第七章 死者への手向け手

第七章 死者への手向け手

   *

「すみません、お時間をいただけますか」

 そう言って訪ねてきたのは、孝(こう)と同じ高校の制服を着た少年だった。

 里見裕隆(さとみひろたか)は最初、この見知らぬ少年が知り合いだったかと記憶を探り、結局分からず、名前を聞いた。名乗られた名に覚えはなく、塾生でもないと分かり、裕隆はますます不審を深めた。

「里見くんの……孝君の知り合いなんです、彼のことで、」

 少年は伏し目がちにそう言って、裕隆に背を向けた。まるでついてこいとでもいっているような動作だった。

「話が」

 切れた言葉が時差を伴って耳に届く。

 裕隆は急に喉の渇きを感じた。

 いろいろなピースが、やっとはまったときのような昂揚、ただしそれはひどく不快な印象を与えた。

 今の彼には、記憶の底辺に引っかかるものが何であるのか、未だ整然とした説明を求めることができなかった。

   *

 建物内の人気のない廊下で、話はおもむろに口火を切られた。

「これは貴方が書いたものですね?」

 ひら、と少年がポケットから取り出したのは、和紙を赤く染めた上に墨痕生々しい、一枚の、何かの守り札のようなもの。

 裕隆はそれを見ただけで、背筋がこわばるのを感じた。視線を移すと、すぐ近くに立っている白衣の青年がつぶさにこの状況を見ているのが分かった。少年もまた、静寂を是とするようなおとなしげな風貌でありながら、その実、何時間かかろうが話を聞くまで待つというような人物に見えた。

 言い逃れができそうにない雰囲気を感じ取り、裕隆はこわごわと口を開いた。

「それは、前に、本で見たお守りのお札で」

「ご自分で書かれたんですね?」

 ぎこちなく頷く。

「それで人を殺したわけだ」

 裕隆は断定されて目を丸くした。なぜ急にそんな話になるのだろう。確かに裕隆はこの札を相手が苦しむことを望んで書いたものだ。そうであるというのに、こんな非科学的なことで追求されるのはどうしてだろう。

 少年は勝ち誇りもせず、凍てついた眼差しで裕隆を射た。白衣の男はこちらを見るのも厭わしげに、ポケットに手を入れて立ち、おもむろに口をきいた。

「なんのつもりか知りませんが、コレは確かに、持ち主を蝕んだんです、人殺しの一端を担ったわけですよ」

「何を仰っているのか、……理解しかねますが」

 おかしな二人組がおかしなことを言い始めた。彼らの「真剣」で「普通」の眼差しを受けて、裕隆の感じていたソラ寒さに拍車がかかった。他人の話を聞かないで自分の意見だけを押し通そうとする、不快感を伴う無気味な空気だ。

 警戒感で身が張りつめる。

 ――おかしなやつらが他人の意見をきくということはありえない。

 信じていること以外は耳に入れず、ひたすらに信じる、その、情に支配された行為。

 どう切り抜けようかと思案した裕隆は、しかし水瀬みなせと名乗る少年に先んじられる。

「……僕ももともと、そういうのは信じてないほうなんですけど。でも、実際目の当たりにしたことがある以上、完全否定もできなくて。もし里見さんが信じていないのなら不審がられるのも無理ないんですけど、その札、呪いみたいな、少なくとも持ってる相手を好いているわけではない場合に使われるものなんです。あなたはそれを知っていて、恨みを持って茅ヶ崎アユムに札を渡しましたね」

