第二章 推論

 駅に降り立つと、潮風が頬を撫でた。電車を乗り継いで辿り着いた先は、休日のせいかひどく混み合っている。路線沿いにも紫陽花が多く植えられ、観光気分で楽しかったが、中津川日向はだんだんと疲れていった。

 人が、多い。

「ねぇ裄夜、まだ? まだ浩太さんと連絡つかないの?」

「つかない」

 駅の構内で何度もリダイヤルしながら、水瀬裄夜は日向に応えた。

「さっき一瞬だけつながったんだけど。何とか病院に行ってって」

「何とか?」

 一番大事な情報が抜けている。

「浩太さんどこにいるのかな」

 裄夜が携帯端末をしまって、とりあえず駅の構外に出る。

 駅員に、この辺りで一番大きな病院の場所を聞いて、そこに移動してみることにした。

 バスや徒歩で街なかを回る。あちらこちらに、青や紫、ピンクの鮮やかな花色が転がっていて、ガクアジサイの品種も様々にあることを知った。

「ねぇ裄夜。お腹すいたんだけど」

「中津川さん、さっきパン食べてたよね?」

「そうなんだけど」

 散策ついでに、行列のある店を覗いたり、おいしそうな匂いのする店でパンを買い求めたり、公園のベンチでパンを食べたり、さっきから日向はそこそこ観光を楽しんでいる。楽しんではいるが、疲れた。

