追憶……(九)  【此土】


 ◇◇◇




 ――ハクシの従者四人が『沙汰』の立ち会い人になると了承の意を示し、お辞儀。彼らはさっと揃って腰を降ろした。その後、リンリも対面するハクシから『座るよう』手で指示される。


 彼女ハクシも上座に身を据え、少しの間。装束の懐から紙を取り出し、記されている内容に吐息。


「――まずは、りんり。……其方そなた、もう身体の調子は大丈夫なのか? なにぶん異成り立ち者コトナリモノについては不詳ふしょうな部分も多い故に、我には確信が持てなかったのだけれど。あのね……場合によっては、もうダメかとも考えたんだよ……?」


 ハクシは自身の肩に掛かる羽衣を撫でると、気遣わしげな言葉をくれた……。


「…………?」


 ……だから“もうダメ”とは一体。

『コトナリモノ』『不詳な部分』『確信が持てなかった』とは? リンリは顎に手を当てる。


 サシギやケンタイも言っていたが、人間はそう簡単には死なない。いくら貧弱もやし男でも『すぐ死にそうな奴』扱いをされるのはいかがなものか。場を和ます目的も兼ねそう言おうとして、むしろ場の空気を読んで言うのを止めておき。

 手を広げて、身振りも交えて健勝さを主張。


「しばらく休ませていただき、元気です!

なんだか普段より調子が良いくらいで!」


「そう。そうなんだ……安心した」


 ハクシは愁眉しゅうびを開く。


「サシギにも診てもらったが、本人からも身体の調子を伺ってみなければ心弛こころゆるびはできぬ。……我の懸念は拭いきれなくてね? でも良かった」


 正直、倦怠感やらで体調は良くはないが。

出会ったばかりの自分リンリをそこまで案じてくれる優しい彼女を心配させまいと、お得意の虚勢だ。

 

「おかげさまでこの通り、元気ですから!

俺はホントに大丈夫です。ハクシ様!」


「うん。その身が遥々はるばる、この我の領域、統巫屋トウフヤにたどり着いたのは幸運だったね?」


「『たどり着いた』とは? いったいどんな?

ハクシ……様、どのような意味でしょう?」


 手を降ろし、唾を飲み込み。

リンリは慎重に尋ね合わせる事にした。


「……りんり、別にかしこまらずとも良いよ。

ここには客人扱いの其方に対し、礼儀礼節を煩く言う者は居ぬ故に。其方の為人ひととなりも仔細無し。会話のし易いように喋るが良い。我が許す」


「そ、そうか……?

んなら、お言葉に甘えます」


 見詰め合い。伺う視線。


 ハクシは伏し目がちに、


「では他の事柄も無い故に、沙汰の本題だ。

其方は『やや遠回しに』我に真実をぼかされるのと、はっきりとした要点を簡潔かんけつ明瞭めいりょうに告げられるのならばどちらが良い? の……かな?」


 選択肢を与えてくる。


「――ハクシ。大丈夫、包み隠さず全部を。

どんな内容でも、はっきり言って欲しいです」


 迷う事もない。間を置かずに返答。


 彼女は頷いて返し、金眼を細める。

部屋の空気感が変わり、また唾を飲むリンリ。


「なら。りんり、既に気付いてるよね? ここは其方の居た土地ではないのだと。此土しど……否、其方の側から見れば、逆となるか? すなわち、ことちたる世、ここは彼土ひどということになるだろう!」


「しど、ひど。ことなりたちの世?

