追憶……(五)  【使従】

 ◇◇◇




「――すずどらり……ん? りんりぃ。

すず……? 『すずどらりん』がうじで、其方自身の名が『りんり』なの……かな?」


「うじ……? あぁ、苗字の事だな。

そうだ。【鈴隣すずどなり】が苗字で【倫理りんり】が名前だ。呼び方はそのままリンリとかで良いからさ」


「そう。ならば、りんり。我の事もそのままハクシで良い。統巫はよく『様』や『君』や『殿』など敬った呼び方をされるようだが。統巫を知らないというならば堅苦しい敬称なぞ不要だ……普通にハクシって呼んで良いよ? うん。許す!」


 彼女本人が許すなら、不敬にはならないか。


「じゃあ、ハクシ。ちなみに今……どこに案内してくれてるのかを伺っても構わないかな?」


 現在は水辺から離れ、少し……。

歩き辛くない程度には道としてひらかれ整えられた大自然の中。リンリは自分を先導して尻尾を振りながら歩くハクシと、たわいのない会話をしつつ進んでいた。体感時間でだが、歩き初めてからもう十分程は経ったのではといったところ。


 ハクシは近くの樹木の枝に括られた『白い布』を指で差す。見れば遠くの樹木にも同じように白い布が巻かれていた。水場からどこかへの目印か。


「先程、其方の言った『白くて四角い』所だ。

つまり統巫屋トウフヤに案内している。もう直ぐ」


「豆腐屋さん、ね……。なるほど。豆腐屋さんに向かってるのか……。はっ、ハックショッ!」


「――わぁっ!」


 リンリのくしゃみに飛び上がるハクシ。


「あぁ、悪い。驚かしたみたいで。

ははは……どうにもなんか寒くて……」


「寒いの?」


「お恥ずかしながら」


 鼻をすすり、震える身体を押さえるリンリ。

 これはいけない。ほぼ裸、身体の前面に直接当たるひんやりとした向かい風。足裏から徐々に熱を奪ってゆく湿った地面に加え、繁った木々の枝葉により若干の日陰という環境。そんな要因から、本格的に体温と体力に余裕が無くなってきた。


「早く申してくれれば、我はもっと急いだというものを……。てっきり、其方が『川で全裸遊泳していた』『滝から落ちてみた』と言うから。一種の修行者シャモンのような者かと。聞くところによる己の肉体を責め、余計な肉を削ぎ、ほぼ骨と皮のみの身体になって悟りを開くという……その一環かと」


 んなわけないだろと、つんのめるリンリ。

 知らない場所に迷い混んで、とりあえず修行行為を始める男。そいつは酔狂すいきょうにも程がある。リンリは頭の中でツッコミを入れておく。


 ハクシはリンリに振り返ると。耳を倒し、瞳を揺らして心配そうにしてくれる。


「“落ちてみて”は、いないな……。

全裸遊泳も、別にしたくてしたんじゃないので……はッ、ふぅッ、ファッショッ!!」


「りんり。も、もう、見えるからね……?」


「……そそ、そうか。ハハ、ははは……。

豆腐屋さん、そろそろ見えるか……良かった」


 仮に倒れたりすると、それはそれでハクシに迷惑がかかるというもの。

 あの細く華奢な腕の彼女だけでは自分を運ぶのが困難だろうに。そう思うと、リンリは『とにかく落ち着ける場所まで行ってやる!』と意地になり。鼻を啜りながら歯を食いしばって、目の前で揺れる尻尾をただ追うように進んだ。

 そうしていると、ハクシが話してくれた通りに木々が徐々に開いてくる。平らな地面に敷石が置かれ歩き易くなった。長い間の日陰を抜け、射し込む日差しは高くリンリは腕で目を覆う。


「ほら、りんりぃ。見えたよ?」


 そして、かけられたハクシの声に足を止め。少しずつ目の覆いを退かしてみると、


「これは……うはぁ、凄いなぁ……!」


 ――目を見張る絶景だ。

それは、さながら東洋の楽園のようだった。


 ――目に入ったのは、今立っている場所からやや低地に円形に開けた広大な土地。

 見渡す限りの大地に、まず何かの作物を育てている田畑や、彩り鮮やかな実を付けた果樹等が見えるのだ。そこから更に奥の方には花畑や広場に小さな池があり、それら一つ一つが水路によって区画分けがされ色彩豊かに調和した景色で。


