第一章 輪転 1

 キセとシズクがいなければ、どうにもならない。

 身に染みた裄夜は、練習を強化することにした。

 術が使えるようになると、戦力扱いされる。それはそのまま怪異問題を丸投げされる恐れを意味するが、戦力扱いされていなくても、冷羽の件で、キセとシズクがいるからと丸投げされることがよく分かった。前から知っていたつもりだが、逃げ場のなさが堪えたのだ。

 次に出くわす怪異が、裄夜が「無関係の通りすがりです」と言って何とかなる相手ではないかもしれない。

(というか、既に出くわしてるのにスルーしてる可能性もあるし。たまたま相手にその気がなくて、無事でいられるだけとか)

 考えてしまうと不安になる。不安は、下手な文字での写経で落ち着かせる。通常の勉強の合間に、浩太が最低限だと言った幾つかの祭文を書き取っている。ノートの端、端末の画面、コンビニで買った書道用の半紙などに、ボールペン、筆ペン、サインペンで書いていく。いろいろな道具でいつでも対応できるように、頭を柔らかくしておくといいらしい。

「神や諸々の相手に対しては精進潔斎して臨むのが良いんだけど、真面目な修行だと学生には時間がかかりすぎるんだよね。君達みたいな突発的に発生する実戦までには、もう間に合わないかもしれないから」

 と、祭文を教えた浩太は、やや後ろ向きなことを言っていた。

 浩太本人とは、休日以外に出会うことはほとんどない。出会えば、一族の管理地にある山裾で、薪割りや田畑を耕すなど、迂遠なことをやらされながら、古代から近代までの歴史のような話を聞かされる。

