦那様と呼ばれていた彼女は、自身の程よく膨らんだ乳房の辺りを抱えこみ。己の袴と装束、たくわえる尻尾まで汚れるのも気を止めず、涙目でその場にへたへたと座り込んでしまうではないか。
彼女の意を汲み取ったのか。背中から薄い羽衣のような物が現れ、彼女自身を優しく包み込んだ。
「――えっ、えぇ!? まさかっッ!
受付の彼女は、目の前の彼女の容姿を、そういった特徴を持つ存在を知っていた。いや、この土地に住んでいるのならば知らぬ者は居ないだろう。伝え聞く『金と銀の色彩』を身体に持ち。更にその存在の証といえる
「――是だ、我がそう」
ハクシの言ノ葉に、受付の彼女の目が変わる。
世の
統巫。それも、
――
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