追憶……(八)  【沙汰】

 ◇◇◇




 ――襖を引いた先。覗き込んだそこは、

数十畳もの広さがある奥に長い部屋だった。


「ぅひゃぁ……」


 ついリンリは変な声を出してしまう。

これはまた、格式の高そうな部屋だことで。


 室内の様子は、庶民しょみんにはあまり縁の無い老舗しにせ高級旅館の宴会場のようだと例えれば良いか。或いは時代劇等に登場する武家屋敷にある『謁見えっけん』と例えた方がそれらしいだろうか……?


 部屋に置かれている品々がまた凄い。

 みやびな絵の描かれた屏風びょうぶやら掛軸かけじくやら、漆塗りの調度品やら、組み木で複雑な紋様もんようが彩られた大きな行灯あんどんやら、金のふすまや銀の障子しょうじに、天井の装飾絵画にいたるまで。どの方向を見てもどうにも落ち着かず目移りをしてしまう。足下の畳でさえ高級そうなので視線のやり場に困ってしまって仕方ない。


 けども、そこで立っていても話が進まない。


 前進。最低限の知識からの礼儀で、敷居を踏まないように入室しようとして、畳の縁を踏みそうになり、妙な大股となり。また借り物の足袋の履き心地に慣れてはおらず、着地した先の畳で滑って転ぶ。


 股開きで後ろに転倒し、尻もち。


「……うぐぐぐ」


 我ながら、何をやっているのやら。

凄い音を立てたリンリに、周囲は沈黙のまま。


 恥ずかしさで、いたたまれない。

もういっそ笑ってくれとリンリは顔を覆う。


 が、少し前に『裸』や『褌姿』を晒したばかり。

今更の多少の羞恥心なんて我慢してやるとも。


「あー、あの。お疲れさま、です……!」


 第一印象は大切だ。気を取り直し、畳に打ち付けた尻を擦り、何食わぬ顔で立ち上がり。会釈とともに既に室内に居た人物達に意識を回す。室内には既に各人かくにん各様かくような四人が控えていた。


 まずは一人目。静やかに目蓋まぶたを閉じて、上座の席の簾越しに腰掛けている可憐な少女。

 銀髪と金眼に狐のような獣の耳と尾といった身体的な特徴を持つ彼女、トウフのハクシ様だ。


 先刻とは異なり、厳かなそのご様子。

今は瞑想でもしているのだろうか……?


「んぅ。すぅ、すぅ……」


 いや、アレはおそらく――。


「……すぅ、すぅ」


 ――眠っておらるのではないか?


 よく見ると、彼女は舟を漕いでいた。

 小さく口を開け。獣耳を伏せ、時節かっくん、かっくん、と頭を揺らしている。リンリは気が付いてはいけない部分に気が付いてしまった気分。


「えっと、ハクシ様は瞑想中だな。

なら邪魔しちゃいけないやつだろう……」


 という事にしておき。二人目へ、

リンリは視線をずらして次の者を見遣る。


 ハクシの腰掛ける上座から右前の席、紙束を持って読み物のような事をしている人物だ。

 口元まですっぽりと隠れる被衣かつぎで顔の大半を隠している女性。その葵色な小袖のような服装と細い体格から、彼女が女性だとは判別できた。


「――また、尻尾とかある人か……」


 誰にも聞こえない声量で呟くリンリ。

 彼女の履いているまちの無いはかまから薄葵色の鱗に覆われた爬虫類を思わせる“太い尾”が尻側から畳へと投げ出されている。


「ここは、どういう世界観なのやら――」


 ずっと見ていても失礼だと思い、次へ。

 次の三人目、尻尾の彼女の向かい側の人物を見遣るリンリ。座っているのは、白い色合いで墨色の草花が描かれた着物を纏った童女だ。

 黒髪の、おかっぱ。頭の後ろで髪を簪で団子状に結っている愛々しい童女。その身体に人外的な特徴が見当たらないので、普通の人間だろうか。なのだけれど、正直、まだ齢七か八程度にしか見えない彼女は“この場”ではとても浮いていた。