 それは間違いではない、恨みがあり、腹いせのようにその札を用いた。

「守りたかったんだ、」

「誰を」

「……塾生とか、とにかく、あの子に迷惑してた子は多くて」

 裕隆は必死になって言いつくろう。

 茅ヶ崎(ちがさき)のことを好きなわけではなかったが、まさかあんな紙切れ一枚が人を殺せるなどとは思いもしない。

「それに! そんなものが現実に効果をおよぼすわけが、ないじゃないですか」

 本気で札を使ったと、思われるわけにはいかない。そんな非科学的なことを信じているなどと思われたくはない。

「……使ったのに?」

 矛盾したような里見裕隆の言い分。

 それでも、少年は、まぁありえますけど、と呟いた。

「信じてないけどお守りは持つ、信じてるってほどじゃないけど、お参りはする――端から見れば信じているとしか思えないような行動はよくあることですよね」

「それにしたってやばいっしょ、ねぇ里見さん。精神的にダメージを喰らいます、こいつはいわば、気分が絶不調になるような札」

 少年を遮って、白衣の男が淡々と告げる。

「そんなこと、あるもんかっ」

「なら何で貴方は茅ヶ崎にこの札を?」

 白衣の男はなで肩を少しそびやかした。

 狐の面のように細められた目が、さげすみさえ越えて超然と見据えてくる。

 孝と同じ旭校の生徒は、黙って成り行きを見守った。なぜかひどく大人びた顔つきをして。

 裕隆は奇妙な圧力の中、ただ言葉を探しあぐね、沈黙をかえすにとどまった。

「なぜです? 自分のやったことも答えられないんですか」

 ため息混じりに男が問う。

 むっとして、裕隆は顔を上げた。

「そんなこと、わからない……!」

 ただ腹いせで、少しでもなにか奇跡が起こるのならと、茅ヶ崎アユムの鞄に入れた。

 本当に起こるなんて思いもしない、しかし、ひょっとしたらとつなぐ思いがなかったと言えば嘘になる。

「塾の講師である貴方になら、どうにかして塾生である茅ヶ崎に札を渡せたハズです。貴方は弟の里見孝が彼らによっていじめられていたのを知っていた、だから殺そうと」

「殺してない!」

 悲鳴のような声だった。相手方を異常だと思いながら、逃げられないでいて、だから必死で否定を続ける。このままではこの雰囲気に飲まれてしまう、犯人扱いされて何をされるかわからない、弁明をしたい、しかし、

 ――そうすることになんの意味がある?

「殺してない、だってあんなものがあんなことになるなんて」

 なぜ自分がこれほど激しているのか分からない。裕隆は自分がだまされているような心地がしていた。

 最初に札を見せられたとき、なぜしらばっくれずにその札を書いたことを告白したのか――本当は、答えは簡単なことなのだ、自分自身のうちに、誰かを恨み、因果関係は別としてもその誰かが死んだという罪悪感がのさばっていたのだから。

「思わないんだ! 普通は! ただ腹いせで……ッ、本当に死ぬだなんて思わないし私が殺したわけじゃないんだ!」

 ばかばかしいと思いながら、もし関係していたとしたら、と恐れる気持ちは胸のどこかにこびりついている。

 裕隆の叫びに、ごくたまに通りがかる人々は顔色一つ変えず立ち止まりもしない。動揺している裕隆は、その事実に気がついていなかった。

「……そうだよ裄夜くん、あの札は要因の一つであってすべてじゃない」

 周囲と三者を切り離し会話だけを外部に認識されないよう仕向けておいた張本人が、不意に話の矛先を変えた。

 黙っていた少年はなぜ自分に話がふられたのか理解しかねて、眉をひそめて男に問う。

「菅さん、どうしたんです急に」

「下の名前で良いってば。茅野ちゃんみたいに伸ばしてバカっぽく発音したりしなきゃいいよ」

 男は小さく肩をすくめ、そして、もしや三浦珠洲(みうらすず)という少女をご存じありませんかと口に出した。

 三浦珠洲。

「またはカガミルリコ」

 明らかに、裕隆は顔色を変える。いいあぐねて、そして細い白い首を思いだした。

「……彼女は、うちの塾に来ていました。線の細い子で、こう、なんていうか、カンの強い子で、いつも何かに喧嘩を売っているような子でした」

 うなだれた裕隆に、白衣の男はなおも続ける。

「それで何か関係でももたれましたか? ああ、失礼、質問が前後しました、どちらの女生徒についてお話になって……」

「私は、生徒をそういう目でみたことはありません、妙なことを言い出さないでください、」

「申し遅れました、スガです、菅浩太。名刺はあいにく切らしております、それで、」

「菅さん、各務瑠璃子は孝と……弟と同じ高校に通う塾生で、直接には担当したことがありませんが、かなり有名でした」

「カガミルリコって……誰ですか」

 裄夜は誰に言うともなく問うてみたが、どちらも沈黙してしまった。

「……各務さんについて、ご存じなことを教えていただけますか」

 裄夜に向かって軽く手を振り、待つようにと合図してから浩太が言う。

「貴方たちは……いったい何なんですか」

 これ以上はないというほどの不信感を露わにして、裕隆は彼らをにらみつける。が、感情を示さない事務的な目で見据えられ、居心地悪そうに口を開いた。

「各務瑠璃子……は、以前飛び降り自殺で命を落としました。精神的に不安定で、それというのも小学生の時に家族をほとんど一度になくしていましてね……」

 言いよどみ、裕隆は視線を床に落とした。

「母親は、自宅で首をつっていたそうです。第一発見者は学校から帰ってきたばかりの彼女自身だったそうで……それが原因で、親戚や近所との関係も悪くなり、学校でも何かと言われ、何度か引っ越して、最近この市内に来て一人暮らしをしていたようです」

「やけに、詳しいですね」

 菅浩太がわざとのように柔らかく言うので、裕隆はしばらく沈黙を挟んだ。

「彼女を受け持っていた塾講師に相談を受けたりしたことがあって……多少、詳しいんです。それにかなり有名な生徒でしたし、……茅ヶ崎は誰彼かまわず悪く言うのが得意な子でして、彼女が自殺する前にどこから聞いてきたのか散々過去のことを吹聴して回っていましたし」

