第24話
目覚めると私は保健室のベッドで横になっていた。
ひざのあたりに重い感触を感じて体を起こすと、早坂さんがそこに突っ伏すようにして眠っていた。ここまで私を運んでくれたのはきっと彼女なのだろう。声をかけると、早坂さんはみるみる内に表情を変え、おそるおそるといったように口を開いた。
「あんた、大丈夫なの」
その質問には答えずゆりかの様子を尋ねると、早坂さんは顔を歪めて首を振った。真っ白な室内を包む重苦しい気配を察し、それ以上何も聞くことができない。その後すぐに保健室の先生がやってきて、私を家に帰してくれた。
あれだけの騒ぎが起きてしまったからか校舎内には生徒の影が見えず、いつもは運動部の生徒でひしめいているグラウンドもしんと静まっていた。付き添ってくれた早坂さんは何も言わなくなった私のそばを最後まで離れようとしなかった。夕焼け色に染まる電車の中、ぴったりと私の肩にはりつくようにして座っている彼女の優しさを感じながら、軽く瞼をつむる。
十字路に差し掛かった別れ際、早坂さんは振り返りながら私にそっと声をかけた。
「お前、変なこと考えるなよな」
真剣な瞳の中に、心配の色が宿っている。
そのとき、私は早坂さんとの間に溝を感じた。決して埋まることのない、健康と不健康の間の、大きなひずみ。本当は最初から気付いていたのに、気づかないふりをしたかった。
彼女と私が見ている世界は全然違う。私とゆりかは同じところにいるけれど、早坂さんはそうじゃない。これから先、彼女には明るい未来が待っているということ、嫌というほど思い知らされる。
「変なことって、何?」
「…それは」
「それはつまり、私がゆりかの自殺行為に責任を感じて、後を追うってこと?」
図星だったのだろう。口をぱくぱくとさせている早坂さんを見ていると、自然に口元が歪んだ。自分の浅はかさを指摘されただけでこんなに簡単に動揺するなんて。
ああ。本当にこの人は、なんてきれいな世界で生きている人なんだろう。
「そんなことしないよ。そんなばかなこと」
ほっとしたような表情を浮かべた早坂さんは、私の次の言葉を聞くと顔色を変えた。
—だって、ゆりかのこと一人にする訳にはいかないもの。
「私間違ってた。ゆりかのこと、裏切ろうとするなんて。ずっとゆりかの一番でいるべきだった。ゆりかが行くべきなら、何処へでも行くべきだったんだよ。たとえそれが地獄の果てだったとしても」
「…お前は、それでいいのかよ。お前の意志は、感情は、そこにあるのかよ」
沈黙する私の肩を揺さぶる勢いで、早坂さんは懸命に私を説得した。あらゆる言葉を使い、私の硬い意志を変えようとした。だけど心は揺れなかった。えりかもゆりかも確かに私を欲していたのに、そのことに気づいていたのに、私は無情にも彼女たちの伸ばした手を振り払ったのだから。
ゆりかが私の目の前に現れたことは意味があることだったのだ。今なら分かる。だってえりかとゆりかは、とても良く似た性質を持っている女の子たちだから。
踏切のところに差し掛かった時、根元から髪を煽るような強風が私たちの距離を開かせた。煽られるスカートをそのままに、踏み出す足を止めず、私は線路を隔てた向こう岸へと駆けて行った。
みどりいろの電車が金属を軋ませる音がしたと思うと、たちまち早坂さんの姿は見えなくなった。最後に彼女が声を張り上げて何か叫んだ気がしたけれど、私はもう振り向けなかった。一瞬でも後悔してしまったら、もう一度、彼女の元へ足が向かってしまうような気がしたから。
早坂さんは私に、何処までも続く菜の花畑のような夢を見せてくれる。彼女とふたり、道のない坂を登っていく様子を想像して、呼吸ができないくらい苦しくなる。喉からあふれてきそうな灰色を懸命に押しとどめながら、私は帰路をひとり歩きつづけた。
さよならなんてしたくなかった。あなたとつくった思い出を、鍵のない部屋の中に封じ込めたくなんてなかった。
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