春
>神代 骸狼
「くそ…ッ。あいつどこいったんだよ…」
実際の年齢より幼く写るその容貌とは反対に、少年…いや、青年はありったけの不満をぎゅうぎゅうに抑えた上でつい漏れてしまった小さな悪態を雑踏の中でかき消した。
幼い頃から愛想のない顔だと言われている無表情、その一部であることを象徴する死人のような目。
空虚を見つめるその赤い目は、何かに執着するようにギラギラと視線を動かしていた。
自分の赤い目は何故か、同じ赤い目の幼馴染みと比較されていたと…定期的に、ふと思う。
そりゃあ自分よりは奴の方が要領がいいし、愛想もいいし、驚くほど器用だ。
それに童顔と評される自分と違って、年相応の…不相応の妖艶な雰囲気も纏っている。
まぁ幼馴染みともなればそれの原因は分かりきっている。
奴は嘘吐きだ。
相手にも、己にも、時折生き物以外にも嘘を吐く。もちろん自分も例外ではない。
この世の全てに嘘を吐くような(と言っても過言ではない)とんでもないやつだが、その気になれば偽を真に変えるのが奴の恐ろしいところだ。
奴が褒め称えられてる側で時には比較されながらも、自分はうげぇえと小さく本心を吐いていた。
昔は嫉妬やらなにやらしていたが、なぜだかいつも見抜かれる。そして適当にあしらわれる。
今となっては無駄な感情だと割り切れている。
……が、それでも不満は尽きない。
今もそうだ、と現実に引っ張り出される。
いつも自分のやりたいことが見いだせず、彼の歩いた道を付いていた。
何もしないよりいいだろうとか、奴に一緒にやろうとか言われながら、必死に追いつくために努力していた。
かえってそれが比較される種だとしても。
自分の国、蛇国では徴兵の義務がある。ここら一帯は戦争とは無縁なのだが、何故かあるのだ。
そしてその徴兵、ある程度の教育を受けた後に殆どの男児が兵となるのだが、その前にも志願することは出来る。
今回はそれだ。
突然奴が軍に入ろうと言い出し、自分も入った。
呆気に取られなんとなく入ったが、想像以上に道のりが過酷であった。
奴は辛い鍛錬ですら涼しい顔でやってのけ、あっという間に最年少で第壱班の陸軍に就いた。
奴が立派な軍服を身に纏い現れた時はつい頬の肉をつまんで思いきり引っ張ったほどだ。あまりにも早すぎる。
反して自分はある程度はこなせたが、それ以上はキツかったのだ。
奴に追いつくために青春を謳歌する時期を全て費やす、相応の努力はしたが、陸軍としての戦闘の技術はいつまで経っても一般のそれであった。
しかし凡人な自分にも、偶然か必然か、才能が備わっていた。
戦闘機の操縦…空軍としての技術である。
今までは奴と同じく陸軍に所属していたが、奴に勧められ空軍の練習に、ほんの興味程度で入った結果だ。
常に努力しても凡才止まりであった自分にも才能があったのだと、ひたすらに驚いていた。
陸軍で味わいまくった苦渋との違いのせいかある難点を置いて空軍での成長がめざましく、それなりの時間はかかったが、ちょっと嬉しかった。そして自分もやっとのことで奴に追いつき第壱班の空軍に就いたのだ。
その称号を表すバッチは視界の端で太陽の光を反射し、自慢げに居座っている。
就いた…追いついた当時は嬉しかったが、今は後悔している。
今まで何度も繰り返した回想を終えてその後悔やら不満やらの現実に目を向ける。
奴…もとい、水無月流歌はいつしか述べたとおり嘘吐きである。
そして例に漏れず日課の如く仕事をサボっていた。
同じ班の者はのらりくらりとする奴を探させる役割を自分に押し付けた。
そして日課の如く奴を追う。
せっかく就いたのにやることは昔から変わらないと苦笑した。
半ば呆れつつも、不満ではある。
回想と共にせっせと足を運び、キョロキョロと周りを見渡していた。
奴がサボりに逃げる場所は大体隣国の宵国である。
自分たちが軍に入るころに出来た隣国とのなんだか条約のおかげで、軍には宵国を警護するお巡りの役目がある。
…まぁこっちの国でも戦争がない限りお巡りであることには変わりないが。
だから彷徨いていても怪しまれない隣国に奴は逃げる。
放っておいても日が沈む頃には勝手に帰ってくるのに自分も物好きなのかもしれない。
それにしても…
「……へくちっ!」
…
………。
…さむい。
仏頂面の自分が間抜けなくしゃみをしたことがおかしいのか、近くの町民達は目を丸くしている。
春と言えども寒いのだ。
昔から極度の寒がりで、冬になると冬眠したくなる。
空軍となると…季節関係なく寒い毎日が続き、たまに奴みたくサボりたくなる。
自分に備わった数少ない才能は、生憎寒がりというだけで打ち消されそうになるのだ。
若しかしたら流歌は自分が寒がりであると知った上で空軍を勧めたのかもしれない。
早くあいつを見つけて囲炉裏の前でぬくぬくとしたい。今日は鍋だ。流歌に作らせよう。あいつ料理も上手いからな、そうしよう。
…などと考えながら身体を震わせつつ重たい足をずるずると運ぶ。
「寒いのですか?」
