第五章 終焉の箱舟

或る少女の手紙

拝啓



 あなたがどこでどうしているのか、どうしていなくなったのか、わからないことばかりです。

 私は、あなたを許せませんでした。どうして、おじいさんを置いて行ったの? あなたのおじいさんは、あの後間もなく亡くなってしまった。あなたがいつか帰ってくると信じて。私は、言えませんでした。あなたからの手紙に、あなたがもう二度と戻ってこられないのだと告げられていたこと。私は、言えなかったのです。だって、おじいさんは、いとも容易く信じたのですから。エスト。あなたが病気になってしまって、医者の所に居るのだと。少しだけ、家を空けるだけだからと。そんなわかりきった嘘に、おじいさんはわかっていて騙されてくれたのです。あんな嘘をつかせたあなたを、私は恨んでいました。どうして、もう少しだけ待てなかったのかと。あなたが花を手向けないで、誰が手向けるのだと。あのお店に残された、あなたの大事な靴を、どうするのと。


 私は、あなたの帰れた場所が失われていくのを、黙って見ていることしかできませんでした。どうして、私にあんな手紙を残したのかと、恨んでいました。とても辛かった。あなたと違って、私は結局、たくさんのお別れを告げなければなりませんでした。私はあの後、母も失って、一人で、景色の様変わりした世界で生きていました。あなたの手紙にあったただ一つのお願い事を叶えるために、生きていました。

 私は、いつだって、家を出れば見えるあなたとあなたのおじいさんに、あの古ぼけた小さな木の家に、救われていたのよ。


 不思議なことがありました。ある時、私が供えていないはずのお花が、お墓に供えてあったのです。四つの花束。それは、お墓には似合いそうもない鮮やかな黄色の向日葵でした。私は待ち続けました。誰が、あなたの家族のお墓にそんなお花を置いて去って行ったのだろうと。私はどこかで期待していたのです。縋っていたのです。いつかあなたが、帰ってきてくれることを。このお墓の前で、悔やんで悔やんで、嘆き悲しむのを、見たかったのです。あなたにおかえりと言いたかったのです。


 けれど、現れたのは、知らない人でした。

 知らない人なのに、その人は、私のよく知っている名前を持っていました。頑なに彼は、自分があなたなのだと言っていました。

 不思議なことだらけです。私は彼が大嫌いでした。あなたの名前を騙って、まるであなたのように花を摘んでくる。そんな人が、大嫌いでした。

 そんな人を寄越したあなたのことが、大嫌いでした。


 でも。


 ねえ、エスト。私ね、普通のお母さんになったわ。普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に、ごく普通に、お母さんのこの店を守っていくのよ。針で自分の指をぼろぼろにしながら。生きていくのよ。信じられないでしょう? 私も、笑ってしまうわ。

 だけど、私ね、決めたのよ。

 この子と一緒に、私はあなたのために生きるわ。私はたしかに、あなたとあなたとおじいさんがいた景色が、大好きだったのよ。あなたの閉じ込めたかったその景色を、私は忘れない。

 私、この子と、あの人と、一緒に生きていくわ。

 いつか、いつか。

 私の子供たちと一緒に、あなたのおじいさんに、お花をあげて。

 それまでは、私があなたの帰る場所を守っていくから。


 あなたのこと、少しだけ、愛していたわ。









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