6. 空想の世界

目を覚ます。時計の針の音がする。腕時計を確認すると確かに、僕の腕時計から針の音が空間にこだましていた。そのくらい、静かだ。んー......頭がいたい。そう言えば、どうして僕はこんなところに倒れているんだろう。クスリでも過剰摂取したのだろうか。一番ありがちなパターンだな、と考えたとき、経緯が脳裏に浮かび上がってきた。そういえば、水晶玉に吸い込まれた夢を見たような気がする。それも痛く現実味を帯びた......。


「はっ!」


一気に冴えた僕は上半身を起こし、辺りを見渡す。遠くの方にバスケットボールのコートが見える。地面には白線のラインが円を描いていて、振り返ると、そこには壇上があった。つまり、体育館である。窓の外は暗く、それでもぼんやりと校舎の影が目に映った。何故学生でもない僕が校舎の体育館で倒れ込んでいるのか。とりあえず立ち上がろう、とした刹那、グランドピアノの鍵盤がひとつ、弾かれる音が空間に響き渡った。そして演奏が始まる。この旋律は、ドビュッシーの月の光だ。暗い校舎の中、体育館だけに電気が灯り、そこでピアノの旋律が流れる様は、まさにホラーだった。壇上に目を凝らすけど、誰もいない。


「と、とりあえず、出よう、ここから」


僕は逃げ出すように体育館をあとにした。扉を開けると校舎の廊下があり、下駄箱が見えた。そこを抜けて、グラウンドも抜けて、とにかく人気のある場所に出ようという思いで。

校舎を抜けると、そこには街並みがあった。どこか見覚えのある、渋谷と町田を足して二つに割ったような、中途半端な繁華街。しかし繁華街というよりは、辺りはしーんとしていて、ゴーストタウンのような風体をしている。車一つ通っていない。人一人通り過ぎることのない、街灯だけが仄かに道を照らしている、そんな街並み。しばらく道なりに歩いていくと、自販機の明かりを見かけた。ポケットを確認すると、幸いにも財布がなくなっている様子はない。喉が乾いたし、何か飲むか......。

小銭を入れる。気分的に、炭酸系が飲みたかったのでコーラ缶のボタンを押した。ガコン、とコーラが落ちてくる音がする。自販機は普通だ。つまり、この街には確かに人がいる、ということになるのだろうか。自販機だって、中身を入れる仕事をしてる人がいなくては空っぽだ。僕はそんなことをいつも忘れて、当たり前のように買って飲む。いや、さすがにそこに罪悪感を伴わせる必要があるのか、とは思うけれど、やはり、街は働く人によって動いている。人が街を回している。僕は、その歯車にいない。いないのに、そんな街並みで何やかんやで買い物をし、食事をし、こうして今だってジュースを飲む。生きているのか死んでいるのかよくわからない気持ちになるのも当たり前だ。死んだことがないから、厳密にいえば語弊があるけれど。どうしようもなく空っぽだ。どうしてこうなったのか、経緯なんて今更なんの意味がある。僕はコーラの蓋をあける。カシュッという炭酸の抜ける音が響いた。飲みながら、歩こう。


「ほんとに、人一人いないな...アパートもマンションも、電気が付いてないし」


誰もいない街。それは、確かに僕が望んでいた世界。劣等感も、人付き合いも、最初からなくて、静寂だけが辺りをつつんでいる世界。そんな望みが、ここに僕を誘ったのだろうか。そんなことを、僕はなんとなく思い始めていた。けれど......。

僕は歩道橋のうえで立ち止まる。そこに、小さな人影があったからだ。よく見えないな...と思った刹那、パチン、という指鳴らしの音がするのと同時に、歩道橋の下の、つまりは車道の辺りが明るくなる。


「ようこそ、空想の世界へ」


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