指契り

みかん±0

第壱話 巡


>?

鼓動と体温が伝わり、触れ合う距離。

鼓動は耳に谺響のように残り、体温は私の頬を急速に紅く染め上げる。


あまりにも知らない世界に踏み込み過ぎたせいか、私は気を失った。…そこまでの経緯を綴りたいと思う。


>天ノ川依織

風を、風をきって駆け抜ける。

私は宵国の天帝、天ノ川家の一人娘、天ノ川依織!只今お屋敷を脱走中なのだ。

満面の笑みで街を走っている私に、同じく日常を過ごす愛する民は半ば呆れたような、それこそ自分の子の無邪気を見守る親であるように目で追う。中には手を振ったり、声をかける者もいた。

挨拶を返し、手を振り、走りは止めない。普段はそのまま彼、彼女等と会話するのだが今はばっちり侍女に追われているので撒くまではお預けになってしまう。

「こらーーっ!依織様ーーーっ!」

「あっははは!捕まえれるものなら捕まえてみなよー!」

いつも口煩い侍女は鬼ごっこの如く私を追いかける。実際、過去37回の脱走で1度も彼女に捕まったことはない。他の従者に待ち伏せされるか、門限になってお屋敷に戻るかぐらいだ。門限はしっかり守るのだ、尚侍女は置き去りにする。…毎日座ってばかりのお稽古よりは、体を動かす事の方がずっと私は好きだ。

遠くから待ちなさいと侍女の声が聞こえる。待つわけないじゃんと呟き、不適に笑って逃避する道順を頭の中で思い浮かべる。この先の曲がり角を曲がって少し行ってしまえばおそらく撒けるだろう。

視界を淡い桃色がちらちらと姿を主張する。この国にも桜の木は街路樹として植えているが、眼前の舞い散る桜はほとんど隣国のものだろう。

人気も先程よりは減り、民家による複雑な路地が形成されている。さすがにそろそろ休憩がしたいところだ。


目的の曲がり角を曲がり……

どしんっ

「うわっ」

素っ頓狂な声とオノマトペが聞こえる、何かとぶつかってしまった。

倒れ込む程ではなかったが、顔から突っ込む形だったので何かと触れ合うことになっている。

何かが詰まった厚みがある…丈夫な布で…私より背丈が高くて……

…………暖かい…?


…何かを何かと察してしまった私は恐る恐る視線を上にあげる。

二つの、深く深く赤い瞳と目線が合う。何かは最初驚いた顔をしていたが、次第に口元を緩ませ微笑んだ。

沈黙の時間はどれほどだったか分からない、その中性的な美しい顔立ちと哀愁を帯びた瞳に囚われていたからだ。


「…顔に何か付いてるかな……お姫様。」

神経に絡みつき何処か見透かすような中で凛としたものを感じさせる声だった。

「い、いえ、あの、すいません…綺麗だなぁ…って、見惚れてて…えへへ、ごめん…なさい…」

体温の上昇がすっかり分かる。変なことを言っていないだろうか。今更になるが隣国の軍服に身を包んでいる事に気がつく。隣国との条約で軍隊の何人かが宵国を警護しているからこの国にいてもおかしくない。凛々しさはそこからだろうか。

「はは、可愛いお姫様にそう言って貰えると嬉しいね。」

お世辞にも可愛いと言えない引きつった笑みで笑う私に合わせてくれている…ところに聞きなれた声が住居との隙間を縫うように聞こえる。

「…っ鈴香!」

思わず侍女の名前を呼んでしまった。…やっと近づいてきたようだ。ぱっと現実に連れ戻された感覚を覚える。逃げなければ…。

「あっ、あの、い…私ちょっと色々あって追われてて…もうちょっとお話していたい…です…けど、だから、えっと…」

混乱して上手く言葉がまとまらない。さようならと言いかけたとき、私の唇に人差し指が当てられていた。

「しっ…静かに。奇遇なことに実はこちらも追われている身でね。お姫様がいいならこのまま乗り切れるかも…いや、乗り切れるよ。」

赤い瞳が私を見つめる。怪しい笑だ…。…初対面の人を何故ここまで信用出来たのか、それも赤い目の、隣国の軍人だし、様々思うことはあったのだろう。しかしそれらは思考の外に放り出されていた。一種の期待が、欲がゆっくり心の中で渦巻き大きくなっていく。

迷いは一切無かった。

「…はいっ!」

次の瞬間視界が暗転する。すぐには理解出来なかったが、おそらく軍服の外套に包み込まれているのだろう。…つまり今私達は…だ、だ…っ抱き合う形になって…いる。体格の目立たない生地だが、触れ合う体温はしっかりと伝わる。蒸発しそうだ。じゅわぁ。

