第五章 幻、ぐるり

 坂をいくつも登った住宅街、その間の小さな公園で、一行は休憩した。

 巨大な氷の塊は、まだ街の上に浮かんでいる。

 近所のコンビニで飲み物とお菓子を買ってきた日向が、冒険した飲み物が残ったのをキセに押しつけて嫌がられている。

 いっくん、と呼ばれる少年は、先に自分の事情を話した方がいいと判断したようだ。

「貴方がたも、その、人間とそれ以外が混ざってる感じがしますから……カレンを探してるって言ってましたけど、冷羽のことも知ってるんですよね?」

 見ての通り、と、少年はベンチに腰掛けて、自分の体を見下ろした。

「僕は、もとは人間ではありません。今は、カレンを守りたいと思っているんですが、うまくいかなかった」

 日向の買ってきた、紅茶と炭酸とスパイスの入った新発売商品を飲み、少年がむせた。落ち着いてから、

「えっと、僕の事情なんですけど」

 少年は思い返しながら、話し始めた。


 時は少しさかのぼる。


 白く、靄が流れていく。

 道の端ばしに、とりどりの紫陽花が花を開き、梅雨の雨滴を葉に散らして、のびやかに歌うように広がっていた。

 それらの景色も、水分の多い空気も、今の少年には、まとわりつく邪魔なものにさえ思える。

(この坂、きついな……!)

 どうしたら逃れられるか、頭では考えられなかった。

「はぁ、はぁっ」

 不意を突いて駆け出した背を、向こうは笑いながら追いかけてくる。

 足取りは踊るようで、まるで鬼ごっこでもしているようだ。

(向こうは、ずっと稼働してたのか? こっちが、寝てる間中ずっと)

 最後に会ったのは、自分が人に紛れる前だったはずだ。いや、どうだったろうか。

 昔、美しい魂を、集めてくるのが仕事だった。


 童子や、童子。きよげなる声で、それは自分たちのことを呼ばわった。

 その仏は仏像に宿っていた。荒く掘り出された仏は、生々しい彫り跡すら慈しむかのように、柔らかな空気を持っていた。

 童子や。私はここから動けない。衆生を救うために呼ばれた私が。訪うひとびとの心は救えても、このほかの世については、いかばかりか。

 仏の左右に設えられた、小さな木彫りの像は、神妙に話を聞いていた。仏よりも古い時代、村人が手慰みに彫りあげ、手元で大切に保管してきたそれらは、仏よりも先に、蛍のようにあちこちへ飛んで行けるようになっていた。

 真摯に受け止めた童子像らの、どちらが先に、この結論に至っただろう。

 ずっと二人でいたものだから、片方の像は、もう一方がきっと同じ考えに同時に至ったような気がしていた。

 童子の像は、仏に応えた。

 それでは私は外の世界で、ひとびとを救う手助けをいたします。

 もう一方の童子も応えた。

 それでは私は、ひとびとを救う銀色童子を手伝います。

 二人の童子の言葉に、仏はしばし思案した。

 仏として現世に移し置かれた身の上。

 少しでも、救いの手を増やしたいではないか。

 仏は、童子らに願いを託した。

 ひとを救うのはもちろんのこと、その中でも仏の手助けになるような、とびきりの魂の持ち主を見つけて、ここへ連れてくるように。その魂を磨きあげ、お前たちのようにまた外の世界へ放ち、救いの手数を増やそうぞ。

