第13話
週明けの月曜日、教室の中の空気が普段と違っていた。
朝登校した直後にゆりかに話しかけに行ったときに初めて違和感を持って、ああ無視されているんだと気づいたのは、昼休みになってからだった。
この頃はずっと中庭のベンチで昼食を食べる日々が続いていたから、その日もいつものようにゆりかの席に歩いて行った。売店の人気のあるパンはすぐに売り切れてしまうから、急いで行かないとゆりかの好きなチョココルネが買えない。
だけど財布を片手にした私の姿を認めた瞬間、ゆりかはひらりと蝶が飛び立つように何処かに去って行った。その場に立ち尽くしかなかった私の背後からはくつくつと鍋が煮える音に似た忍び洗いが聞こえる。
—まただ。
良く知っている感覚に、瞼を閉じた。何度経験していたって決してこの感覚が鈍ることはない。これから始まる地獄の日々を想像すると、胃がねじまがるような痛みが私を襲った。
ゆりかはいじめの主犯として、とても優秀な女の子だった。
忍耐力があって、粘り強く、誰かを追い詰めることに快感を覚える嗜虐性に長けていて、他のみんなが躊躇してやらないようなことを積極的に引き受ける。そのお陰か、私に対する嫌がらせは日を経るごとにエスカレートしていった。
いつかゆりかの上履きが捨てられていた三階の女子トイレに連れて行かれたのは、「それ」が始まってすぐのことだった。私を床に突き飛ばしたのも、私の顔の前に濡れたモップを突きつけたのもゆりかだった。ゆりかは私と一緒に中庭でお昼ご飯を食べたことや、夜明けの空の下で電話越しにつながっていたことを忘れてしまったみたいに振る舞った。ゴミや汚物を見るような目をして、「あんたなんか、死ねばいいのに」と吐き捨てた。
ゆりかの怒りの原因については、取り巻きの一人が間接的に伝えてくれた。
「友だちの好きな人、横取りするなんて最低」、その言葉に水に濡れた顔をあげると、魚の死んだような正気のないふたつの瞳が私を見下ろしていた。冷たく燃える青い炎が、ゆりかの身体を包み込んでいる。反論しようと唇を開きかけると、モップの毛羽立った繊維がねじ込まれてきて息ができなくなった。
咳き込む私を見て、ゆりかは薄く笑った。いつも私に笑いかけてくれていたのと同じ、春の陽だまりに花が開くときのような可憐そのものみたいな微笑みで。
「ゆりかを傷つけてよく平気でいられるよねえ、その無表情な顔、本当にムカつく」
「あんなに仲良くしてもらってたのに、恩を仇で返すなんて」
ゆりかに抗戦するように、取り巻きたちは口々に私を攻撃した。「最低」「クズ」「学校くるなよ」というつぶやきは水に流せたとしても、ゆりかの「死ねばいいのに」という小さな声だけはどうしてもそうすることができなかった。窓ガラスの破片みたいに、私の心の柔らかいところに突き刺さって、いつまでも溶かせないままでいた。
ゆりかを筆頭に、教室の女の子たちは私を傷つけることに快感を覚えるようになっていった。教室の扉の引き戸を開くと、無数の瞳が私を笑うように細められた。ここに存在する31名は皆、私の敵だった。唯一の空席を除いては。
早坂めぐみはもう随分、学校に姿を見せていない。両親の都合によって暫く学校を休むことになるという要点だけ、私たちに伝えられていたけれど誰一人それを信じてはいなかった。ズル休み、ヤバいバイト、クスリ。
早坂さんの長い休みについては物騒な枕詞が付けられるようになっていたけれど、本当のところは誰も知らないんじゃないかと、私は密かに思っていた。教室の窓際、一番後ろの席はぽっかり空けられたまま、埋められることがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます