追憶……(七)  【褌姿】

 ◇◇◇




 身震いを誤魔化し、額の汗を拭い。痛む胃と心臓の辺りを撫でて、荒い呼吸で舌を動かす。


「――あの、サシギさん。なんだかとても混乱しているようなので、自分の置かれた現状の把握をするのを手伝ってもらっても構わないですか? おもにこちらから質問する感じですが……」


 弱々しく震える声で、でも振り絞った声で。

サシギにおずおずと聞いてみたリンリ。


「リンリ殿、サシギで結構でございます。

現状の把握。ええどうぞ。後にしかるべき場での沙汰さたを執り行うに当たり、夢と現の区別はしておいていただかなくては。ではこの紙と筆をご自由に。私が知り得る範囲でお答えいたしましょう」


 サシギは懐から出した紙筆を、洗練された所作で布団の脇に滑らせるように置いてくれた。

 リンリは身を乗り出してそれを取ろうとし。彼女は己の口元に手を添え、大げさに後退る。


 ああ警戒されている……。


 警戒。それはきっと隠し切れなかった感情。

表情を固めていた彼女がリンリに対して、始めて明確に見せた感情は『警戒』か。なるほど。


 彼女の行動には触れずに、紙筆を握る。


「助かります。んじゃ、まず俺が、自分がここに居る経緯を詳しくお願いします――」


 偉い少女ハクシさまに接触してきた身元不明の全裸男。


 そんな扱いを受けるのは仕方がないと自負。

悲しくて、それ以上に危機感。相手が事を荒立てない理性的な対応をしてくれているからこそ成り立っているだけの対話。対応を間違えれば、どんな扱いを受けるのか。冷や汗を流し、言葉を選ぶ。


 貧相な話術の自覚があるリンリ。もとい、あからさまに警戒してくる相手と上手く会話できる自信がまるで無いものの、ここは乗り切るしかない。


「リンリ殿の経緯……。んッ、ふふッ!」


「……?」


 突如サシギが軽く吹き出した。いや何故?

ああ、ただの『咳払い』だったのだろうか?


「はい? どうか、しましたか?」


「んゴホッ、失礼いたしました。

口不調法くちぶちょうほうながら、お話ししましょう」


 …………。


 サシギの話を要約するとこうだ。


 ――ハクシ様が水浴びをしようとした所、滝の上から突然に全裸で落っこちてきた、何処から領域に入り込んだのか不明で不審で不埒な男と。

 動揺するハクシ様に自身の陰部を露出させながら丁寧に挨拶してきて、同じく裸の状態だった彼女の身体をあれこれ観察、質問してきた。

 その後、『落ち着ける場所に自分を連れて行って欲しい』と裸を見せ付けつつ“脅し半分”でハクシ様に頼み、彼女の衣類の一部を剥ぎ取って身に着け、ここ統巫屋トウフヤまで付いて来たものの、到着すると同時にハクシと巨漢ケンタイの前で倒れて運ばれた。以上。


「――以上で、ございます」


 淡々とした彼女の語りが終わる。


 リンリは同様し叩頭。枕に頭を打ち付ける。


「――うっわ、酷い伝わり方してますね!?

いやいや、全て事実だけども。もう俺、変態以外の何者でもないだろソレ! それにやっぱ何ヶ所か無視できない語弊? ……もあるぞ!」


 なるほど、リンリの記憶と相違無ちがわない。

 相違は無いが『ハクシの裸を観察』『自身の陰部を露出させながら』『裸を見せ付けつつ脅し半分で』『ハクシの衣類を剥ぎ取って身に着け』と、なんだかとても悪意を感じる酷い表現で伝達されているではないか。その通りの行動をしたのは確かに間違い無いが、それじゃ要警戒の危ない奴だ。


 頭痛がして、顔をしかめるリンリ。

 ふと正面を見ると。彼女、サシギが妙に険しい表情で天井を眺めていた。彼女は握り拳を作り、何かの感情をこらえているように見て取れる。


 ――先ほどよりサシギの抱いていた感情は、警戒に次いで強い『怒り』あたりだろうか? これは当たらずも遠くはないはずだ。彼女は己の主君であるハクシ様に対しての、伝達された自分リンリの振る舞いに怒っていたのだろうと見込みを立てる。


「あの……とりあえず。俺は警戒するだけ無意味な人間で、不審者でも無いと断言します! 不敬罪や猥褻物陳列罪とかで捕縛とかは勘弁していただきたくそうろうでございます。お願いします」


 たまらず、バサリと布団から起立。起立からの正座をしその場でサシギに向き直り、かなり強めの口調で言い切ったリンリ。しょうもない誤解や偏見は直ぐさまその場でどうにかするに限る。


 けれども予想に反して、


「リンリ殿を……警戒する必要は、確かに不用かと存じますが。『不審な者で無い』とその格好でおっしゃられても……なんと言いますやら、説得力というものが……んっフフッ! フフフッ!!」


 ……何故か笑われる。気のせいではなくて。

もう完全に笑ってるのだ。凄く吹き出してる。

 サシギは僅かに顔を背けて呟く。その後、また吹き出してしまった。彼女はリンリを直視しないようにしつつ口元を隠し、肩を震わせている。


 ――彼女は何を笑っているのか?


