花降る世界(一)
ケイッティオと二人で、空をふわふわと漂う。
ケイッティオは眩しそうに空を仰いでいた。あたしはといえば、目に飛び込んでくる風に目を瞬いていた。
「何かいいこと思いついたー?」
あたしは、轟々と耳元で唸る風の音に負けないように叫んだ。
「まだー」
ケイッティオも、ケイッティオにしては大きな声でそう言う。
「空に生き物が住めるようにするには、どうしたらいいんだろう」
ケイッティオが嘆息する。
「というか、それって、結構無謀なんじゃないのー? だって結局空って空気だよー? この色だって、日の光なんだってよー? 昔誰かが言ってたー」
「それなのー」
ケイッティオが、お手上げだ、と言うように腕を伸ばした。あたしは水の中を泳ぐようにぱたぱたと足を動かして彼女に寄り添い、その手に指を絡めた。
「でもねー、モンゴメリが空を歩きたいって言ってたから。わたしも、それは素敵なことだろうって思うからー」
「だよねー」
あたしも、空の王国を作るだなんて、なんて素敵だろうと思った。
あれからずっと、二人で頭を悩ませていた。せっかく世界を造り替えるのだ。世界中の人にだって、これくらいの我儘は許してほしい。あたし達が、子供じみた夢の世界を造ろうとするのを、許してほしいのだ。
「ねー、ケイッティオー」
「なにー?」
「空の上を歩こうとする発想がだめなんじゃないー? だってほら、地球だって、球体なんでしょ? だから重さがあるんでしょー? だから歩けるんでしょー? 違ったっけー?」
「わからないよー」
途方に暮れたように、難しそうな顔をしてケイッティオは眉をひそめた。その顔があまりにも可愛げがなくて、だからこそ愛らしくて、あたしは笑ってしまった。
「じゃあ、球形にすればいいのー? でも、どうやってー?」
「それこそわかんないーっ!」
二人で大笑いをする。
「そうだ!」
あたしはいいことを思いついて、にかっと笑った。
「なにー?」
「発想の転換ってやつ! ねえ、空を歩くんでしょ? つまり地面が空なんでしょ? だったら地面が空になるんだよね? そういうことだよね?」
ケイッティオは、またあの難しそうなしかめ面になる。
しばらくして、花が咲くように顔を輝かせた。
「そう! それだわ、ギリヴ! 頭いい!」
「えへへー、でしょー」
「そう、だって、空の上を歩くのに、空の空がまた空だなんて、気が狂っちゃいそうだもの」
「あはは! 空の空の空? あはは!」
「そうだわ、空の空の空があるのよ、変」
二人でお腹を抱えて笑い転げる。
どうしてだろう、空の中で、明るい青に囲まれて、二人でふわふわと浮いているからだろうか。なんだって面白くて、楽しかった。笑ってばかりだ。ハーミオネったら、さっさといなくなっちゃって、なんてもったいない。今、この場所に居てほしかったよ。この、澄み切った、晴れ渡った空の中で、三人で笑いあえたらどんなに楽しかっただろう。
ひとしきり笑った後で、二人で顔を見合わせる。
「で、どうしよっか?」
「わからない……」
二人して、途方に暮れる。同時にまた吹きだす。
「あははははっ」
あたしたちは、自由だった。
「レレクロエに、聞いてみよう」
ケイッティオが、涙の滲んだ目尻を拭いながらそう言った。
「うん、それがいいかも!」
そう言って、二人で輪を作るみたいに手を繋ぐ。
ケイッティオが力の拘束を解いた。あたしたちは、勢いよく落下していく。
それがまたどうにも可笑しくて、あたしたちは笑いっぱなしだった。
きゃー、だとか、さむーい、だとか、痛い、だとか、色んな悲鳴をあげて、くるくると回りながら落ちていく。
「あっ、しまった。どこに落ちる?」
「うーん……」
ケイッティオは眉根を寄せる。
「海に落ちるのと、枝をなぎ倒すのと、」
ケイッティオは、とっても真面目な顔をして選択肢をあげていく。
「……レレクロエに、ぶつかる、とか……?」
「あははははっ」
あたしはたまらず吹きだして、ケイッティオも表情を崩した。
「それいいわ! それにしよっ」
「怒られそう」
「知らない知らない!」
笑い続ける。二人で、笑い声をぽろぽろと零していく。
かくして、あたしたちは二人して勢いよくレレクロエの背中に突進した。
もちろん、手加減は忘れずに。
*
