追憶……(六)  【起床】


 ◇◇◇




 …………ハッと。


 ふと静寂が払われ、意識が浮き上がる。

その感覚はよく知っている。目覚めの時のソレだ。切っ掛けは、微かな音だった。ギシリギシリと微かにだが、自分リンリからそれほど離れてはいないだろう距離より床板が軋むような音が聞こえてきた。


「ん……んぅん……?」


 半ば眠ったままの頭で考えた。

 目蓋まぶたを閉じたままでゆっくりと思考し、


「――はぁ……」


 そうして深く溜め息を吐いてしまう。

その理由は単純であって。普段リンリが愛用している安物の寝具と、今現在使っている寝具とで寝心地が明らかに違った為だ。


 なんというか、普段の薄い敷布と若干ごわごわした毛布の組み合わせとは違い、とても上質な寝心地であったから。そこから考えつく。これはまた自分は睡眠不足などで倒れ、どこか医療機関等に運ばれでもしたのではと。周囲に無駄に迷惑でも掛けてしまったのではないかと……。だからとても鬱屈な気分になってしまったという事情。


 そもそもの話しで。いったいぜんたい本日は何曜日であって、現在の時刻は何時くらいで、これから何と何と何の予定が入っていたか――。


 リンリは目を閉じたまま思考を続け、ズキズキとした鈍い頭痛に襲われて反省する。

 いくら生活が苦しいからといって、自分の限界以上に根を詰め過ぎているのはよく判っているのだ。しかし、それを止められない。

 何故なら、働いてなければ。絶えず自分を追い込まなければ。精神的でも肉体的でも、立ち止まった瞬間に足場が崩れていってしまうような、そんな心を抉られるような強迫観念に襲われるから。


「死に、たい……」


 ……わけでは、ない。はずなのに。

口からは意識せず、軽蔑したくなる言葉が出た。


 いつか自分リンリ破綻はたんする。確実に壊れる。自覚なくもう壊れているのかも知れないけれど、それ以上に取り返しがつかない段階まで壊れてしまう。自分リンリの父親がそうであったように、余裕が無い状態の人間が脆いのは十分に理解しているつもりなのに。

 でも逃げられない。止められない。自分の脳内では絶えず警鐘が鳴り響いており、このまま無理な日々を過ごす危険性を認識していても。


「はは……」


 自分自身を、嗤う。笑って誤魔化すリンリ。


 自らの頭を冷やすのも兼ねて、ふと、


「もう少し、眠ってれば良かった……かな」


 そう皮肉げな言葉が漏れる。

あの、起きる直前まで見ていた夢――。


 ――まるで自分が、物語の中の『主人公』にでもなったような。言ってしまえば、陳腐で、ありふれていて、ありきたりな夢ではあったが。でも実際に遠い異世界にでも迷い込んでしまったような……“あの夢”には心惹かれる物も有ったから。


 勿論まったくに。状況的に仕方はないが、河川で溺れた末に滝から落ちたり、少女の前で配慮せず全裸を晒したり、挙げ句に強がって倒れてしまう酷い醜態の数々には顔を覆いたく。実際にあのような目に遭うのは勘弁願いたいのだが……。

 夢の世界に、惹かれてしまった。いくら日常が大変だからといって子供のように駄々をこねて現実から逃避したいわけではないけど。ただ、あれが夢だと理解していたのなら。もう少しだけ現実から離れて心を休めたかったところ。そんな本心。


「――よし、起きるかっ!」


 まあ、もう目覚めてしまったのなら仕方ない。

ちゃんと現実と向き合わなければいけない。日々の疲れを理由に二度寝したいのは山々だが、何時までも無為に寝ている訳にもいかない。

 まだ若いのだから、きっと頑張れる筈だ。そんな風に自分を励まし、いい加減に目を開けて現実を見る事にしたリンリ。すると、


「うわぁ、これはこれは。立派な絵が彫られた豪華絢爛な感じの天井なことで――」


 まず目に入ったのは、発した言葉通りの立派な絵の彫られている木製の天井。八畳程の広さがあるその部屋の天井全面を使って、長い身体をくねらせ周囲に四つの光を纏わせた紺地黄色の龍が大空でも飛んでいる様子が描かれていている。

 天井の木材に直接、絵が彫られ、色彩が塗りこまれており。ただ天井を見ただけで、現在地が格式の高そうな場所だというのは理解できた。


「――てぇ! ……いやいやいや!?

何いぃ、どこだよここはっ?!」


 リンリはガバリと上半身を起こす。

ぐるりと室内を見回せば、隅に置かれた木卓と積まれた座布団。組み木の行灯。何かの花が花器に生けられた床の間。周囲を仕切る襖。そんな今時は珍しくなった純和風的な特徴の部屋、座敷。その座敷の真ん中に布団が引かれていて、そこでリンリは静かに寝かされていたのだった。


「えーと、えと……?