 仏像は、祈りを受けるうつわ。

 救う力が足りなくて、歯痒い思いをしている仏のために、金色と銀色はそれぞれ旅立つことになった。

 堂の外に出てすぐ、

「ねえ銀色。本当に探す気?」

 金色童子は、つまらなさそうに、人の作った木の橋に腰掛けて足をぶらつかせた。

「そんなことより、二人であっちこっち行こうよ。都の方には、面白いものがたくさんあるというよ」

「他の神々や仏がたを訪ねて、お話を伺うのもいいかもしれない」

「銀色は、真面目なんだから。金色は、銀色といられればそれでいいよ。綺麗な魂でも、何でも、銀色が集めたいなら、僕もそうする」

 あの頃から、金色は銀色の方ばかり見ていた。

 あのときも。

「ねぇ、何でいつまでも、そいつの魂を取れないの? 美しい魂を、あの方に届けるのが仕事だったはずでしょう?」

 金色は気怠げに、銀色を見つめていた。

「もう少し待ってくれ」

「銀色はそればかり。何でもいいけれど、金色のこともちゃんと見て」

「ごめん」

 これぞと思う魂を見つけて、勧誘したけれど、相手に断られた。銀色にとっては、不可解なほど白く、ひやりと冷たく、硬質な光を感じる魂だったから、持ち帰れたらよかったが、そうでなければまた次を探せばよいだけだった。そのはずだったのだ。

 いろんなものを切望し、諦め、保留にして、その魂の持ち主は佇んでいたから、目が離せなかった。

 彼の気が変わらないか、銀色は、ときどき確認しに寄った。

 そうして時局は変わり、彼を見失いかけたとき、銀色は、人になりすましてまで、彼の側から離れないことを選んだ。

 それが、金色の逆鱗に触れた。

 何度も揉めて、何度も振り切った。金色が、銀色の守ろうとする魂を、奪ったり壊したりしたがったことも、もちろんある。

 その度にどうにかかわしてきた。

 けれどあるときから、ふっつりと、金色を見かけなくなった。

 その身に、危害のある何かが起きていれば、たぶん分かる。対で作られたのだから。

 銀色に愛想を尽かした、というには、執念深さのゆえに信憑性が足りない。

 何か理由があって、近づいてこないだけだ。

 罠かどうか考えもしたが、やがて忘れた。

(そうだ、あの事故は結局……金色の気配は感じなかった)

 金色の代わりに、執念深く追い回してきた別の何かは、突如として、人のふりをしている銀色と、銀色が側にいたい相手に、襲いかかったのだ。


 金色をうまくまいたらしい。中学校の前に来ていた銀色は、門扉がわずかに開いていたのを見て、忍び込んだ。校庭などでは部活動が行われているが、基本的には休日だから、人は少ない。

 隠れて、座り込んで休んでいるうち、体育館の方が騒がしくなった。

 覗いてみると、千明カレンと、それから、彼女によく似た、けれど浮かべる表情の違う誰かが立っていた。辺りには薄く靄がかかり、じわじわと、何かが近づいてきている。

「冷刃? どうして別行動できてるんだ」

 部活動中の生徒たちは、倒れている。恐れるカレンの前で、冷刃が、竹刀を拾って応戦の構えだ。

 いつだって、それはまばゆい魂だった。

 そこに立て続けに別の人達が現れ、騒ぎが大きくなるにつれ、飛び出すことも逃げることもできなくて。


 煤に触れると、人の形を保てないようだったので、ついに先に離脱することにした。

 離脱しようとしたものの、まだうまく走れない。そのうち、体育館から数人飛び出してきた。

 冷刃とカレンはいない。いないが、見失ってはいけない繋がりであると思った。

「ま、待ってください!」

 倒れ込んだところを、一人が助けて起こしてくれる。話は聞いてくれそうだ、と思ったけれど、ふと視線を感じて顔をあげると、もう一人が、消すか迷うような、自然な仕草で何か仕掛けようとしていた。

