第五章 イヌガミのあるじ

第五章 イヌガミのあるじ

   *

 電話に泣きついた日向は、電話の向こうの男に諭され、とりあえず里見孝の警護にあたりつづけることにした。孝は蒼白になったまま、小刻みに震えている。

「お茶、いれ直しますね」

 外には出たくない。まだ風向きが逆なのか匂いはしないが、廊下には血臭が漂っていることだろう。

 動いていないと不安になる。日向は孝がこちらを見てもいないことに気が付きながら、更に重ねる。

「紅茶とほうじ茶もあるけど、里見くんどっちがいい? あ、ごめんなさい、先輩に馴れ馴れしくしちゃって」

 もし孝が返事をしていたとしても、ひどくうつろな会話だった。

 獣のように吠えた少女、

 孝はもういやだと叫び、彼の望みは叶ってしまった。

 孝の願いは叶ってしまった、それが彼の意に反していようと、額面通りに受け取れば、言葉はちゃんと実行された。拒否する言葉に応じただけで、実行者には悪意がない。

 だから、僕はいやなんだ。

 孝は新たに湯を沸かす音を聞きながらうつむく。

 感情がたかぶると、彼の言葉は凶器に変わる。

 だから、孝は「いなくなれ」としぬほど思った相手が目の前から消えて、冷水を浴びせられたような心地がした。いなくなれ、この言葉は適用範囲が広すぎる。

 言葉は意図とはズレて発動することが多い。だが、消え方はともかくとしても、消えたことにはかわりはない。

 歌を歌うとき、かなりの頻度で魔法は起こった。

 兄は最近、妙な夢を見て、嫌な予感がするから歌うなと言う。

 孝は恐れている。

 自分はひょっとしたら、生きていてはいけないのではないかと。

   *

「人生の八割方損してるよ、君。他人はそんなにひとのことなんか気にしちゃいないからね」

 なぜか牛丼をかきこみながら、菅浩太は裄夜に言った。

「思春期ってヤツだねー若いねーあーちくしょうっ」

 沈黙を保ったまま、裄夜はテーブルを見つめている。

 テーブルの右端に、食事をしている浩太たちを見つめているような気がする、一対の目があったはずの場所がある。

「菅さん、よく食べてられますね」

「うん? だってこれ科捜研のおごりだし」

「つーかそもそもあんたも科捜研でしょ」

 浩太の後ろ頭をこづき、白衣の女がファイルを投げ出す。

 別名便利屋、真っ先に現場に駆けつける(呼び出しよりもときおりはやい)菅浩太(独身)は、検屍官ばんざい、と諸手をあげた。

「首切ったのはそっちじゃないっすか」

「切ってないわよ! 誰がいつあんたにそんな辞令渡したのよ」

「辞令出したのはお上ですもんねー、まぁ姐さんではないですね」

「誰があねさんよッ」

 裄夜は警察に属する科学捜査研究所のメンバー(と旧メンバー)の内輪もめよりも、テーブルの端のものが気になって仕方なかった。

「これ、なんですか」

 ついに聞いてしまう。恐怖感も、好奇心には勝てなかった。

「そりゃあおととい六甲山中から発見された身元不明の白骨死体さんだよ」

 定年間近といった風情の男が、ピンセットでつまみ上げたビニールの小袋を気軽に投げて浩太によこす。顔は裄夜に向いたままだ。

「さっきパズルゲームしてたんだけど。いやー、なかなかきれいだろ、こんなに真っ白にはなかなかならない」

 白骨は、ちゃんと順番通りには並んでいなかったらしい。バラバラ死体が白骨化して、バラバラに放り出されたといった感が強い、というようなことを説明され、裄夜はあいまいに頷いた。

「青木さん、恩に着ます!」

 浩太は小袋を両手で挟み、うきうきと裄夜に説明する男を拝んでみせる。

「菅が勝手に君をいれたけど、ここ、本来は部外者立ち入り禁止だから」

 青木は丸い眼鏡の奥で細い目をしょぼつかせながらにっこり笑う。裄夜はひたすら平身低頭だ。浩太は最後のひとかきぶんを胃に詰め込んで、缶コーヒーを飲み干すと、勢いよく青木に言う。