突然優しくも凛とした声が耳に届く。
…何処だ。
反射的に振り向くと首の周りに暖かいものが巻き付く感触があった。
眼前の美しい少女の存在を含む次々に起こる不思議な体験に理解が追いつかなかった。
「隣国の軍人さん、いつもお疲れ様です!」
自分の首には赤いマフラーが巻かれていた。そこらの売り物より遥かに丁寧なそれは、丹精を込めて作られた手編みであることが素人目でもはっきりとわかった。
そして何より…恐らくこのマフラーを作ったであろう少女。
長く艶やかな黒髪は椿の花の簪で飾られている。春の風に揺れる黒髪と幼げな容姿から漂う花の香り。
そして…自分と同じ赤い目。
赤い目であることにも驚いたのだが、何より彼女の立ち振る舞いに違和感を覚えた。
軍で鍛えた感覚でも気配を感じ取ることは出来ず、それこそ年中吹雪く桜と共に姿を表したようだった。
「…どうかされましたか?私の顔に何かついていますか…?」
不思議そうな顔でこちらを上目遣いで覗く。
「い、いえ!素敵な立ち振る舞いだなぁと、あの、はい!!」
慣れない敬語に詰まりながらも一生懸命に返事をした。
…ずっと流歌と一緒であったために女性と縁がないために挙動不審になる。
どちらかと言うと奴に恋文を渡せと同年代の知らぬ女に言われる役であった。
ついでに言うと一緒に居たが故に比べる者と、まぁいわゆる男色の気でもあるのかと疑う者もいる。
断じて、それはない。
確かに流歌は女っぽいと思うところがあるが、ない。
「ならよかったです!あ、そのマフラー私が作ったんですよ。もし良かったら貰ってくれませんか?」
はっとする。やはり手作りであったか。
でも元からマフラーにこもっていた熱はなんだろう、さっきまで着けていたのだろうか…。
「そそそ、そん、そんな…勿体ないですよ…。僕なんかに……」
「えへへ、気にしないで下さい。寒そうでしたから…」
「それに、困ってる人を放っておけないんです!」
あっけらかんと、溢れんばかりの屈託のない笑顔で少女は仏のような事を喋る。
仏か、仏の使いか、極楽からの救いの手であるか。
泣きそうになりながらも感謝の言葉を精一杯絞り出した。
「あ、自己紹介が遅れましたね。天ノ川家の侍女を務めております、鬼龍院椿葉と申します!椿、とお呼びください。」
椿葉と名乗る少女は恭しく一礼する。
「や…僕は蛇国第壱班きゅッ………ゲフン、空軍所属、神代骸狼であります…!」
汗ばんだ手で敬礼する…あぁ、噛んでしまった。
いつもこの挨拶はどこかしらで噛んでしまう。
軍の中で、攻撃時にこの決まり文句を言って気合いを入れるのが流行っているのだ、近いうちに直さねば…。
彼女…椿葉さんがくすくすと笑っているのに気が付き、顔が紅潮する。
しかし、僕も男だ。
…恋文を届ける度に流歌はわざわざ書き手の前で好きな人がいるから、と言って破り捨てる。
いつも自分は遠くからなんて事を…と思いながら数多の少女の涙を眺めていた。
流歌の好きな人は何処の誰だか存じない、今となってはどうでもいい、これも何かの巡り合わせだ、
椿葉さんを口説かねば……!!!
「……つ、椿葉さん、もし良かったら一緒にお茶でも…!!」
「私…用事があって、あの…すいません!!」
…申し訳なさそうに顔をうつむける。
僕の心に会心の一撃だ。
「い…いえ…謝らないで下さい。悲しくなりますから…」
椿葉さんの仕える天ノ川家のお姫様は相当のお転婆らしく、何十回も脱走を繰り返しているらしい。そのお姫様を探し回っていたそうだ。
「じゃあ約束しましょう!近いうちにお手紙を頂いたらきっちり守ります!」
そう言って椿葉さんは自分の左手をとって小指を絡めてきた。
「つ、椿葉さん…!?」
「指切り、って言うそうですよ。この国のおまじないみたいなのらしいです!」
それから僕がぼんやりと惚けているなかで次会った時は椿って呼んでくださいね、と振り返りざま言い…椿は沈み始める太陽に溶けて言った。
✿
>神代骸狼
「────ってことがあったんだよ!」
囲炉裏の炎に赤く照らされながら自慢げに語った。鍋はぐつぐつと音を立て、美味しい香りを昇らせていた。
「へぇ、骸狼って女の子と話せたんだね」
囲炉裏を挟んで反対側に座る流歌は皮肉を含めて具をよそう。
「ふん、馬鹿にして。流歌こそどうしたんだよ。今日は妙に機嫌がいいじゃないか……あっ、それ僕の豆腐!!」
「もーらい。別にーっていってるじゃん。骸狼もご飯食べる時くらいはマフラー外したら?」
「いーや、これは絶対外さないね。それになんだか彼女の…椿の香りがする。…くらえ!葱攻撃!」
「それ骸狼が嫌いなだけでしょ。…気持ち悪っ。ひぇ、鳥肌たった」
流歌はわざとらしく身を震わせる。
ほんとうに機嫌がいいのか、目に見えて嘘のキレが悪い。不思議だ。こいつも女か?
「……あ、骸狼。ついでに言うと椿の花に香りはないよ。」
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