それはもしや。異世界……とか、そうゆう?」


「異世界……? うん。異成ことなりちをした世。

ずっとずっと遠い、彼方かなたの土。大地も海も空でさえも繋がっていない、隔てられた別の世だ」


「そう、なのか。やっぱり……」


 概ね、予想していた答えの一つだった。

 予想通りで、動揺する事はなかった。現状を客観的に見たらとっくに。リンリはどうしてもその答えに行き着いてしまっていたからだ。

 しかし『異世界なら予想通り』なら『よし全て納得しよう!』というのは無理な話であり。


「――其方は、統巫を知らなかった。

それだけでなく、此土の常にさえ疎い様子。

これは、異成り世の者なのであろうと……」


「だけど、共通の“言葉”を使ってたりとか。

単純に『へーここは異世界ですか』と、俺の中では納得できない部分があって……」


 現状を疑いたい心情。


「そう。それはそうだね」


「できれば、俺的には壮大なドッキリか……または夢オチが望ましいんだけども……」


 何故、異世界で同じ言葉で、平然と意志疎通が出来ているのか。何故、トウフを知らないだけでこの世界の常識を持っていないと彼女に判断され、ここは自分リンリにとって『異世界』だと言い切れてしまうのだろうかと。そんな疑問への理由付けが欲しい。いや違うか。つまるところ、本当はこの現実を否定する方法を、逃げ道を探したかった。

 我ながら、自分リンリは浅はかで滑稽な男だ。


「言ノ葉。それが伝わる道理か……」


 ハクシはそれを見越したように、


「……ほら、其方は知らないよね。

此土には、言統導巫げんとうどうふ伝統導巫でんとうどうふ聴統導巫ちょうとうどうふ。その他にも告統こくとう報統ほうとう申統しんとうなど。お互いが知らなくても共通の意味認識を持つ言ノ葉を相手に伝え、互いの仲立ちをし、相互の理解を与えてくれる統巫達が居る事を。その権能と加護を」


「…………」


 トウフの権能に加護。ハクシ以外の名の上げられた存在達が居るから、異世界ここでも問題無く会話が会話として成り立っているらしい。


 にわかに信じられない。信じたくない。

世の道理、理由付けにしてもなんと都合の良い設定だろうか。まぁ確かに、最初の会話からリンリは若干の『違和感』を抱いてはいたが。


「ファンタジーだな」


 試しに。その言葉が果たして『伝わるのか?』というのを確かめる目的で口にする。


「ふぁん? たじぃー?」


 ――伝わら、ない? 何故だ?


「自分にとって、えーと空想的、幻想的だって意味だったが……ハクシ、伝わるか?」


「……そう。ならば伝わる。今の言ノ葉は、空想的、幻想的という意味なんだね?」


 ――今度は伝わった。なるほど。

リンリは立ち上がって拳を握り、声を上げる。


「じゃあ、アップル!!」


「突然どうしたのだ……?

りんり、林檎がどうかしたの?」


 ――伝わった。そうか、別に横文字だから意味が伝わらない訳ではないようだ。


「なら、エッグ!!」


「た、卵? がどうかし……そっか。我に言ノ葉が伝わるか試してるのか?」


「トースト!!」


「と、とーすとん?」


「小麦粉を水でこねて発酵させて、四角い型につめて焼いたものを薄く切ったやつ!!」


「……わからぬ」


 ――伝わらない。ハクシの言葉から、この世界に『それに変わる“同じ様な物”』が無い為に共通の意味、認識がされないようだ。前提として互いの認知が噛み合わないと、翻訳家も上手く仕事ができないという事か。何となくの理解に至る。


「ノスタルジック……」


「のすたる、じーくぅ?」


「確か、望郷的というような意味だな」


 ――そういう事らしい。伝わる基準と範疇が微妙に不明だが、付け加えて、間にリンリ自身の解釈が入らない、互いに“ソレ”と定義できる物、用語、詞程度なら意志疎通が可能なようだろうと判明。


「って、あーもう、俺は何をやってるんだ!」


 膝をついて、畳を殴る。冷静さを欠いてしまっているのは承知している。動揺してないわけない。平静を装っているだけ。感情の整理ができない。


「もう満足したのか? 差し支えはないな?

……故に、其方が異成り世から来た者でも、意志を言ノ葉で伝える事は容易。認める他にあるまい。りんりが現実を否定する事は叶わないのだ」


「…………」


「其方は我に『統巫を知らない、解らない』と言った。『何処から来たのか解らない』とも。そして統巫屋の在るこの領域に平然と進入していた」


「あぁ、そうだな。

あの……不法侵入はすいません」


「この世で、統巫という言ノ葉を知らないなんて……意図的に情報を与えられず、伏せられ育った無識者でもないとあり得ない。それなのに其方は十分な教養と人間性を持っていると判断する。この矛盾は、其方を此土の万民から否定するに足る」