 そこで、裕隆は肩をふるわせた。

「……先に言っておきますが、私が茅ヶ崎を好いていなかったことは確かでも、殺すつもりはありません」

「今回貴方が使った札は、一体何を参考視したものですか?」

 応じず、浩太が違う質問を続けた。拍子抜けしたように顔を上げ、裕隆はぼんやりと各務瑠璃子の名をあげた。

「彼女が塾に忘れていった本を参考にして……書きました」

「呪い関係の本でしたか?」

「ええ、……最初は、子供らしいおまじないの本かと思ったんですが……大半はこう、見るのも嫌なくらいグロテスクなものばかりで……それも、心配していたんですが」

 もう、亡くなりましたし、今更どうしようもないですよね、と自嘲し、裕隆は息をついた。

「それで、色んな子が迷惑を受けていたからって理由で茅ヶ崎を殺した」

「してません」

「でも、死んでせいせいしたんじゃないですか」

 底光りのする金色の瞳。たぶんそれは光の加減なのだろう、そうでなければ日本人にはありえない。

 ぞくりとして、裕隆はその口をつぐんだ。

 黙ったがゆえに、却って思いが胸の底に浮かんでは消えていった。

 裕隆は相手を殺したかった訳ではないのだ。

 本当に恨みを抱いていたとしたら、殺してしまっては元も子もない。

 生かさず殺さず、苦しみぬいて、もだえる様を見ることこそが気を晴らす。あっさり死なれては、人は恨みのやりどころがない。

 それを知ってかしらずか、菅浩太がため息をついた。それから所在なげに廊下の消失点へと目を向けて、我に返る。

「裄夜くんっ!」

 警告が間に合わない。

 浩太はとっさに体当たりをして刃先をそらした。

「だ、だって、里見先生にひどいことするからよ!」

 足下に落としたナイフの血の赤さにとまどいを隠しきれないで少女がわめく。セーラー服に点々と血の染みがついていたが、それに構う様子はなかった。

「これは貴方の、何ですか?」

 命に別状がないと見て、裄夜が落ち着きを取り戻して問うた。対する裕隆は青ざめたまま首をのろのろと左右に振った。

「塾の、塾で教えている生徒で」

 右上腕を服ごとすっぱりと切られ、流れた血に目を丸くした浩太がやはり感情を込めない声で言う。

「片思いはよくあるけどね、愛する男のたーめなーらばーとかいっちゃって勝手なことされると、されたほうもオトコもすんごい迷惑するから。やめたほうがいいよ」

 少女は泣いていたが、顔を真っ赤にして浩太をにらみつけていた。

「あおってどうするんですか」

 致命傷にはならない程度の出血なので、大判のハンカチで腕を縛って止血していた男にささやき、裄夜は口をへの字に曲げる。

「貴方に死なれると困るんです」

「死亡診断とるのも面倒だしねー君に所為になっちゃ困るし」

「そうじゃない……菅さんに、菅さんにいろいろ教わりたいし」

「俺でいいわけ? 高いよー俺は」

 冗句を口にしながらも、銀月の民は目を逸らさない。裕隆と、少女から。

「それに、俺のことは、浩太さんとでも呼びなさい、菅さんじゃ距離が遠すぎるから」

 少女にはもう一度飛びかかってくる様子はない。裕隆が、受験生で神経が過敏になっているだけだろうと、これまた慌てたままで神経を上滑りしたことを口にする。

 これだけ、穴だらけのロジックが成立している理由。

 様々な場面で、精神上の変化を装って仕掛けられた罠。

 あるいは約束。

「そうか」

 はらり、と浩太の手から紙切れが落ちる。赤く染められた紙片には、きっぱりとした筆致で筆跡が残されていた。

「里見裕隆だけじゃない」

 男の呆然とした言葉に、裄夜は眉をひそめる。

「菅さん、なにが」

「裕隆だけじゃないとすれば、いったいだれのしわざなんだ」

 裄夜は気づかない、浩太のその腕が震えているということに。

「……なぜ、分からなかったんだ? 俺が気づかない、ということは――」

 言ってきびすを返し、検屍官は建物を出る。

「菅さん! どうしたんですか!」

 呼び止めようとするが間に合わない。同時に、少女の指がナイフを拾った。

「うわあああぁああ!」

 振りかぶって少女が駆けた。

 とっさに裄夜は手を伸ばしたが、やみくもに暴れる少女に振り払われた。裕隆は硬直したまま立ちつくしている。

 彼女を阻むものはない。

「札を操るタイプの術者? この紋様はあまりにもおかしすぎるだろ」

 呟きながら往来に出た浩太は、考えに夢中で背後確認を怠っていた。だから、小娘一人が振り下ろしたナイフの切っ先が背から腑へと突き抜けるのを感じながらも、呆然とせずには居られなかった。

「なん、で」

 間抜けだという自覚はあったが、呟かずにはいられない。体重をかけて押しつけられた刃は、つい先程までは使用されたことはなかったのだが、鋭利な切っ先を誇示するように鈍く震えた。

「く……ッ」

 痛みをこらえ、浩太は半身をひねって少女の頭に肘を当てた。思わぬ反撃に弾かれた少女は、もんどりうって地面に転がる。

 あがった悲鳴に、

「こっちのほうが泣きたいよ……」

 とぼやいた浩太は、そのまま意識を失って倒れ込んだ。

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