「何か分からないけど、すごくお腹がすくんだよね」

「結構歩いたり、移動が多いからかな? でも中津川さん、普段はそこそこ食べるけど、今日ほどたくさんは食べてないよね」

「うん何か、胃がずっと空っぽな感じ。全部体脂肪に生まれ変わっていってるのかな?」

 怖い想像をして、日向は身震いする。

「太る気がするって?」

「そう」

「急に? それよりは、もしかして、シズクが別行動してるとか?」

「見かけてないし、お腹がすく以外には変な感じはしないけど」

 そういえばキセも見かけない。

「電車に乗る前に、目的地について心当たりとかがないかってしつこく聞いたから、すねてるのかな」

 裄夜の言葉に、日向も首を傾げる。

「だって、大仏とか紫陽花とかお寺とか、波乗りとか武士とか、何かカレンちゃんに関係するものってある? って聞いただけなのに。すねるとこってある?」

「ないけど、キセにとっては何かあるのかもしれないし」

 さっき電車の窓越しに見た海は、明るくて、沖合まで見通せて、あちらこちらにサーフィンを楽しむ様子があった。

 街のあちらこちらにカフェなどもあって、日向はゆっくり観光できたらよかったのになと、少し思う。

「まぁ、危険なことはないんだと思うけど」

 止めないのは、問題がないから、だろう。たぶん。

 さすがに真昼の住宅街は静かだ。子ども連れは出かけているようで、公園だけが賑やかだった。

 坂をのぼって、病院に着く頃、浩太から一報があった。

「そこであってるから頑張って!」

 という無責任な励ましとともに、千明カレンの現状が、短く示される。

 気を重くした裄夜の背を押して、日向は病院の敷地に入った。

 ざわついた空気の中、子どもはうんと伸びをした。どれくらい眠っていただろうか。体のあちこちがこわばっている。

 鼻の奥に、かすかな血のにおいが残っていた。

 瞬きして、白い壁や、白いベッドを眺めやる。

 まどろむ気持ちは、浮上してきた意識がかき消した。

「どうして……」

 急に、殴られたような衝撃を受けた。飛び起きる。使っていなかった足の筋肉は、子どもの体を支えきれない。子どもはよろめいて、床に倒れ込んだ。

 つけられていた計器が、けたたましい音を立てる。

「カレンがいない」

 青ざめて、子どもは、震える足をひっぱたく。

「動け、早く追いつかないと、」

 アレが追いつくより先に、自分が。今度こそは。

 意識を失う以前より、ほんの少し大人びた顔が、病院の窓ガラスに映り込む。

「まるで人間みたいだな」

 その呟きは、子ども自身の胸に、ひどく強く突き刺さった。

 首を振って、看護師たちが辿り着く前に病室を抜け出す。

 気づかれないことは、簡単だった。

 人の振りをしているよりはずっと。

「ねぇ冷羽、どこへ行くの?」

 聞いても、返事はほとんど返らなかった。

 繋いだ手が、自分と少し違う体温で、カレンは不思議な気持ちになる。ずっと、自分の中に溶けていた気配が、思っていたよりずっと清冽な、凜とした少年の姿で目の前にある。

 事故に遭う前の自分と同じ、赤色のリボンみたいなもので髪を結んで、顔かたち、背格好も近いのに、全然違う。

 袴姿で堂々と歩くから、剣道部か弓道部員が出歩いているような、それでいて、学生ならもっと浮ついていてもおかしくない、子どもらしくなさがあった。

(何だか、剣道の公式戦に出る人みたい)

 剣道部の先生が、文化祭のときに居合いを披露していたけれど、それと近い。

 静かな集中。

 刀を帯びていないだけで、いつでも抜けるように身構えている気がした。

「冷羽、」

 何か、話していなければ、まぶたがおりてしまう。急に走り出したのに体が従順についてくると思ったが、足は動いても眠気はある。

「どこに……」

「ゆかりのある場所へ。千明カレンのゆかりを辿らないと、魂が引きずられるかもしれない」

「何に引きずられるの?」

 冷羽が、わずかに肩を揺らす。

「すまない……」

「謝らなくていいよ、何が起きてるのかも分かんないんだし」

 ゆらゆらと、足下に白い靄があふれてくる。寄せては返す波のように、ふわり、ふわりと。足首に触れてきて、湿り気を残していく。

 冷羽が一瞬強くカレンの手を握り直した。その姿がぶれて見えて、

「冷羽、あれ何……?」

 姿の向こうに、知らない町並みがあるような気がして、カレンは一瞬、意識を失った。

 斜面からは海が見通せた。

 父は推参に間に合うよう、刀を取って出かけた後に、ほんのわずかだが禄を手に入れた。おもな武士たちからは離れた場所で暮らしたが、山を開墾し田畑を耕しながら、その小さな村でときおり武器の扱い方を教えていた。

「冷刃!」

 呼ばれて、縁側から腰をあげる。

 海は遠いのに、かすかに潮の香りがした。

「今日の稽古は休みか?」

 問われて、冷刃は目を細めた。

「いや、父が出かけているから」

 だから日が中天を超えるまでは、自分で稽古の支度をしているように言われている。

「そうか。では我々も、この間の論語の続きでも読むかな」

 快活に笑って、友人は、母屋の隣、離れに向かう。

 父は、近くの子どもたちに武器について教えていたが、それは、刀の扱いと、いざとなれば何でも武器になるとして棒術、それから、知恵が必要だとして、虫食いだらけの、ぼろぼろの論語を引っ張り出して読ませることを含んでいた。

 冷刃の母や姉も出かけている。他の門下生も来ず、冷刃は友人一人を置いておけずに自身も離れに向かった。

「平太、論語じゃなかったのか?」

 遅れて離れの戸をくぐると、友人は棒を振っていた。このやりとりになることを、冷刃も平太も知っていただろう。いつも、平太は、太陽みたいな笑みで言うのだ。

「よし、何本勝負にするか?」

 手合わせするのに、村では他の子どもたちはずいぶんと腕が下で、冷刃も平太もかなり手加減しなければならない。でも、この二人で行えば、大人も目を見張るようなやりとりができる。

