灰呑む空

「何をしているの?」

 森の入り口に立たずむミヒャエロの背中に、ハーミオネは声をかけた。走ったから息が切れる。 胸を押さえ、小さく嘆息しながら、傍に寄ると、ミヒャエロはわずかに振り返り、ふにゃり、と笑った。

「戦争だよ」

 穏やかな声で呟かれた言葉の意味に、ハーミオネは顔をこわばらせる。

「どうして、そんな顔しているの」

「ん?」

「笑っているじゃない」

「ああ……」

 ミヒャエロは、ぼんやりと、どこか遠くを見つめる。

「そうだね、危機感があんまりないのかもなあ」

「そうじゃないわ」

 ハーミオネは固い声で首を横に何度も振った。

「どうして、そんな風にへらへらと笑うの。見ていて痛いわ」

「うん」

 へへ、とはにかむように笑いながら、ミヒャエロは頬を掻く。

「おれの仕事はね、ここに飛んできた爆弾を飲みこむことなんだ」

 ハーミオネは俯いて、身体を震わせた。ミヒャエロは首を傾げる。

「ごめんね……泣かせて」

「泣いてない」

「そっか」

 へへ、とミヒャエロは笑う。

「なにか、私にできることはないの?」

 ハーミオネは、わざと明るい声で話しかけた。ミヒャエロは首を振る。

 ――静かに拒絶するのね。

 ハーミオネは口をきゅっ、と引き結んだ。

 これがケイッティオだったら、きっと黙って聞く……かしら。

 いいえ、きっと聞かないわね。

 頑固なんだから。

 本当に、意外と頑固なんだから。

 何故だか、こんなに胸が痛いのに、温かな気持ちにさえなって、ハーミオネは泣き笑いのような顔になった。

「えっと、」

 ハーミオネの微笑を見つめて、ミヒャエロは戸惑ったように視線を宙に泳がせる。

「おれね、ミサイルとか飲みこんで、自分で処理してるんだ」

「うん」

「だけど、たまに処理が追いつかなかったりするんだ」

「うん」

 ハーミオネは、目に涙が浮かんで来るのを感じた。

「もし、おれがちょっと危なくなったら、助けてください」

「ええ」

 もちろんよ、とハーミオネは頷いた。

「『ちょっと』、危なくなったらね」

「うん」

 ミヒャエロは笑った。

 ――本当は、ずっとあなたを支えたいのよ。

 あなたの傍にいてもいいなら。

 これからも、ずっと。

 いてもいいかな?

 言えない言葉を、ハーミオネは飲みこむ。

 少しだけでも頼ってもらえただけで、幸せだ。

 ああ、今なら私、泣いてもいいわ。

 広い背中を見つめた。

 私、あなたと一緒に戦いたいのよ。

「ミヒャエロ」

 後ろから、ケイッティオが思いつめたような表情で駆けてきた。ハーミオネはその小さな体を受けとめる。

「ケイッティオ……酷い顔だわ」

「大丈夫。大丈夫よ」

 ケイッティオは、少しだけくしゃり、と笑った。ミヒャエロとどこか似たような表情。ハーミオネは穏やかな気持ちでそれを眺めた。

「話ならいつでも聞くわよ」

 そっと耳に囁きかけると、ケイッティオは困ったように、けれどどこかこそばゆいようにくしゃりと笑って頷く。そしてミヒャエロを真剣に見つめた。

「ミヒャエロ、ギリヴがどこにいるか知らない?」

「あの先の方。崖の方へ行った」

 ミヒャエロが指差す。

「ありがとう」

 ケイッティオは短くそれだけ言うと、また風のように走って行ってしまった。

 静寂が森を包み込む。

 雨の音だけが、微かに響いている。



     **



「信じらんないわね……」

 灰の混じった風の吹きすさぶ崖の上で、誰にともなくギリヴは呟く。

 空は赤紫と灰黒が混じった、気味の悪い色で揺らめいている。

 曇り空の合間を縫うように飛ぶ雁の影は、全ての悪意を詰め込んだ鉄の姿だ。

 ――こんな……世界を滅ぼした兵器を、まだあんなにも持っていたなんて。

 モンゴメリの【眩惑】の力のせいか、そのミサイルを積んだ飛行船達は、見当違いの荒れ地に爆弾をばら撒いている。

「世界が……壊れちゃうじゃない。何やってくれてんのよ」

 ふざけんじゃないわよ。

 ギリヴは胸の内から激しく湧きあがる怒りで身を震わせた。

 何のために。何のために、あたし達がこんな痛い思いをしてあんたたちのための犠牲になってやろうとしてやってると思ってんのよ!

