序章……(四)  【雨音の中で】

 ◇◇◇





「ここが【クロユリの間】です!」


 得意げな様子で案内された。


黒百合くろゆり……。花言葉は、なんだっけか?

あまり良い意味じゃなかったような……」


「リンリ様、ハクシ様。さあさあ、自慢のこのお部屋にどうぞッ! 上部屋とか部屋ごとの位は有りませんが、この部屋は特別で、晴れてれば眺めが最高の部屋なんですよッ! あと雨漏りで畳がほぼ駄目になったので、最近ここだけ畳を新調しました!」


 しばらく廊下を進んで行き、突き当たりにあった階段を上がり、また廊下を進み。たどり着いた錠付きの木扉。受付の彼女は、懐から金属の鍵を取り出してその木扉を開き、室内へと招く。


「まぁ、残念ながら今は曇ってるけどなぁ。

そいで雨漏りは治ってるのか……?

うん、まずは拝見しよう。どれどれ」


「りんりぃ? 我も……どれどれ?」


 案内の彼女に従い、前に一歩。

解錠され開かれた扉の先を覗き込んでみる。


「お二人とも。部屋の中に人が入れば、陽虫ようちゅうの照明が自動で灯りますので。あっでも、完全に明るくなるまで足元に注意してくださいね。あと雨漏りは大丈夫です修理完了しています!」


 畳八畳ほどの空間。真ん中に卓が置かれ、背もたれ付きの座椅子が二つ並べられた薄暗い室内。

 廊下に有った物と同じ提灯型の照明が天井から吊るされていて、リンリとハクシが部屋に足を踏み入れて数秒ほどで自然に明が灯される。


 二人は明るくなった部屋を見回すと、


「おぉ。通って来た廊下もそうだったけど、客室の中も雰囲気あって良いな。老舗旅館って感じ、凄く俺の好みだ。曇ってなければ、本来は眺めも良いだろうし。ハクシもこの部屋良いと思わないか?」


「良い。良いね。我が任命した其方の宿の目利きは間違ってなかった……ってことだね!」


 どうやら、ご満悦のようだった。


 右へ左へ、部屋を歩き回るハクシ。彼女の足取りはトテトテとし、尻尾はふりふり振られ。気分が乗っているのだろうと見て取れた。彼女のそういう子供っぽいところはリンリの目の保養だ。


「さて俺も室内の様子をぐるぐる見て、

大人げない程にはしゃぐとしようか……」


 床の間には、筋肉質な狸の絵が描かれた掛軸。

どうにも目を引いて仕方がない一品だ。狸は逞しい両腕を頭部に回し、股関の膨らみを強調している。


「これ、流行ってるのか?

あ。もしやツッコミ待ちだったり……」


 掛軸を何となしに捲ってみたところ、裏側には大小様々な種類の御札が貼ってあるではないか。


 身体を固め、そっと掛軸を戻すリンリ。


「いやいや。……んな、またベタな」


 受付の彼女と目が合った。

掛軸と交互に見た後、目を逸らされてしまう。


「……目を逸らすな。確認したい。

この部屋は、べつに幽霊とか出ないよな?」


「りぃリンリ様ぁ?! そ、そんな!!

まっさかそんな、某之怪オバケなんて、で、でっ、出るわけないじゃないですか。その御札は、あの、濡れて傷んだ掛軸の補修で貼ってあるんですよ。あはは」


「なぜ補修にお札を? 本当にか? 信じるぞ?

