第八章 運命の女

 ひら、と紙切れの蝶が飛んできた。小雨に打たれて、羽が重そうだ。キセが拾い上げ、袂にしまう。

「冷羽がしのいだ。幻は再制御され、獏は蹴散らされたようだ」

「そうなんだ、じゃあ後は、アンセルムスと、金色童子だけだね」

 それが問題なのだが。

「……言い忘れていたことだが」

「えっ何」

「問題と呼ぶべきか迷っていたが、もう一つある」

「何、早く言って!」

 近くの石塀ががらりと崩れた。情けない悲鳴をあげて、裄夜は後退し、電柱の影に隠れる。

「さっき、各務瑠璃子と会ったな?」

「あぁ、向こうの方のトラブルのことか」

 いわく言い難い顔で、キセが言い淀んだ。

「各務瑠璃子自体の仕事ではあるから、その問題とこちらとは本来ならば関係ない。場所が悪い」

「場所?」

「あの庭は平定されて穏やかだが、元はかなり血が流れた土地だ。国自体に血の流れぬ場所などないが、それなりに雑念が多い。それを、術者の家系の者が鎮魂した。今はしずまっているが、あまり揺さぶるとまずい」

 どうまずいのか、早く言ってほしい。轟音が近づいてくる。からん、と破片や氷の欠片も飛んできた。

 わん、とシズクの声が、高いところから聞こえる。距離も離れている。足止めを試みているのか、何度か物音が聞こえて、やんだ。

 再び、がらがらと物音がし始めると、キセが口を開いた。

「あの庭が据えられた土地には、いろいろなものが、祭礼され封じられている、と思われる。その中に、余計なものも一緒に封じられている気がする……」

「嫌な予感がしてきた。それは、ただこの土地の何かが蘇って暴れるから困るとかじゃなくて、一族と関係するものが封じてあるってこと? 土地が良くなくて、鎮魂の邪魔をして災いがはみ出してしまうのがまずいんじゃなくて、一族と関係が、」

「ある」

 先程までは、庭の封じは綻んでいなかった。

 庭の主人は、死を悼む。鎮魂の願いを持つ。じぶんたちを慰霊するものでなくとも、そのかなしみは、その土地を慰撫した。

 微睡む何かは、土地を横切ろうとして落ちたものさえ、受け入れた。

「何が、いるわけ」

「庭の綻びから推定するだけだ。実際に見てみなければ、それが何であるのか断定はしづらい」

「推定の話でもいいよ!」

 続きかけた言葉が、途切れる。

 近づいてくるのだ、物音が。

 キセが錫杖を構える。

「アンセルムスの剣さん、ちょっと落ち着いてお話でも、しませんか」

 裄夜が震える声で話しかける。

 ごう、と白い煙を巻き上げて現れた、人形のような美しい少女は、実に楽しそうに、唇をひいた。

「い、や」

 振り上げた手から、鋭い剣が現れる。

 キセが錫杖で払うが、次の剣が生まれる方が早い。

「わーん!」

 家屋の屋根伝いで駆けてきたシズクが、アンセルムスの剣の背中に着地した。顔面から地面に突っ込んだアンセルムスの剣を、念入りに踏んで、シズクはふん、と鼻息を荒くする。

 遅れて路地を駆けてきた銀色童子が、やたら謝りながら、何事か両手で印を結んで、膝を突き、アンセルムスの剣に触れた。

「何っ、を」

「眠りを。対話が望めないのならば、夢に落として、落ち着いた頃にお話をしましょう。海外のひとには分からないかもしれませんが、一応、ひとを救うためにいる者です。悪いようにはしない、つもりです。私は銀色童子と申します。貴方のお名前は?」

