第19話


 外に出ると雨は止んでいた。地面はしっとりと濡れており、歩くたび水たまりに靴の底が触れた。街灯以外の明かりの無い道を、早坂さんと並んで歩く。

 私の帰りを待っているお母さんに心配をかけているかもしれない。そう思うと少し億劫になってしまう。このまま早坂さんと一緒にゆったりとした時間を過ごせたらどんなにいいだろう。でも私たちは親の庇護を受けている子どもだから、本当の自由は手に入らない。

 見慣れた十字路に差し掛かる頃には、腕時計の時刻は21時を指していた。私が足を止めたことに気づいて、早坂さんは自転車を押す手を止めた。漆黒の髪の毛が月明かりに照らされて白く煌めいている。それは昔絵本に出てきた美しいかぐや姫を連想させた。


「今日はありがとう。もうここでいいよ。家、すぐ近くだから」

「そっか。じゃあ、気をつけてね」


 自転車にまたがる華奢な背中を確認してから、私も彼女に背を向けた。数十歩先へ歩くと、「ちょっと、待って」と背後から呼び止められる。早坂さんが私の方へと早足で歩いてきていた。


「明日から、大丈夫なの。あんたって体も神経も弱そうだし、心配になって」

「何、それ。こう見えて、体力だけはあるんだよ。滅多に風邪なんて引かないし。大丈夫だよ、これまでと何も変わらない。早坂さんが言ってくれたみたいに、毎日ちゃんと学校に行くから」


 この人、なんて優しい人なんだろう。自分のことで精一杯になったっておかしくないのに、むしろそれが当たり前なのに。対して接点のなかった私なんかに、こんなに優しくしてくれて。

 無理矢理笑顔をつくって微笑んでみせる。これ以上、彼女に迷惑をかける訳にはいかないと思ったから。

 だけど早坂さんはそんな私を見て、気まずそうな顔をした。それから後頭部の髪をがしがしと掻くと、私の右手を引っ張った。早坂さんの腕の中に、私がすっぽりと収まる形になる。じたばたと身体を揺らしたが、どんなにもがいても離してくれない。限界だった。あきらめた私は、彼女の着ていた制服の胸をずぶ濡れにした。

 上から降ってきた声は、乾いていた私の胸の中にすとんと落ちた。日照りに苦しむ草木にもたらされた雨みたいに。


「…短い間だけど、あんたの戦い、あたしも加勢してやってもいいからさ。だからそんなに泣くなよ。明日からもがんばるんだろ」


 私が泣いたのは、いじめられていて苦しいからじゃなかった。明日からの不安を抱えてお腹が痛くなっていたからでももちろんなかった。

 心が震えるほど嬉しかったからだ。一緒にいるよ、と言ってくれた早坂さんの優しさが胸に沁みてたまらなく嬉しかったからだ。うん、うんと何度も頷いていると、早坂さんは紺色のスカーフで鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった私の顔をぬぐってくれた。

 何も怖くないと思った。ゆりかも、クラスメイトも、お母さんもみんな。私の中から居なくなってしまったみたいに、身体がふわりと軽かった。

 早坂さんがいるなら。たったそれだけで、私は。


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