 そうして、ギリヴはにやり、と笑った。

 ああ、やっと、やっと思いっきり戦える。

 我慢していたこの苛立ちも、憎しみも、全部あれにぶつけてしまえばいい。

 あたしを蝕むこの暗い感情を、気兼ねなく爆発させることができるんだ。

「後悔するがいい!」

 ギリヴは咆哮するかのように叫び、跳躍した。薄い空気の渦に身をゆだねる。まるで、自分が空飛ぶ幻獣のようになった錯覚さえして、歓喜にギリヴは震えた。一つの機体に飛び移る。

「あはははははははは!!!!!!」

 ギリヴは目を爛々と輝かせて、その背に突き出す角を両手でばきり、と折った。途端に、飛行船は平衡を保てなくなり、大きく揺れだす。ギリヴはさらに拳で鉄壁を殴った。穴が開き、赤い光に紛れて、目を見開き絶望に怯える人間が一瞬だけ見えた。ギリヴもまた、巻き込まれるように炎に包まれる。今はその熱ささえ愛おしい。

 ――ああ、肌が焼けていく。お前達も焼けて、あたしも焼けているよ。

 落下しながらクク、とギリヴは笑った。下方を旋回していた別の飛行船に捕まる。爆発の灰が肺に入り込み、ギリヴはげほ、と小さく咳をした。

 別の飛行船は、黒い爆弾を落としている。ギリヴはそのまま宙に飛び込み、その爆弾の上に片足を乗せ、思い切り蹴り飛ばした。爆弾は爆発も出来ぬ間に粉々の破片になる。別の爆弾は上空に思い切り投げ飛ばす。それは並走していた三つの飛行船を貫いて果てた。

「あ、やばい」

 ぽつり呟く。頭上に小型の飛行船ほどもある大きさの黒い鉄の塊が落ちてくる。

 ギリヴはその大型ミサイルに抱きついた。勢いのままに大地へと落ちていく。姿勢を保てなくなったせいで、ギリヴはそのまま地面に打ち付けられた。ミサイルは轟音を立てて周囲を火の海にする。その炎を、降りしきる雨が灰にしていった。




     *


 意識の浮上。

「馬鹿っ」

 泣き声が降ってくる。ギリヴは薄らと目を開けた。曇り空の下、影になって見えたケイッティオの顔は、ギリヴが今までに見たことがないほど怒っていた。そこでようやく、ギリヴは自分が地面に倒れてしまっているのだと気づく。

「何を一人で無茶をしているの!? 自分一人でできるとでも思ったの!」

「あいた、たた……ごめん」

「しかも取り逃がしてるじゃない!」

「うん。ごめんね。お願いできる?」

「馬鹿っ!」

 ケイッティオはぎゅっと拳を握って、足で大地を強く叩いた。

「二人でやればよかったのに。それに、そもそもわたし達がやることは兵器を壊すことであって、飛行船まで破壊して人を死なせる必要はない」

 ケイッティオは震える声で言う。

「ギリヴがそんな姿になってまですることじゃない」

「へえ」

 ギリヴは冷めた声で答えた。

 青い骨が露出している。体の大半を持って行かれてしまった。回復が遅いから、レレクロエがここに来てくれないことには、すぐには動けそうもない。

「へえ、じゃない」

「じゃあ、あんなやつらが生きてて、あたし達が死ぬってのはありなの?」

 ギリヴは、むき出しになった歯をかちかちと鳴らしながら言い返した。

「救世主だと崇めたてまつって、自分たちが手を汚したくないからってあたし達に同族殺しをやらせて、あげくちょっと逃げたら途端に敵とみなして、あんな、すべての元凶みたいなものを世界にばら撒いてあたし達を殺そうとするやつらを? 生かせって? 無理な話だわ! あたしはあなた達が大事、それ以外はもうなくたって構わない!」

 声が怒りで震える。

「あなたの大事なミヒャエロもモンゴメリも、そんなクズ野郎だらけの世界からあたし達を守ろうとしてくだすったのよ! あたし達を守る!? 笑わせるわ、そんなことするくらいならこんな世界、一緒に壊しちゃえばいいのよ! 壊れてしまえばいい!」

