序章……(一)  【雨模様の町】

 ◇◇◇




 ――コツン、と。

“彼女”は寄り添うように“居る者”の肩に、そっとみずからの身体を傾かせ頭を当てた。

 微睡まどろみの中の意識。ふと、おのれはどうして斯様かような事をしたのだろうか……? そう遅れて疑問を抱き。もやのかかった思考で自問してみる彼女。


 だけれど、しょせん曖昧あいまいな己に問うたところで詮方無せんかたなき事であったか。抱いた疑問が解消される事は無く。不思議と今しがたみずからが取った振る舞いだというのに明確な意味などを見出せはせず。

 けだし霧霞かすみに包まれた湖面に、過ぎた望月もちずきの面影を求め立ち返り見遣みやるようなもの。しくはいたずらなる焦がれか。だろうと構わぬとも。其方そなたに触れ、わずかなりともくすぶ焦燥しょうそうが静まったと息を吐く。


 ――パサリッ、と。

 そのように微睡まどろんでいた彼女の頭に、何か軽く暖かいものが乗っかってくる。心和ぐ当たりで。あえて確かめる必要も無く“それ”が手であると理解できた。彼女が身体を傾けて頭を当てた者のてのひらだ。


 ……どうも応えてくれたようだ。

 彼女は首を僅かに上へずらして、掌のあるじの者の姿を瞳に収めてみる。その瞳に映るは、


 ――全身を隈無くまなく隠すようころもを身にまとった、さながら白無垢しろむくごとで立ちの彼の者。

 けがれ無き純白の外套がいとうを身にまとい。その装束しょうぞくそで先から手首のみ外に出して、おもむろに。彼女おのれの頭をゆっくりと優しく一撫ひとなでする彼の者の姿。


 ――あぁ、これは。

 彼女は口元をほころばせてしまった。

 沸々ふつふつと自らの中に知らない感情が溢れる。

 胸の奥が暖まる。


 たまらず恥じる事も忘れて、まるで幼子が甘えるように自らの頭をの掌に擦り付けていた。揺れた彼の外套の袖を両手で抱き留めてしまっていた。


 ――あぁ、そうか……。

 彼女は気が付く。胸に抱いた疑問の答え。

自問に応える自答を。とても単純な事だった。

 あぁ、そうだ。自らは、彼の者が変わらずかたわらに“居てくれる”事実を。彼の者の持つ優しげな温もりを。何よりも、自らの心の内につかえる感情の正体を。ただそっと触れることで確かめたかったのか。それを改めて認識したかったのかと。


 ――しからば、今時はひた願うのみか。


 ――どうか、どうか。叶うならば。


 ――可能ならこの時が久遠とわに、と。


「…………」


 否……。己が身分で祈願なぞ、いったい何様に届くというのか。それこそ詮方せんかた無き事だろうに。

 彼女は自らをかえりみた後、小さく肩をすぼめた。


 ――彼等かれらは、この世にたった二人の御身。

世のかなめたる者。前途ぜんとしるべ。いととうとき存在。

 たった二人で、一組のついにして、つがいしか存在しない唯一無二の命。そして、この世【此土しど】にとっては特別な幾命にして幾柱の一つでもある。

 故に果たさなければならぬものがあり。次代へと繋げなければならぬ使命があり。今のままでは許されぬ道理がある。それが二人のくびきかせとなっていた。


 ……だからこそ、だろう。こんな優しい時間だけが何時までも流れる事を願ってしまい。今のようなやり取りをしてしまうのかも知れない。

 旅路の果て、答えを得て、向き合う刻。手を伸ばした先に、彼の者は居てくれるのか。もしくは彼の者に伸ばせる手はあるのだろうかと。


「……うん」


 確かめるように、深く頷く。

 自らに後悔など無い。そう誓う。


「――ぅ」


 ――だが、たしてだったのか?