「青木さんその子かわいーでしょー! 俺の親戚筋なんすよ。んで今高校三年生、思春期、若ッ! 人生いろいろ悩んでるみたいな」

「わしもなやんどる。悩んでないのはお前だけだろう」

 うん。青木の言葉に、作業中の科捜研が頷く。

「ええっ、ひどいなあ、俺だって跡目問題お家騒動ぐらいありますって」

「跡を継ぐおまえがそんなじゃ、もめもするだろ」

「あっははいえてますね先輩」

 その揶揄に、浩太ががんっとテーブルに額を打つ。

「うわ皆ひど……っ! 俺が一体誰のために家捨ててアメリカくんだりまで行って勉学に励んできたと思ってるんですかっ」

「自分のためだろ」

「フェチだから。コータくん」

「あはは先パーイ、愛されてますねぇ」

「いやっ! それかなり違うからさっ」

 会話は限りなく不毛に続く。

 そもそも。

 裄夜は多少うんざりしながら息を吐いた。

 浩太になんか相談してしまったことがいけなかったのだ。

 乗せられていたパトカーの中で、裄夜は一族の有能な術者であり一族内部に比較的詳しい菅浩太に、ついうっかりと、悩みを打ち明けてしまったのだ。

 裄夜は――キセは、術者のはずだ。しかし今はまったくと言っていいほど術や技術を使えない。

 符崎としての、ふるい記憶もほとんどない。

 そして、銀月の一族を知って以来、裄夜や日向の周辺では戸籍や記憶の操作までどこかで行なわれ、二人は帰る場所を失ってしまった。

 その他諸々。

 浩太は確かに優秀だったが、普段、かなり、そのノリが問題視されるような男だった。

「うわ思春期だね、アイデンティティクライシスだね、俺はどこだ! 俺を見うしなっちまった! ってね、うんうん」

 浩太は、バカにしているとしか思えない返答をよこした。聞いている最中はただ黙って聞いており、誠実そうに見えたのだが、口を開けばこれである。

 さておき。

 白骨化した頭蓋骨に見張られながら、ケーキをほおばって若手が言った。

「でも奇妙ッすね、先輩。おんなじクラスでこんな集中して人死にがでるもんなんすか」

「屋形(やなり)くんなんでまぎれてんの、仕事は? 今日中じゃなかったっけ?」

 青木が席に着き、弁当箱のふたを開けながら聞く。

「そういや屋形、おまえすんげえ自然だな。俺より科捜研になじんでるぞ、まだここ一年もいないくせに」

 ちょっと不服げに浩太がぼやく。

 裄夜は、いつまでたっても終りそうにない浩太の寄り道に、徐々にはらはらしてきてしまった。

 浩太はあのとき、茅野に十分(じゅっぷん)、といったのだ。

 パトカーを降りて、浩太は十分だけ、(元)職場に戻らなければならないと言った。

 茅野は、携帯でかけてもつながらない日向に――つまり裄夜の住まいで孝と待機している日向に連絡をとるため、念のために公衆電話でかけてみることにした。

 そうして三人は一時的に二手に分かれたが、裄夜は検屍官と動いた方が建物内で自由が利くので、そう主張した浩太によって引きずられるようにして連れてこられた。

 日が落ちたのだろう、曇天にあった薄明るさが、徐々に闇に浸食されていく。

「あれ、なんで六甲山のひとがここにいるの」

 遅まきながら浩太が気づいた。

「バカ、どこにでもその道のプロは配置されてるもんだがな、ましてやうちにだけ最高峰のプロフェッショナルがいるだろ、担当区域外に頼みたいほどの部分があるってことだよ」

 誰かが言う。

 現在、鑑識と違い、科学捜査研究所は全国設置ではない。

 浩太はなるほど、とうなずいて、

「音声検査室ですか?」

「違うよ」

 屋形によって否定された。

「音声検査室(うち)じゃない」

 青木があとを継いで言う。

「捜査権限のない技官の科捜研で、個人的に動けるほど有名なのがいたよな? 今じゃ検屍官だがたまーに寄ってくるしうちとしちゃあ顔見知りっていうコネがあって便利なのがいるよな?」

「俺ですか」

 臆面もなくそう言って、浩太はビニールの小袋をテーブルに置いた。

「確かに俺は個人的に請け負いしてますけど……道理で科研に寄れッて俺がご指名だったわけだ」

 そーゆーことは事務通していただかないとぉ、と呟いて、彼は白い骨となった頭蓋を持ち上げる。いつの間にか白い手袋をはめた浩太が、片方の手で見物人を追い払った。

「邪魔です、見世物じゃありません」

「科学のメスをいれたいところなんだが」

「計器つけられるなんてごめんです、それに実験材料も研究機関も他にちゃんとあるじゃないですか。さ、さっさと散ってください」

 裄夜以外のものを追い払い、浩太はいつになく真剣に頭蓋を見る。

 見つめられて恥じらうように、白骨の額の辺りに、赤い一筆書きの文字が浮かんだ。

「裄夜くん、これがオウカショウ、競馬の賞とおんなじ名前だね、俺競馬行ったことないんだけど、あー競輪は行ったなー同級生が大学さぼってさ。それはともかくとして、俺があんまり良くは思われていないから出て来ちゃったや。見てる?」