 ――これを一目見る為ならば、相応の苦労をして大金をはたいてでも来たい者は多いだろう。そう見る者に思わせ、魅了させる絶景。


「りんりぃ、いざたまへ。統巫が住まう屋だから、

その回りの土地も含めて統巫屋トウフヤ。我の領域だ」


「――あぁ、なるほど……。

なんというか、豆腐みたいだ。はは」


 ――その中央部に建物だろうもの。

真っ白くて四角い、平たい壁。……言われてみれば“豆腐”のような建造物が見て取れた。


 周囲から少し浮いている、巨大な豆腐にしか見えない白く四角い外観の建物はともかく。リンリは広がる素晴らしい景色に見惚れ、暫くの間ぼーとした夢心地で立ち竦んでいた。若者ゆえに景観などの風情や趣にいまいち興味が薄いリンリをそれほどまでに引きつけたのだから絶勝だろう。


「――あ、調度良い所に居た。ケンタイ!」


「ん、ハクシ……様?」


 そんなリンリの横で、ハクシは景色の中で何かを発見したようで大きく声を上げた。どうしたのかと尋ねようとしたリンリだが、そのまま彼女は尻尾を振りながら緩やかな傾斜になっていた前方の坂を小走りで下って行ってしまう。


倦怠けんたい? ケンタイ……?

『調度良い所に……居た?』となると。えーと、たぶん誰かの事だよな?」


 はて、何処に向かっているのか? 調度良いケンタイとは? そう思って、ハクシの向かう方向の先に視線を向けてみる。注視すると、


「……あれは人、だな?」


 リンリは目前の坂を下りて直ぐ近場の畑に、周りの景色と同化するような地味な姿をした人影を発見できた。方向的に間違いないだろう。

 どうも、ハクシはその人影に向かって進んでいるらしい。彼が【ケンタイ】だろうか?


「……どうしよ。ハクシ様に付いて行った方が良いだろうか? ここで待ってて第三者に出会ったりした場合、不審者扱いは堪えるよなぁ」


 言葉は通じても、異文化交流か。ハクシ以外の誰かに接触するのは、未だこのトウフヤと言う場所を詳しく把握していないリンリにとっては、正直、とても気が進まない部分も多い。


「これは、付いて行くべきかな?」


 誰かに一人で出会うのは勘弁。このまま待機しているより、自分も一緒に行った方が円滑に進むのではと。そうやって簡単に判断し、リンリはハクシを追って坂を下りる事にした。しかし、


「うっ……」


 何とも滑稽無様なことで。たいして進みもしないうちに小さく呻いてしまう。

 緩やかな坂を下りているだけというのに、心臓が張り裂けそうになる。呼吸が間に合わず、身体を止めようにも勾配に負け、膝や足の関節からじりじりとした傷みが襲ってくる。それに加えて、全身の寒気と倦怠感さえ感じてきてしまい。


「くおッ、おっと……あ!」


 フラついてしまった。反転する視界。

実に危ない状態だ。どうにも、景色を見ながら身体を一度休ませた事が裏目に出てしまったらしい。自分の身体だというのに体温が感じられず、視界が徐々に白黒になり、糸が切れたように身体が言う事をきかなくて。だから坂の最後に転がった。


「――りんりっ!?」


 そこでたまたま後ろを振り向いたハクシが、ごろごろと坂を転がってきて動かなくなったリンリの醜態に気が付いて引き返してきてくれる。


「姿が見えた我の『使従しじゅう』の一人を呼ぼうとしただけだから。別に、其方は坂の上で待っていれば良かったものを……大丈夫?」


「…………ハクシ、そう……か――」


 リンリは『そう言ってから行ってくれ』と呟きそうになったが、ハクシの耳を垂らして心配そうにする顔を見て言葉を呑み込む。


「……肩を貸すね?」


「あぁ……申しわけない。でも、ははっ、まだ平気だからさ。流石に、こんな格好でハクシに肩を貸してもらうのは気が引ける……からな」


「ならば、はい。せめて、手は貸すね?」


 ハクシは肩の替わりに、掌をリンリに伸ばしてくれた。本当に悪いと思いながらも、断る理由も見付からずにそれを掴む事にするリンリ。彼女の掌はひんやりとしていて、それでいて優しい温もりを持つ柔らかなものであった……。


「はぁ……」


 ……ただ客観的にだ。自分よりも年下の、出会ったばかりの少女に色々と世話を焼かれていると思うと、どうにもいたたまれず複雑な気分になってしまうリンリ。案内してくれる彼女に配慮しなければならない筈が……このていたらくで。情けない。


 ――そうしてハクシに手を引かれ、リンリは景色の中に見えた“人影”に向かって坂を下って行く。一歩一歩と近付くにつれて、自分達が向かう先に居る人影がどんな人物なのかはっきりしてきた。


「……ハクシ? その。

あの人が、ケンタイ……さん?」


「是。そう。其方に紹介する。ほら、我の、系統導巫の使従の一人であるケンタイ!」


「……ほう。シジュウのケンタイさんか。因みにそのシジュウって、ハクシの使用人とか従者的な人っていう認識で合ってるかな?」


「一概にそれだけではないけど、其方のその認識で問題ない。……と、思うよ? 或いは眷属けんぞくと言い換えても良いけれど」


「……そうか。眷属……ねぇ?」


 リンリが確認したところ、ケイトウドウフには従者のような存在が居るらしい。『あるいは眷属』という言い回しは引っ掛けるが、まぁ聞き流す事にしておく。本当に彼女は高貴な存在のようだ。そして、そのシジュウの彼……。


 もう大声で叫ばなくても十分に声が届くだろう距離に、自分達に背を向けて農作業をしている人物――ケンタイ。膝を折って中腰で作物の手入れをしている彼には、ハクシのような獣の耳や尻尾等の人外の特徴が見当たらなかった。リンリが見た感じだと、彼は自分と同じ普通の人間だと思う。ただし、


「あの、ハクシさん……? 後ろ姿だけでも、何て言うかあの人、すごい威圧感を感じるんだけども……。なんだかここまでと世界観が違う存在だろ。ムキムキのマッシブだし入れ墨だし、殺伐とした世界の住人じゃないか?」


「うん、威圧感? ……そう?」


 ――身に付けている黒味を帯びた赤黄色の衣服、その上からでも解る程の突起した筋肉。平均的な背丈をしているリンリを、中腰の状態でも少しだけ上回る程の高い身長。短めに整えられた角刈りに近い黒い髪。衣服から出ている首や腕に、でかでかと彫られた紋様や複雑な絵の入れ墨。


 ……背中からだけでもそれなりに威圧感を与えてくる件の彼の特徴から、先入観で人を判断するのは良くない事とは思いつつも内心で怯んでしまうリンリ。


「別に案ずる事は無い。ケンタイは見た目こそ怖そうなおじさんだけど、実際は気さくな人だから! 気さくで、面白くて、優しい……自称狂戦士!」


「気さくで、面白くて、優しい……ね。

そこまでは良いけど……自称、ん何だって? 俺はツッコまないぞ! 悪いけど体調が悪くて、かわいいボケにツッコめないぞ! ともかくあのケンタイさんに声掛けるのはちょっと待ってくれ……今から心の準備をして……」


 狂戦士を自称する筋肉の彼。獣耳尻尾付き全裸美少女ハクシとの邂逅であいと比べると、数百倍は気を張る必要があるリンリである。


「――ねえ、ケンタイっ!!」


「……あ」


 ハクシはリンリが心構えをするより早く、件のケンタイに声を掛けてしまっていた。


「あン? オイッ何だよ――?」


 ハクシに声を掛けられた彼は、俯いていた首をゆっくりとした動作で持ち上げる。


「ハクシだな? オイオイ、また“枝刃エムシ”が変な場所に置きっぱなしだったと言ってよォ。さっきからサシギが探していたぞ……んァ?」


 それから、そう口にしながら手に持っていた桶を地面に置き。同じくゆったりとした動作で振り返る……。


「――ハクシ? ンだッ?

オイオイッ、ソイツは誰だァ?」


 その瞬間。彼の、ケンタイの猛獣を思わせる鋭い目が、ハクシに手を引かれているリンリを射るように見つめてきた。が、敵意等を持って睨まれているわけではない。あからさまな警戒等もされていないようで、ひとまずは安心するリンリ。だが……やはり怖そうなおじさんである。


「どうも……始めまして。はは……」


 そんな風に臆してしまったが、取りあえず彼に会釈をしておくリンリ。


「ケンタイ、この者はりんり。我が、いつもの滝で水浴みをしようとしたらね――」


 ハクシがケンタイの目の前まで行って、事のあらましを伝え始めた。リンリはその様子を眺めながら、自分がこの後どうなるのか。どう行動するべきなのかを考え込んでいた。


「……あ、れ……?」


 ――だが、直に限界がきたのか、徐々にリンリの意識に靄が掛かる。ハクシに心配を掛けまいと無理をしていたが、もう駄目だ。


 途端に現実感が曖昧となり、世界が回る。

視界の光景が色褪せて行くではないか。

 次にリンリが目覚めた時には、あるいはこれがただの夢になっているかも知れない。それならば、それで良い。寧ろ、こんな突拍子もない体験など夢であって当たり前だ。そうか……これはきっと……夢なのだ。日常生活に疲れたリンリの観た……一夜のただの夢。泡沫の夢だろう。


 ただ……あぁ心残りは、せっかく出会った美しく可愛らしい【ハクシ】という少女と……もう少しだけ……触れ合っていたかったのも本心。そのまま、許される限り【トウフヤ】という非現実的な世界でゆっくりとするのも悪くなかったかも知れない。そんな定まらない思考に埋まって行くように、


「――あ……ぁ」


 リンリの意識は――闇に落ちた。


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