葛藤かっとう呻吟しんぎん相克そうこくする感情の苦慮くりょ。その狭間。

彼女はかたわら、未だに秤兼はかりかねてもいた。


 彼女おのれは自らから離れ、再び外套の中に戻ろうとする彼の者の“手”を瞳に映してしまう。そうして僅かに声を洩らし、その表情に陰りが差してしまった。

 何故なにゆえか。ゆえならば、決まっている。“それ”を嫌でも思い知ってしまったから――。


 ――は自らの罪。天命に背いた、むべき振舞ふるまいの対価たいか。罰、業、咎。取り返しの付かぬ因。


 ――“それ”は、彼の者の腕は、手は、指は、

爪の先に至るまで。全てが、すべてが、そう。少し前まで見慣れていた物から“変わり果てた”……酷く繊細で弱々しい物である事を……。


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 ◇ 序章 ◇




 ――昼つ方の下がり。まだ陽の高い時刻。


 本来ならば、定期的に訪れる商団がぼちぼちとやって来る頃合いか――。


 町の大通りには、今か今かと商団を待つ町民達がひしめき合い、月のこの日だけはここがひなの町とは思えない程の活気に溢れ。それこそ一刻ひとときの間だけではあるが、年に一度の大祭にも引けを取らぬようなにぎわいを見せている。……はずであった。


 だけれど、現下げんかの【チィカバの町】に活気や賑わいは感じられない。いやむしろ、人の往来おうらいも時間の経過と共に少なくなる一方だ。


 そんな状況の為に、大通りに建つ店の主人は区切りをつけたか。遠退いた客足を理由にし早々に店仕舞の準備に掛かろうと軒先へ出てみれば、曇天。空は不気味な程にどんよりと曇り始めていた。


『――大きな嵐が来るぞォ!』


 そう、誰かが言ノ葉を発す。

焦慮しょうりょ憂懼ゆうくの情を含ませた声色こわいろだ。


 いわく、気象の学に心得がある者でなくとも。

この辺りの土地【シンタニタイ】周辺に長く住む者にとっては、例えば『遠くに見える空の景色』『特有の湿った風の流れ』『鳥の飛び方』などといったきざしを長年の暮らしや経験に裏打ちされたしきで解ってしまうのだという。


『――これは予兆だ。近い内に大荒れになる。

もたもたしていられねぇ。各々おのおの、行った行った!』


 どこかで周囲をあおる一声があがる。


『何をぼさっとしてるんだい男達ぃ!!

気を張りな。やることやって、さっさと帰るんだ。妻子を守ってやんだよ。こういう時に頼りにならないなら男が廃るよ。ほらさっさとおし!!』


 次いで、町の一角で発破はっぱの声が掛かり。


皆々みなみなァ、各々方おのおのがたよォ! 思い上がらず用心せよ。手抜かりは無く、十全に備えておかれよォ!』


 それらに続き、周囲をうながす叫びが響いた。


 ならばと。共通の認識によって皆はこうじる。

手の空いている町民達は率先そっせんして協力し、今のうちにと後々を見越みこしておく。無論むろんのこと、過酷な土地柄とちがらゆえに常日頃つねひごろよりその方途すべさだめているとも。

 町の周囲に流れる河の支流しりゅうを回り、治水ちすいの為に設けてある堰堤えんていの水門を操作する事で万が一の場合にそなえておくのだ――。


 堰堤えんていの他にも、町の内と外からでそなえは進む。

 西の山岳さんがく方面から街道かいどうを通って町を訪れる場合、必ず一度は渡らねばならぬ一本の河がある。その河に架けられている『跳ね橋』が、これよりきたる嵐で崩落をしないようにと、大人数人で鎖を引くことで徐々に滑車で吊り上げられ始めた。

 だが途中まで上げたところで、物見台ものみだいより顔を出した見張り役から『待った!』がかかり、すぐに橋は架け直される。逐って『これは危ないところだった』そう胸を撫で下ろす御者ぎょしゃ達を乗せた数台の荷馬車がその跳ね橋を渡って行く。


『――山越やまごあきない屋一行ォ! 【カリチカイ】

只今ただいまをもってチィカバの町に参り着きィ!』


 ――数台の荷馬車、その先頭よりの掛け声。現下の町に、嵐の前すれすれに滑り込むよう来訪する者達があり。本来なら歓迎されていただろう商人あきんど達の荷馬車の一団、商団がようようと到着したのだった。