「はい」

 裄夜は五百円玉ほどの大きさをした模様に、はっきりと頷いた。耳鳴りもしないし、もうずいぶんと頭痛が収まっている。気分はいいので、集中はできる。

「あと、オレンジ色の模様が下にありますね」

「そう。目がいいね、先に別の術がかけられたんだ、そのあとで、元の術を、もしくは元の術をかけた術者を、上回る力でかけ直されている。別の術が、ね」

 涼しい声で言い、浩太はゆっくり、手を裄夜へと近づけた。

「君は術が使えないのがつらいんだろう? 俺で良ければ、ここで見ていきな」

 渡されるのかと危ぶんだが、浩太はそうはしなかった。

「これは……イヌガミだね」

 ため息に混ぜたような話し方で、浩太は誰に言うともなく先を続ける。

「犬神に似たものを作り上げてしまったわけだ、この子はどこかを彷徨さまよっていた、怖かったはずだ、森の中で獣の声を聞いた――家には小型犬が居たね、もしここにいてくれたら、なんて、いたとしてもしようもないのに思ってしまった」

 歌うように彼は言う。熱に浮かされたような、そういう、どこかずれた空気があった。

「願いは叶えられた、君が死の直前にあげた悲鳴で、その全力の気合いで、君は君を思う飼い犬に願いを同調させてしまった。たまにあるね」

 口調に哀れみを感じ、裄夜は顔を骨から自称検屍官に向ける。浩太は思いのほか無表情にこちらをみていた。

「裄夜くん、今銀月はなにを求めて動いてる?」

「あ」

 言おうとして、口ごもる。あくまでも茅野は協力者だ。しかし菅浩太はかつて一族の者であった本上の現当主とはいうが、明良たちが連絡を取っていない以上は部外者である。ためらう少年に、男は勝手に頷いた。

「俺小さい頃から近所に住んでた茅野とよく遊んでてさ、今いつのまにかおつきあいしてるんだけど。ガキの頃は茅野が銀月の一族の出でだって知らなくて。お互いのーてんきに一緒にいたんだ」

 何が言いたいのだろう。男はとらえどころのない目をして、くるり、と件くだんの頭蓋を回した。

「銀月の一族なんだ、俺も茅野も。俺たちは望む望まぬに関わらず、生まれから言って逃げられないんだ。だから一族の問題はきっとどこかで俺たちに影響する。いざってとき何も知らないで転覆するより、前線に出て情報を得て走るほうがよくない? これまでも一族が動いてるのは知ってたけど、参加はしなかった。だって大したことしてそうじゃなかったもん。でも最近おかしくなってきた。このままだと、知らない間に俺たちも連帯責任だ。分家のうちが頼まれないのに動くのはそりゃあおかしいかもしれないけど、知らないままで死ぬよりは、知って戦って死んでやるさ」

 血が騒ぐのか。裄夜はふっと片頬をあげる。

「本上(ほんがみ)、浩太郎(こうたろう)じゃなかったですか? 名前」

 しばらく首を傾げ、浩太はぽん、と手を打った。

「そうだ、俺の場合はばーちゃんが太郎はいやとかなんとかいってかえたっつってた」

「浩太郎なら分かります、すごい切れ者だったのに、好奇心に殺されたんですよ」

 手を打った拍子に落ちた被害者の頭を、俊敏な動作で優しく受け止め裄夜は浩太に手渡した。

「昔ッから人間は好奇心旺盛と相場は決まっているでしょう」

 くすくす笑い、浩太は頭をテーブルに載せる。人間ではないから銀月の一族、なのではないのだろうか、と首を傾げた裄夜の耳を、見かけによらず鍛えられた声が射抜いた。

「みなさあん、この頭のひと、連続で起きてる例のアレの犯人で被害者ですよ! 聞こえてますか、名前はええと、三浦珠洲(すず)!」

 ぎょっとする裄夜の頭にぽんと片手を置いて、浩太はドアを見つめたまま言う。

「残念ながら、無事に発見、とはいかなかったようだ」

 三浦珠洲。

 里見孝に告白して受け入れられず、孝の過去に手ひどく触れた一人の少女。

 どうでもよさそうに扉を開け放ち、女性技官が紅茶をよこす。

「もうわかったの、早いわね。きれいになりすぎてて証拠が極端に少ないし触ったら怪我人続発とかでしかたなく菅君に回したんだけど、どう、市井いちいさんの話だとまだ死後一年も経ってないできたてなのになんでこうなのか分かる?」「おーやったな探偵」「お疲れでーす」「暑いな、クーラーつけろよ」