もし出たら。俺は別に怖くはないけども、窓を突き破ってでも逃げるからな。部屋が爆発したって修理代とかは払わないからな。それで良いな?」


 気を取り直し、更に辺りを見回す。


 部屋の中は壁や天井が木材で格子状の模様が装飾されていて、閑雅で洗練されたおもむき。

 入り口から襖を一枚開ければ八畳の座敷があり。座敷を挟んで正面にある障子が開け放たれ、その先にある雨避けと手すり付きの広縁から、説明の通りこのチィカバの町が一望できる。

 やはり曇ってはいるものの眺めは良い。


 しかし。こうなると、惜しい。


「……良い宿だからこそ、もったいないな。

向かいに、あんな卑しい“成金宿”が建ってるなんて。正直、商売上がったりなんじゃないか? こんなに良い宿なのに、外観、外の成りで比較されて……」


 向かいの宿の方向を睨むリンリ。本来リンリは『理由も無く』何かの事を悪くは言わないのだが、明確な悪意や非道などには相応の扱いはする。つまりは、この宿の看板を蹴り倒して去って行く『向かいの宿の従業員』を遠目に見てしまったことに所以する。


 受付の彼女は、乾いた笑いを浮かべた。


「あは……は。そう言ってもらえて嬉しいです。この宿を始めた私の曾祖父も、はい。きっと喜んでくれてますね。……あ、これから天気が荒れそうなので、縁の雨戸は全部閉めておきますよ?」


 ――雨戸を閉めながら、呟かれた言葉。


「へぇ、受付のお姉さんの曾お爺さんがこの宿始めたのか。やはり老舗。歴史が有るんだな」


 リンリは然り気無く言われた、この自分の選んだ宿の歴史に身を翻して反応を返した。


「うん? じゃあ……お姉さん下働きじゃなくて、女将さんとかその娘なのか?」


 そして、続き疑問を口に出してしまう。


「歴史、はい。この町が、村だった頃から。

水禍の鄙。水難の地と呼ばれ……洪水時の対策に心得も無く。頻繁に水害にあっていた頃から。それだけの長い歴史がこの宿にはあります。……そして、はい。そう、ですね。私がここの若女将です」


「……そうか」


 リンリは改めて、彼女の足から頭までを視線を動かしてよく観察する。今までは暗がりという事もあって顔や身体をよく見ていなかったが……あぁ、確かに若い。見た目の年齢は十四、十五歳といったところか。まぁ地域によっては既に大人の仲間入りをしている歳ではあるだろうが、あどけなさが抜けきっていない彼女の顔や言動などから、やはりまだまだ大人に成りきれてはいない部分も多く見受けられた。


「あ、あの。意外ですか?」


「――あぁいや別に。若女将、ね。

他に家族は……? この宿は一族経営で……家族の皆でやってる感じなんだな……?」


「はい、そうです。他に父と弟の三人家族でやってます。あ……母は一昨年に、流行りの病で身体を壊して亡くなりました。繁忙期とかは近所のおばさん達に短期で手伝ってもらってたりしますが。下働きは余裕が無くて今は雇ってませんし」


 だから、宿の外観まで手が回せないのかと。

 言葉にはせずに、けれど納得がいったような視線を返してから、彼女が気を悪くしない程度に苦笑いを浮かべるリンリ。


「なるほど。色々と大変なんだな……まぁ、だけど代々続いた自分の家の宿を潰さないように、その若さで色々と頑張ってる訳だ。うんうん、関心だ」


 リンリはリンリ本人が意図しなくとも慈愛に満ちた優しい表情をし。若女将の彼女の肩を自身の羽衣ユリカゴでそっと撫でた。特に深い意味はなくて、彼女のその苦労を称えようとしたのだけれど。


 ――しかし、気が付いてしまう。


「い、いえ……そんなッ!

そんな事……ない、ですよッ!」


「……ん?」


 一見ただ恥ずかしがっているようだが、リンリの行為に彼女は唇を噛んで苦い顔をしていた。それに気が付いたリンリはその表情に疑問を感じたが、それも一瞬のうちで。直ぐに彼女に顔を背けられてしまった。