 まずい。

 攻撃に巻き込まれかけた上に、勘違いで消されては浮かばれない。

 そもそも戦闘に特化などしていない。自分達は、美しい魂を集めるだけだ。精霊と言うべきか、美しい魂や木々の揺らめく力を見て、拾い上げてゆくことができるだけ。

 それを何かに加工したり、は、できない。

 平身低頭、説明して命乞いするしかない。

 害意がなければ、消されずに済むと、思っていた。

 果たして、この場では、消されずに済んだわけだが。


「うーん、ってことは、本当は貴方、銀月童子っていう、木の像なの?」

「はい」

 お菓子を食べつつ、日向が聞く。

「冷羽は、カレンでもあって、その魂を取りたい、と」

「取りたかったんですが、その……ずっと、その輝きをゆがめずに見ていたいというか」

「ううーん、ストーカー」

「えっ」

「魂を取るってことは、本人は死んじゃうんじゃない? そうなら、私たちは貴方をカレンちゃんに近づけたくない」

「そ、そうなんですけど、そうだったんですけど、もうあんまり……」

 やりたくない、というか。

 銀色が仕事と決めたから、金色もそうしてついてきた。

 今、銀色がそれをやめるというのなら、金色はどうするのだろう。

「御仏にも、お伝えしていないことです。さぞや嘆かれると思うと……」

 申し訳なく、辛く思える。

「カレンちゃんが、貴方がストーカーしてるの嫌だって言ったら、近所の友達の距離感のままでいてくれる? カレンちゃんがこの先、好きな人と暮らしたりしても邪魔をしないとか」

「しないよそんなこと」

「離婚訴訟のときも」

「何でそんなことまで想像してるんですか……」

「だってストーカーだと思ったから」

 そうなのかなぁ、と銀色少年はうなだれた。見守っているだけのつもりだったが、そのように見えるのかもしれない。

「ともかく、カレンをどうこうしたいわけでもないです、もちろん危害は加えません」

「でも、貴方を追いかけてきてる金色童子、は、そうじゃないかもしれないんでしょ?」

「そうなんですよね」

 どうしたものか、と考え始める前に、銀色少年が問いかけた。

「それで、そちらのご事情は?」


 かいつまんでの話になったが、聞いた銀色は顔をしかめた。

「貴方がたは、自分の過去かもしれないモノの記憶を引きずって、行動されている、と」

「まぁそんなところです」

「大変ですね。冷刃のことは、あんなふうになる前から見ていましたが、あるとき急に見失って、次に気づいたときには、あんなことになって。それで、銀月の一族とやらでときどき働かされているようでした。人間は強い。あんなものを抱えて生きて行けるなんて」