「あ……」

 答えかけた、今にも眠りそうなアンセルムスの剣の口を、キセの掌が覆い隠した。

「そこまではしなくていい。これは普通の妖異と違う。道具として作られたものは、名に従うことを是とする。みだりに触れない方が良い」

「それは……僕のためではなく、このひとのためですね? でしたら、従います」

 妙な言い方をして、銀色は立ち上がる。

「いっくんは、そういう、術が使えるんだね?」

 肩で息を切って、シズクから元に戻った日向が言う。

「ただの、魂を集めてるだけの仏像じゃ、ないんだね」

「戦闘には役立たないですよ。足手まといだ。基本的には、祈り鎮め、魂を安らげて連れて行くことしかできません」

 使いようによっては、良いもののような、悪いもののような、善悪の分からない代物だ。

 アンセルムスの剣は、眠っている。煙っていた視界が晴れて、瓦礫が目立つ。

 アンセルムスの結界も切れる頃だ。家人らが騒ぎ出す前に、移動することにした。

 キセがアンセルムスの剣を抱え、いったん知り合いに預けてくると言って離れようとする。

「本当に、今離れて大丈夫?」

「シズクを置いていく」

「中津川さん、大丈夫そう?」

「分かんない、鼻先をすりむいたみたいでちょっと痛いかも」

「別行動はまずい気がする、僕達もキセについていく」

 キセは否定しなかったので、裄夜は是として、日向と銀色を呼ぶ。

 彼らに続こうとした銀色の足が、すぐに止まった。

「いっくん?」

「銀色さん?」

 日向と裄夜の声が重なる。

 呼びかけられた少年は、どこか青ざめ、先程と違って頼りない。

「近くに、いる」

 小声で、本当にわずかな掠れ声で銀色は言った。

 まだ、姿は見えない。向こうがこちらに気づいているのかどうかも、分からない。

 けれどすぐに、気づかれるだろう。

 アレが。

「金色ちゃんのこと、アンセルムスみたいに、眠らせたりできないの?」

 つられて小声になる日向に、銀色は首を振った。

「無理です。お互い、能力的には同じようなもので。互いに掛け合っても、効果なんてあるかどうか」

 突然、場違いな音量で端末が鳴った。着信相手表示を見て、裄夜はうめく。

「何で今なんですか浩太さん!」

 小声で電話に出るが、向こうの浩太は元気にまくしたてていて、こちらの事情を汲んでくれない。

「あっ」

 銀色の絶望的な呟きが漏れて、裄夜にもすぐに分かった。慌てて振り向く。

 ざんばらに散った髪、虚ろな笑いを浮かべた子どもが、路地の奥に立っている。

「見つけた。見つけたよ、銀色。どうして逃げるの?」

「僕の、仕事は、人の魂を救うことで……金色、お前は同僚で、兄弟で、だから、その……」

「いっくん頑張れ」

 塀沿いに現場から遠ざかりつつ、日向が無責任に励ます。

 鬼気迫る金色童子の、それでいて美しい顔が、ぐりんと曲がって振り向いた。

「なぁに、この人たち。魂を取るには、不純物すぎるって気がするけど。銀色の邪魔をする者なのかな?」

 だったら、と、金色童子が、にたりと笑う。

「僕が壊しちゃっても、いいよねえ。ちょうど、何だかお腹が空いて、たまらないんだ。何年も、木の上から降りられなかったものだから」

「金色、だって僕ら、像なんだから別に、何かを食べなくたっていいじゃないか、何で、そんなこと言うんだ」

 怯えを含んだ銀色に、金色は上機嫌に語りかけた。

「何かを壊して、魂の欠片を食べると、すごく美味いんだよ銀色。すぐに、銀色にも食べさせてあげるね」

「金色!」

 どうしたら良いか分からない銀色の、悲鳴が路地を揺らす。

 浩太との連絡をようよう切って、裄夜はキセの後ろから顔を出した。日向も近くに来ている。

「何、どういうことなのキセ?」

「魂を集めるうちに、つまみ食いして、本分を忘れたから、神仏紛いの仏像から妖物に堕ちたのだろう」

 お前は他人をやたらと便利に使う、と多少面倒そうだが、キセは答えてくれた。

「どうしたらいいの、これ。このまま会話できる感じがしないんだけど」

「仏像に憑いた妖物が相手であれば、調伏と言うのが適当だろう」

「できるの?」

「やるか、逃げるか、だ」

 キセがやるとは言わなかった。錫杖を渡され、裄夜はたじろぐ。