「……そんな事、ないですよ……お母さん」


 彼女は、ぼそりと。

リンリに背中を向けたまま言葉を溢すのだ。


「俺はキミの母親じゃないぞ……」


「あ、あ。も、申し訳ありませんッ!」


 リンリを母親と重ねたか……? 虚空の母親に語りかけたのか……? はたまた、今は亡き母親に思いを馳せたのだろうか……? それはわからない。


「そ、それでは……。

受付のところでお待たせしている、サシギさんとシルシさんにも部屋の案内をして来ますので。リンリ様、ハクシ様。ごゆっくりッ!」


「……あ、あぁ!」


 そのまま先程の木扉のものだろう金属の鍵をリンリに渡し、部屋から去ろうとする彼女。

 だったが。……入り口前で少し立ち止まり、考えるような素振りをした後、遠慮気味に言ってくる。


「あ、あの私……名前は“ニエ”って言います。

……もし、もしも、リンリ様とハクシ様が良かったら。失礼じゃなかったとしたら。……今夜、普段の暮らしの話とか、私の知らない“町の外の話”を聞かせてもらえないでしょうか……?」


 若女将の彼女【ニエ】は、おずおずとリンリとハクシにそう尋ねてきた。


「――町の外の話、と?」


「わ、私……には、この宿の中しか、この町の中しか世界が無いから、です。だから、もしもよろしければ、お聞きしたいんです。色々な話を……」


 つまり『客の話が聞きたい』と。

 下働きの人間がするならともかく、その宿の“女将”という立場の者がする発言としてはどうなのか。そう取られる発言だろうに……。


 まぁリンリはさして気にしないが。


「……ハクシ、どうだろ?」


「今日は、これと、これと、これ!」


 リンリは振り返り。いつの間にか卓の上に大小様々な種類の櫛と、お気に入りな香油の入った瓶を並べて開手を打つ姿。膨らませた尻尾をご機嫌な様子にふりふりしているハクシに確認する。


「おーい。ハクシ様、聞いてたかな?」


「……ん? りんり、其方が構わないのならば我も構わない。其方と我の時間さえ有れば……。それに、どうせ夜は暇だからね。たまには普通の人とも話してみるのもいっきょうかな!」


「――そうか。じゃあ、ニエさん? ハクシの許可が出たから、あまり遅くならない時間にこの部屋に訪ねて来ると良い。聴きたい話しを聞かせてあげられるかは解らないけどな?」


「よろしいんですか? うぁ……う、嬉しい。

嬉しいです! リンリ様、ハクシ様ッ!!

あのっ、あ、ありがとうございますぅ!!」


「ははっ……おう!」


 ――統巫は万人の築き集う社会、勢力、情勢、文化、宗派など、そういった“俗の世”に極力は干渉するべきでない。“取り分けて”系統導巫のような大きな力を司る存在は特に、だ。

 自分は正体不明な身なれど、統巫のような成りをしている以上は心構えていなければならない。リンリはサシギ達にそう教えられた。だがそれは、一個人に対してまで注意するべきものなのだろうか。未だ判断が付かない身の上……。

 見識を備える必要がある。もう少なくとも“ただの人”ではないのだから。故に、今回は“敢えて”“気まぐれ”に関わってみる事にしたのだった。





 ◇◇◇





  ――姿見すがたみの中には、白磁はくじごとき肌を持つ少女。

 人の身ならざる銀色の端麗たんれいな少女。

 彼女はほおに手を添え、銀髪と琥珀コハク色の瞳を揺らす。そのどこか神秘的でおかしがたい身体には、獣のような容貌ようぼう、狐の耳や尻尾といった特徴を持っており。背中側や腰回りは銀色の毛皮に包まれている。


 彼女が繊細せんさいでしなやかな指を沿わせ、桜唇おうしんほころばせて小さな口を開けてみれば、そこから鋭く尖った犬歯が覗く。八重歯やえばではなく獣の牙が生えている。半人半獣、人とも獣ともいえぬ曖昧あいまいな姿だ……。


 どうしてだろう。目前に彼女の生まれたままの姿があるというのに、どこか現実感が欠けており。恐れ多くも姿を見遣みやり、その都度つど相応ふさわしい表出ひょうしゅつさだめられず感情を重ねてしまう。しまいに彼女が幻のごとき存在ではないかと疑ってしまうというもの。