「息苦しいかもしれないけど、少しだけ我慢してね。」

耳元で囁かれ頑張って頷いてみる。無理…絶対顔が茹でられたこさんみたいになってるんだ…くらくらしてきた…。

緊張のためにより研ぎ澄まされた五感で侍女の足音と慌ただしい呼吸音を捕らう。

「ぜぇ…はぁ…あ、の!軍隊さん…いつも見廻りお疲れ様で…あっ!ご、ごめんなさいぃいいッ!!」

何をこいつは謝ってるんだ。というか今更追いついたの…。私の袴(走りやすいようにこっそり改良したもの)よりもモガのあんたの方が動きやすいでしょ、時間的にも絶対道に迷ってここに来たよね。うん、う………?うん?あれ、謝ったのって、もしかして…こう、こ、恋人…?みたいな?な??抱き合っ…て、るし、そう見えたのか…な?

「いえいえ、お気になさらず。ところで、どうされたのですか?」

「あぁ、はぁ。ぜぇぜぇ…こちらで依織様を見かけませんでしたか?あの、騒がしいやつです…。げほっ。」

……あぁ~?騒がしいやつって言っちゃったなこの人ー。本人がいないと思ってー。いますー、ここにいますー。って隣国の人もちょっと笑ってるしー。もーー……。

「あぁ確か…ふふ、失礼。反対の角を曲がって行きましたよ。そのあとは多分右に。」

「けほっ、けほ、どうもです…。次見つけたら捕まえて下さいね。一応指名手配されてるんです。」

「はい分かりました。あ、左の方ずっと言ったところに団子の美味しい茶屋がありましたよ。」

「…!こほん、そうですか。ありがとうございます。では。」

えっ…指名手配って初耳なんだけど…賞金貰えるの…?というか指名手配で連れてくるより…そのまま誘拐した方が……ゲフンゲフ…あと…あれだろおめー、絶対茶屋行くだろ…

まってーもうたこさん茹で上がってるよー真っ赤だよーあれ…意識が…。

「依織様、もう侍女さん行ったよ。左側の方に……ってあれ?気失ってる…??」

「というわけだよ。」

「依織様…どこに向かって言ってるの…?」

今は茶屋で一休みしている。ご察しの通り、先程侍女に言った店は、こちら側の右に少し行ったところにある。軍服の人はしたたかに嘘をついたようだ。

「…依織様、気失わせてしまった…ご無礼をお許しください」

突然隣国の人は心の底から申し訳なさそうに謝る。なんとなくだけれど…先程のような嘘の雰囲気を感じられなかった。

「大丈夫だよ!ぶつかったのもい…私は謝れてなかったし、変なこと言っちゃってごめんね…?」

ぽつぽつと謝罪の言葉を譲り合いゆっくりと会話が消えていく。ぽかぽかとした昼下がりに気まずい空気が漂う。

「気になっていたけど、依織様はどうして…こんな忙しい時期に脱走をしたのですか?」

茶を啜りながら尋ねる隣国の人の足元には鈴と赤い結を飾った黒猫が寄り添う。この店の飼い猫だろうか。

「うーん…巡り、を求めてるから…かな!時間も四季も巡って、人も巡って…。そんな循環が存在する、今だからこそ味わっておかなきゃ損かなぁと思ったよ!」

そう言って運ばれてきたみたらし団子を頬張る。団子はみたらしに限るね。…この茶屋の娘も私に負けず劣らず元気で、二輪の花の髪飾りが特徴的な娘だ。団子が、美味しい。

「…お稽古とかお作法が面倒だったりとかもあるけどねっ。」

私がつらつらと語ったあとそれ以上の理由を述べると隣国の人はくすくす笑った。

そんな感じで談笑は続く。隣国の人は見廻りでなくてサボりであったりとか、互いを追う親しい者達のこと、それぞれの国のことや七夕祭。後から気付いたが隣国の人の軍服にはたくさんのバッチが付いていて軍隊ではわりと偉い方らしい。最高司令官で女性の軍人を慕っていると言い、サボりであるとは言っていたもののやりがいや誇りを持っている気がした。

そうこうしているうちに太陽は傾き始めた。最近は高い建物が増えたが、空を覆うほどではなく景色をまだ守っている。…門限が近い。

いざという時のためにお金は持っていたが、気付いたら隣国の人が勘定を済ませていた。皿の上には数え切れないほどのお団子の残骸…串が乗っている。……恥ずかしいのと同時に申し訳なかった。


他愛ない会話をして歩き、あっという間に屋敷の門の前に着いていた。道中、何も知らない国民達からは私を隣国の人が警護しているように見えたのだろう。一人でいるよりは安心だね、と言う声が聞こえた気がする。普段の私はそんな危なっかしく見えていたのだろうか。