 振り向いた彼女と視線が合う。

リンリは小さく手を振り、愛想笑いをしておく。


「ふーん」


 彼女は鼻を鳴らして、リンリの事を一瞥いちべつだけすると特に興味がなさそうにそっぽを向いてしまう。そうして、やる事も無いのか自身の指を組んで鼻唄交に遊び始めてしまった。とても詰まらなそうなご様子。でも、この場に座っている以上は彼女にも何か役目が有るという事だろう。


「…………」


 そして最後に。四人目の男、

【ケンタイ】というらしい強面の巨漢が居た。


「――おうよォ!」


 彼に視線をずらすと、それを待っていたかのように威勢の良い声を掛けられた。


「はは……こ、こんにちは。こんばんは?

えっと、その節はお世話になったようで。ありがとうございます。あなたが倒れた俺をここに運び込んでくれたんですよね? お名前は、たしかケンタイさんでしたか? よろしくお願いします」


「ガハハッ、あァ! そうだぜェッ!

人様の顔面を見るや否やよォ、顔を蒼くしてブッ倒れた失礼な野郎……。そんな“お前さん”を担いで適当な部屋に横にしておいた、言ってみれば大恩人のクソオヤジだ。よろしくなァ!!」


 凄い大声と気迫で喋る巨漢だ。


「大恩人のクソオヤジ……なんだそれ。いや、あの格好のままで寝かされて事には、ちょと物申したい部分はありますが。それはともかく。ありがとうございました。俺はリンリです」


「なぁに気にする必要は無ェぞ。

その様子を見ると、お前さん、無事に回復したようで幸いじゃねェか! こっちとしても、そのまま死なれちゃあ気分が悪りィからなァ!」


「そのまま……死なれちゃあ?」


「――で、なんだァ? どうしたってェんだ、まったくよォ。ここに入って来たかと思えば、すっ転んで辺りをきょろきょろとよォ。はっ、おもしれぇヤツだなお前さん。まァ落ち着けやァ!」


「すいません。なんだか、緊張して……」


「緊張、緊張だと? 安心しろよ。どこにも緊張する必要なんてねェぞ! この場を『沙汰』だとか大層な言い方してるがな、お前さんは現在、統巫屋の“お客様”扱いだからな。雑な扱いなんかしねぇさ。ハクシが身柄を保証してんだ。そうさなァ、この場は落ち着いて、お前“自身”がどうしたいかを定める為のもんだ。あんま気負うんじゃねェや!」


「どうしたいのかを、定める?」


 含みの有る言い方だ。


「――お前さん、固てェよ。もうちっと今は肩の力を抜いて冷静でいた方が良い。オヤジからは……んまぁそんだけだなオイ。おぅしまったァ。用意を忘れていたな。しとねだ、ほら投げんぞッ!」


「しとね? ……あぁ、座布団ですか。

お気遣いありがとうございま、ガホッ!!」


 リンリは、ケンタイから勢い良く飛んできた座布団を顔面で受け取り。吹き飛ばされ、彼にお辞儀をした後、その場で正座をしてみた。いささかなり自分への説明が足りない気もするのだが、まぁ座って待っていれば良いようだと判断する。


 その顔に似合わず、彼はリンリに対して色々と気を配ってくれた。感謝だ。事前に聞いていたように『気さくで面白く、優しい、狂……なんとか』ハクシからのあの情報は確かだ。リンリは、彼の強面に臆して一歩引いていた自分を恥じる。


「お前さんが来たって事は、あれだ。もうそろそろ初めてもいい頃かァ! ならハクシ……様を起こしとかねぇとなァ? 後でサシギが煩ェだろ」


 ケンタイが思い出したように言う。


「――シルシ、ハクシ様を起こせ!

わかってるだろうが一応は言っとくけどよォ、あくまでも自然にだぞ。眠っていたのを気が付いてないようによォ、自然に起こせよな。使従が、主であるハクシの面目を潰すんじゃねェぞ!」


 ケンタイは尻尾の彼女に声を掛けた。彼女は【シルシ】という名前らしい。ハクシの面目については触れないでおいた方が良さそうだ。


「おいッ、シルシ!」


「うむ……?」


「シルシ? んだよォ、オイオイ無視か?