「もう……これだから女は……」
レレクロエが頭を抱えている。
「ごめんってば! ちゃんと謝ったじゃない」
大して反省もしていないけれど、とりあえず謝ってみる。
「ねえ……君たちが空に飛ぼうが海に潜ろうが知ったことじゃないけど、頼むから僕を巻き込まないでよね……君たちと違って頑丈じゃないんだけど」
「男なのに頼りないわね?」
あたしの言葉に、レレクロエはむっとする。
「別に暇だからいいじゃないの。レレクロエったらなんにもやってないじゃない。たまにはあたし達に付き合ってよ」
「やだよ……僕は二人のノリにとてもじゃないけどついていけないんだって……」
心底疲れたようにぼやくレレクロエに、ケイッティオがくすり、と笑った。
「ねえ、レレクロエ。空を地面にして地面を空にするにはどうすればいいと思う?」
ケイッティオが至極真面目にレレクロエに尋ねる。レレクロエは、恐らく過去最高に面倒くさそうな顔になった。
「……は?」
「あ、えっと…だから、青い空を踏みしめて、見上げたら大地があるような……」
「いや、言い換えてるけどそれ殆ど変わってない」
レレクロエはあたし達をじとりと睨む。
「なんか馬鹿なことしてるなと思ってたら……そんなことしようとしてたわけ?」
「だめ?」
ケイッティオがどこかしょんぼりとしたようにそう言う。あたしはケイッティオの肩に手を乗せた。
「ちょっとー。他は何もしてないんだから、こういう時くらい何かいい案だしてよー」
「そのとんがり口うっとうしいからやめてくれる……」
レレクロエは、はあ、と深いため息をつく。
「簡単じゃないのさ。重力を逆さまにすればいいじゃない」
「あっ、そうか」
「でも……どうやればいいの?」
ケイッティオは不安そうに言う。
「え? だって君、いつも重力打ち消してるじゃない。できるんじゃないの」
「わたしのは、そう、重力を打ち消しているだけなの。でも、重力の基準は変わってないの。もし逆さまにするなら、別の重力が必要でしょう? どうしたらいいんだろうって……」
「はあ……」
レレクロエは微妙な顔をした。
「結局、重力だってどんな力だって、ベクトルっていう方向の集合体なんだよ。その方向を逆に収束するように捻じ曲げればいいじゃない。ギリヴがいるんだから、できるでしょ」
「へ?」
あたしは、自分でも間抜けな声をあげてしまった。
「なにその間抜け面。だから、ギリヴの力は破壊だけじゃなくて、大きな作用を及ぼす力なんだ。破壊はその一部だよ。うまく調節すればいいじゃない。ギリヴの力でうまく捻じ曲げるんだよ。ギリヴ一人ではやりすぎるって言うんだったら、ケイッティオが助けてやればいい。ギリヴの力を、適度に分散してやればいいんだよ。君の言うところの、【奪う】ってやつ」
「な、なるほど……」
「……本当にわかってんのかな……」
「あんまり」
レレクロエはあからさまな溜息をついた。
「え? それで、君達はこの世界をひっくり返したいの? そういうこと? 全部?」
「全部、じゃないわ……あのね、ハーミオネの言ってた、南極の森も作りたいから」
ケイッティオは華やかに笑う。とてもわくわくしたように顔を輝かせる。レレクロエはあからさまに絶句した。
「は? ……なんだって?」
先を聞きたくなさそうに、そう呟いてくる。
「南極の氷を溶かして、緑豊かな土地にしたいんだって」
あたしがそう補足すると、レレクロエはなんともいえない顔をした。
「……女って変な子ばっかりだね……頭おかしいんじゃないの……」
「あら、何か聞き捨てないことを言われたわね?」
あたしはにっと笑う。
「はあ……。それだったら、空に別の球体――星でも作れば? 空を歩くのとは違うけど、でも、この地球の大地は空になるよ、その星から見るとね」
まあ本当は引力的に近すぎるとまずい気もするけど、とかなんとか、レレクロエはぶつぶつと難しいことを呟く。
「うーん……わかった、やってみる」
ケイッティオが唸る。
「材料はいくらでもあるだろ、ミヒャエロの混沌の中にさ。好きなだけ使っていいんじゃない」
「そうね」
ケイッティオは、少しだけ強張った顔で、儚く笑った。あたしは、胸のあたりをぎゅっと握りしめていた。
*
力を受け継ぐと、元の持ち主の記憶や感情が流れ込んでくるのだという。