 浩太のいない時には、「面白い祭礼だから見ておいてよ」と言われた動画や本を見て、何の役に立つのか分からないまま半ば聞き流してしまっている。

 キセに聞くと、さらに迂遠だ。術の使い方や習得方法が言語化されていないから、ひたすら山を登ったりおりたりする。

 おかげで少し体力がついていれば良いのだが、そうでもない気がする。

 一方、日向は、学生生活を謳歌していた。何かあっても、シズクが何とかするから、別に何もしないのだという。それはそうだが、不安ではないのだろうか。

 不安だから、見ないふりをしているのかもしれないが。

 ともあれ、そんな日向だが、たまに山裾の畑から夏野菜を収穫する手伝いはしてくれるので、裄夜もあまり文句は言わなかった。

「やった! つやっつやの、とうもろこし!」

「喜んでくれてるところ悪いけど、あんまり数がないから。半分はそこの祭壇にあげて」

「え~」

「後でお下がりがもらえるから」

 この畑や屋敷に祀られている何かは、ほとんど姿を見せない。けれど収穫物を供えるとその後の収穫がうまくいくこともあって、安全祈願を兼ねてお供えを続けている。

 昼ごはんに茹でとうもろこしを食べ、縁側で足をぶらつかせる。

 梅雨は明けて、そろそろ夏休みだ。

「中津川さんは、受験どうするの?」

「私、今の設定上は裄夜の一学年下になってるんだよね。自習するのも大変だし、この先どうなるか分かんないし、二年生を続けてまーす」

「そっか」

「裄夜もあんまり、受験生とか、そういう普通のことができるとも限らないんだし、無理しすぎないようにね」

「まぁ、やった方が落ち込まなくて済むことは、やろうと思うよ」

 塾の費用は、一族から出る。一族というか、キセやシズクの請けてきた仕事の対価が、一応残っているという。

 戦時や戦後に没収もされず。

「それと、高度成長期とかバブルの頃とかに、金融とかでうまいことやったひとが一族の中にいるんだって。だから中城の軍資金はあるよって、たすくくんに気を遣われた」

「相場とかって、占いとか当たればすごそうだよね」

「占いっていうか、確率論とか心理学だって言ってる人はいたよね」

「手に職はすごいよね」

「でもこの話、行き着く先は、資金……ではあるよね」

 資金は大事だな。学生二人は、ぼんやりと空を見上げる。資金、土地。それらの維持管理能力。

 ただの学生の頃には、そこまで思わなかった。生活できて、学校に通えて、就職できればそれでよくて。

 今は、過去の自分達の縁(ゆかり)だからと、衣食住をあてがわれている。過去の人々のせいで迷惑を被ったのは事実だが、慰謝料にしても、享受ばかりでは居心地はわるい。

「何々~? 生活の話? 真面目な若者達だよね君達って! その調子で善良さに目をつけられて悪い大人に騙されてヤバい企業でこき使われたりしないようにね」

 いつの間にか家の中から現れた菅浩太が、二人の顔を覗き込む。日向が驚いて、縁側から庭に飛び降りた。

 フシャー、と猫のように警戒する日向をよそに、裄夜は今日はあいてるんですか、と訊ねる。

 夕方までならね、と浩太が片目をつぶってみせた。

「浩太さんこそ、真っ黒な勤務で過労死しないように気をつけてくださいよね」

「えぇ~そんなに黒くないよお」

「茅野さんが、連絡つかないってこの間めちゃくちゃ怒ってましたよ。浩太さんに術とか基本を教えてもらえるのはありがたいんですけど。茅野さんのことも大事に……」

 裄夜は尻すぼみになる。浩太は笑顔だが殺気のような雰囲気があって、それ以上、裄夜は何も言えなくなる。

 代わりに、

「茅野さんの言うこと聞かないと、捨てられても知りませんからね」

 かなり離れたところから、日向が叫ぶ。裄夜達が振り向く前に、庭の横の道を駆けて、近くの畑に行ってしまった。逃げたな。


「今日は錫杖なしですか?」

「杖がほしいの?」

 山を登るのに体を預けるには、その辺の木切れは、ちょっと小さすぎる。杖代わりなら使ってもいいけど、と浩太が言うので、裄夜は急いで否定した。

「杖じゃなくて……武器というか」

「武器。武器ね」

 考えるそぶりで、浩太が見回した。あったあった、と手にしたそれを、裄夜に差し出す。

「はい、これ」

「これ……椿?」

「榊です」

 枝には、つやつやした濃緑色の葉がついている。

 常緑の枝なら何でもいいんだろうけど、と浩太は言った。

 自身も一枝手折り、さらさらと葉を鳴らして振る。

 それだけで、場の空気が少し軽くなった気がする。

「揺れるモノ。移り変わり、とどまらないモノ。清水のように流れ去るモノ。神霊の類は、そのように解釈されることもあるね」

 それらは、ゆらゆらと振るわれるものに宿り来る。大きな、動かない巌(いわお)や、積み上げた俵に宿り来ることもあるが。

「揺れるものなら、猫じゃらしでも良いんですか?」

「うーん、ちょっと卑近すぎるかなそれは。まぁでもいざとなったら、目の前のエノコログサで試したらいいよ、それでも許される時があるのかもしれない。こういうものは、様式が肝心でね。常緑の枝ならいいけれど、外しすぎると発動しない。設定範囲があって、それを脈々と口伝えしているのが、民間信仰と、社(やしろ)かな」

 洋画の魔法使いみたいに、浩太が枝を振るう。葉が、さらりさらりと音を立てた。

「神霊を指定の場所まで連れて行く乗り物にする機能。それを応用して、祓い清めること」

「今日の練習内容ですか?」

「そう。集中する時に見つめるのは、自分のことじゃないよ。自分の内側を辿るのではなくて、外側ね。風が木々の梢を鳴らすのをぼんやりと見て。木々の梢に何かが通り過ぎるのを感じて」