 まだ、親の背丈も超えない子どもではあるが、二人とも、この先に刀や知恵で身を立てる可能性を夢見ていた。

 冷刃もまた、刀に見立てた棒を構える。いくらか日で焼けた茶色の髪を、親からもらった赤い布で結んでいて、それが背に流れて止まった。

 棒を打ち合う。


 何度だって繰り返そう。

 それをお前が望むなら。

 どこへ行っても同じことだ。

 キセは海からの風に目を細めながら、斜面を見下ろす。

 古い町並みはほとんど残らない市街地は、それでもときおり、目立たない何かが通り過ぎる。

 人であるか、そうでないかは別にして。

「どうした小僧、久しいのう」

 きちんとした制服姿で、まだ低学年ほどの齢の娘が話しかけてくる。

 近くにとまった車から、先におりた彼女を追って、ただならぬ折り目正しさの者たちが小走りに駆けてきた。

「よいよい、下がれ。これは余興ぞ」

 人通りの少ない坂道に立って、横柄に娘が手を振るが、護衛はいくらか離れた位置にとどまった。

「やれ、やたらとやかましい。せっかくの邂逅だというに」

「護衛が多いのは、まだ仕事が引きも切らないからだろう」

「まぁな。どの時代でも、私の占いが必要な連中がいる。迷子を導くのが本分なのでな、くだらぬ悩みでもつい耳を傾けてしまうものぞ」

 くすくすと、娘は笑う。老いた仕草だが声色はまだ幼く、ふとした眼差しの遠さは、彼女の占いをより神秘的に見せる道具立てのようでもある。結びもせず流した黒髪はつややかで、指先まで手入れされていた。今代も、人々に大事にされているらしい。

「どれ、久々の顔だ。一つ占ってやろう」

「不要だ」

「かわいくないのう。私が占ってやると言っているのに。奥里で囲われておった頃も今も、大枚をはたいてすら容易には手に入らぬ、本物の神託ぞ」

 茶化す物言いは、どこまでも軽い。赤子でも見るような穏やかな眼差しは、けれど途中で一転した。

「……しかし、あれも面倒なことをする。因果をねじ曲げて結び直すとは。おかげで、ほころぶときは一斉に、だ。古い因果も引きずり出されて、さながら幼児のあやとり糸だな」

「何が一番問題になりそうか?」

「ん? やれやれ、要らぬと言って、結果はほしがる。汝(うぬ)ら子どもはいつもそうだな。毎度となれば一喝しようが、これは最初で最後の縁となるだろう。だから、そうだな、聞きたいと思うことが、一点にまとまったときだけ、私に神託を望むとよい。連絡先は知っているな? ヒトを経由しないなら、私はいつでも開かれている」

 ここでは、応えないつもりのようだ。確かに、聞きたいことは漠然としていた。裄夜のために何か問うべきか、あるいは、一族の因果を崩すために聞くべきなのか、判然としない。

 決断したいときに後押しするのが占い師であるのならば、まだ決断をするには躊躇いのある時分、保留にすることも許されるだろうか。

 小雨が、霧のように満ちてくる。娘は軽く首を振った。霧はおそれて娘を避け、風下に流れ去った。

「漠然とした問いには茫漠しか返せぬよ。ただ、覚悟だけはしておくとよいだろう。お前の縁と、お前が関わる縁の総ざらえが、進むか進まないかの境目だ」

 心してかかれよ、と、言い置いて、娘は車に戻っていった。

 少年は駆け回っていた。姿は人々に見えないように気をつけ、寝起きの頭を整理しながら、目的の相手を捜す。

(自分はまだ、小学生の外見なのかな? カレンは変わってないかな)

 自分の、人としてはまだ細い手足は、大昔から変わっていないはずだ。なのに、なかなか意思とはきちんと繋がらない。たびたび、足がもつれた。

「しっかり、しろ」

 辻のそこここで休んでは、足をひっぱたいて立ち上がる。

 町はずいぶん変わっていた。意識を失う前とも、それ以前とも。

 懐かしさのある、見覚えのある辻も残ってはいて、それがどうにか少年を走らせてくれた。場所が分かれば、千明カレンを探せるだろう。あるいは冷刃を。

 彼らを見かけていた場所を、まだ覚えている。

 初めて彼に目をつけたのは、いつだったか。

 早く連れて行かなきゃダメでしょお?

 耳の奥に、少し甘えた声が聞こえた気がした。

 連れて行くのは少し待ってほしい、と言い返す自分の声も。

(懐かしいな、あいつどうしてるかな……え?)

 紫陽花の咲く路地を抜けて、小雨のにおいの中、違和感を見つけた。

「あれっ?」

 たびたび感じていた懐かしさは、見かける風景とは無関係な気がする。

 見たことのない路地でも、懐かしさは、まるで香木の風下のように流れてくる。

「まさか……」

 何かが、ついてくる?