「あんなふうに、って?」

「幻を取り込む前です。辺りに靄があったでしょう? あの靄の一部は、冷刃のものじゃない。煤を撒き散らす獏でもない」

「冷羽は、幻を操る術者、なんだと思ってたんだけど」

 裄夜と日向が、キセを見やる。落下しかけの氷をぼんやりと見ていたキセは、視線に気づくと、怪しげな飲み物を日向に返した。

「未開封だ」

「飲みたくて見たわけじゃないったら!」

「幻を扱うのは、それを取り込んだから? 取り込む前は、人間だった?」

 裄夜の言葉に、銀色が頷く。

「だと、思ってるんですが、違いますか?」

 ややびくつきながら、銀色がキセを見上げる。

「……それで間違いはない」

「じゃあその幻って、何?」

 その、幻の、本来のあり方は。

「まだ起きないのか」

「あぁ、なかなか面倒よな」

 潜めるでもなく、男達が言い交わしている。

 靄のような白いものが、辺りを取り巻いて揺れていた。

 体がうまく動かない。

「もういっそ、ぶちまけては? そのぐらいしても良かろうよ」

「それでは意味がない」

「ふむ」

 隠す気配もない、大きな声だ。腹から出て、床を、壁を揺らす。

 辺りの様子が手に取るように思い浮かぶ。

 部屋の間取り。ここは外が見える場所だ。

 この明るさなら、まだ太陽は中天を回らないあたり。

「お、起きたかな」

 大声が、こちらを向いて降ってきた。

 起きた、と呼ばれて、初めて体が動いた。

 飛び起きると、わずかに目眩がする。

 慌てて大柄な男が寄ってきて、冷刃を引き起こした。

「大丈夫ですかな?」

「はい、あの」

「我々は旅の者! ちと到着が遅れて、ご挨拶も遅れてしまいましたな」

 剃髪の大男は、ごく当たり前のように言う。

「本来でしたら、昨夜到着しておったはずです。屋敷の主人にはお伝えしておったが」

「いえ、聞いてないですが……」

「ははぁ、まぁ何分、急でしたからな」

 男は朱雀と名乗った。旅の僧侶の出立ちだが、力が強く、薪割りなどの雑用を任されてくれた。

「父は出かけております、戻るまで客人を使うなどできません」

 と、冷刃は固辞したのだが、朱雀は気にもとめなかった。

「時が満ちるまで、待たせていただきましょう。何、時間ならそれなりにありますゆえ」

「それほどないだろう。早くしろと言ったのはお前だ」

 声を潜めて、朱雀の連れの男が言う。どこか浮世離れした男だ。朱雀は彼を、考え事をしているように見える犬のようなものですからと、難しく見なすことはないと言った。

 金色の目は、何か言いたげではあるが、夢うつつのときに、大男を諫めているようであったから、言うつもりはまだなさそうだった。

 太陽のような、明るい友人が今日も訪れる。

 冷刃は彼らを迎えて、鍛練を続けた。

 やがて友人達が帰って行き、日が暮れる頃になっても、家人は戻らなかった。

「すみません、今日は遅くなるようです」

「でしたら申し訳ないが、今宵の宿をお願いできませんかな。こちらから差し出せるものはあまりないが、経文は読めますので、何か供養ごとがあれば行いましょう」

 昼間、畑仕事までこなした男だ。もう一人は、裏山へ行ったりと姿が見えないことが多かったが、山鳥を獲ってきたし、何もなしに泊まるつもりもない、それなりに礼儀は心得ているようだった。

「殺生はなさらないものでは?」

 僧侶二人、と思っていたが。冷刃の言葉に、もう一人が答える。

「流派がさまざまあるもので」

 ごく静かに言われると、そのような気もする。都の方では、武士のように立ち働く御仏の配下の兵士もあるというから、山鳥を獲って料理する僧侶もあるのかもしれない。

「御仏の教えにご興味が?」

 朱雀が嬉々として声を張る。とうとうと語られるのは、あらゆるものを救うという、広々とした覚悟のありさま。

 その声を聞きながら、冷刃はふわりと眠気に襲われる。

 白い靄が、まるで実体を持つかのように広がっていく。

 靄と共に、紛れもない不安が湧きあがった。御仏の話を聞く? いや、こんなことは、あの時は起こらなかった。

 旅の僧侶は間に合わなかったのだ。

 靄が広がる。

 白い靄に紛れて、点々と何かが散らばっている。

 それは人の手足だ。

 それぞれの、明るい、暗い、おそろしい、楽しい、夢に引きずりこまれて、目が覚めることはない。

 数人は、錯乱したのか、互いを棒や鍬で打ちのめしあって、事切れていた。

 冷刃はたまたま外へ出ていた。離れた村に使いに出かけて、戻ったときには、村は静まりかえっていた。

 ゆらゆらとした靄は、何かが通りがけに置いていったもので、残り滓。それでも、人間にとっては猛毒だった。

 急激に瞼が重くなる。膝に力が入らず、手足を投げ出して倒れ込む。

「おい、目を覚ませよ! そのまま沈んではいかんぞ」

 大男の声は届かず、冷刃は意識を失った。


「また落ちたか」

 白い靄の中で、冷刃の側に立つ影がある。影たちはやれやれと嘆息し合った。

「さて、どうしたら抜けられるものやら。叩き起こすなと言うが、他に当てがあるか?」

「ない」

「ないか〜。いや、ないと困るな!」

「こちらも実体ではない。冷羽の思う我々、といったところだ。この時点の冷羽は、こちらにできる物事を知らぬ。打ち破るのに、手を貸してもらいたいと願われねば、動きづらい」