ケイッティオがはっきりと言ったわけじゃない。
なぜあたしがそんなことを知っているのかと言えば、そのことが全て、ミヒャエロの日記に書いてあったからだ。
『ハーミオネの感情が、おれの中で何度も何度も巡り続ける。
ハーミオネは、おれが彼女と出会うずっと前からおれのことを知っていたのだ。おれは一度死にかけたことがあった。馬車の下敷きになった。その時の馬車に乗っていた少女が、ハーミオネだった。ハーミオネはその時、ぐちゃぐちゃになったおれの体を見ている。目に焼き付いて離れなかったのだろうと思う。彼女の声がずっと、「ごめんなさい」と繰り返す。「あの子の傷を洗ってあげないと」「治してあげないと」「砂が入ってしまう」「ばいきんが入ってしまう」「死んでしまう」――そればかりを繰り返している。
彼女がおれに遺した記憶と感情は、それが全てだった。あまりにも偏りすぎていると思った。おれは、彼女のそんな悲痛な声を聴き続けるのが辛かった。きっとこの記憶と感情は、ハーミオネの力の源なのだろうと思う。ハーミオネはただひたすらに、自分のせいで死ぬかもしれない一人の乞食を、助けたいと苦しんでいた。きっと、おれ達が再会した時ですら、その想いは消えなかったのだと思う。』
『だとすれば、おれはもし、この力を失う時、おれ自身が死んでしまう時、この力を受け取る誰かは、おれの記憶と感情を――恐らく、おれがずっと隠してきた、一番汚くてどす黒い感情を、嫌がおうにも見てしまうんだろう。おれ達は、死ぬ時まで楽に死なせてはもらえないみたいだ。
でも、おれはそうだとするなら、おれ自身の力をケイッティオやギリヴに渡すことはできない。ケイッティオにはおれのそんな醜い本当の姿なんて知られたくない。知られるのが怖い。ギリヴはきっと弱い人だから、こんなものを受け取ったらずっと泣いてしまうだろう。そんなことはできない。』
『惜しいことをしたなあと思うのは、レレクロエと、モンゴメリのそれを、おれは観ることができないってことだ。
レレクロエは本当に変な人だった。あの人が何を抱えていたのか、結局彼は何も話してはくれなかった。少しだけ寂しいなと思う。おれは、あの人のことを友達だと思っていたから。あの人は、おれにいつだって痛い言葉を投げたけれど、それはどれも図星だった。言われるのは本当に悔しかったけれど、言ってもらえたから、おれはおれなりに考えて、死にゆくことができるんだと思う。
モンゴメリのことは……単純に、気に入らなかった。でも、あいつもまた何かを抱えていたのなら、それを少しでも知っていたら、おれはあいつと仲良くしてもいいという気分にくらいはなれたかもしれない。まあ、どうしたって気に入らないんだけど。
おれ達は、こんなに一緒にいたのに、結局誰一人お互いのことをよく知らないまま逝ってしまうんだ。それはとても、悲しいことだったなと思う』
ケイッティオは何も言わなかった。けれど、ミヒャエロの遺した言葉が本当なら、今あの子は三人分の想いと記憶を抱えているはずだ。しかも、恐らくは最も強烈で、残酷な遺志を。それなのに、彼女はそれをおくびにも出さなかった。あたしがミヒャエロから日記をもらったことは誰も知らない。そして、ミヒャエロが日記を書いていたことを知っているのも、おそらくあたしとモンゴメリだけだった。それくらい、ミヒャエロは、ケイッティオやレレクロエ、ハーミオネに
だとすれば、あたしはそのことをケイッティオに悟られてはいけないのだと思った。ケイッティオが彼らの記憶を抱えて苦しんでいたとしても、気づいているそぶりをしてはいけない。ケイッティオ自身が、知られることを拒んでいるのだから。
だからあたしは、ケイッティオがモンゴメリとハーミオネの夢物語を叶えようと一生懸命になっているのを、見捨てることはできない。せめて、それがあの子にとって慰めになるのなら、あたしにできることはなんでもしたかった。
同時に、あたしには考えていることがあった。
あたしは、どう死ぬべきか、と言うことだ。
残された三人での暮らしは、まるであの悲しみが――壮絶さが嘘だったかのように、穏やかで、明るくて、希望に満ちていた。いつまでもこの時間が続けばいいだなんて、少し前のあたしならきっと縋っていたはずだ。あたしは弱虫だから。お別れさえ言えないほどに、狡いから。