「練習していただろう」

「いや、でも、浩太さんにちょっと習ったくらいで」

「実地の方が、やる気が出るものだ。死にものぐるいでやれる」

「それ、死にそうだから必死になるんじゃない?」

 押し問答するうち、金色童子が踏み出した。するりと己の髪を一本手に取り、ふうっと息に乗せて飛ばす。

 ヒルのように髪は蠢き、薄い金色のせいでほとんど見えず、見失って、それから。

「痛!」

 ちょっと当たっただけで、痺れるほど衝撃が走った。長さもかなり伸びて、やたら隙間にも絡みついてきている。

「痛ー!」

 日向が叫び、間髪入れずシズクが髪を引っかいて切り飛ばすが、痛みはあるようで顔色は良くない。

「やめろ金色!」

「嫌だよ、銀色。僕と同じ、僕のもの。違ってしまったのは、離れていたからだよ。一緒にいれば、分かるようになる」

「そうじゃない!」

「やっぱり、先に銀色を黙らせよう。ご飯はそれからでもいいや」

 淑やかに手を打って、金色童子が笑った。髪がぶわりと伸びて、一斉に飛びかかる。

 咄嗟に、キセが裄夜から回収した錫杖で、シズクが手でそれらを払いのけるが、量が多くて捌ききれない。

 キセの片手に抱えられていたアンセルムスの剣が、ばちばちと金色童子の髪に絡まれて、起きはしないが辛そうな顔になった。

「ぐっすりの剣が!」

「中津川さんその呼び名はどうかと」

「ぐっすりちゃん!」

「いやそうじゃなくて」

 アンセルムスの剣が、苛立ちの表情で、指先で何かを描く。眠ったまま、蚊でも撃ち落とすように、小さな氷の剣をいくつも作って、髪をずたずたに引き裂き、また塀に磔にした。

「ぐっすりちゃん! ありがとう!」

「もういいか、ぐっすりで……」

 千切れた髪も、ふわりと浮かび上がり、再び襲いかかってくるので、アンセルムスが役に立ったのかどうか分からない。

 うぞうぞと広がり大きな壁のようになる髪に、裄夜達は塀沿いに追い詰められる。

 早くも覚悟した裄夜の前に、髪を割って、何かが落ちてきた。

「何これ」

 初めは、何かモップのようなものに見えた。よくよく見ると、事故現場の小動物のようでもある。

 それが動いた。

 生理的な嫌悪感で、後ずさるが、すぐに塀にぶつかる。

 肉塊は、いくつか続けて落ちてきた。何事かうめきながら、こちらに飛びかかってくる。髪が肉塊を掴み止めるが、髪の隙間からぞろぞろと肉は汁のように漏れて逃げた。

「銀色!」

 金色童子の声がして、髪が突然消える。駆け寄る金色童子の背に、肉塊がぶつかった。

 焦げる臭いがして、銀色童子は金色の名を呼ぶ。

「僕達を庇ったのか? この肉、金色の仕掛けたものじゃないってこと?」

「ちが、う」

 金色童子の体に、黒ずんだ穴があいている。断面は焦げつき、塞いでも治癒しなさそうだ。

「銀色、やっと触ってくれた」

「こんな時に何言ってるんだよ!」

「銀色、銀色。楽しかった? 一緒に生まれて、別々に過ごしたけれど、僕といて、楽しかった?」

 その他の言葉など望んでいないことは分かっている。分かっているのに、銀色は答えられない。

 相手は分からず屋で、逃げ回って引き離しておいた時間が長かった。

「ごめん」

「いーよぉ、銀色」

 またね、とも、何とも続けずに、不意に体の力がするりと抜けた。金色童子の実体も、解けて消える。

 あっけなく、その気配は、付近のどこにも残らなかった。

「本体の像に戻っていたら、良いんだけど……いや良くないところもあるんだけど」

 銀色がぶつぶつ言う間にも、肉塊は飛びついており、それをキセが錫杖と札で足止めしていた。シズクには触れられないから、日向に戻ったままだ。

「この肉、何なの!」

 裄夜の問いかけに、キセが振り向きもせずに応じる。

「これはお前達が以前、出くわしたことのあるものだ」

「こういう肉の知り合い、いないんだけど!」

「形はいくらか違っている。その本質に目を凝らせ」

「肉の本質?」

「ロースではなくモツっぽい、牛よりは豚っぽい?」

「中津川さん何でそう喩えたの」

 内輪揉めをしている場合でもない。

 起死回生の何かがないか、裄夜は辺りを見回した。

 肉はどこから来た?

