第14話

 人はどこまでも残虐になれるということを、私はこの一ヶ月で知った。

 初めは肉体的に人を傷つけることに躊躇していた何人かの女の子たちも、次第に目の色を変えていった。命ある生き物を蹂躙することは、自分より立場の弱い生き物を攻撃することは、気持ちが良いことだから。


 子どものとき、毎日のように、虫を殺していた。セミやカナブンを足で踏みつけると、ぐしゃりという感触が靴の裏から伝わった。潰れた組織液と、かつて生き物だったこなごなを見ていると、常に空っぽだった心が少しだけ満たされるような気がした。私の指を必死ですり抜けようとするアリの群れ。生を持続させようとする惨めで気持ち悪くてかわいそうな様子に、薄ら暗い快感を覚えたことを思い出す。

 そう。これはあのときと同じ。私がしていたのと同じ目をしたクラスメイトたちが、私を取り囲んでいた。彼女たちは私が泣いて苦しんで許しを乞う様子を心待ちにしていた。私の無味乾燥な反応にゆりかたちは物足りなさそうな顔をしており、そのことは私に対する攻撃の手を更に強めることになった。


 数学の授業が終わり、休み時間のチャイムが鳴った。木製の冷たい机から立ち上がるといきなり椅子が飛んできて、私の頬をかすめた。前方へ向き直ると再び椅子が投げられてきて、強い痛みが鼻を直撃した。避けきれなかった私を追い立てるように、教室中に忍び笑いが広がる。


 「いたそー」「でも自業自得だよねー」「このまま消えちゃえばいいのに」というつぶやきは誰が発しているのかわからないくらい、均質化されていた。


 昼休みになると、カバンに入れたはずの弁当箱がなくなっていた。辺りを見回すと、ニヤニヤ笑いが教室中に広がっていた。私の席の前に誰かが立つ気配がして見上げると、何かが私の頭の上からかぶさってきた。おにぎりや冷凍の唐揚げ、グラタンの入ったアルミホイル。次に冷たい感触が頭のてっぺんから伝った。それが自動販売機で買ったお茶だと分かったのは、教室の床に転がされた空っぽのペットボトルが視界に入ったからだった。

 「それ」に理由ないことなど随分前から知っている。ターゲットなど誰でもいいのだろう、踏みつけにして心をメチャクチャに傷つけてみたいだけ。耐えるしかないのだろう。かつてゆりかが、いつかの誰かがそうしてきたように。逃げ出したい日々から目を背けて、居場所のない教室で心を殺して。いつまでもずっと苦しむことが、死んでしまったえりかに対する贖罪なのだと言い聞かせながら。


 玄関に汚れた靴を揃えていると、お母さんがスリッパを鳴らして駆け寄ってくる音がして身を硬くする。小さいころからずっと同じ。フローリングの床にスリッパの底をぺたぺた擦りつけながら歩いてくる子どもみたいなお母さん。


 「…どうしたの、その髪」


 お母さんは今朝学校へ出かけるときとは随分違ってしまった私の頭を見て、大きな目を見開いた。必死で切りそろえたけれど、ゆりかたちに無茶苦茶にハサミを入れられたせいで上手く整えられなかったのだ。特に酷いのは前髪で、バラバラな長さが無残だった。


「心配しないで。すぐに美容院に行ってくるから」


 それだけ言って二階の自分の部屋に上がろうとすると、強い力で後ろに引っ張られた。掴まれた部分の肌にお母さんの熱が伝わってきて、胸の奥があつくなる。その手のひらを振り払えずにいると、お母さんは声を殺して静かにすすり泣きはじめた。


「どうしてなんだろうね。どうして私の子だけ、こんな目に遭うんだろうね」


 私はまた、お母さんを失望させたのかもしれない。繰り返した流産ののちにやっとできた出来損ない、それが私。心待ちにしていたはずの子どもが引きこもりのいじめっ子なんて、お母さんが不憫で仕方なかった。

 私は足元でしゃがみこむお母さんに声をかけることができなかった。真っ暗な部屋に入って、電気もつけずにベッドに潜り込んだ。目をつぶっても中々眠気はやってこなかった。教室のみんなが私に向ける笑い声が、耳鳴りのようにいつまでも聞こえていたから。

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