 これが普段ならば、商団の荷馬車達は町の大通りに一旦停車して。大荷の積み降ろしや、役人からの積み荷のかんや、関税の徴収などと同時に、既に集まっている町民との間であきないでも始める所か……。


 しかし本日は役人の事前の手配もあり、そのまま大通りには停まらずに進んで行くと。一定の期間は町に滞在する者達の為に用意されている屋根付きの馬車の停留所まで行って、そこで停まった。


 ――先に停留場に着いた荷馬車から順に、続々と苦い顔の商人達が降りてくる。


 彼等も既に、商人独自の知見や情報力でこの地に嵐が近い事を理解しているようであり。口元をゆがめて『せっかくの品物も、町がこれでは売れんぞ』『嵐が過ぎたとて、完全に水が引くまでこの辺りの道は不安定だ。数日はこの町に足止めだろう』『彼ノ者の縁起者に肖れると思ったが、まったくとんだ災難だ』……などと、口々に誰に対してでもない愚痴や恨み言を呟いておる。


 ――まあ、構わない。便乗していただけの者達には商人の都合など関係無きことだ。何処吹く風。そうどこか他人事で、荷馬車の一つから外套がいとうで全身を覆い隠した何者かが姿を現した。


 その者は形式だけの別れの挨拶をその馬車の持ち主である禿頭はげあたまの商人に告げて、乗車しただけにしては“少しばかり”の大金を握らす。その金には、“自分達”の正体を知るその商人への口固めの意味も有り。商人もそれを察しているのか、掌を開閉し『了解』の意を示す仕種をして金を懐にしまうのみ。


「ふん。……うるわしき姫に、餞別せんべつだ」


「む?」


 商人はぶっきらぼうな口調で別れの一言。

馬車の荷台より様子を伺った“銀の御髪”に向かって何かを放り渡すと、その相手の反応も待たずに降ろした積み荷の一つを担ぎ上げて行ってしまう。


 外套の者が周囲をけみした後、荷台に合図を送ればそれが皮切り。白銀色の麗しき髪のなびかせを先頭にし舞い降りる者達。即ち、この町の大地に降り立つ三人の姿あり。先の一人と合わせての四人。皆が揃って外套姿の一派なり。彼等が素性、由緒、何為、予め多くを語るには及ばないだろう。さて幕開けである。彼等の物の語りはここから始まるのだ――。




 ◇◇◇




 白く上質な布の外套が二つ。

 目立たぬ色の質素しっそな布の外套も二つ。


 停留所から出てきた四人の外套。

さながら外套一派のうち一人が、身を優雅にくるりと回してから肩の凝りをほぐすよう伸びをし。


 開口一番、


「はぁ、初めて馬車に乗った感動も、そこから一日半となると辛くなってくるものか。暇だった。そして、くぅぅ~臀と腰と尻尾が痛いのなんの……」


 やや大雑把に肩を落としてそう言った。

周囲から浮いており目を引いてしまう、白無垢の如き衣装。それは白地に赤と金の装飾がされた上質な外套をまとった者であり、馬車を降りる際にはすでに脱げかけていた頭巾ずきんを被り直して銀髪と顔を隠す。


「そいで、なぜか俺だけ貰ったこれは何だろ?

絵の描かれたハマグリ……? 何だこれ?」


 ぞくっぽく粗野そやな言葉使いとは裏腹に、高く淀みなく透き通ったりんとした美声。きっと声の主はさぞや麗しい女性なのだろう。耳を傾ける者が居たならば、そう想像させる声色こわいろであった。


われには有意義な時だった。其方そなたとただ寄り添い、気紛れに肌を重ねる。する事が無いからこそ、できる事もあり、また微睡みの中で至れる答えがあるというもの……だよ。ふぁぁ」


 同じような白無垢。小さな身長の外套がその者に横から飛びつき、身体を寄せて言う。


 厳粛げんしゅくな喋り方の反面、若干の幼さも感じられる。彼女もこれまた高く清雅せいがみやびな、例えるなら鈴の音が響くような声色。きっと外套の下は、未成熟ながら可憐な女子おなごなのだろうと。そう連想させる。


