世界の果ての、
「汚い景色だな」
レデクハルトはそう呟いた。
黒と茶の入り混じった砂を突き上げる、錆で焦げ茶に染まりかけた青いトタンの板。
「怪我しないでくださいね」
「こっちの台詞だ」
砂のあちこちに鈍く光を反射するくすんだ硝子石を拾って、レデクハルトは宙に投げる。それを見ながら、潮風に沁みる目をヨーデリッヒは何度も瞬く。
「どうしてこんなところにわざわざ降りるんです? 何にもないじゃないですか。ごみしか」
「いいじゃないかよ。俺の終わりにふさわしいと思わない?」
レデクハルトの言葉に、ヨーデリッヒは思わず顔をしかめた。
「ふさわしくないとは言いませんが、それにしたって情緒がないですよ」
「はは。意外と酷いなお前は」
レデクハルトは乾いた笑いを漏らす。
「世界にはこういう沈んだ街があちこちに眠っているんだろう? 塵の大地と化したもの達が」
「今更情でも沸いてきましたか?」
「どうだろうな。俺もこうなるのかなあって、それだけだ」
「そういうことばかり言うあなたは嫌いです」
ヨーデリッヒは砂を噛むような思いで言い捨てた。
「たった一人の女から好かれないだけでそこまで自暴自棄になりますかね」
「いくらお前でも軽蔑するぞ」
レデクハルトもむっとした顔を向けてくる。ヨーデリッヒは鼻で笑った。
「とっくに僕はあんたを軽蔑してますよ。女なんて腐るほどいるじゃないですか。素直で気立てのいい女だってどこかにはいるでしょうよ。間違ってもあの子にはあんたがもったいないですよ。大体、何がしたいんですか? 自分のものにしたいんですか? 抱きたいんですか? さっさと抱けばいいでしょうよ。ほんとにわからない人だな」
「……お前ももう少し普通の恋愛をしろよ。俺が言うことじゃないけどさ」
「無理ですよ」
ヨーデリッヒはふと、ギリヴの顔を思い浮かべた。が、すぐに頭を振って打ち消した。
「ケイッティオは多分、お前が好きだと思う」
「いくらあなたでも怒りますよ」
「冗談じゃないよ。俺はお前に嫉妬してるんだから。お前とミヒャエロにさ」
「本当に怒りますよ」
声が震える。自分でも驚いていた。レデクハルトもまた、虚を突かれたように目を見開いている。恥ずかしくなって、ヨーデリッヒは袖で顔を擦った。
「なんだよ、泣くなよ」
「泣いてませんよ、ただ、僕には、あの子だけは無理ですよ」
「なんで? 結構似合ってると思うよ、俺は」
「さっきから何言ってるんですか?」
レデクハルトはぼんやりと海を見つめる。
「なんだろうな……お前たちがくっつくのなら、それも悪くないかなって急に思い始めたんだ」
「ふざけないで。やめてくださいよ。何
「おお、怖」
レデクハルトは笑う。
吸い込んだ潮風が、気管に苦しい。ヨーデリッヒは僅かに咳き込んで、かすれた声で言った。
「こんなにへらへら笑うあんたなんか、もう気色悪くてたまんないんですよ」
「そんなこと言われてもなあ」
レデクハルトはトタンの角を蹴る。
「今は何を希望に死のうかなってそればかり考えてるからなあ」
ヨーデリッヒは唇を噛んだ。
ここでどんなに自分があれこれ反論しても、悲観的な言葉が返ってくるだけなのだ。
けれど、こんなのは、間違っている。自暴自棄の中でこの人が死んで、それで世界が救われたとして、何の意味があるだろう?
色々と言いたい言葉をぐっと飲み込んで、ヨーデリッヒは一瞬だけ体を震えわせた。無理矢理に笑顔を作る。
「歩きましょうか。無駄に縦に長いですからね、この陸」
レデクハルトは頷いた。
ヨーデリッヒは本当は色々と聞きたかったのだ。
本当に今死ぬつもりなのか。
今死ななければいけないのか。
やりたいことはもうないのか。
最期の時にあなたの側にいるのが、僕でよかったのか?
ついぞあなたは僕を頼ってはくれなかったね、と。
「あれ?」
レデクハルトが、不意に声を漏らした。
「何ですか?」
波を見つめながら、ヨーデリッヒは応えた。
「あそこ……何かある」
「は?」
前方に、桃色にも赤紫にも見える不思議な一帯が見える。
一面、染められたかのよう。どこか粉砂糖のようにざらざらとして見える色。
「何でしょう」
首をかしげるヨーデリッヒの言葉を皆まで聞かず、レデクハルトはふらふらと歩き出した。それは早足になり、小走りになって、やがて彼は走り出す。ヨーデリッヒも後を追いかけた。
「なん、だ、これ……」
レデクハルトが砂に膝を突いて、かすれた声を漏らす。海の波に覆われた砂と泥の中で、小さな紅紫色の王冠のような花が隙間なく咲いている。ああ、とヨーデリッヒは思った。植物図鑑で見たことがある。
「これ、蓮華草じゃないですか」
息が上がる。ヨーデリッヒがそう言うと、レデクハルトはまるで寄る辺をなくした子供のような目で、ヨーデリッヒを見上げた。ヨーデリッヒは苦笑した。
レデクハルトは、声にならない吐息を漏らす。
「すごい……」
「綺麗ですね」
「……見える、色が、綺麗だ」
今まで俺がいた世界なんて、ちっぽけだったんだな。そう息だけで呟いたレデクハルトの言葉を、ヨーデリッヒは耳に留めた。目を閉じる。
「まだ、世界にこんな花畑が残っているかもしれないですよ、レディ」
レデクハルトは何も言わなかった。ヨーデリッヒは、その仕草も表情も、漏らすまいとじっと見つめた。
レデクハルトの震える手が、花の一輪を摘まみ、摘み取る。
指や爪の間に泥が張り付いて。ヨーデリッヒも屈んで花をそっと撫でた。小さな虫が飛んでいる。ひんやりと湿った葉。千切ればすぐぼろぼろになってしまいそうな儚い花弁。レデクハルトの目には、涙がたまっている。赤い瞳がキラキラと瞬いて。
「あ……あ」
レデクハルトの喉から嗚咽が漏れた。
レデクハルトはやがて、静かに涙を零した。止まらなかった。泥の中に、花達の中に膝をついて、泥だらけになりながら、レデクハルトはただ泣いた。
「本当に、小さな王冠みたいな花だ。よかったじゃないですか。あなたをきっと、こんな世界の端でずっと待ってたんだ」
ヨーデリッヒは、風に溶けるような声で言った。
柔らかく吹く潮風に揺られながら、蓮華草の花達はレデクハルトに寄り添うように咲き誇っている。
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