 少女は温水に浸した布で己の身体の隅々すみずみを拭き上げていき、時間をかけて一頻ひとしきりを綺麗にする。さながら湯上がりのような赤みの差した顔をして、火照ほてった身体を冷ますように、自らの指で臀部でんぶより伸びる尾っぽを、銀色の毛皮を、白い肌を、女性的な部分をそっとなぞってゆく。そこで端無はしなくも、


 ……深く深く、溜め息。


 溜め息を吐き。少女は程よく膨らんだ自分自身の乳房ちぶさをぎこちなく慣れない動作でもって手で寄せ下着に包み込み。そこで意識せず気恥ずかしい声を漏らしてしまい、ハッとした顔を浮かべていた。

 己のこの様な姿を『目に納めないでくれ』と言わんばかりに。睫毛まつげを揺らし、その切れ長の眼をうるませ、桜唇を引きむすんでの一瞥いちべつ。鏡面の境より“こちら”を可愛らしく睨んでくるのだ…。


https://kakuyomu.jp/users/1184126/news/16818093077303269160


 これは、なんたる形容できぬ感情か。

リンリは己の姿に目眩がし、同時に――。


 ――同時に。抱く感情は、はてさて。

目を閉じて追想し、己の心と向き合う。


「――外、かなり荒れて来たみたいだな」


 身体の清めと着付けが済んで、心付く。

雨戸の震えに、ざぁざぁと振りこめる雨音。


「水桶をひっくり返したような雨だ。

なんだ。もう久しく味わっていなかったな。

ハクシ様は初めてだったりするのかな?」


 リンリは外の轟音に耳を揺らす。

 伸びの姿勢をしたところ、着付けの仕方が甘かった為にそれで着物の帯がほどけてしまい。吉祥結きっしょうむすびをした紅い紐の装飾がなされた細晒さらしが露になってしまった。慌てて押さえると、今度はその拍子に鼠径部そけいぶ畚褌したぎが床に落ちてしまうではないか。


「そうだね。実のところ我は、この世に生を受けてから未だ嵐という物を実際に体験した事が無いのだ。其方も承知しているであろうが、あの地、統巫屋トウフヤは風が来る方位に高い山脈が囲んでいる。それが壁となり、嵐の雨風とは無縁であった故に。……うーんだから、ちょっとどきどき?」


「ほぅ。嵐がちょっとドキドキ程度か、なんとも緊張感が無いご様子であらせられる。でもほら、しかしだ。もしもの場合もあるだろう……? この建物の避難経路とかを確認しとかないで大丈夫かな?」


 赤面を浮かべ、そそくさと着付けを直し。

座椅子に腰掛け、卓に頬杖を付くリンリ。リンリは意味もなく、空いた片手で己の尻尾を弄る。


「統巫には問題無い……きっと、たぶん。

仮に建物ごと嵐で倒壊して、押し潰されて、羽衣ユリカゴもぼろぼろで、枝刃エムシも手元に無く、動きのとれない状況で水没でもしたら……。それ息できないし、流石に死んじゃうと思うけどね?」


 ハクシの言葉に、驚愕。「おっとっと」頬杖を滑らせて頭を卓にぶつけそうになってしまう。


「いやいや。ハクシ様……物騒な事を言うな。世の中にはフラグって考え方があってだな……?」


「ふらぁぐ?」


「そうだ。なんとなくで説明するなら、後のある状況を引き出すような事を無闇に口に出したりすると、その事柄に続く伏線になってしまうという恐ろしいもの。ある種、世界の強制力のような――」