「そんな小難しいもんかのう!」

「助けが、早く来るといいのだが」

 男の、どこか他人事な言葉に、大男がぱしんと己の膝を叩いた。

「打つ手やむなし。間に合わなんだのは仕方ない。今度は、間に合わせればよい」

「あまり手出しするな。何度も見ただろう。手出しすると、夢がますます悲惨になる」

 冷羽や村人を助けようとするたび、実際には救えなかったという冷羽の悔いが強く出て、余計にひどい末路を繰り返す羽目になる。

「本人に任せる」

「本人、なぁ」

 当てになるかね、と大男がぼやくが、男は間もなくだと請け合った。

 そう、間もなく。

「冷羽?」

 見知らぬ小屋を抜け出して、カレンは無舗装路を降りていく。

 どことなく、地形は、自分の住む町に似ている。けれどずいぶんと山側で、かなり田畑が多かった。

 笑いさざめく子らも、服装は時代がかっている。いつなのか分からないが、たぶん、日本史のどこかにあったのだろう。

「これ、私の夢じゃないよね?」

 カレンは畑の脇道を行く。数人の子らはこちらに気づいて、不思議そうな顔をするが、大きく騒ぐことはなかった。

「あのう、冷羽を探してるんだけど、見なかった?」

 思い切ってカレンが声をかけると、困った子らは、駆けていって、誰かを呼んできた。

「遠方のお客人ですか?」

 快活な少年に、カレンはどことなくほっとする。

「冷羽の知り合いっていうか、親戚みたいなものなんだけど、冷羽がどこ行っちゃったか分からなくて」

「使いに出たのかな。私たちはこれから鍛練がありますが、お客人も見学されますか? 面白いものではないかもしれないが、勉学と鍛練は冷刃のところで行っているので。お客人は、あまり冷刃の家から離れるのも不安があるでしょうし」

「ありがとう!」

 カレンはにこにこして、冷羽の家に集まる子らと遊んだ。鞠を転がしたり、草笛を作ったり、この辺りに伝わる昔話を聞いたり。

 裏山には巨大な帯の物の怪が出るとか。野ウサギを軒に吊るすと、タヌキが鍋を手伝いに来るとか。白い靄の出る日は、家から出てはいけない、それは鬼が流す悪夢で、たいていは山中にあるが、行き合えば命がない、とか。

「靄?」

 カレンが詳しく聞こうとしていると、戸口に人影が立った。

「どうしてここに」

 青ざめた冷羽が、カレンの手を掴んだ。

「早く逃げなくては」

「冷羽、痛いよ」

「今はいつだ? 間に合うのか、逃げろ、逃げてくれ!」

「どうした冷刃」

 カレンを案内してくれた少年が、戸惑いながらも、落ち着いた声音で冷羽に近づく。

 その姿が、うっすらとした靄に触れて、砂になった。

 カレンがあげたのか、悲鳴が続いた。

 冷羽は慌てるばかりで、カレンの手を離さないまま、屋内や屋外を駆け回った。

「皆、早く逃げてくれ、頼む! 奴が」

 来てしまう。

「冷羽、何が起きてるの? 何が起きるの?」

 たまたま流れてきた靄は、気まぐれに村を襲っただけ。

 靄は、派生に過ぎない。

「そこまで思い起こさないでいい、幻の中とはいえ、遭遇すると厄介だ」

 いつの間にか、庭に人影がある。金色の目の男が、錫杖で地面を軽く払った。靄はたちまち四方へ散る。ひそひそ、ざわざわ、砂にならなかった子らを取り巻き、遠巻きにして、何かを囁いている。

 カレンは冷羽に掴まれたまま、庭に手を振った。

「ねぇ! キセだよね! どうしてここに? ここは、冷羽の夢なんでしょう? 助けに来たの?」

「ここは、過去と混ざっている。この姿は冷羽がかつて出会ったときの記憶によるものだ。今のお前が知るそれとは別物になる」

「うーん、それって……冷羽の様子だと、みんなすごく昔の人でしょ? それにしては、私の知ってるキセと似てるんだけど。こう、もっと若ーいとか、違いがあってもいいっていうか」