「――ハクシ、いや何を言ってるんだか。

肌を重ねたってのには語弊ごへーがある。俺はただ何となくお前の頭を触っただけだろうに? ……荷台の中で妙な事をしてたみたいに言わないでくれ」


 最初に声を出した者は、自らに身体を寄せてきたその小さな彼女を【ハクシ】と呼び。肩をすくめながら彼女が発した言葉の内容を否定する。


「……なに、あんずる必要は無い。今の其方と我の関係は何者にも千切る事など出来はしない。そう、我自身でさえもだ。ゆえに互いの全ての行為は許される。どのような事でも――ね? ……えへへ!」


「おーい、ハクシ様よ。人の話を聞きましょうか?

というか、お前わざと言ってるだろ。その『えへへ』って、明らかに冗談で言ってんのがバレバレな素が最後に出ていたぞぉ……」


「……えへへ?」


 ハクシと呼ばれた彼女は、確認するように頭を傾けて再度言葉を繰り返した。


「復唱しなくて良いから……まったくもう。

あぁ、ハクシ様のキャラがたまに行方不明に」


「其方ならば、我を見失ったりなどしない。

故に案ずるな。……我はずっと一緒だよ」


「いや、そういう意味ではなくて」


 そんな二人の後方から、


「――肌を重ねる? ですか。

旦那様、それは本来なら尊くおかしがたい行為。

お二人のような存在なら尚更です。差し出がましい意見だとは存じますが、荷馬車の中などで行うべきではないかと……ふふっ」


「ホホッ……そうじゃの。

別に誰も咎めはせんが、せめてもう少し場を弁えて下され? 一時の衝動に訴えただけだろうと、そこには責任が発生するのが道理じゃ。それが解らぬ訳ではないじゃろ?」


 二人の背後に控えるように立つ、残る二人。

地味な色合の外套達が少し面白そうに呟いた。

その声から共に女性だと解る。全員が女性か。


「……おい、サシギ、シルシ。冗談でも止めてくれよ、笑えないからな! ……と言うか、お前達は教育係だろうに? この世間知らずの天然娘に、放った言葉がどう取られるかをちゃんと教えてやれっ! たぶんそういった言葉の意味合いを知らないのでは? 後で俺が噛み砕いて説明したら、赤面して“あぅあぅ”と言う。そう簡単に想像できる」


 女性の様なのだが、“旦那様”と呼ばれた最初に言葉を発した外套の彼女が振り向いて、後方に控えた彼女達に対して『心から』という風に叫ぶ。


「何を仰るかと思えば。ハクシ様の教育は何一つ滞りありませぬ。数端術、語用学、文記学、心身学、万民学、人医術、生命系統、此土物理、天周学、歴史、伝統、神学、作法、唱歌、裁縫……男女の行為に至るまで。おおよそ必要な分野の知識は身に付けていただきました。――そうですね、シルシ?」


 右方、後方。【サシギ】と呼ばれた方が答え。


「――勿論もちろんじゃ、サシギ! もうほとんど我等の教育が必要無い程にハクシ様はご立派に成長されているぞい! 普段はアレじゃが、必要な時はやはり頼りになるからの。普段はアレじゃが」


 左方、後方。【シルシ】と呼ばれた方も、凹凸の細やかな胸を張るような素振りをして答える。


「『普段はアレ』アレ……。アレ……。

我には何も聞こえてはいないぞ……ぁぅ」


「『普段はアレ』って、おおい。

シルシ。それ本人の前で言うもんじゃないぞ。都合の悪い事を聞かなかったことにしてくれるハクシ様の寛大さに感謝しろよ? この不敬従者めぃ!」


 旦那様は、不躾ぶしつけなシルシのひたいを小突く。


「それにしても、えーと、なんだ……。

なんというか、ハクシはやっぱり『世間知らず』と言うかなんだかなぁ。……物事の意味を誤って覚えているというか、箱入り娘というか、天然物というか純粋無垢というか。はぁ……とにかく、俺は心配だ」


 どうにも『なにか腑に落ちない』なぁ。

という風に感情を滲ませ、旦那様はボヤいた。


「――心外な。我は意味を理解している!