 ――宿を取って数時間が経った。

 部屋の縁にある雨戸を開かなければ直接確認できないが。耳をたてれば、その雨風の音は強くなる一方とわかる。本格的に天気が荒れてきたようだ。


「――そいで『この戦いが終わったら必ず結婚しよう』とか、恋人達が約束すると、だいたい約束は果されない。何故かって? 物語的に――」


「――その話、我には理解が及ばないのだが。それよりも、我は先程の続きを所望する。故に、だから……ねぇ。りんりぃ途中で止めたからできれば最初からやって欲しいなぁ」


 ハクシは甘えた声を出す。


「……ん? んーあぁそうか。

よし、夕飯も食べて一息入れたところだし。ハクシのブラッシング……って言うとなんかペット扱いみたいで嫌だな。とにかく手入れの続きにするか?」


「……やった、優しくねっ!」


 ハクシは、リンリの声に応えて自慢らしい尻尾をゆさゆさと左右に揺らす。

 リンリにトコトコと近付いて来る彼女の手には「ずっと用意してました!」とばかりに、大小長短様々な何種類もの櫛が握られているではないか。


 お付きの者、サシギとシルシに用意してもらった自分達の神饌しんせん――夕飯を食べ終わった二人は、その直前までしていた日課であるハクシの尻尾の手入れを再開する事にした。


「ほら、ハクシ様。ここにどうぞ!」


「うん。失礼しまーす」


 リンリは自分の太股部分の装束がはだけるのも気にせずに、男っぽい座り方。両足を前に組んだやや不格好な姿勢をとる。そうして、その上にハクシの小さな身体を“ちょこん”と座らせた。


「あ……親子か。ははっ、確かにな」


「……りんり?」


「あぁ、なんでもないさ。んで、ハクシ様?

えー今日はどのようにいたしましょう? さっきは何番を使って、どこまでやってたっけかな?」


「まず数日間しっかりできなかったから、十八の櫛で表面をやや粗めに。ここが大切だよ。その後に香油を塗ってから、六の櫛で尾の生え際から先端に立たせるようにしてから。次に十二で全体を流して。その次に四でもう一度全体を流して。最後に整える用の香油を塗って、九……十……十一で整えてね!」


 ハクシは衣装の隙間から、臀部よりのびる自身の尻尾をお腹の前で抱えると、表面を掌でなぞり、番号の振られた櫛と香油の瓶を宣言した順番通りにリンリに手渡してくるのだ。

 けれど一度に渡された物が多く。崩さぬよう積み上げ持っていたが「おっと!」ぱたぱた動いたハクシの尻尾が当たってはね飛ばす。膝の上に櫛を落としてしまいリンリは正しい順番がわからなくなってしまった。


「覚えてるさ。俺は俺の暗記力を信じるぞぉ!

十八、六、十二、四、十一、十、九、と!」


「惜しい。最後の辺りが違うよぉ!

最後が違うと、我の尻尾が、尻尾がぁぁ!」


「間違えてもそう変わらないと思うが……」


「くにゃぁ! なんてことを言うのだ!

その差で、仕上がり具合がまるで違うのだぞ!」


 毛を逆立てて唸るハクシ。

そんな彼女の背中を撫でて宥めるリンリ。


「相変わらず、妙なこだわりだな……。

……あの、メモを取っても構わないかな?」


 ――渡された櫛は大きかったり、小さかったり、細かかったり、柄が長かったり、妙に太かったり。リンリにはまるで違いが解らないような物も混じっている。

 繊細な鉱石等の研磨作業でもあるまいに。櫛の『粗め』やら『流し』やら『整え』やら、少し理解が及ばないなぁという顔を浮かべるリンリ。


「勿論だ。拘りもするとも!

金と銀の髪に眼。雄々しき太尾。統巫の羽衣ユリカゴ

この土地、シンタニタイに系統導巫の特徴の一つとして伝わる、重要な部分だからね? みっともなくボサボサだったりすると、我の威厳に関わる故にぃ! ちゃんとしておかないとねっ!」


「そうか、なら重要だな! うん!