 意識を失う前、こんな懐かしさを感じる相手と、話をした。話すというよりは、押し問答だったが。

 耳の奥、よみがえる声。

 もう、めんどくさくなっちゃったなあ、銀色、帰ってこないんだもの。いらないや。

「見ぃつけた」

 鳥肌が立ったのは、記憶のせいか、実際に鼓膜を打った声のせいか。

 少年は、全速力で坂を抜けた。体は風のように町を駆ける。

 忘れていた、忘れてはいけなかった。

(あいつ、まだ、いたのか)

 ずっと別行動をしていた。ときおり、成果をあげたときに、再会して話すくらいで。

 いつからか、異様に絡むようになってきた相手。

 ほとんど同じ背丈、顔かたちの。色だけが違う相手。

 今は、髪の長さと、着ている服が違う。

 前方から回り込んできた少年が、ぼろぼろの、かろうじて布を羽織るような着物姿で、汚れたかんばせでほほえんだ。

 同じ顔のはずなのに、ずいぶんと、うつくしく思える笑み。

「やっと会えた! 銀色」

「金色……」

 呼び返した、自分の声がしわがれて、自分でもよく聞こえない。

「ね、帰ろうよ」

「まだ、やることがあるんだ」

「前もそうだったよね? だから早く片付けようって、言ったのに」

 ざぁ、と白い靄が流れる。姿が隠れた隙に、また逃げ出した。

 逃げ切れるかは分からないけれど。


 嫌な予感がした。とっさに、瑠璃子は庭へ駆け込む。セキュリティはかけられていないのか、解除されているのか分からないが、警報のようなものも鳴らなかった。

「おや、何か面妖な」

 ぽつり、と、玄関先に、男の声が落ちる。聞いたことのある声だ、瑠璃子に、いつか指示を出したはずの、男の声。

 血の気が引いて、一瞬を置いて沸騰する気がした。

 こわい、逆らいたい、許さない、こんな、こんな冒涜を許してはならない、あいつはあり得(う)べき摂理を乱した、私は、私はあのときたしかに、

「死んでいたはずの気配が」

 心をなぞるように、男の呟きが流れる。

 茂みに隠れて、情けないことに、と瑠璃子は自身の心に鞭打った。情けないことに、膝が震える。

 どうやって、瑠璃子を、死んだはずの瑠璃子をここにとどめたのか、問いかけるには最適なはずの男だ、今すぐ捕まえて罵ってしまえばいい。

 でも、それができない。

 死にたくないから。

(死んでるのに)

 男は、例えば思いつきで、己の腕試しというだけで、瑠璃子を生き返らせたのかもしれない。

 だから、その目的が済んでいるならば、瑠璃子には用がない。

(何で、ここにいるのか、自分の気持ち以外に理由がない、)

 自律的に動けているが、動力は不明だし、もし、それを男に絶たれたら。

(約束を、したから)

 帰らなくてはならないのだ、まゆらと約束した。

 一人で行ってはだめだと言われたけれども、まゆらが退院できないうちに、必ず帰るからと約束させられて出かけてきた。

(まだ死ねない)

 しかし、この庭の持ち主に、あの男は一体何の用があるのか?

(殺されでもしたら、絵の話をするヤツがいなくなるしな)

 男に会うのが怖かったくせ、画家が殺されるのも困るので、それならば画家を助けに、男の前に出るか、と、思うと、瑠璃子の膝の震えが止まった。

「ばかみてえ」


 男は玄関先で画家と問答していたようだが、やがて苦笑して立ち去った。

「で、行くの?」

「行く」

 声に返答して、気がついた。今の声、何だ?

