第四章 ぎんげつのひとたち
第四章 ぎんげつのひとたち
*
ケータイの着信音が、凍てついた空気に割って入った。間抜けに鳴ったケータイをとり、茅野(かやの)はなぜか照れながら出る。
「も、もしもし」
「いぇーこちら湾岸警備隊」
何を言っているのか分からなかったが、誰が電話をかけたのかは理解した。
「バカ王子」
「まだ言うねーお家の主人はそうも言われなきゃならないものなのかね」
「なんのようよ、今忙しいの」
「礫(れき)死体」
相変わらずの話しぶりだ。
不要なことと必要なことを、面倒なほどに混ぜて使う。
「だーれーのーよー」
脱力感に耐えながら、茅野は検屍官に問う。
「またおんなじ、旭の、例のがっこの例のクラスの、高校生。まだ若いのになあ、なんでまた巫蠱なんか」
「ふこ?」
「巫蠱。まじない」
「さっき礫死体っていったじゃん」
「だからー普通は礫死体なの。大型トラックが普通乗用車に玉突きして三台とんで」
「うげ」
「おかしいんだ。こんだけ恨み買うにしても、なんかこりゃ若すぎるっつーか。いや、恨みにトシは関係ないけど」
そこで、誰かの怒鳴り声がする。電話の向こうの様子にぴんときて、茅野は沈黙を守る裄夜(ゆきや)を一瞥する。
「ねえ車一台回して」
「本家動かすの時間かかるよ」
「今すぐよ」
「じゃー回って帰る。本庁寄るけど構わない?」
「願ったりかなったり!」
喜色にとんだ応答に、電話は苦笑の気配を伝えた。
「……君ってほんと、若いんだか年寄りなんだか分からないね」
菅浩太は、時折なのだが、気味が悪いほど、優しくあまい口調をする。
あえてなのか軽んじられるような態度ばかりとる男だが、その実力に疑いの余地はない。術者としても一流の教育を受けてきた。逆らいもせず従順を装って、それでいて、文句をつけさせないようにしてから自分のやりたいことをやる。
「あんたのほうが、わかんないわよ」
天才かバカか。道化は軽い声を立ててわらい、あいたっ、警部殴らないでくださいよぅ、といつもの通り悲鳴をあげる。
「んじゃ十分後に」
「早くね、裄夜意識飛んでるから」
「何してたのよ茅野ちゃん」
電話はそこで通話を終えた。
無機質な電子音をしばらく聞いて、茅野は憤然と顔をあげる。
「ゆきやっしんでるかあ!」
返事はもちろんない。
規則正しい寝息を聞きながら、茅野は裄夜を担ぎ上げる。身長はさほど変わらないが、女性でも高いほうの茅野でも、意識のない男を支えて歩くのは至難だ。
「あとでぜったい、おごらせてやる」
浩太に。
*
「盈満(えいまん)なる酒の器、しかし杯は傾ければ欠く」
笑い声。
畳の目さえ数えられるほど、こうこうとした月がさし込む。
影はない、影はない。
輪郭はなぞれるのだ、だというのにくらい影がない。
「私を引きずりおろせもしないくせに、口先ばかりやかましいな。蠅以下だ」
長い長い髪が揺れる。銀色のはずが、光に溶けて金に発光しているようにも見える。
「傾いた杯をどうしたい」
もどすか、
かたむけてもっとあそぼうか
「だろうな」
不意に彼は後方に言う。
「いるなら出てくればどうなのだ」
唐突に目覚め、ただただ目を見張るばかりの少年は、ガラスのような、それでいてひどく重たい視線を受ける。しらず、右手で自分の頬に触れる。
頬には畳のあとがある。
「ぎ、銀月王、さま?」
なんとはなしに驚いてしまう。
ここは夢のはずだった、こんなに明るいことはない、夜ならではの、嘘くさいほどの闇の中の光。祭の夜に照らされる、人混みの中の景色のような色彩をしている。
一歩外せば、底知れぬわびしさのある世界。
少年は人ならぬ景色ゆえにか、思考がぐるぐると同じところを巡っていることに気が付かない。
こんな偉いひとに(人間ではないが)出くわすのに、なにゆえ頬に畳のあとをつけていなくてはならないのだろう。夢なのに畳のあとが。なんで夢なのに畳?
「王という称号に、この上、敬称は必要か」
わらう、それこそ真冬の牡丹のように。
周囲は明るいがゆえの闇をはらむ。
雪原の明るさにも似る。
見えすぎて怖い、ここはおかしいと知らしめる景色。
どこまでも遠くが見えるような気がする。
口を開けた朱塗りの窓枠が、そとの庭園を四角く切り取る。そこから月が畳を這ってしのびこむ。
銀月王は何も言わない。
視線は杯に落ちているが、その気配は部屋中を占めていた。命なきものさえも、息を潜めてこちらをうかがう。一挙手一投足を見張られ、覚醒したばかりの少年は喉を鳴らした。
なぜこんなところにいるのかは関係がない、今はそう、銀月王の気が変わってしまわぬうちに発言してしまわなければならない。
でも、なにを?