「フフッ……ふふふ、私を笑わせるのは、お止めくださいませ。その格好はたまりませぬ」


 ――格好。格好、格好?


「――おわっ!」


 そこで気が付いてしまった。

現在の装い。リンリは未だに、ハクシから借りた布を腰に巻いただけの格好だったのだと。

 そして、今まで横になっていたのが原因で、男の股関の大切な所が“はだけて”しまっていた。丸出し再来である。最悪である。リンリは直ぐに布団を羽織るようにしてサシギから全身を隠す。


 滑稽な姿だ。もう『お婿』には行けない。


「――サシギさん?! そのままの格好で寝かせないでくださいよ!? いくら不審者みたいなヤツだからといって、扱いが雑だってぇッ!!」


 直接布団に寝かせるだけでなく、何か薄着でも着せて欲しかった。あの寒気を体験した後だ。そのままにしたら場合によっては風邪でも引いてしまうだろう。……倒れて寝かせてもらった身で図々しいかもとは思うも、そう意見したくなったリンリ。


「そうは言われましても、私がリンリ殿をここに運んだわけではありませぬので。ただ、“冗談混じりの”あらましを聞き、貴方が目覚め次第、客人相応の対応するようにと指示を受けただけでございます……ふふッ」


 という事らしい。


「――おや、ちなみに。リンリ殿?」


「……はい?」


「貴方が現在腰に巻いているその外衣は……。系統導巫のハクシ様に納める為、腕利きの布職人に最高級の生糸を使用して織っていただいたという逸品でございますが……ソレについて」


「……ああ、やっぱり、高級な品で!?」


 場の空気が変わった。

サシギは笑いを堪えている状態から一転、その視線を鋭くした。あぁ、やはり怒っている。流石にこれは怒られると覚悟するも。


「まさか、まさか。それを……それをっ!

……ふんどしのように使用するなどっ――フ、ふふ、ぶふっ! リンリ殿、あなたッ!!……褌って、あなたそれは無いでしょうに!! ふふ……ふふッその発想は有り得ませぬッ!!」


「いや、まだ笑うんですかい……」


 ただサシギは耐え切れなくなったのか、破顔えがお。感情の蓋が決壊し、面白そうに腹を抱えて笑い出すだけだった。……それも、リンリが素で引いてしまう程に。なまじ堅物そうな彼女が、恥も外聞も無い風に顔を紅くして笑い出したのだから尚更だ。


「えーと、あの。サシギ、さん?」


 ――繰り返すが。多少なり先入観も有るだろうが、最初に抱いたサシギの固そうな印象からはどうにも想像出来ない豹変した彼女。


「……ふふ、申し訳、ありません。失礼にも、あまりにもリンリ殿の褌姿が可笑しかったのでつい……ふふ……褌。布団の下でそのような格好をしているとは……不覚でした……ぶふッ……褌っ!」


「そうですか……」


「ハァハァ……リンリ殿がここに来るまでの経緯を聞いただけで、既に私を笑い殺し兼ねないというのに……二段構えとは……なかなか油断なりませぬね……褌、ふふッ、ふふふッ」


「あの、いつまで笑われるんです? これ」


 目に涙を溜めて笑いを堪えようとするサシギの様子に、リンリの『綿毛より柔らかい』と自負している心は深く深く傷付いてしまった。

 自分リンリは不審者改め、変態『褌野郎』といったところだろうか。それはとても悲しい話だ。それからいい加減『褌、褌』と連呼しないで欲しい。そんな言葉を込めた視線をサシギに送ってみた。


「ふふ……私は、主である系統導巫のハクシ様の事。それに関連する事となると、いささか気を張り過ぎてしまいます。恥ずかしながら最初はリンリ殿には必要以上の警戒心を持っていました」


「――そう? 本当に、ですか?」


「主を守る為には、まず必要な判断を。

何が毒になるか、何が薬になるか。或いは、それが毒にも薬にもならないか。確りと見極める必要がありますゆえに。……誠に申し訳ありませんでした。ですが、リンリ殿は私が保証いたします。私は人を見る目には一定の自負がありますので」