「上?」

 曇天は、小雨しか降らせていない。追加の肉は、近くの、まばらな生垣の上から飛んでくるのだ。

「攻撃でなく、加勢のつもりだったのかもしれんが、案外そのどちらでもないのかもしれないな」

「肉が? ていうかこの生垣、見たことある……はずなんだけど、何でこんなに荒れてるの?」

「そこが、封じられた庭だ」

「あぁ、さっき言ってた……じゃあ各務さん達がいるはずだよね?」

 各務瑠璃子達が行った、何かが封じられた土地、だ。

 肉達が、話し合うようにもそもそと寄り集まった。

 路面を這って、生垣から遠ざかる。

 けれど遠くなるに従って、肉の身が、溶けていった。悔しげな小さな悲鳴が、後をひいた。

「あんまり、遠くへは行けないみたいだ……」

「裄夜! 中にまゆらちゃん達がいる、みたいなんだけど」

「とりあえず、いっくんは眠り姫ちゃんをお願い。この子だけ抱えて走るのは大変だし、一人で置いておけないし。いっくんは、攻撃力はないんだし」

「いえ、僕も……お手伝いできることが、あるかもしれないから、お供します」

 冷静なようで、銀色はさすがに動転していた。アンセルムスの剣を逆さまに抱えて、反対方向に歩き出す。

「一人にはしない方が良さそうだし、中津川さん、何かあったらフォローを」

「えっ私? シズクじゃないから、どうなるか約束できないけど」

 生垣を直接攻略するには、肉塊にぶつかられすぎる。迂回して、玄関らしき方から庭へ入った。

 庭に駆け込むと、修羅場だった。

「何が起きてるか、聞いてもいい?」

 各務瑠璃子に問うと、見りゃ分かんだろ、と悪態をつかれる。

「見たところ、肉塊が暴れてる、しか分からない」

「そうだよ」

「前後の脈絡によるよね、君達が逆撫でしてアレを暴れさせてるのか、アレが別件で暴れてるのか」

「あーッ! 何で! こっちのせいなんだよ! 見りゃ分かんだろ! あの肉塊を妻呼ばわりしてるオッサンが御陵和馬で、頭のいかれた絵描きだ!」

「何をきっかけに暴れ始めたの?」

「夫婦喧嘩?」

 日向が疑問を被せてくる。瑠璃子の代わりにまゆらが答えた。

「限界だったんだって……ここから出てはいけないのに、出ちゃったから」

「夫婦喧嘩が限界?」

「さっき奥さんとお茶してきたんだけどね。その時は、おかしなことは起きなかった。家に戻ってからも、そんなには。でも、私達が帰ろうとしたら……あっ、交渉はね、うまくいったの」

「良かったね! それで、帰ろうとしたら?」

「したら、ね。自分も、帰らなきゃいけない、って。夫のために居たいけど、もう限界だったんだって。どこかに行きたくてたまらなくて、辛かったみたい。私にはほとんど見えなかったんだ、霊感とかないし。でも、突然、すごいノイズがして」