「うーん」

 裄夜はうなる。ちょうど実物のカラスが通り過ぎたので、そういうイメージになる。

 カァカァ。つやつやした黒い羽を、わざと鳴らして、カラスは澄まして飛んでいった。帰ってこない。

「まぁ本来なら精進潔斎して、これだけ集中したのだっていう自信を持って周辺の感覚を感じてトランスしてから祭りをする、っていうのが好きな人達もいるし、今やってるのが簡易的なやり方ではあるんだよね。潔斎しなくても、社の祭りとかで、人々が何となく普段と違うような、その気になるような状態に持っていければ、似たような状態は作れるんだけど」

 急にはね。と、浩太は笑う。

「ってことで、山の頂上まで登ってきて! めちゃくちゃ疲れてこの世とあの世の境目がよく分かんなくなるまで。自他境界崩すの」

「さらっと鬼みたいなこと言いますよね」

「鬼はもっとややこしそうだけどね、何を指すのかにもよるけど」

 一つの名前が、一つだけのもの、一つだけの状態を指すのではないから、と浩太は教える。

「いくつかの事象を引っくるめて、土地土地で違うものを伝聞で同じ名前でくくったりしていることもある。人や小鳥に方言があるように、各地の似たモノには別々の名前がある。それぞれが別のモノ達にも、お互いに似た名前もある」

「うーん?」

 混乱してきた裄夜を、浩太は、考えるとかいう考えが吹き飛ぶまで駆け足、と山頂に送り出した。低い山だが、多少の装備がないと気になるので、お茶と飴やタオル、携帯端末などは持っていく。迷った時のためだ。

「準備が無駄になるくらい安全に帰って来られたらいいんですけど、念のため」

「うんうん、裄夜君もよく分かるようになってきたねえ」

 それフラグって言うんだって、と浩太がにこやかに言って手を振っていた。


「フラグだった」

 山中、少し枯れ葉などをよけて、窪みを作り、木切れを組んで、明かりを作る。火はライターでつけた。ライターのプラスチックケースには、どこかの店名広告が載っている。古びたそれは、山裾の家の祭壇脇の、仏壇に添えてあったものだ。家自体は一族のものだが、具体的には誰の家なのか、裄夜と日向はよく分からないまま借りていて、たまに線香をあげている。その一式を、ポケットに入れて持ってきていた。

「ここ、どこなんだろうな……」

 長く戻らなければ、探してもらえるだろう、とは思う。思うが、浩太のことだから、夕方イコール他の用件があるので、誰か他に任せてもう帰ってしまっているかもしれない。というか山登りについてきてくれないのもどうなのか。

 キセは面倒なのか、全く姿を見せなかった。

 最近、慣れつつあるので、裄夜もそれほど慌てない。時々携帯端末を見やる。通信は回復したり途切れたりと安定しない。完全な異界というわけではなく、アンテナ基地局のカバー範囲から逸れているだけだろう。

 一瞬繋がった隙に、位置情報を確認する。

「このまま獣道をくだれば、着くはずなんだけどな」

 裄夜は、元々踏み分け道を逸れていない。何かに化かされているか、自分の感覚がおかしくなっている。

 登山の山として有名な場所などでは、登山途中で幻覚を見て遭難するという話もある。先日登山関連の書籍を借りて読んだから、その恐れを思うとゾッとするが、この辺りの山は低く、麓には生活する農家の人もいて、割と手入れされている。自然の領域が強すぎる山ではない。しかし、そう思うこと自体が、遭難の前振りのようでもある。

「あーダメだ。寝よう」

 幸い、天気は良い。空には星が散らばって、木々の間からきらきらと光っている。

 一眼レフカメラであれば、もっと綺麗に撮れるだろうか。などと考えつつ、裄夜は木に寄りかかって目を閉じた。


「何ですぐ諦めちゃうわけ」

 暗がりで、ハッハッと激しい息遣いが響く。鼻先を押しつけて、顔を舐められた。

「え、犬?」

 裄夜は慌てて犬を掴む。

「マル?」

 鼻先が丸いからマルと名付けられた、麓で飼われている猟犬は、そこそこ愛想のよい、小柄な芝犬だった。マルが嬉しそうに吠える。その後ろで、見慣れた人が仁王立ちしていた。