ちゃんと聞いてんかァ、こんの日陰ひかげ蜥蜴とかげ娘ッ!」


「……うむ」


 日陰蜥蜴娘……。読み物に夢中なのか、シルシはケンタイの声に気が付いていないようだ。


「――くッそォ、まるで聞いてやしねぇじゃねぇかシルシィッ!! ハクシ様のお客の前だぞ、これから重要な沙汰を行うつぅんだァ!! もうちっとは使従としての身を弁えろォやァ!!」


 ケンタイは声を荒らげて、座っていた座布団を凄い勢いでシルシに投げ付けた。突然の突拍子もない行動にリンリは声を上げ仰天してしまう。


「――うごッ!!」


 座布団はシルシの被衣で隠れた頭部の真ん中に直撃してドゴンと、凄まじい衝突音を響かせ。勢いのまま彼女は畳へ倒れ込んでしまった。


「はっ、オイオイッ。だらしねぇな」


「え、えぇ……?」


 これには呆けるリンリ。


「――ココミぃ! シルシは死んだ。あの様子じゃあもう駄目だろうからなァ……。悪ぃが、代わりにハクシを起こしといてくれねぇか?」


 ケンタイは肩をすくめ、童女に頼みなおす。


「はーい、りょうかーい!」


 あの童女は【ココミ】というらしい。


「……あの。ケンタイさん――」


「オイオイッ何だァお前さん? くそ変な面しやがってよォ、どうかしたかオイ? このオヤジに何か言いたそうな顔をしてるじゃねかァ?」


「――いや、そりゃそうでしょ!?」


 主の客の前で、座布団が飛んだ気がしたが。

 座布団が命中し、一人動かなくなったが。


「お前さん、まだ若いな。一々細かい事は気にすんじゃねぇぞ。よくある光景じゃねぇか。仕える主である統巫の御前で愚かにも己の身を弁えなかった奴が一人、残念にもクソオヤジ粛清された。それだけの事だ。――ん? ゴボゥッ!!」


 ケンタイの顔に、座布団がめり込む。


「――誰を粛清じゃとっ!! わしか? 儂なのかのぅ、ケンタイ!! 身を弁えぬのはお主じゃろうが!! 客の前で他人の顔面に茵をぶつけるド阿呆がどこにおる、愚か者がっ!!」


 いやその前に、既に『客が顔面に』座布団をぶつけられてしまってたのだけども……。

 リンリを尻目。シルシが立ち上がり、自身の尻尾を地面に打ち付けながらケンタイに吠えた。


「なぁに『緊張してる』と言う、客人の肩の力を抜いてやろうと思ってなァ。ウケ狙いで投げたんじゃねェかよ! わかんねェのかオイ? 場の雰囲気を汲み取り、固くなってる奴を和らげる。こういうのもなァ立派な責務なんだぜィ! ガハハッ」


 ケンタイは自身の顔に当たった座布団をシルシに軽く投げ返し、彼女にしたり顔で反論する。


「――違うわッ、たわけ!

あーもう、嫌じゃ。それに儂は、好きでこんな役になったワケじゃないと何度も何度も……」


「だから客人の前で悠々と読み物か?

良いご身分じゃあねぇか。お前さんが使従にさせられたっつうな、その件についてはとやかくは言わねぇがよ。だがなァ、成っちまったんなら役責が伴うもんだ。甘えんな。そんな甘ちゃんの態度を誤魔化してやったんだ。感謝してもらいてェなァ?」


「――うぬぅ、ケンタイ、己を正当化するでないッ!! 毎回、毎回、訪ねてきた統巫に主に儂関連の冗談を言ったり、儂を苛めて、くだらない問題を起こしとるじゃろうッ!! 今度の今度は頭にきたぞっ!! この阿呆!!」