ん……いやいや、本当に重要だろうか? 尻尾がボサボサだと失われる威厳なんて、それ、はじめから有って無いようなものなんじゃ――」


「――ううん、重要だよ。……それに、今は尻尾これが我と其方の繋がりを感じさせてくれるから……。その理非りひ良否りょうひは、ともかくね」


 ハクシは恥ずかしそうに耳を伏せ、邪魔になる羽衣ユリカゴを自身の両腕に巻き付ける事で収納する。彼女の顔を覗き見ると、その表情は“何かの”感情を誤魔化しているような陰影を匂わせた。

 リンリはあえてそんな彼女に何も返さずに、ただ受け取った櫛の具合を確かめるだけだった。

 そうして櫛を順番に並べると、リンリは最初に注文を受けた『十八番』を掴んで。構え、


「……じゃあ、入れるぞ?」


「あっ――!」


 指で割れ目を作り、敏感なそこへ。

 ハクシの尻尾にスッと入れ込んだ。


「――あっ、うぅー!」


「痛かったりしたら言ってくれ?」


「……大丈夫ぅ」


 ハクシは無抵抗でそれを受け入れると、彼女の狐の物に似た大きな尻尾の毛が一瞬だけぶわっと膨らんだ。その後、挿入されたモノがしごかれる度に、彼女は声と身体を小さく震わせる。


「あぅぅ……最初は、こそばゆい!」


「ははは……。間違って触れると、自分でも変な感じするよな。……くすぐったいような妙な感じが。精神安定的な手段で無意識で撫でてしまうが。俺は、アレが、あの感じがどうも慣れない。慣れられない。それなのにハクシはほぼ毎日よく続けられるよな?」


 リンリは櫛を動かして、その櫛ごしの感触を堪能。もといハクシの尻尾にまとわりついた糸屑や抜けた毛を用意していた屑籠に入れて除去して行く。


「其方……りんりも、せっかく綺麗で立派な尻尾が“生えた”のに。ボサボサ毛並みのまま、手入れをしないなんて勿体ないし可哀想だよ……?」


「尻尾、可哀想かぁ……。その発想は無かった。成り行きでナニか大事な物を失った代わりに生えた物だから、個人的にあまり直視したくないんだが……」


 櫛をくるくると回し、呟くリンリ。


「また言ってる……。やっぱり其方は、我と同じ人ならざる身になり果てた事を、心の何処かでは後悔してるのではないのか? 本当は、どうなの……?」


「それは……っ」


 ハクシの言葉に……リンリは櫛を動かす自分の手を止めてしまった。彼女が震えていたから。


「あぁ『後悔してない』あの日、俺はハクシにそう言ったな。本当は……ちょっと嘘付いた」


 そのままハクシの肩に手を置く。


「――良いのか? 言ってしまっても。

俺が口にしてしまえば……きっとそれは」


「是だ、申せ。……我に遠慮なく、言って」


 そう告げられると、観念する他ない。

リンリは耳を一度伏せ、深く呼吸をし。


「……後悔していない、訳がないだろう」


 そして、櫛を掴む手に力を入れながら。

 声を揺らし。ハクシにではなく、自分自身へと強く言い聞かせるように。そう言葉を口にしたのだ。


「りんり……」


 ハクシは後ろに腰を回し、自身が乗っているリンリの顔を見やる。それから、頭一つ分高いリンリの頬をゆっくり撫でて。自身の身体の震えを精一杯に抑え、怯えを含んだ口調で言葉を続ける。


「……お願い、聞いて。

りんりぃ! あの日から、我は其方にずっと訊きたかった。だけど同時に、怖くて怖くて聞けなかったのだ。――我の行動は其方にとって、果たして“是”だったのかと。否、それとも……ッ!」


 ハクシの言葉はそれ以上続かなかった。

いや、違う。続けさせてもらえなかった。


 ――――何故なら、


「…………ん」


「…………ぁぅ」


 突然にリンリに頭を抱えられ、そのまま引き寄せられて、次の瞬間――。


 ――二人の唇が、重なったから……。


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