「あれ、浩太さん?」

「マルがめちゃくちゃ吠えるから、山に誰か入ったままじゃないかって、近所の人が心配して夕方来たの。一緒に探しに登ってもらったけど、全然出会えなくて、おかしいね沢に落ちたのかねって言っててね。君、めちゃくちゃ普通に寝てるし」

「すみません……?」

「無意識だろうけど、虫除けを兼ねて魔除けみたいなやつ、やったね?」

 やった気がする。これまで、山に登っておりる間にいろいろありすぎるので、付き合う気力がなさそうな時は、そうした術を使うと良いことを先日習った。

「術が上手にかかりすぎて、マルも初めは見つけられなかったんだよ」

「浩太さんも?」

「俺もね」

「そんなに上手に隠れたんですか、僕」

 教わっていても、術者的な腕がついてきているのか、全く分からなかったのだが、これでも成長しているようだ。どうやら、隠形(おんぎょう)は使えるようになっていた。

「加減を覚えようねほんとにね。日向ちゃん泣いてたよ」

「えっ、中津川さんが?」

 そういえば、犬と飼い主の人と浩太しかいない。日向は留守番だろうか。

 浩太が裄夜に怪我がないことを確認して、やれやれと言った。

「日向ちゃんは、ご飯食べてお風呂入って布団敷いてテレビ見てる」

「いつも通りですね」

「いつも通りにしてるのが一番だよ。いつも通りだから、いつも通りの日常以外は起こらない、って、人は思う。思いたがる。類感呪術みたいなものだよ」

 山を降りていくと、すぐに明かりが見えた。街路灯に、少し遠くの、近所の家の明かり。どうしてあんなに山の中は暗いのだろう。すぐ近くに人の手による明かりがあったのに。山中では、全く見えなかった。

 マルと飼い主にお礼を言って、家の前で別れる。浩太が、買い置いていたのか、ビールとお菓子をマルの飼い主に渡していた。

「今回、キセは何か役立たなかったかい?」

「特には。危険性が低いと、全く留守みたいな感じですね」

「危険性が低いわけじゃなかったと思うよ俺は。山で一晩明かすことは、キャンプじゃないんだからいきなりやることじゃない。これはキセの怠慢だしひいては君の怠慢だよね」

「僕?」

「裄夜君、君は知っているはずなんだよね。キセが君であるというなら、あるいは君ではなかったとしても、相手から交渉で引き出すのでなくて、無理矢理にでも、情報倉庫みたいにキセを扱って、技術と知識の上前をはねることは、できるんじゃないかと思うんだよね」

「浩太さん、最近ちょっと息切れしてないです?」

 浩太が早口で生き急いでいる感は変わらないが、以前より、聞き取りやすい気がする。若干、早さが、遅いような。

「うーん、まぁ君達の成長に合わせているというか、考えるラグがあるというかだね。若者は何て言ったら分かってくれるのかね? 説明を考えなくて反射でよければもっと早いんだけど。意味分かる?」

「早くなくていいので、分かるように説明してください」

 浩太なりの親切で、彼は裄夜の成長を、待ってくれているようだ。

 それはどうかな。

 心中に、ぽつりと、波紋が広がる。

 裄夜自身の声ではなくて、それは、もう少し奥の方だ。どこか、心中に、水源があるような。

(キセ? 言いたいことがあるのなら、言ってよ)

 姿を見せない間は、キセはあまり教えてくれないようだ。思案なのか、言い逃れを考えているのか、説明が何も思いつかなくて諦めたのか、キセの返事はない。表情が見られないので、今の裄夜には区別が分からない沈黙だった。

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