「今日はありがとう!たくさん迷惑かけちゃったけど、い…私はすっごく楽しかったよ!えへへ…また会えるといいね。」

私の巡りは、そのためにある。出会う、また会える、その奇跡が願う事が何より嬉しかったからだ。


「そう言って貰えると嬉しいな。…はい、これ。あげる。」

そう言って私の掌の上に可愛らしい包を乗せた。所々に桜等の春を思わせる装飾が施され、桃色の和紙から透けて白、黄、緑、桃、橙…色とりどりの星のようなものが小さい個体からめいいっぱいのキラキラを輝きを放っている。

「金平糖…って知ってるかな?」

「…?知らないよ!」

物珍しげに見つめる私を見て隣国の人は微笑む。

「砂糖菓子だよ。さっきのお茶屋さんで買ってきたんだ。…巡り会えた記念に、ね。」

贈り物にも驚いたが…最後の言葉に今日一番の感動を覚える。


「じゃあい…私もお返しするねっ!」

驚いている隣国の人を横目に私は高い位置で結っている髪の片方を解く。猩猩緋の糸だ。

そして素早く私の左手の小指と、隣国の人の左手の小指に糸を結びつける。


「な、何してる、の?依織様…?」

「指契り!約束をする時にやる、宵国のおまじない…みたいなやつ、かな?」

「ゆび…きり……。」


恐らく隣国の…蛇国にはこの習慣は無いのだろう。もっとも、宵国でも時代と共に忘れられているけれど。


糸で繋がれた私達の小指を絡ませる。たゆんだ糸がゆらゆらと揺れた。


「また、会おうねっ!」


太陽が沈み始める。

私は歌を歌う。死んだお母様が教えてくれた、指を契る時に歌う歌だった。直接教えられた訳ではない。小さい頃、子守唄代わりに歌われたのだ。

なんとなく、覚えていた。お母様との巡りを思い出して少し泣きそうになってしまった。

桜が、舞っている。昼間の桃色とは違い、太陽のために影を落とす花弁も綺麗だ。


「…おしまいだよっ」

私は指をそっと離す。歌っている時は目を瞑っていたが見上げて隣国の人を見つめると、不思議そうな…というよりは呆気にとられたように、口を半開きにしていた。


「…だ、大丈夫……?」


「…あぁ、ごめんね…。なんだか懐かしい気持ちになっていて…。」


隣国の人の意識は少し別のところにあるようだった。


「それじゃあ…またね。」


「うん。約束、しっかり守るよ。」


隣国の人は半身で小指を立て微笑むと、背中を向け振り返らずに夕日の中に溶けていった。


その背中を見届けると私も後ろを向く。今日の1日を振り返っていた。

敷石の上を飛び跳ねるように庭を横切る。


「そういえば…」


とても大切なことを忘れていた。


「……名前聞くの忘れてた。」






>水無月流歌


「おい!!流歌ッッ!!!お前見回りサボってどこいってたんだよっ!!!」


口煩い友人が近付いてくる。


「…お前こそ、その首に巻いてるそれ、どうしたの?…誰かと巡り会ったのかな?」


彼女の言葉を含めて尋ねる。


「ど、どうもしてねぇし!ただ、ちょっと、、いや…なんでもねぇよ。」


おそらく手編みの…赤いマフラーを握りしめている。


「お前こそ、めぐり?あう?だかなんだか…男のくせに…ふわふわした言い回ししてどうしたんだよ…」


「んー…俺は別にー。」


「…変なやつ。船頭のおっさんに話してくるから待ってろよ。」


「うん。いってらっしゃい。」


1人取り残され夜空を見上げる。

今日の事を忘れる事が出来ないと思った。むしろ忘れれないだろうね。

巡りーー。

変、変か。


「我ながら変だよね。自分の国のお偉いさんとこに嫁入りする…隣の国のお姫様に何年も、ずーーーっと片思いしてるとか、さ。」


夜空には金平糖のような星が輝いていた。




>天ノ川依織

今日の事を思い返している。1人、自分の部屋で。無駄に広い部屋で、目立つものとすれば糸車くらいだろうか。

なんだか忘れることが出来ないことがあった気がする。こういうところが巡りの面白いところだ。


「……赤い糸で指契りしちゃったし…。」


そう呟き髪を結う糸に触れる。

指契りは普通糸は使わない。糸を使うと約束の意味がそれぞれ異なり、力を強めるからだ。赤い糸を使うと…。

それに私はお見合いが控えてるのに…なんてことをしてしまったのだろう。


でも…。


「でも…素敵な女性だったなぁ…」


名前はなんだろうか。1人っ子だからお姉さんが出来たような気がして嬉しい。…仲良くなったらお姉さんと呼んでもいいだろうか。



「早くまた会いたいな!」






こうして、後に大きな事件…戦争を起こす2人の巡りは起こった。

運命の糸は複雑に絡まり紡ぎあい、狂った歯車は奇怪な物語を廻し、

四季の劇は幕を開けたのだ。

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