「いや、どこで判断したんですかソレ?」


「判断? 簡単な事でございます。ええ。

リンリ殿は、私を笑わす程の逸材ですから」


「……つまり、その。俺は毒にも薬にもならない褌野郎だと判断したと……いう? そう言いたいんですか? ……あと謝るとこ違うと思いますよ」


「ふふッ! 褌野郎……ふふ」


 リンリはサシギの言葉に被せて、いかにも不愉快そうに且つ皮肉げに笑い返して言った。

 結果的に警戒する必要が無いと判断されたのならば良いのかも知れないが……。言ってはいるがそもそも警戒されていなかったような気もするが。深い傷を負った男心に思う所が残った。


「ゴホッ……では、そろそろ。リンリ殿が意識を取り戻した事を今から皆に伝えて参りますので。暫しの間ここでお待ちくださいませ」


「ちょと、サシギさん? 早い早い。まだまだ質問したい事が色々とあるんですが」


「リンリ殿、それは然るべき場で。すでにそう申し上げたではありませんか。それらは後の沙汰さたで改めて質問してくださいませ。その方が、私共も十全にお答え出来るかと存じますゆえに――」


 そうやってリンリに返すと、サシギは一礼してからそそくさと部屋から出て行き、襖を閉めて歩いて行ってしまった。その先からまだ『ふふふ』と笑い声が聞こえてくるが、リンリは空耳だとそう思う事にした。


 …………。


 ――サシギ。『シジュウ』という者の一人。

ハクシの従者の者らしい。それ以上彼女がどのような存在かはまだ測り兼ねるものの、自分にとって好ましく扱ってくれる存在である事は頷く。ただ、会話するだけで疲れてしまった。


「……はぁ」


 再び部屋に一人、取り残されたリンリ。


「という事で。ここは――」


 ――ここは、トウフヤ。

 リンリが夢の終わりだと思っていた、あのケンタイという強面巨漢男に出会った場面。そこで実際に自分が倒れていたと判明した。

 そうすると、ここはあの白くて四角い外観の建物の中……だろうか?

 未だに“トウフヤ”があの美しい場所全体を指しているのか、豆腐みたいな建物の方を指しているのかが微妙なものの、現在地がハクシ様の言った【トウフヤ】なのは確かだろう。


「まいったな……」


 両手を空に投げ出して、空に触る。起こしていた上半身を布団にバサリと倒れ込ます。

 これが心引かれる“夢”などではなく、しっかりとした“現実”の世界で起こっている出来事。まさか、こんな非現実を信じられるだろうか……?


「しかるべき……沙汰さた、かぁ」


 リンリは今どうする事も出来ず、


 思考は混迷し泣くことさえ出来ず、


 求める答えを見付ける事も出来ず、


「しかたない、もうひと眠りしよう……」


 今だけは少し、現実にさじを投げた。




 ◇◇◇




 リンリが暫く横になっていると、初対面と同じ固い表情に戻ったサシギが帰ってきた。


 サシギはリンリの為に、やや大きめの男物の浴衣に似た服と帯、それから丁度よく温められた豆乳のような液体を持って来てくれた。


 浴衣モドキを来て、豆乳のような液体をいただいたリンリは、サシギに「先程お伝えした沙汰の用意が出来ていますので、私に着いてきてくださいませ」と指示される。

 そのまま部屋から出て、サシギに連れられて時代劇に出てくるような回廊を。木々や花々、小さな溜め池等のある美しい中庭を囲むように健造されている行灯が吊るされた屋根付きの通路。通路を過ぎれば無数に並ぶいくつもの襖を見遣り廊下を進んで行った。


 ……最初のうちは良かったのだが、回廊の通路の角を曲がると、また違う回廊の通路に出て。そこからまた曲がればまた微妙に違う似たような回廊の通路に出る。そんな廊下の特徴から、段々と無限に続く迷路に迷い込んでしまったような錯覚が沸いてきて、不安さえ感じ始めてしまったリンリ。


「あの、サシギさん――」


 サシギにそろそろ何処に向かっているのか、到着までどれくらいかかるのかと問おうとした所で、


「――リンリ殿、こちらでございます」


 サシギはある襖の前で止まり、言う。


「この襖? 開けて入れば良いんですか?」


「ええ、どうぞ」


 どうやら、しかるべき場。件の『沙汰さた』をする部屋の前に到着したようだった。サシギは頷き、襖の先に向かうように掌を向けて催促する。


「襖だから、ノックとかは不要だよな? 時代劇とかだと……えーと、どう入場してたか? こういう場のマナーが解らないぞぉ……」


「それでは後程。この中で」


 リンリが襖の前でもたついているうち、サシギは一礼して廊下を歩いて行ってしまう。襖を開ける程度の事は助けてはくれないようだ……。


 ――取り残され、途端に心細くなった。


「し、失礼します」


 数秒後。リンリは意を決し、襖を引く。


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