まぁとりあえず落ち着くんだ、俺!」


 そこで丁度、視界の端の襖が丁度よく開く。


「……え?」


 開いた襖の先に立っていたのは、


「おや、気がつかれましたか」


 女性が一人。紅い着物で、その上に黒い割烹着のようなものを纏った女性であった。


「……ぇ? ぇえ、はい。気がつきました。

今起きたところです。おはようございます?」


「えぇ、お早ようございます」


「お布団とか、お世話になっております。

俺、いや自分は鈴隣すずどなり……倫理リンリです」


「存じておりますよ」


「あぁそうでしたか」


 リンリは女性の言葉に当たり障りのない返しをしながら、彼女のことをじっと観察する。


 女性の特徴を上げていくと。長めの髪を頭の片側で結び、身体の前へと流した髪型をし。キリッと固そうな性格を想像させる線の整った顔。

 彼女の背丈はリンリと同じくらいで、女性にしてはやや高めか。服装から体格は痩せているように見えるが、胸の辺りは豊満。年齢は成人を迎えて間もないリンリと比較すると、少し上くらいだろうか。そこまでは良くて。けれど、


「その、腕は……」


 ――彼女の髪は紅い色をしていて。

服の袖口より出ている、その髪と同色の紅い“鳥の羽毛”で包まれた腕……。すなわち、彼女は人外の腕を持っていた。その腕。形こそ人間の物だが、手首までが美しい羽毛で包まれ、そこから続く手首から手の甲までが鳥の脚を思わせるような鱗に覆われているでないか。……その質感、完全に本物。


わたくしの腕が、どうかなさいましたか?」


「あ。いいや、何でもないです!」


 ――夢の中で出会った、あの【ハクシ】のような人ならざる特徴を持った女性。


「腕といえば。失礼いたします、リンリ殿の脈拍と体温を確認させていただけますね?」


「俺の腕。はい、どうぞ」


 リンリは女性に手首を握られる。彼女の鱗の生えた腕は、触れられた瞬間は冷たくて。それでいて触れていると温かかった。


 ――まだ夢を見ているのかと思うも、それにしては意識と感覚がはっきりし過ぎている。

 そして夢の中で『先程まで見ていたのは夢』で、今の現状も『その夢の続き』である。そうやってあれこれ認識できる程に、リンリは自分を器用な人間では無いと自負している。ならば、現状は。


「受け答え良し。意識はしっかりしているご様子。

身体の痛みや、その他におかしな箇所は?」


「特には……ないですかね」


 置かれた『現状』がおかしな事になっているのだけど空気を読んで言わずにおく。


「であれば、問題はありませぬ。

正直なところ、見立てからしてそのまま“もう目覚めない”可能性も考えたのですが……。どうやら、軽度の低体温症サムシミルでございました。浄められた統巫屋ここの環境に救われたのでしょう」


 彼女はどこからか紙を取り出すと、置いてあった卓に向かい。紙に筆でサラサラ何かを書き込みながら“やや驚いた”という風にそう一言。


「……加えて、顔色から、貧血と。若干の衰弱も。

後ほど栄養剤、滋養強壮の丸薬を。食事には消化に良い薬膳を用意させると致しましょうか」


「――え、えと。今なんて?」


 少々聞き捨てならなかった言葉に、リンリは女性に聞き返してみた。今は落ち着いて現状を理解するのが先決だ。


「『栄養剤と食事』でございますか?」


「――いや、もっと前です!」


「『若干の衰弱』のところでしょうか?」


「――ではなくて、ですね。俺が『もう目覚めない可能性』のところですよっ!」


「リンリ殿……ふむ」


 彼女は自身の顎に手を添えて、数秒。

咳払いをし、なんて事はないように口を開く。


「リンリ殿。わたくしは可能性の話を申したまでであり、別段に深く考える必要はございません。……しかしリンリ殿の枢要、受け入れなければならぬ現実もございます。それらに付随ふずいする其事は私の一存では決めかねます故に。必要な事柄は順を追って、しかるべき場で説明させていただきます。ご了承を」


「そう、ですか――」


 含みのある言い方。彼女は言葉を選んでいる。

リンリへの親切丁寧な対応の中に、遠慮というか疑念というか憤りというか、とにかく複雑な感情が渦巻いているように思えてならない。


「おや、申し遅れました。私は【サシギ】と申します。リンリ殿が出会った系統導巫ハクシ様……あのお方の使従しじゅうの任をおおせつかっているうちの一人でございます。以後お見知り置きを」


 彼女の自己紹介で、明かされた立場。

明かされた情報。系統導巫。ハクシ。使従。


 …………。


「――ハクシぃ!! ハクシ様!?

本当に居たのか!? 現実だったのかッ?!」


「リンリ殿? よもや夢だとでも?

……全て現実でございますゆえに!」


 ハクシとの邂逅は夢でなかったらしい。


 叫んだ後、喉に痛みを感じて口をつぐむ。

 リンリはどう反応して良いのかわからず、掌で自分の顔を覆う事しか出来なかった――。

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