あたしは、ミヒャエロに感謝していたし、恨めしくも思っていた。こんな日記をあたしに遺して。あたしがどうすればいいか考えるように、あの人はこれを遺した。あんなにのんびりとして、何も考えていないみたいにして、本当は色々と巧妙に考えているような人だったのだ、あの人は。すっかり騙された、と思った。案外、だからこそ、ハーミオネとは相性がよかったのかもしれない。ハーミオネがあの人に惹かれたのかもしれない。
あたしは結局、何もわかっていなかった、ということだ。
あたしには確信があった。
レレクロエには、あたし達を置いて行く勇気がない。あの人は臆病だ。弱虫なのだ。冷たい言葉で、自分を守っているのだ。いつか傷つく自分を隠すように。
ケイッティオには、始める勇気がない。彼女はきっと、恐れている。手に入れた二人の大事な人の記憶を手放してしまうことも、この穏やかな青空を再び曇らせてしまうことも、全て恐れている。
二人は、逃げている。目を逸らしているのだ。あたしという、もう一人がいるから。だから二人は、現実から、未来から目を逸らし続けることができる。それはとても楽なことだ。幸せとさえ言えることだ。あたしだって、本当は終わらせたくない。消えたくない。二人を残していくことが辛い。でもきっとあたしは、誰の記憶も抱えないままでいられているからこそ、自由なのだ。あの二人と違って、あたしだけが、柵を持たないのだった。それを見越していたから、ミヒャエロはあたしを選んだのだ。あたしに託したのだ。
――自棄になったふりなんかして、ほんっとうに、狡賢いんだから。
記憶を受け取るのは、どんな心地なのだろうと思う。
あたしには、それをすんなりと受け入れているミヒャエロが、ケイッティオが、おそらくそれさえ知っていてなお残ろうとしているレレクロエが、信じられない。
それはきっと、あたし達が一番見られたくない心の奥深くの闇なのだ。
あたしは、それが暴かれてしまうのは辛い。それでも、その痛みさえ、必要なことなのだろうか。穏やかな死を迎えるために。神様の代わりに世界を守っていくという使命のために。
あたしには、わからなかった。
だからあたしは、向き合わなければならない。
あたしはずっと、誰かに愛されたかった。
あなた一人だけだよと、大切にされたかった。
あたしは、きちんと伝えなければならない。
あたしをこんな未来まで追いかけてきたのだという、男の子に。
何も覚えていなくても、思い出せなくても。
今のあたしの言葉を、伝えなければならない。
*
「やっぱりね、」
レレクロエと別れた後、ケイッティオが躊躇うようにそう呟いた。
「星を作るのは、なんだか違う気がするの」
「ああ、レレクロエの言っていたあれ?」
「うん」
ケイッティオはゆっくりと言葉を選ぶように言った。
「空がただの空気だったとしても、いいの。だって、やっぱり青く見えるじゃない。日が陰れば赤くなる。朝日が昇れば白む。そんな変化の中で歩くのが、空の国だと思う」
「でも、やっぱり足をつけるための土台は要ると思うよ、ケイッティオ」
あたしも答える。
「今はあたし達、ケイッティオの力で空の中を歩くことだってできるじゃない? でも、ミヒャエロの中にいる生き物は足場がなければ歩けないよ」
「うん……」
ケイッティオは小さく嘆息した。
「あのね……」
「うん、何?」
「考えたんだけど……いいのかはわからないのだけど……」
「うん?」
ケイッティオは、躊躇うように口をもごもごさせていた。
「大きな半球を造ろうと思うの」
「半球?」
「うん。空が全て覆われてしまわない程度の半球。それで、端っこには壁を作りたいの。見えない壁。生き物がそれ以上先に行けないように。できると思う。レレクロエが言っていたでしょう? 力にはすべて方向があるって。だから、半球の淵だけ力の方向を逆に曲げておくの。それ以上行けないように。それなら、空を歩くことができる。大地が、新しい空の国の空になれる」
ケイッティオは、しばらく目を泳がせた後、消え入りそうな声で言った。
「だ、だめかな……?」
あたしは一瞬、何も言葉が思いつかずぽかんと口を開けていた。