その上で其方との会話のおもむきとして、ちょっとした冗談を言っているのだっ!」


 小さな外套……ハクシは、

旦那様にその場で飛び上がって主張。


「――なおさら悪いわっ!」


「……ふふ」


「ホホッ」


「ちなみにだ。“肌を重ねる”とは、年頃の者達がいじらしく互いの存在を確かめ合う行為だと我の知識にあるのだが……あのね、間違ってないよね?」


「ハクシ。うんまぁ……間違っては、ないな。

すごくアバウトで抽象的だけども」


「……お教えした筈でございますが」


「……じゃな、おかしいのぅ?」


 そんな一見家族のようにも感じられる、微笑ましく賑やかなやり取りをする四人組。


「ところで、このハマグリ何だろうか」


「ほれ、開けてみい。化粧紅けしょーべにじゃろ。

それも素人目でも解る。かなりの贅沢品じゃな。儂も詳しくはないが、物によっては乗車賃として渡した金と同等以上はすると思うんじゃがの」


「そういや。途中途中で暇になったから、御者席ぎょしゃせきの隣に座って世間話してたら。あの無口な商人おじさん、だんだん話してくれるようになって。優しい目で『年頃なら紅くらい差したらどうだ』と言われたりしたかな」


「で餞別はなむけかの。ほほぅそうか。

あの無愛想ぶあいそう禿頭とくとーはお主にその気でも持ってしまった……ということではあるまいか? ほーぅお主は罪な娘じゃなー。自覚なく男をとりことはのぉー」


「いや、娘て……うぐぐ――」


「集落の筋肉連中おとこたちにも、その姿とその立ち振舞いで勘違いをさせ相当に惚れ込まれていたしのぅ」


「――うぐぐぐぐッ……!」


 シルシの言葉にうなる旦那様。


「ん、ゴホッ。何はさておき、です。

ハクシ様、旦那様。これから間もなく、天候が酷く悪化するとのこと。私共わたくしども旅籠屋はたごやを探して参りますので、ご希望などはございますでしょうか?」


「サシギ、うむそうじゃな。……せっかく、チィカバの町まで来た所じゃがのぅ。今日の所は寄り道をせずに宿探しじゃ。宿無しでずぶ濡れはご免じゃからの。どうしても宿がみつからぬ場合ば、まぁ頼みの当てはあるにはあるが」


 唸っていたのを一転、


「――ん、宿探しか? ほうほう。

旅の醍醐味だいごみ。一期一会の思い出。郷土料理と」


 旦那様は外套の頭巾内で、つい無意識に獣の耳をピクリと動かし、おまけに尻尾を振っての反応。


「――宿って、俺が選んでもいいのかな?」


 そして他の三人に確認を取ってみると、


「ハクシ様は旅籠屋はたごやにご希望はございませんか? 特に無いようでしたら、今回は旦那様に選んでいただく運びでよろしいでしょうか……?」


「サシギ、良い。許す。我には、宿の良し悪しなどの基準が全く解らぬ。そういった事にうといから。故に。……うん、ここは任せようかな?」


 宿探しの役、任命の運びとなる。


「よっし、任された!」


 一転して声を弾ませた旦那様。

 旦那様……彼女の外套が勢いでめくれ、顔を覗かせた白銀の毛束が左右に揺れていた。

 人ならざる獣の尾を持つ身。一人で先に進んで行こうとする尾の主。ハクシは気が付いてその尾を引こうとし、なのに手はあと少しのところで触れるのを躊躇ためらってしまう。何かを感じ取ったのか「ハクシ、どうかしたのか? ほら行こう」振り返って手を伸ばしてくれた旦那様に、ハクシはあえて何も言わず。


「ここまで、お世話になりました!」


 旦那様は、すれ違う商人への暇乞いとまごい。


『今後とも、商い屋カリチカイをご贔屓ひいきにぃ!』


 最後尾さいこうび御者ぎょしゃが、去って行く四人へ言葉を送る。


 外套の一派は頷き合い、それと時を同じくして“ポツリ、ポツリ”と曇天から雫が降り出し始める。まもなく完全に人通りの途絶えた大通りを、人目が無いのは幸いとばかりに四人は進み始めた――。

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