「もう、いいわ。黙って。治りが遅くなる」

 ケイッティオは、ギリヴを睨みつけながら冷たい声で言った。

「だからって、あなたがこんなぼろぼろになっても誰も喜ばないわ。少し、この雨で頭を冷やしたらどう。わたしはね、一人で無茶しないでって頼んでるだけなの」

「守られてばかりだから、あんたはそんな偽善が言えるのよ。みんなから愛されていいわね」

 ギリヴは嗤うように言った。そうして、すぐに、怯えたような顔になってケイッティオを見つめる。

「あ、あたし……ご、ごめんね」

「いいわ」

 ケイッティオは、幾分柔らかい声で応えた。

「気が昂っているせいよ。いつもそうでしょう。気にしてないわ」

 ケイッティオは静かに言って、ギリヴに背を向けた。

「あとはわたしがやる。とりあえずレレクロエを呼んでくるから。そこにいて」

「いても何も、いるしかないのよ」

「そうね」

 ケイッティオはふわり、と風のように消える。本当に、傷を隠すのがうまい。

「あんたみたいに……強くなりたいわ」

 ギリヴは、小さく寂しげに呟いた。



     **



「ああもう」

 レレクロエは舌打ちをしながら、ギリヴの体を修復していく。ケイッティオが連れてきたのである。毒づきながらも、的確にギリヴを癒していくのだから、器用だなあ、とギリヴはぼんやり考えた。

「あのさあ。あんまり無駄に僕に力使わせないでくれる? 僕さ、モンゴメリ達みたいに穴ぼこになるのまっぴらなんだよ」

「けしかけたのはあんたのくせに」

「ちょっと、静かにしてよ」

 ケイッティオが、玉のような汗を滲ませながら鋭く言った。手を虚空に伸ばして、指をぴくり、と動かしている。レレクロエは眉をひそめる。

「何? 毒性強いの?」

「それもあるけど、数が多すぎる。奪って無効化するのが追い付かないの。自分にたまった毒を浄化するのも追いつかない」

「あーね。やっぱりハーミオネも連れてきたほうがよかったんじゃない?」

 レレクロエが肩をすくめる。

「でも、あそこにはモンゴメリとミヒャエロがいるから。まずあの二人を浄化してもらわないと。死んでしまうわ」

「気休めにしかならないと思うけどね」

「どういうことよ?」

 レレクロエの小さな呟きに、ギリヴは上体を起こして、顔をしかめた。

「僕達は、この力を使う量に限度があるってこと。限界が来ると、今までのように体が治ることもなくなる。ただでさえ今も僕達はこの雨に常にさらされているわけだから」

「二人は……もう限界に来てるってこと?」

 ケイッティオの声が震える。

「まだ、だけど、そろそろかもね。これ以上力使ったら、そう遠くない未来に死んでしまいそう」

 ケイッティオは唇を噛みしめた。

「だったら……なおさら……っ、これからはわたし達がやるしかないじゃない」

「なんでこんな状態になるまで放っておいたのよ?」

 ギリヴは声に怒りを滲ませた。レレクロエは目を反らした。

「どの道、もう僕達は長くないよ」

 暗く、擦れた声。

「それだったら、女の子を少しでも長く守りたい、ってのは僕達の共通した意見だよ」

「取り残されたって嬉しくないわよ」

「そうだろうね」

 レレクロエは笑った。その表情は、なぜかとても寂しそうで、ギリヴはそれ以上何も言えなくなる。

「……で、あたし治った?」

「治ったんじゃない?」

「適当ね……もう動いていいでしょ? ケイッティオ、一緒にやるわよ。本当に、どれだけ毒をばら撒けば気が済むのかしら。というか、こんな時代になってまでよくまあ後生大事に爆弾なんてとっておきましたこと」