「冷羽の……お前と共有する記憶のためだろう。今の俺を知っているから、そのように見えるのかもしれないな」

「よく分かんないけど、貴方はキセ本人じゃない、冷羽と私の、夢の中の住民ってこと?」

「そこまで幻想的なものでもないが。で、どうする?」

「どう、って?」

「この夢は繰り返す。終わった出来事は変えられないが、囚われているから抜け出せない」

「囚われ?」

 キセは冷羽に視線を移す。食いしばり、辺りを警戒したままの、少年へと。

 カレンは、黙っている冷羽たちの代わりに、話して確認することにした。

「冷羽は、大事な人たちを、靄にやられたの? 私、さっきの、村の子たちに、昔話を教わったよ。山の中で鬼に行きあうと抜け殻みたいになってすぐ死ぬんだって。そのとき周りにある靄も猛毒なんだって」

 は、と冷羽が短く息を吐く。

「そうだ……救えなかった。間に合わなかった」

「たとえお前がそのとき、村にいても、結果は同じだ。幻は人の手では避けられない」

「お前達は! 全部が終わってからたどり着いた」

 声を荒げた冷羽に、キセは頷く。

「村が一つ、おかしなことになっている。住みにくくてかなわないと、その辺りに住む小さな小鬼らが申し立てた」

「人間のためでなく、怪異のためだと……」

 そうだ、とキセが答えて、背後から、

「それは違うぞ!」

 割れるような大声が降った。束の間、カレンは飛び上がった。

「びっくりした……!」

 現れたのは、声に違わず、大柄な男だった。僧形であるが、キセと違って山伏のようにいくつか小道具を装備している。カレンが男の頭のてっぺんを見上げると、首が痛くなった。

 男は大きいが、身動きはしなやかだった。ひょいと近づいてくる。

「はは! 驚かせてすまんな。さて、さっきの話だが、これでも、我々はあらゆるものを救うつもりでいる! この時は間に合わなんだが、小鬼らに頼まれるのが遅かったのだ。たどり着けば救う。着かなければ、やむを得ないが」

「あらゆるもの、とかいう話はこの男だけのことだ、聞き流していい」

 キセのひやりとした切り捨てを、大男は気にしなかった。カレンのために少し身をかがめて、ひそひそ話の体勢を取る。

「しかし我々が手助けできるのもあとわずかでな。幻の方が力が強まっていて、冷羽のものであった幻の部分が、減り過ぎて、そこから生じた我々という形は、失われつつある」

 声が大きすぎて、潜めた意味はなさそうだ。カレンは声を潜めずに返した。

「つまり、キセもおじさんも、冷羽の夢の住民で、でもヤバイ幻の方が強くなってるから消えそうってこと?」

「その通り!」

 おじさんと呼ばれても構わず、大男は、はきはきと肯定する。

「そもそも、現実には我々がたどり着いたとき、幻は既に冷羽が食べ、抑え込んで自分のものにしてしまっていた。それゆえ、もはや人間(じんかん)にいることは叶わず、こちらへ来たのだ。幻を抑え込むのは、我々でなく、冷羽。できないことでは全くない」

 腹から言われると、できなくもない気がしてくる。……そうだろうか?

 カレンは、手を掴んだままの冷羽を見やる。青ざめた顔。白くなった手。

 冷羽はまだ恐れている。

 何を。

 キセが、カレンをちらりと見下ろした。

「これは冷羽の夢。自分で蹴りをつけること」

「冷羽一人で……? 冷羽、この夢を何度も繰り返してるって、言ったじゃない。どうやってやるっていうの!」

「一人? さてさて、本当に一人だと?」

「え……」

「現実には、出会ったこともない娘さんだが、さて、どうも冷羽と似たところがある。それでいて別の意思を持ち、たいそう、元気な方であるようだ。これは、この繰り返しの中にはなかったもの。これが吉と出るかは、娘さん次第ではあるまいかと」

 芝居がかった物言いをしてから、大男はかかと笑った。

「なに、これも御仏の導き、助けられるうちは、たとえ他人の夢幻という身であっても助けよう。何、大船に乗ったつもりで、」

 急激に増えた靄が、吹雪のように辺りを白く埋めつくす。

「おじさん! キセ!」

「カレン、離れるな!」

 冷羽がカレンを引き寄せる。

 助けると告げた端から、二人組は消えてしまった。

 せめて冷羽を見失いたくなくて、カレンは冷羽にしがみついた。

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