「それで、気づいたらこうなっていた、と」

 ずぶずぶと、肉同士が触れ合い、潰し合う音が響く。

 見たことのない姿だか、遠目からの輪郭に見覚えがある。

「これっ、大丈夫姫と同じじゃない……?」

 以前見かけたモノ。巨大な、女のような肉塊のような、それでいて風船のように割れて消えるモノだ。

 形態に何となく見覚えがある。ある、が、

「こんなに攻撃力あったっけ……?」

 盛り上がった肉の腕は、骨格を感じさせない形に曲がっている。顔の形も、かろうじて人に似せてあるが、今にも内側から破裂しそうだ。

 何気なく振り下ろされた腕を、下方の人間たちは慌てて避ける。地面が大きくえぐれ、肉は粘着質な音を立てて飛び散った。

「うっわエグ」

「やめないか! あんまりなことをしては、君の体を壊してしまう。私の天女!」

「おっさん、こいつを天女って呼ぶのやめろ! 天女扱いするから余計に帰りたがるだろ! 昔話を知らねえのか!」

 御陵に、裄夜は疑問を投げかける。

「天女? これ、ふわふわした風船じゃなくて、やっぱりこのまま肉塊として……じゃなくて、人の形で降りてきたんですか? 空から?」

「そうだ、彼女は天から降りてきた」

 ある日、この庭の池のほとりに、美しい桜色の塊が舞い降りた。

 かすかに美しい娘の面影も、体のそこここに浮かぶことはあるが、それよりも、その、生き生きとした肉塊の様子に、御陵は心を奪われたのだ。

 その天女は慈悲深く、小鳥や魚に体を啄まれても拒まなかった。木々に体を貫かれても厭わなかった。御陵が話しかけると、柔らかな目を出現させ、瞬きして聴いてくれた。やがて姿なく屋内を歩き回り、あるいは肉塊の体の一部を引きずって、屋敷のあちこちを出歩くようになった。

 事実婚のようなものだ、と御陵は考えており、妻と呼ぶが、近所からは、病弱でほとんど姿を見かけない奥さんがいる、と認識されていた。

「おっさんが絵に描いて作ったモノじゃないってのは、本当だったんだな」

 瑠璃子は呟く。じゃあ、自分が狂ってこうなることは、ないだろうな。

 いかな怪異妖物と成り果てても、あんな風になるのはごめんだ。あれでは、まゆらを守れないではないか。

(……ん?)

 瑠璃子が心底嫌そうな顔をして自問自答しているうちに、裄夜は逃げ回っていた。日向とは逆方向に流れてしまった。銀色童子は腰が抜け、這いながらどうにか肉を避けている。アンセルムスの剣を放り出さないだけの気力は残されているようだ。

「大丈夫姫に似てる……この地に降りてきて、鎮魂され封じられていた、一族ゆかりのもの、って、花陽妃だよね?」

「その一部だ」

 姿を消さず、キセが錫杖を振って足元の肉を飛び越える。

 次々に肉塊の腕が振り下ろされる。庭木に阻まれ、ほとんど逃げる場所がない。

 身をかがめた裄夜の前に、キセが錫杖を突いた。ぎりぎりで間に合って、肉塊の腕は空中で結界に引っかかり、そして、激しい火花を散らし始めた。

 大がかりな工事のように、激しく火花と音が広がる。肉塊の体がひどく飛び散り、肉塊は咆哮をあげ始める。

 慈悲深い天女、と呼ばれることとは程遠い、獣の声だ。

「キセ、ちょっとどうなってるのこれ! どっちの攻撃のせいでこんな派手なことになってるの?」

「攻撃しているつもりはない、向こうは威嚇のつもりだろうし、こちらは防いだだけのつもりだ」

「だったら、何でこんなに派手なことに」

 にじり下がって、キセは裄夜を連れて肉塊の攻撃範囲から遠ざかる。

 何か言い淀んでいるので、裄夜はその黒い着物の肩を掴んで、言え、と精一杯凄んだ。

「……以前、言わなかったか? 花陽と俺の力は方向性が噛み合わない」

「噛み合わないってレベルじゃなかったんですけど」

「花陽は、銀月の対(つい)として置かれているが、元々は、玉竜を追ってこの世に降り立った力そのものだ。玉竜が、個としての意識を得て、力の流れの中から降りたのちに、花陽は同じ力の流れの中から、降りた。もとは同じところから発生した。けれど花陽の力は、玉竜の力が置いていった、使わなかった、残していった力でもある。ぶつかると、反発し合うことが多い」