 にぎやかに、仕事に一段落ついたものが集まってくる。

「そんなことより行方不明者リスト回してくださいよ、ほんとに探されてるかどうか」

 首を回し、浩太は大きく伸びをした。

「なにいってんのよ、あんたが今朝見てたじゃないの、旭校の行方不明者のファイル」

「忘れました」

 行方不明者のファイルを手にし、警部がドアを勢いよく開ける。

「三浦が出たって?」

「警部うるさい」

 ぼそっと、屋形が耳を塞いで呟いた。確かにいかにもたたき上げといったふうの大男が遠慮会釈なく張り上げた声で、腹の底がびりびりする。

 耳がいいから辛いねぇ、と青木が屋形の肩をたたいた。

「三浦珠洲、やっぱり行方不明でしたか」

「おまえ、今朝自分で見たじゃないか」

 先程と同じことを警部に言われ、忘れました、と同様に返した浩太は、もう喋らない頭に向かってため息をつく。

「参ったなあ、じゃあ確実に、もう一回は関係の死体が出ちゃうじゃないですか」

「もう一回ィ?」

 警部の雄叫びに顔をしかめ、検屍官は科捜研を出る。

「これいらなかったかも」

 テーブルからポケットにつっこまれたビニールの小袋。

 そこには呪符の切れっ端。

 血染めのソレは、茅ヶ崎アユムの死体発見現場に残されていたものだ。


 慌てて後を追った裄夜は、思い出して部屋に駆け戻り、お世話になりました、と一言言ってから再び浩太についていった。

 残された部屋で、屋形はひそかにため息をつく。

「清明(せいめい)な声でしたね、あの少年」

「おまえ耳いいからなぁ」

 青木はあくび混じりに返すと、仕事の続きに取りかかった。

「……違いますよ、あの子、すごく声がきれいだった。……周波数が違うのかな」

 人間の声ではないほどに。

   *

「日向ちゃん? うん、今明良さんから聞いた、大変だったね」

 ローライズのジーンズについた一点の血のシミを気にしながら、茅野は照明の落ちた廊下で公衆電話にへばりついていた。大変だったね、と言った途端に、電話の向こうで嗚咽が聞こえる。

「だっ……、だって、ね、ひっ、う、犬はね、ちゃんと、ご主人様の、あう」

「分かったから、ね、あとで全部聞くから。里見孝はそこにいる? いるのね?」

 返事はないが、どうも力一杯頷いているらしい。がさがさ、と受話器に何かが当たる。

「外に出ない方がいいでしょうね、それだけ悲惨だと」

 爪をかむ。

「孝はどんなようすだった?」

「え、孝君?」

 探してくるね、と言い置いて、日向が受話器を机に伏せた。ぱたぱた、と軽い足音が次第に遠ざかっていく。さほど広くはないアパートだが、電話は居間には置かれていないらしい、たぶん玄関先にあるのだろう。

 茅野は日向が孝からできるだけ目を離さなければいいのだが、と眉をひそめる。この調子だともう逃げているかもしれない。錯乱した人間はその場から走って逃げ出すだろう。そんなことのあった場所からは、一刻も逃げ出したいというのが、想像だけではあるが茅野の心情である。

 行きとは違ってばたばたと激しく戻ってきた日向は、息せき切ってこう告げた。

「里見くん、いない!」

 靴も履かずに、窓からでたのか。

「ここ二階なのに」

「二階でも隣の家の屋根伝って降りられるところもあるわよ」

 ポケットを探り、茅野は携帯電話の短縮ボタンを押す。

「明良? 孝が逃げた」

「茅野さん?」

 公衆電話の受話器と携帯電話とで両耳をふさぎ、茅野は二人に口早に言う。

「逃げた里見孝を奪取します、日向ちゃんは大通りまで出てくれる? 探しながら。明良は関係者を回して」

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