第26話


 病院に向かうバスを降りて玄関へ向かう途中、背の高い中年の男とすれ違った。

 それがゆりかの父親だと分かったのは、鼻の形とくっきりとした二重の目が、彼女のそれによく似ていたからだった。黒いスーツに身を包んだ死神のような男は一点を見つめたままタクシーの中へと消えていった。

 病院の中はアルコール消毒特有の包帯のツンとした匂いがした。看護師に伝えられた部屋番号は330号室。ゆりかの名前の記載されたナンバープレートを見つめて一息ついて、コンコン、と扉を軽くノックする。しばらく待ってみたが、病室の中から返事はなかった。

 ゆりかは白いパイプベッドに横になっていた。全身を強く打ったと聞いてはいたものの、肌色がほぼ見えない痛々しい姿を前にするとやはり身が縮む。包帯でぐるぐるに巻かれた頭は窓の外へ向けられており表情は見えなかった。サイドテーブルに置かれた花瓶には白を基調に束ねられた花束が生けられており、近づくとほのかに甘く香った。下ですれ違ったゆりかの父親らしき人物が持ってきたものかもしれない。


 「ゆりか、私」と声をかけると、ゆりかはゆっくりと私に向き直った。意外そうな顔をされるかと思っていたが、彼女の表情は私の姿を認める前と変わらなかった。家の近所にあるケーキ屋で買ってきたプリンの入った箱を手渡すと、ゆりかは無言でそれを受け取った。世界からいなくなり損ねたゆりかの目には、何も映っていないように見えた。

 元気、と尋ねかけて、あまりの白々しさに口を閉じる。勢いだけでここにやってきたものの、何を話せばいいのか迷っていた。下手なことを言えば、再びゆりかの心を壊しかねない。

 ベッドのそばの丸椅子に腰掛けて暫く経った。ゆりかは虚ろな目をしたまま、「…もうこれで全部終わり」とつぶやくように言った。目線の先には枯れかけた細い小枝が風にゆらゆら揺られていて、今にもぽきりと折れてしまいそうだった。


「ねえ、何しに来たの。私と仲良くなりたいの?」

「…私は。ゆりかに謝りたかったの。ゆりかが一番つらいときに、ゆりかの近くにいられなかったこと。裏切られたって思わせるようなことをしてしまったことを」


 私がそう言うと、ゆりかは「きえちゃんって本当に優しいんだね」と言った。それは不気味な笑みだった。口の端はコの字に弧を描いていても目は全く笑っていない。

 身体を起こしたいというので背中に手のひらを当てると、ゆりかは痛みに顔を歪めた。そのままゆっくりと押してやると「ありがとう」と礼を言われた。

 ほっとして身体を離そうとすると、何処にそんな力があるのかと思うくらい強く胸ぐらをつかまれた。


「いくら謝られたって、ゆりか、許さないよ。きえちゃんのこと」



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