「や、やってみよう……! なにそれなにそれ! 全っ然想像つかない! ごめん! でも、やってみようよ。あ、あとその半球?の周りはちゃんと空気の方向も変えておかないと、だよね。ここは空気が薄すぎるから。普通の生き物は生きてけないよ」
「うん」
ケイッティオはどこか安堵したように笑った。
「ありがとう、ギリヴ」
ケイッティオは、空に浮かぶ黒い靄――ミヒャエロの遺したオーロラの集合体から、大地の材料を取り出して、巧妙に組み立てていく。かつてミヒャエロのものだったオーロラの手をうまく使いながら。
あたしはそれを不思議な気持ちで眺めていた。あんな風にいつか、レレクロエも六人分の力を使いこなして、仕上げをするのだろうか。こうして、あたしとケイッティオが残していく玩具の跡を、きちんと世界の一部にしてくれるだろうか。
レレクロエなら、できる気がした。レレクロエはあたしなんかの知らないことをいっぱい知っている。
だとすれば、あたしの力は、やっぱり必要だろうか。あの人に、残さなければいけないんだろうな。
「ど、どうか、な」
少し疲れたように息を切らして、ケイッティオが言った。
「すごい……」
あたしは、ケイッティオの作った半球型の大地を見つめて、息をついた。
岩石を組み合わせて、なじませて作った土台。そこに並べた土と砂。もちろん、緑や花の苗を植えるのも忘れてはいなかった。
「歩いてみようよ」
あたしは重力を捻じ曲げる。
二人で、新しい大地に降り立った。静かに、歩き回る。一面を包む空。地球の大地ははるか遠くにぽつんと見える。あれは海の青なのだ。それなのに、まるで空に見える。
新しい空が、見える。
「すごい……。すごいよ! ねえ、海が空だよ? 海が空だ!」
二人ではしゃぐ。
「でも……ここに暮らす人たちにとっては結局あんまり変わらないのかも、ね」
ケイッティオは少しだけ悲しそうにそう言った。
「結局、雲が傍にあると言うだけで、あんまり元の場所と変わっていない気がしてきた……」
わかりやすく落ち込んでいる。
「な、何言ってるの! 流れ星がもし落ちても、雨が降っても、この大地から見れば上に吸い込まれていくのよ? 空に吸い込まれていくの。それって素敵じゃない? 十分意味はあるわよ!」
「うん……」
ケイッティオは力なく笑った。
「でも、雨の降る向きは逆にしておかないとね。だって、水がないと困るわ」
「あ、そうね……」
それ以上、あたしはなんて声をかけたらいいのかわからなかった。
二人して、しょんぼりとして海に浮かぶ森へと帰り着いた。
*
「はあ、それで、あれを作ったわけね」
レレクロエが、怠そうに腰に手を当てて、新しく空に浮かんだ半球の大地を眺める。
今日は三人で空へと登っていた。もう、二人ではどうすることもできなくて、結局あたし達はレレクロエに泣きついたのだ。
「はあー……」
「ご、ごめんね」
ケイッティオが泣きそうになりながらおろおろとして言った。レレクロエはこめかみを押さえている。
「いや、というか、別に発想は悪くなかったんじゃない? ただ、結局さ、逆さまの世界を造るってことだろ? 場所は空だけど――ていうかそこは譲れないんだろうけど、地上とは違う世界を造りたいんだろ? そこ重要なんでしょ?」
「う、うん」
「じゃあ、それを優先させなきゃ。君達ってば、優先順位を間違ってる」
レレクロエが肩をすくめる。
「どういうことよ?」
あたしは首を傾げる。
「とりあえず…もったいないけど、これ全部壊してよ。そしたら言うから」
「わ、かった……」
ケイッティオはしゅんとして、あたしを見た。
あたしもまた、溜息をついて、一度作ったその半球を崩しにかかったのだった。
レレクロエは、何かを思案するように腕組みをして海を見つめていた。
全て元通り――何事もなかったかのような状態に戻して、あたし達は再度レレクロエに向き合った。
「で? 何をすればいいの?」
「塩」
「塩?」
「あと、水」
「えっ?」
「ど、どういうこと……」
「だから、ありったけの塩と水。出して」
レレクロエは短く言葉を零す。
首を傾げながら、お皿のようにゆがめたオーロラでケイッティオは水を汲み上げた。
「水と塩をよく混ぜて」
「え?」
「あー……もう……」
レレクロエは頭を掻く。
「面倒だなあ……ミヒャエロの力だけでも僕もらえないの?」
「えっ、だって、やり方がわからない……」