 ギリヴは忌々しげに吐き捨てる。

「多分……あれがきっと、宝だったんだろうさ」

「宝?」

 ケイッティオは振り返ってレレクロエを見つめた。レレクロエはいつもと違ってーー笑ってはいなかった。

「あれが、人類最大の財産だったってことだよ。神様がよかれと思って、人類に贈った僕達は、あの兵器の山に比べたらごみみたいなもんだったってことさ」

「何それ」

 ギリヴは眉間に皺を寄せる。

「でもさ、」

 レレクロエは、どこかふっきれたように笑う。

「僕もそう思うよ」

「どうして」

 ケイッティオの声には戸惑いが滲んだ。

 レレクロエは微笑んだ。どこまでも静かに、柔らかく笑うのだった。

「だって、僕は、僕を作ったやつアルケミストが、人類の味方なんかじゃなかったことを知っているもの」

「でも、」

 ギリヴは小さく呟いた。

「じゃあ、人類の敵だったって言うの? あたし達は、そんな人に造られたって言うの?」

「どうだろうね」

 レレクロエは笑った。

「【彼】が、の味方だった、ってだけだよ。信者的なね」

 二人はしばらく何も言えずに黙っていた。

「考えても仕方ない。ケイッティオ、行こう。レレクロエ、一人で帰れる? ここは……雨が直にあたるし、危ないわよ」

「あーあ。また例のごとく馬鹿なの? 君たちは性懲りもなくここで色々やらかすんでしょ? 危ないのはそっちじゃない。ぼろぼろになってまた動けなくなったらたまったもんじゃないんだけど」

「そう」

 ギリヴはふっと笑った。

「ありがとう。頼りにしてるわ」

 ケイッティオとギリヴは降り注ぐ兵器の元へ駆けていく。


 レレクロエは少しぼうっとして、立ち尽くしていた。ふわり、と顔をあげる。


 雨が顔に切り傷を残していく。


 けれど、レレクロエはずっと空を見つめていた。

 空を覆い尽くす、灰色の雲を、見つめていた。



     **



 ケイッティオは自分にかかる重力を【奪い】、空を階段を上るように上がっていった。ミサイルがケイッティオめがけて打ち出される。

「見くびらないで」

 そう呟き、自分の目の前でミサイルを空に停止させた。速さを失ったミサイルはそのまま、真っ逆さまに大地へ吸い込まれていく。地面と衝突し弾ける音が聞こえたが、爆発はしなかった。火力も奪い取ったのだ。

 その傍では、ケイッティオが毒性を無効化した爆弾を、ギリヴが器用に壊していく。ケイッティオが飛行船の動きも奪っているため、彼らは身動きもとることができない。

(けれど、数が多すぎる)

 ケイッティオは焦っていた。集中力が続かなくなっている。こんなに同時に力を使ったことは今までになかった。自分にはこんなこともできるのか、という発見がある一方で、身体の軋みは音を立てる。

 ギリヴは一度修復をしてもらったせいか、まだ活力が漲っているようだ。けれど、正直自分はもう限界に近い。

(限界……死ぬほどの限界じゃないはずだわ。きっと、これは甘え。もっと頑張れるはずよ。ミヒャエロも、モンゴメリもやっていたことなんだもの)

 二人のことを想って、胸が軋んだ。

 守られるのも、何も知らされないのも、大嫌いだ。何故嫌いなのかはわからない。けれど、身体が軋む。もう失いたくないのだ。わたしの大事な人たちを。

 恐らく、集中力なんてものは、とっくに切れていたのだ。

 だからよそ見をした。眼下に広がる緑を見て――そうして、ケイッティオはぞっとした。

 森が、

 森が、見えている。

 わたし達のいる森が。

 ――……っ、モンゴメリ……!

 目を離したのがいけなかったのだ。

 気が付いた時には、緩やかに船が一隻揺らめいていた。

 核を積んだ鉄の塊が、森へ堕ちていく。

 ギリヴが悲鳴をあげて何か言っていたが、ケイッティオにはもう何も聞こえなかった。

「止まれ! 止まれ!! お願い、止まって!!」

 手が震える。

 ああ、わたしはどうやって【奪って】いただろう。

 爆弾は加速的に落下していく。

 木にぶつかる直前、黒真珠の光沢のような輝きのオーロラが森を包み込んだ。

 オーロラは、飢えたように、

 核の爆弾を飲みこんでいく。音も立てず、ただがむしゃらに。

 ケイッティオは悲鳴をあげた。

「だめ! ミヒャエロ―――――――――――――――――――――――――!」

 大地が揺れた。

 ケイッティオには、それが自分の力のせいなのか、それとも別のものなのか、もうわからなかった。

 気が付いた時には、ケイッティオは頭を抱えて叫んでいた。

 そらで、たくさんの鉄の塊が、人の粒が、拡散して消えた。ギリヴがケイッティオを抱きしめ、肩をゆすったが、もう何も見えなかった。何も信じたくない、何も聞きたくない。何も、もう、

 感情なんていらない。全部奪ってしまえばいい。







 破片がぱらぱらと大地に降り注ぐのを、レレクロエは静かに見つめていた。

「よかった。あの子ケイッティオが死んでしまうかと思った。よかった……よかったね」

 レレクロエは、誰かに話しかけるように、そう小さく呟いていた。



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