第肆話 悔

蝉の時雨と人々の止まないざわめき。

時折風に揺られる笹の葉が、夏をその竹いっぱいに表していた。


いつもより一層楽しげな、活気に包まれる宵国では七夕祭に向けた準備が着々と進んでいる。


「今日こそは…今日こそは連れ戻しますよ…!」


>蓮城鈴香

依織様…!!


忙しなく足を動かしからふるな街を歩き回る。


幼少から侍女として依織様にお仕えし、立場が立場であれば幼馴染みというやつであろう。


というより昔から天ノ川家に蓮城家が仕えていたのだ。


天ノ川家の歴史は長くその中で宵国を治めていたが、大きな争い事もない素晴らしい道を歩んできた。


何かがあれば最善策をと、国民のためにと寝る間も惜しみ、寄り添い、同じ目線で、人のために尽くす事に疑問を持たない…挙げれば挙げるほど天ノ川家の特徴というかまぁ、家訓のようなものがしっかりと受け継がれている。


そして宗教、という程でもないのだが、天ノ川家は七夕様という代々神様を祀っている。

基本的にあの七夕伝説と同じ内容で、七夕祭では七月七日から八月七日まで国中の家が短冊や飾りをした竹を掲げ、商店街にもたくさんの飾りが施される。

当初は主な輸出品として大活躍をした織物類のため、七夕様へ手芸上達を祈り、段々に祈りや願いが短冊で様々広がり、近年七夕飾りの美しさから観光客を多く呼ぶほどの祭りになっていった。


市中繁栄七夕祭。

その中でも今年の目玉行事となるものでは、依織様が主役となって今までの稽古の出来を披露する。


天ノ川家の娘は嫁入り前に必ずこれをやり遂げ無ければならない。稽古の出来と言えば文句無しだが失敗されると侍女責任だ。

依織様の傍に居れなくなるのは嫌だし、途中から来た椿葉という彼女に技量を既に越されていても私なりには頑張ってきたのだ。


「何としてでも、今日…いや、これから一ヶ月は脱走なんて許されませんよ、依織様。」


>天ノ川依織


「──それでねー、なんか踊りみたいなのを踊るんだって!みんなの前でだよ?なんか恥ずかしいなぁー…。」


流歌の特等席でふらふらと、お菓子を食べながら桜を眺めていた。

やはりこの御神木、年中咲いているのか…。

夏の暑さで頬を汗が伝う。気を利かせてくれた流歌がはんかちを渡してくれた。…女子力!


「依織なら上手くいくと思うよ?そのために頑張ってきたんだもんね。」


「えへへ、ありがと!」

最近サボり気味だなんて言えません。


「それでさ、流歌!多分その後なら屋台とか見ていいよって言われるはずだから一緒に回らない?」


よかった、言えた、よっしゃ、

これが今日は言いたかったのだ。

多分一ヶ月くらいみっちり稽古をくらいそうだから今のうちに言うしかないのだ。

多分優しい流歌なら─


「うーん、どうしようかな。…というか行けるかなぁ。なんか明後日から大陸の遠くの方で戦争の支援に行かなきゃいけないみたいでね。」


「せ、戦争ッ?!………流歌死んじゃうの…??」


突然の聞きなれない言葉に耳を疑う。


「いや、死なないよ。そこまで弱くないつもりだから。」


「……でも、でも…。」


頭の中で、その言葉がぐらつく。実際に見たことも体験したこともないけれど、いけないことだってぐらいは分かる。人が争って、死んで、殺して…そんなところに流歌が行くの?流歌のお友達も?戦争なんて、そんなの、