震えと自分の中の焦りをおさえ、少年は声を振り絞った。
「銀月王、あなたにお聞きしたいことがある」
「子どもは早う帰れ」「帰らぬなら喰う」「そんなに小さければ帰るのも難儀であろう」
発言と共に、がやがや、と別のたくさんの気配が明瞭になる。そういえばいつの間にか、少年は自分がひどく小さくなってしまっていることに気が付いた。杯があんなに大きく見える。今日の月よりずっと大きい。
「――私の客にとやかく言うな」
我に返る。
気配が散って(もちろんまだ、ひっそりとこちらを見ているが)、少年は息をつく。
「おまえは他者に左右されすぎる、術を扱うものは多少なりとも感覚を解放しているものだが、干渉がいきすぎれば侵略されうる」
今は、少年は普段の大きさに戻っているようだった。
このままでは、キセに追いつくことなど、とうていできそうにない。
これまで、裄夜は術も知らず、狐狸妖怪のたぐいに縁のない生活をしてきた。
それを覆されてもう何ヶ月になるだろう――それでも、未だに状況に慣れない。
遠い異界の地を踏むようだ。
今こうして正気を保っていられるのも怪しいほど、認めざるを得ない、強要される冷たい沈黙。
この不安定な状態を脱したい。しかし手探りのまま、前進より後退しているような気もした。
先の長さに、ため息が出る。
「ユキヤ」
ふと銀月が彼を呼ぶ。
冴えた青い月のような声に、裄夜は自分の内側をなぞられるような心地がしていた。
「一族はいない。もういないのだ、いつまでも妄執に浸っている場合ではない」
「でもみんな探してます、あなたを探している」
「記憶だ。ここはお前の記憶にある場所――私が居るところではない。私はそんなに悠長にしてはいられない」
「妄執だって言われても」
「なぜ急に復興を始めた?」
「それは、情報を集めて、再興するまで時間がかかったからって、明良さんが」
「なぜ今なのだ」
「え?」
「気づくのにそれだけかかった? 動くのにそれだけの年月――早すぎる、早すぎるのだ、本来ならば」
がん、とにぶい音がして、裄夜はそこから放り出された。
*
鈍いのは、音だけとは限らなかった。
「いっ、た……ぁ」
額を押さえてうめいた裄夜は、
「起きたんだ」
「よかったねー君、石頭で」
と、二人分のどうでもよさそうな言葉を受け止めた。
見たところ、そこは普通乗用車の内部のようだった。正確に言うなら後部座席、裄夜は進行方向左に座り、真ん中に茅野、右に見知らぬ男が一人いた。定員オーバーではないか。大丈夫か。
「坊主、生きててよかったな」
助手席の男が不機嫌に言った。
それはそうだろう、どんな乱闘に出くわしたのか、というほど、裄夜の着ている制服の上下はどす黒くなった血で固まっている。
上着を脱いできて良かった、と、がんがんと鈍く痛む頭を抱えて裄夜は思う。額が痛むがその比ではなく、頭蓋の奥、脳の中心がきしむように痛んだ。この調子だと明日にダメージが残るかもしれない。うつむくと余計に痛むが、上向くよりは幾分ましだ。
「こーたが落とすのがいけないのよ」
右折待ちのとき、茅野はため息に混ぜて裄夜の頭に向かって言った。両手で顔を覆っているため、茅野からは表情は見えないが、かなり辛そうだ。いきなり話をふられた男は詰まり、だって仕方ないしと唇をとがらせる。
「裄夜くん完全にスパークしてたんだもん、たぶん今日の事故のとおなじヤツ、あんなん腹に入れられてよく生きてたね、一匹外に投げて、カラス? たぶんそれ式神、そいつに喰わせてやるなんてさあ」
「何が言いたいのよあんた。だいたいこんなとこで出していい話題じゃ」
「平気。封じてあるから」
関連のセリフは周囲に聞かれないようにしてあるのだ。さすが一族のホープ、と内心で呟いて、茅野はきられたハンドルを見ながら天井に手をついてGに耐える。
「裄夜に教えてやりなよ王子。腹の中身は裄夜自身でどうにかしたけど、体の表面にヒルみたいに張り付いてた分はこーたがどうにかしたんだよ。時間限界ぎりぎりでかなり無理矢理落としたんだって。だからかなりダメージは重いよ」
王子はやめて、といつも言われるので、茅野は混ぜて、彼を呼ぶ。
「ええと菅浩太(すがこうた)、よろしく。ひょっとしたら、本上(ほんがみ)浩太のが記憶にあるかも」
浩太は白衣を着たままで、ひょい、と気軽に片手を出した。うつむきながらも握手を交わし、裄夜はなんとか顔を上げる。
「ほんがみ、こうた、さん?」
「検屍官兼任ッて感じ。ほんとは病理とかねーいろいろ技はあるんだけどねー、時間かかっちゃうからお前なんか現場出ろとか言われちゃって」
「そうそう、王子はすみからすみまで見る人だからね、いつまで経っても終らないの。だから解剖させて貰えないんだって」
「本上は今は使ってないんだけど、大戦まではそっちだったの。本上浩太、居たはずなんだけど、覚えてない?」
「なにそれ」
二人の会話はどこかおかしい。行きつ戻りつしながらとりあえずといった感じでゆっくり進む。
「もともとうちは本上さん。なんでも、第二次大戦中にとても言えないような、むちゃくちゃやばい仕事やってて、戦後に裁判かかってアウトぉレッツお家断絶! だったから一部を切り捨てて山奥に引っ込んで、つっても大戦の前に都会に出てったんだから戻ったっていえばそうなんだけど、そんでもって名前変えて菅になったって。それで、浩太はオヤジの親父のそのまた親父が使ってたはずの名前なんだ。本上は三つの名前をローテーションで長男が継いでくルールだから、だからどっかで本上浩太、知ってると思うんだけど」
「あたしとは大違いだ」
そんなどえらい歴史はない。
水上家は祖母のほうの家の名前だが、とくに変わったふうもなく、ごくまっとうに暮らしてきたのだ。
「ちょっと晩婚家系だったけど。ひいばあさまが大戦で亡くなったんだっけ?」
じっと考え込んでいた裄夜は、ああ、と声を漏らす。
「本上直尚(なおたか)」
「そりゃじっちゃんだ。俺の曾祖父さん。早死に」
「直尚は知ってる。名前だけ。――ああっもうっなんでキセはなんにも残していかないんだよっ!」
珍しく叫ぶ裄夜を眺め、茅野はそれなら、と口を開いた。
「うちのおばあちゃんにあってみれば? あのころまだ三つくらいだろうけど」
「悦子にあってもしようがないよ、あれは庭に迷い込んだぐらいだから」
ごく自然にそう言って、裄夜は窓に肘を突き、手のひらに軽く額を乗せた。
「覚えてんじゃないのよ」
「こら」
「いたっ、ちょっとはたかないでよこーたのくせに」
「幼なじみだからって、その、こーたって、なんか間抜けな発音で浩太って呼ばないでよ」
「幼なじみぃ? はん、彼女サマに何を言うかこの口はっ」
「あがっ、茅野ちゃんほっぺたつねらないでよ、うわっ首? シャツ交差させんなって、わ、悪かったよ、ちょっと、優秀な検屍官サマを他の人に検屍させる気かい」
やかましい二人にあてられたように、裄夜は肺の底から息を吐き出した。奇しくも助手席と運転席から、同様の空気が流れていった。
*
「はい、ではその件も」
りん、と受話器を横に置き、明良は黒電話の上に張られた小さな付箋紙を一枚剥がした。
「冷羽様、日向様の――いえ、シズク様について多少分かりました」
「ふうん」
明良は横目で少女を見やる。いつもは高慢なほど元気がいいが、なぜか今日は顔色が冴えない。
冷羽はカレンの姿をとったまま、まるで発熱した病人のようにぼんやりとした目で、床の節目を見つめている。
「日向ちゃんが、思い出してるんだね、いろいろ。わたしなんか全然わかんないよ」
抑揚のない声で言われ、明良は付箋紙を誤って握りつぶす。
わたしなんか全然わからない?
「冷羽様」
はやる気持ちをおさえつつ、明良はゆっくりと、野良猫にでも近づくような繊細さを持って言う。
「冷羽様ではありませんね、あなたは千明カレン様ですね」
「ちがうよ」
ごしごしとまぶたをこすり、少女は起きているのが辛そうに返事をする。
「わたしはカレンで、でも冷羽もいるよ」
「それはどういう――」
再び電話が鳴り響く。携帯電話ではなく、拠点にしている屋敷の一室、旧型の黒電話に内蔵されているベルがうち鳴らされている。
十二分な間をおいて、明良は受話器に手をさしのべた。
少女は敷居の上で寝ている。
応対している間に、手伝いの女が少女にタオルケットを掛けてやっていた。
数ヶ月分の停滞を破るかのように、変化が訪れる。
良くも悪くも。
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