「何のための自分の力だよ。何も、君のその奪う力の有効範囲は他己だけじゃないでしょ。自分から奪うことだって、可能だろ」
ケイッティオは、ぽかん、としてレレクロエを見つめていた。レレクロエは肩をすくめる。
「悪かったよ……。ミヒャエロの記憶とか思い出、ケイッティオも見たかったんだろ? 知りたかったんでしょ。だから、受け取ったんだろ。だけど、ここからは僕の仕事だよ。ちょうだい。今度からは……僕も傍観を決めないで、ちゃんと努力するから。君たちと一緒に世界を造るから」
ケイッティオは戸惑うように視線を泳がせていた。やがて、唇を噛みしめると、くしゃっとした笑顔で笑った。
そうして、レレクロエと手を繋いだ。ただそれだけのことなのだけど。なぜか、胸がちくりと痛んだ。
あたしには、何が起こったのかはわからなかった。力を受け取ったことのある人でなければわからないものなのかもしれない。
レレクロエは、ケイッティオ以上に器用にオーロラを蠢かせて塩と水を捏ねていった。
静かな表情で、そうやって力を使っているのを見ると、なんだかとてつもなく彼がかっこいいように思えて、こそばゆい変な気持ちになった。
あとで聞いたことだけれど、ケイッティオの力でも、今のケイッティオ自身の力やあたしの力、レレクロエの力は奪い取れないのだそうだ。「一回手放されて持ち主がいなくなったものじゃないと、奪えないようになってるんじゃない? ていうか、そうでないと六人もいた意味ないでしょ」と、レレクロエはさして興味もなさそうに言った。
**
「どう?」
日も暮れ
「すごい……」
あたしは、ため息交じりにそう言うしかなかった。
塩でできた、大きな球体の星。
その星は、海しか持たなかった。
一面を、水で覆われていた。
まるで鏡のように空を映す。
「すごい……すごい……!」
なんて綺麗なんだろう、と思った。
「これ……」
ケイッティオもまた、それ以上何も言えないようだった。それくらい、あたし達は二人とも感動していたのだ。
鏡のような星。大地。ひとたび降り立てば、足元も周りも全てが空だった。
「塩原、ってやつだよ。塩湖ともいうかな。雨が降って、こんな風にこの塩の大地が水を被ったら、周りの景色を反射して鏡みたいになるんだよ。これだったら、まるで空を歩いているみたいだろ? まあ、雨が降って水で満たされていないとみられない景色だし、これだと土とか何にもないから植物も育たないし、生きていくには向かないな……もう少し、色々手を加えないとだけど。まあ、おおざっぱに言えば、こんな感じ」
そう言って、レレクロエはふう、と水の鏡に腰を下ろした。ぽちゃん、と雫が跳ねて、水面が円を描く。
「……どう?」
レレクロエが、急に不安そうにあたし達の顔を覗き込んでくる。あたしは笑ってしまった。
「文句なんてあるはずないわ! こんな世界が……あったなんて、知らなかった」
「うん」
ケイッティオも穏やかに微笑む。
「ありがとう、レレクロエ」
「どういたしましてー」
疲れた、と呟いて、レレクロエは大口を開けて空を仰ぐ。
それは久しぶりに見た、レレクロエの癖だった。変な癖、と思う。だけど、そんな仕草でさえ、今は覚えていたいと思っていた。
やがて空は次第に暗くなって、星が瞬いた。
「夜空の真ん中で、こうやって座っていられるなんて素敵」
あたしは笑う。
「さいですか」
レレクロエはそっけなく言った。きっと照れているのだろうと思った。生憎、暗くて彼の顔色なんてわからないのだけど。
「レレクロエったらすごいのね。かっこよかったわよ、ちょっとだけ」
「はいはい」
ますます気の無いような返事でそう返される。
「本当。レレクロエってすごい」
「褒めても何も出ないからね」
ケイッティオの言葉に、どこかむすっとしたような声でレレクロエは応えた。
温かい時間が流れていく。
「本当に」
ケイッティオが、小さな声でため息交じりにそう零した。
「レレクロエに任せておけば、安心できるのね」
そう、小さく。
レレクロエにその声が届いたかどうか、あたしにはわからなかった。
あたしは、胸に刺した痛みを抱えて、俯いていた。
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