「花陽と玉竜の力が、別ってこと? それとキセと、何の関係が……」

 キセが銀月王と、近しいからだろうか。そのような夢を、以前、見た気がする。

 キセが心底億劫そうに、ため息混じりに呟いた。

「花陽と力が反発するのは……俺が玉竜の、血を引くからだ。おおもとの力が反発している。俺の意図に関わらず、竜が反発する」

「ん? その話、僕らキセから聞いたことある?」

「言わなかったか……? いや、普段はあまり使うこともない力のことだ。術者としては人だから、使うことはない」

 ほとんど意識する機会もない、と、金色の目を細めて、キセは言う。

 その、静かな、静かすぎる目。

 深淵なようで、多分、本当は特に何も考えていない気がする目。

「いや! いやいやいや、大事なことじゃない? それちゃんとみんなに言ってある?」

「隠してはいない。中城に知らないものは、いなかった、はずだ」

「本当に?」

 ほとんど、確証はあった。玉竜にも聞いた。だから、知っている、と言えなくもないが、本人の口から聞くのと推論では、重さが違う。

「そんなにさらっと言える? そうだろうな〜って思ったりしたけど、一応気を遣って様子見してたんだけど」

「知っているものだとばかり思っていたが」

「何揉めてるの!」

 日向は反対側に逃げており、距離があって話の細かな内容は聞こえていないようだ。

 裄夜は仕方なく、いったんこの話を流すことにした。

「後でとっちめるから忘れないでよ。それで、花陽とキセなら、どっちが勝つ?」

「花陽本人ならいざ知らず、これは残り物だからな。何とかは、できるだろう」

 面倒ではあるが、この天女には、もともとそれほどの力はない。機嫌が悪く、長く土地に縛られて窮屈がっており、我を忘れかけているから手強いのだ。全力で潰されないと止まらない。

「しかし、壊していいのか? これは、そこの男の妻だというが」

「妻だから、置いておいた方がいいの?」

「言ってはなんだが、花陽は情が強い。引き離すのは得策ではないな」

 力比べでは、この花陽は、大したことはないという。こんなに巨大な肉塊で、庭木さえ取り込み、暴れているのに。

「この花陽、今は御陵さんのことも分かってないみたいだし、愛情があるかないかも分からないけど」

「かつて愛情があり、側にいたことが問題だ。壊すと、御陵の命に関わるかもしれない」

「理由は?」

「同居するうちに、花陽に侵食されているかもしれない。絵が動く件は、元々持っていた本人の力のようだが……何かが蔓延っているかもしれない。まだ子実体として現れていないだけで」

「子実体って……きのこ? 菌糸が見えないところに広がってるってやつ? 壊しにくいな!」

「須く、荒御魂は祈り鎮めるものだ。壊すよりは」

「どうやって?」

「適任者はいる。ここには、巫覡の系譜が揃っている」

「巫覡って、何? 巫女?」

「よりしろ。玉竜が目をつけ、花陽もそれによりつける者」

「今ここにいるのって、大野さんと各務さん?」

 大野まゆらは変若水を湧かせる。ある意味ではそういう巫女のようなものだ。瑠璃子は、よく怪異に絡まれて、正気を保てなくなって一度死んだ。

 キセは首を振った。

「少し問題がある。どちらも別の神に触れている。花陽のものにはならない」

「巫女って、所属先の神様が一種類までの制限あるの?」

「……なくはないが、まぁ歩き巫女もあるからそのこと自体には問題はない」

 キセは力まず、裄夜を見つめた。

「水瀬裄夜と中津川日向もまた、その類型」

「は?」

「俺自身についてもその類型ではあるだろう。怪異がよりつきやすい血筋。神に、語り語られやすい血筋。踏み外して、くるいやすい」

 ぽかんとした裄夜の側を、肉塊が流れてくる。結界に沿っていくから、触りはしない。

「だからお前達は、玉竜が通る時に、出くわすことができた。花陽とも会話ができる」

「キセ達に気づくより昔、子どもの頃なんかは、霊感なんてないし、家族もそういうの見聞きしたことなかったんだけど」

「怪異に触れやすいこと自体は、それほど重い意味は持たない。怪異に好かれやすい者はいくらでもいるし、そういう血筋はよくある。因子があっても、発現したり、しなかったりと、振れ幅もある。同じ人間でも、年齢にもよることがある。揺らぎやすい年代だとか。お前達については、玉竜と花陽の、そこそこ純粋な力に好かれるというのが問題であるだけで」