「そうなのか?」


「そう。物心付く前の幼児に、衣服の身に付け方を覚えさせるよりも前に、『羽衣ユリカゴまとった異形いぎょうの女性には気を付けよ! 統巫を侵せば、幼児さえ報いを受けるぞ! 母は取って喰らわれ、父は八つ裂き、子は死ぬまで祟られる』……って、酷すぎる事を教えてる場所があるくらいにね。そんな事せぬが」


「すごい言われようで」


 ハクシは悲しそうに語るが。確かにトウフを知らないというのは、それだけで異世界から来たと判断材料になるようだ。

 あと、リンリが先に『取って喰らわれる』の部分を知っていたら、出会ったあの時、ハクシがいくら可愛らしい少女だとしても……やはり彼女の顔に水を掛けて逃げ出していたかも知れない。


「そして、領域だ。統巫屋に入り込むというのも“中から現れ紛れた”以外に説明できない。無理矢理に証を持つ者を襲い、領域の境界を突破してまで内部に入る旨みもないだろうし……」


「ハクシの身柄が目当てだったとかは?」


「有り得ぬ。危険を侵して我を拐ったり、傷付ける事に何の意味も無い。それに、我一人でも狼藉者を撃退する程度は容易である!」


 そうは言うが、意味が無いのだろうか?


 トウフは偉い存在なのだろう。誘拐して身代金をトウフヤに要求したり、美しい容姿からその身の売り買いを目論む連中は居ないのだろうか。撃退と言うが、そんな細い腕で? 羽衣を掛けた、獣の特徴があるだけの幼い少女がどうやって? 変身でもするのか? 魔法のような力でもあるのか?


「この場での差しで口、失礼を承知で確認しますハクシ様。“エムシ”を部屋に忘れていましたが……どう撃退するおつもりだったのでしょう? もしもリンリ殿が、ハクシ様を襲う事が目的の輩だった場合……無論、統巫の羽衣ユリカゴの対策などは案じていると思われますし――」


「ぁぅ……」


 サシギが冷たい声を出す。それを聞いて、ハクシは小さく唸った。察するに、本当にハクシは敵対者を撃退する方法を持っているようだ。……ただ、今日はその“えむし”というものを忘れて相手を撃退できない状態だったようだが。


「……サシギ、その時は、その時かな?

りんりが狼藉者だったら、うん。ちょっと危なかったかもね……きっと……てへ?」


 ハクシはサシギに、その身をすぼませて答える。その瞬間、場はリンリとサシギ以外の者が発したほんの少しの乾いた笑いに包まれる。


「サシギ、大事な沙汰の最中じゃぞ。じゃが、まー実際問題でハクシ様には、ご自身の価値をよく理解してもらう必要性があるのぅ……」


「おいおい……今更なに言ってやがる。シルシその為のお側付き。その為の使従だろがァ!」


「……しじゅうは、一度えらばれれば一生をかけてけいとうどうふに仕え、守り、従う。それとどうじに、そのあり方がけっしてゆがまないよう学ばせ、みちびき、培うこと。そういうもの」


 皆々は呆れを含んではいるが、親愛を感じさせる温かい声をハクシにかける。「そうゆう主従関係も有るのか」と。リンリは頭の片隅で感じた。

 トウフ、ケイトウドウフと使従は、とても偉い存在とその従者というだけではなく。言うなれば子供と教育係、それ以上に気心の知れた間柄、人外と人であろうと家族のような関係なのだろう。


「沙汰の最中だ! ……皆、ちょっと黙ってて! もぅ今、重要な話をしてるのぉ!!」


 ハクシは誤魔化すように声をあげると、


「――其方、りんりに一つ問う。……領内、ここから出ると、たぶん……。異成りの世から来た其方の命は“そう保たず”に喪われてしまう事だろう。それを知っていながら送り出すのは、我としても忍びない。故にだ。特別に統巫屋ここで暮らしてみるというのはどうだ……?」


「命が、失われる……えっ?!

ここから出ると死ぬのか、俺は!?」


 不意に『死んでしまう』と。とてつもなく重要な言をぶつけられた。けれども、それよりも、


「――前提から、ね……」


 告げられる、言葉。告げられた、言葉は。

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