「なんだか向こうで長期間しちゃってるみたいでね。もうどうして戦ってるのか分からないくらい。だからちゃっちゃと終わらせ──」


立ち上がる、足元がぐらついた。


「…ごめんね、流歌。……絶対、死なないで。」


走り去る。

悲しいはずなのに、苦しくて息が止まりそうなのに、叫んでしまいそうなのに、涙は少しも出なかった。


>龍泉翡翠


体にぬるま湯が伝う。

ゆったりと。


広いとは言えない、暗いその空間に、自分と椛と呼ばれる少女が裸体を晒していた。


「背中、お流し致します。翡翠様…。」


静寂と濡れの広がる官能的な空間。

しかし、彼女自体にはなんの感情も湧かなかった。


「…翡翠様、縁談の件は誠に申し訳ございませんでした…。」


「……君は何度もそれのことを言うね。何かほかに気になる事でもあるのかな?」


体を滑る年頃の女子よりは少々、というかかなり筋肉質なそれは布の揺れと共に優しく愛撫を繰り返していた。


「…なぜ、女を、必要とするのです。併合なら力で伏せれば良いでしょう!お世継ぎなら………私で十分でしょう!」


やっとの思いで絞り出したような絶叫が思いのほかよく響く。

後ろを振り向き彼女の口元に人差し指を当て、静かにするように示した。


「そうだね。最初は宵国を占領するつもりだったね。でも平和的に済むならそれでいいんじゃないかな。」


「平和とはなんですか…。確かに今は両国共に、何も無いですが、でも世界中では争いが絶えない。国単位じゃなくても小さな範囲でも人は争います…。私も、私が、なんで、身篭っている身でありながら、なんの利益を産まない国の戦場に立たねばならないのですか…ッ!」


啜り泣く声が聞こえる。軍人の上に立つ人間が泣いてるならそれこそ平和じゃないんじゃないか。


「目の前で同士が、共に戦った競い合った者達が死ぬのは辛い…。自分が殺した人にも家族が、帰る場所がある。……あの虚ろな瞳が頭から離れない。」


「私は強かった、強くなってしまった。死にたくない一心で、貴方に認められたくて、こんな、息の詰まるような火薬の充満した戦場に身を置いているのに…」


「貴方はどうして私を、受け入れてくれないのです…?」


背中に縋り付く。嗚咽、嗚咽、嗚呼このままじゃ過呼吸になるなぁ。


「…君はどうして髪を染めたのかな?」


少女の髪を掴む。


「僕は君達の黒髪が好きだったのに」


手に力が籠る。


「もしかして、お姉さんとの区別をしたかったのかな」


髪は引っ張っていないが、彼女が勝手に絶叫しながら後退りをした。


「それに最高司令官だの百鬼姫だの変な称号まで引っ提げて。」


ブチブチと断末魔をあげて橙の髪それぞれが湿った床に落ちた。


「君はそんなに自分を繕っても彼女には適わないよ。」


涙を流す彼女に頭から桶に入った湯をかける。


「そのままの方が君は弱くて可哀想な生き物で、面白いけれど。」


彼女がペタリと床についた白く無駄な肉のつかない足の、太もものあたりに爪を立て、ゆっくり引き摺る。

赤い痕が現れ、それに接吻をした。


「君が知る必要はないんだよ。せいぜい、死ななければその子供と暮らす権利くらいはあげるよ。」



>天ノ川依織

走る。走って、今までにないぐらい走った。

御神木の根に足を引っ掛けて転んでも、痛くなかった。

花緒が擦れる、汗は全身から滲み出るのに涙は少しも溢れてこない。


がむしゃらに走る私を見て蛇国の人々は目を丸くして、ひそひそと話していた。見回りの軍人に声をかけられても無視して走っていた。


港につくと見覚えのある人影が私を見やると怒鳴りながら近づいてくる。


「もー!依織様!!なんで隣国にいるんですあれほど何回も……って大丈夫ですか、依織様…?」


息切れ、肩で息を吸う、顔がぐしゃぐしゃになっているのが分かる。


走っている時に気付いた。自分が平和ボケしていることも、いずれ訪れる死にも鈍感だったこと、身近な人もどんな人も私ですらその死に隣合わせであることも、こんなにも流歌が遠い存在であることも。


鈴香にしがみつく。体温が伝わると共に涙が溢れ出た。


「るかぁ…るか…死なないでよ…遠くに行かないでよぉ………このままお別れなんて嫌だよ………ッ」


後悔の思いが強かった。しがみつく手には流歌のハンカチが握られていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る