「これ、今する話じゃなくない? いや黙れって意味じゃなくて! もっと早く教えてほしかったよね!」

「思い出さなかったというか……言葉で説明するのは、め……難しくはないか?」

「明らかに面倒って言おうとしたよね」

 責められるのが分かって、キセがやり場に困っている。裄夜はぐいぐいとキセの錫杖を押した。

「で、僕か中津川さんが巫女役になるなら、どうしたらいいの」

「鎮める術が何かあれば、鎮まる」

「何をすれば良いわけ?」

「気を逸らせ。怒りの感情でなく、他に集中させろ」

「どうやって!」

 裄夜の声に、女の甲高い、けれど引きずるような罵声が重なった。

「いい加減にしろよ、オッサン! ふざけんな」

 あちらでもこちらでも揉めている。

「おい、アレを天女に喩えるなら、あんた一体何を隠した?」

 瑠璃子が、御陵に詰め寄った。

「言いたくないならどうでもいいかと思ってたが、これじゃあ被害がデカすぎる。この惨状見てみろ」

「な、何のことだろうか」

「こないだ知り合った岡野ってえのは忌部で、葬式とかの祭事の家系から出てるんだと。ミササギも、似たようなもんだろ」

 瑠璃子が、傲然と腕を組み、御陵に言い募る。

「ミササギ……御陵ってさァ……文字としては、墓だろ。ちょっと調べれば分かることだ。えらくデカい名前を担いだじゃねぇか。ミササギは、一体、何を埋めたんだ?」

 名前の話であれば、御陵の妻のことよりも、以前の、話だ。

 だというのに、御陵は何のことだか、と、目を合わせようとしない。

「本来であれば」

 と、キセが横やりを入れる。隣の裄夜も、文句を言うのを中断して、耳をそば立てた。

「本来の御陵なら、特定の連なりのある誰かの墓だが、ミササギ自体にはそうした繋がりはない。なぞらえてあるのだろう。術者の家系、死なせた親族や敵対者、呪いの数々、それらに類するものを、そのまま置いてはおけなかった。通常の祭祀だけでは足りなかったものを、埋めて鎮めた。元々この土地はかなりの血を飲んでいたし、多少増えたところで構わなかったのだろう」

「そっ……そうだ……」

 金色の目に引き込まれるように、御陵が頷く。頷いてから、いやいやと首を振った。

 キセは構わず続ける。

「ここには、呪いが埋められている。朝廷やそれにまつわる場所に出入りした術者達が、振り払い、時に襲われて死んだかつて、それ以上の害をなさせしむことを阻止するために、御陵はある……だから、彷徨う呪いのようなソレにも、過剰に反応したのだろう」

 追い求め、捕縛し、愛おしみ、慰撫した。

 どこにも行かせない、どこにも行かずにここに居て。どうか。そうして、

「何も呪わない、害のない、術者達に都合の良い使い魔や、呪いの力の貯蔵場所になれと、全力で押さえつけた」

「違う、私は、妻を愛して、」

「花陽。ここに用事はあったか? 何を見失った?」

 キセの呼びかけに、ごう、と肉塊が吠える。

 花陽の本体から分かたれたモノ。

 庭の主人が無意識に愛と間違えて捕縛し、我がものとしようとした、力そのもの。

 それは最初から崩れてはいたが、数年来の無理のある慰撫で、余計に引き裂かれ、壊れていた。

 出る、出たい、ここを出たい、戻りたい、戻れない、どこ、ここはどこなの?

 獣の咆哮は間断ない。

「名を、書いた」

 庭を出る、と叫ぶ肉塊に、何かが折れたのか、御陵が答えた。

「私は妻の名を書いた。私がつけた名前と、妻の、かつて名乗った名前を並べて」

 本来の名前が、ここから解放されようとしても、併記された新しい名前が、それを宥める。ここにいて。ここにいたいでしょう? そう囁いて。

 その、紙片一枚。

「どこにある?」

「うっ……」

 庭土を掘り返し、途中で御陵は泣いて、やめてしまう。

「許してくれ、私は」

 彼を押し退けて、キセは裄夜を引きずり、穴を掘らせる。錫杖で力任せに掘り返していると、すぐに手ごたえがあった。

 木箱だ。蓋を開けると、油紙などで何重にもくるまれた漆塗りの箱が出てくる。

「他にも、こういうのがたくさん埋めてあるわけ……?」

「あるだろう。紙でなく、呪物や遺骸そのものもあるかもしれない。だが、我々には関係のないことだ」

 キセはすげなく返し、泥まみれの裄夜の手から、中身の紙片を摘みとる。

「花陽。これか?」

 紙は、気軽にふらふらと振られた。

 何でもない、ただの和紙に見える。

 けれど、肉塊は大きくのけぞり、庭の天井のようなものにぶつかって、雪崩を打って庭中に広がった。

 逃げるところなど、どこにもない。

 いくつかの悲鳴も、あがるだけあがって、すぐに止んだ。

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