「――おい、客人の前だぞォ、シルシ! 身を弁えろといってんだろうが、言葉を慎め!!」


「――どの口が言うておるっ!?」


 気を配ってくれて……いる、らしい? 二人はリンリの前で掴み合いの喧嘩を始めてしまう。

 それは傍からみたらきっと面白い光景、愉快なやり取りなのだが、客人扱いとはいえ身元不明の不審者には……現在の自分の立場がよく理解できていない者にとってどうすれば良いのか困るだけ。


「なんだろう、これは……。

俺は、仲裁的な事をした方が良いの……?」


 確かに、リンリの肩の力は抜けたが……。

困った。場を誰かが納めなくてはならない。


 オロオロしながら行動しようとしたところ。

混迷する室内は、突如として静まり返る――。


「――サシギでございます。たいへんお待たせ致しました。関連資料を用意するのに手間取り、この場に遅れてしまいました事を詫び入ります」


 それはリンリの背後の襖が開かれたから。

 先程の着物と割烹着から、長紐を巻いた袍と裳のような姿に服装を改めたサシギが両手に……両翼に? 書物の束を抱えて現れたからだ。


 ケンタイとシルシの方を見れば、二人はそそくさと衣装を正し、投げてしまい座布団が失われた元の席の位置に正座をする。ココミはハクシの背後で傾いてしまった掛軸を戻そうとしている。


 そんな室内の様子を見てか、襖に突き刺さった座布団を見てか、あろう事か飛んできた座布団が命中し“頭に被っている”主の姿ハクシを見てか。サシギは額に手を当てて、大きく溜め息を吐いていた。


「――お客人、此度の使従達の落ち度、全て私の不徳の致すことに有りますれば。まこと、誠に申し訳ございませぬ。ですがここは系統導巫の御前、どうか今回の事は私に免じて――」


 サシギは書物を脇に置き、頭を下げてくる。


「いやいや、気にしていませんので!

あの、俺なんかに頭を下げないでください!」


 慌てて止めてもらう。先程客人(扱いの不審者)に大爆笑していた女性が、同じ相手に何をそこまでと困惑をするリンリだが、曰く『主の事になると気を張りすぎる』そう本人が言っていたのを思い出す。他の人達はともかく、ハクシの面子を潰したくはなかったようだ。サシギも難儀なものだ。


「ぁぅ、んモゴモゴ。……ふぅ。

我は何故、茵なぞを頭に被っているのだ。はふぁ……あれ、もう揃ってたの? いけない。我が待たせていたのか? ……ちょっと待ってね」


 茵を頭から放り、ハクシが起きた。


 …………。


「全く……どうして今代の使従にこのような者達が選ばれたのか。いえ、皆のせいではございませぬ。ハクシ様、誠に申し訳ありません。全て私の管理不届きと、この世代で私以外の使従を産出できなかった集落の落ち度でございます」


 サシギが頭に手を当てながら洩らしたその言葉を遮るよう、ハクシは両手を打ち合わせ告げる。


「――サシギ、気にせずとも良い。さて、皆が揃ったぞ。ならば此れより、我、系統導巫のハクシとその使従達は、この統巫屋に来訪した客人のリンリの身について沙汰を執り行うとする……ね?」


 お耳を立て、尻尾を振り、起立。

ハクシは気合いの入った一声を発する。そうして場はこれまでとは違う真に厳格な気に包まれた。ハクシは微笑むと一度小さく頷いて、その手振りで今の言葉に『答えろ』という意図をリンリに伝えてくる。


「……あ、はい。お願いします!」


 ハクシの意を察して、リンリは深いお辞儀とともに口下手に応えた。ここからが本番だ。


「――我が言ノ葉。並び、それに応えた客人の言ノ葉。今確かに交わされたぞ。何者にも冒されぬ約定として沙汰は執り行われる。使従の皆は証。その眼と耳に、心と意に、我の統べる万物系統の主に、己が魂を以て見届けると此処に誓うか?」


「――うむ。御意じゃ」


「――ココミも見届けるとする!」


「――承知いたしました。誓います」


「――次第を見届けようじゃねェか!」


 ついにリンリの『沙汰』が始まった――。

リンリのその後を決定付ける、重要な沙汰が。




 ◇◇◇

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