「えっ?」

 横を見ると、確かにいる。見間違いではない。

 少し面やつれした顔が、隣にしゃがんで、ほくそ笑んでいる。小声で、彼女が言った。

「やっぱり、ついてきちゃった!」

 何でだ。大野まゆら。

 果てしなく意味が分からなくて罵っていたら、庭の持ち主が近づいてきて、とりあえずお茶でも出そう、と話しかけてきた。

 まゆらのせいで、瑠璃子にも、画家にも、庭のどこにも、危機感のかけらも残っていなかった。

 庭の隅にたたずむ誰かにも、あるいは。

 病院は小高い場所に建っていた。敷地は広いが、正門と、入院患者の見舞い用の出入り口が、駐車場から見てとれた。

 裄夜と日向は、正面玄関側の受付で友人の名を告げたけれども、家族の許可なしではと通してもらえなかった。千明カレンがいるかどうかさえ、教えてもらえない。

 仕方ないので、一旦出て、見舞い客用の出入り口に向かう。しれっと通り抜けようとして、ドアをくぐる直前、日向が固まった。

「え、中津川さんどうしたの」

「いる、えっいるの? そんなことある?」

「何が」

 警戒した裄夜にも、程なくして事情が分かった。意味は分からないが。

「え、カンガルー……」

 それは、等身大のカンガルーだった。白衣の。白衣からはみ出した部分には、茶色の毛がびっしりと生えている。

「君たち、何かお困りのようだ」

 カンガルーは、ダンディな声でそう言った。胸元には名札が光る。宮田。

「私で良ければ、話を聞こうか?」

「かっ」

 明らかにカンガルーと叫びかけた日向の口に、裄夜は手を当てて止める。

「中津川さん落ち着いて、ほんと落ち着いて」

「だってカンガルー」

 小声でひそひそと話していると、宮田(カンガルー)がわずかに苦笑いした。

「私がカンガルーに見えますか」

「はい!」

「中津川さん」

「歩きながら話しましょうか。こちらへ」

 宮田は、手動のガラス扉を開けた。太いしっぽで、日向たちが通り抜けるまで扉を支えてくれる。

「あなた方は、千明カレンさんに会いに来られたのでしょう?」

「なぜそう思うんですか?」

「縁が、見えるもので。……先に自己紹介をした方が良いですか」

 歩き出した宮田の後ろを、日向と裄夜はついていく。

 二人とも、宮田のしっぽが気になるが、周りの看護師も技師も、宮田に特に興味は示さない。人間として、見える、ということだろうか。

 宮田が、二人がついてきているか何度か確認しながら、歩幅を調整してくれた。

「年寄りの昔語りです……私は大昔に大陸から船で渡ってまいりましたが、その頃から、人と人を繋ぐ気配を、匂いの帯として捉えていたものです。当時はただの、芸をするカンガルーでしたが、戦後の混乱期に街をさまよい、こちらの病院にたどり着きました。年の功で人に化けて、初めは手術の手伝いなどをしていましたが、病や怪我の匂いを退けるこの仕事に生きがいを得て、気づけばあれこれと資格も取って、人として暮らしている次第です。さて、あなた方は、千明カレンさんと縁があるように思えました。悪い縁ではない。彼女は、同じ日に入院した、近所の小学生と共に、ずっと目覚めないでいるのです。あるいはあなた方が来たことが刺激になればと……なにぶん、外傷としてはそれほど深くなく、完治していてもおかしくはない。なぜ二人とも目覚めないのか……」

 宮田が、ため息をつく。いくつもの病室前を素通りして、日向はだんだんと帰り道が分からなくなってきた。

「病室には、以前はご学友が来られていましたが、今ではごくたまにしか。ご家族以外には、年格好、顔かたちが千明カレンさんに似た少年が、様子を見に現れる。悪いものではないでしょうが、思いつめた様子でして。私が話しかけようとすると、すぐに去ってしまう。気にかかることばかりです」

 宮田が、ようやく足を止めた。

「こちらです。何か騒がしいですね、ちょっと詰め所を覗いてきます。先に入っていてください」

「えっ、でも勝手に……」

 看護詰め所に向かう宮田の背は、やっぱりカンガルーのものだった。

 意を決して、裄夜と日向は、扉をノックして病室に踏み入れる。


「どういうこと……?」

 意識がないはずの患者のベッドは、空っぽだった。

 廊下から、金切り声が近づいてくる。

「どうしてです? どうして、意識もないのに、なかったのに、急にあの子がいなくなったと?」

 声は病室に飛び込んで、止まった。

「どちら様……?」

 カレンとどことなく似た、成人女性が、怪訝そうに、そして戸惑いよりも不審感を強く出してこちらを睨んだ。

 自分たちは最悪のタイミングで訪問したのだと、裄夜と日向は、嫌でも分かったのだった。

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