第5話 福島へ(後編) ~幼稚園児はかわいい~
倉田くんは目を覚ますと自分がねそべっていることに気付いた。みぞおちのあたりに痛みを感じる。そしてなぜか体が重い。凝り固まった体をほぐそうともぞっと動くと、自分のお腹のあたりから声が聞こえる。
「あ、起きましたか」
倉田くんは自分のお腹の上に女性が乗っていることに気付く。たしか園児の女の子は彼女のことをみかん先生と呼んでいたことを倉田くんは思い出す。
「あの、なんでみかん先生が僕に馬乗りになっているんですか?」
「あなたの服を脱がそうと……」
「なるほど夜這いというやつですね。まだお昼ですが、まかせてください」
倉田くんは目が覚めたばかりで適当に喋っている。そもそも自分がなぜ寝そべっているのかもよくわかっていなかった。
「ち、ちがいます!倒れたあなたを介抱するために服を脱がそうしていただけです」
みかん先生は顔をまっかにしてそう言う。みかん先生は興奮して股下にいる倉田くんの胸をぽこぽことたたく。
「ああ、そうでしたか。それは失礼しました。ありがとうございます」
そもそも倉田くんを昏倒させたのはみかん先生なので彼女にお礼をいうのもおかしな話だ。そこまで考えがいっていない倉田くんは再び身を投げ出し、みかん先生に身を任せる。
「そ、それじゃあ、脱がせますよ」
そういってまたみかん先生は倉田くんを脱がせ始める。放射線防護服という脱がせ方のよくわからない服を頑張って脱がそうと手で触りながらチャックを探す。ようやくチャックを見つけ、そこを勢いよく開ける。そしてみかん先生はそのまま硬直した。それから素早くチャックを引き戻す。みかん先生は倉田くんの胸板を見てしまい、ほほをまっかにする。
「なんで下に何も着ていないんですか⁉」
そしてまたポコポコと倉田くんの胸を叩く。しかし、彼女の言葉は倉田くんに届いていなかった。倉田くんはみかん先生に馬乗りをされながら思い出す。自分がなぜ倒れたのかを。
『みかん先生がすばやく腰を落とし姿勢を低くする。あまりの速い動きに彼女のつけているエプロンがふわっと舞い上がる。そして屈伸運動によるインパクトをのせた先制パンチを倉田くんのみぞおちに打ち込む』
「思い出しました!僕を気絶させたのはそもそもあなたじゃないですか⁉」
「それは……夢です」
そっぽを向いてそう言うみかん先生。自分でもごまかしかたに無理があるとおもっているのか目が泳いでいる。
「夢って……もうちょっとましなウソつきましょうよ」
みかん先生に倒されたときのことをだんだんと思い出してきた倉田くん。それに比例しておちんちんがきゅっとしぼんでくる。みかん先生のけりが股間に入ったのを思い出したのだ。股間の装甲が薄かったら即死だっただろう。放射線防護服は放射線から陰部をまもるために股間部は厚めにつくられているのだ。大事にならなくてほんとうによかった。
ともかく倉田くんは矢羽田教授の仕事を手伝わなければいけない。ずっとこうして寝ているわけにはいかなかった。
「もう大丈夫そうですから、脱がさなくて大丈夫ですよ」
「そうですか。良かった」
倉田くんがけがをしていなさそうなことにほっとするみかん先生。
「もう大丈夫ですから」
「はい?わかりました」
みかん先生は倉田くんの意図するところが分からず首をかしげる。
「あの、重いので僕の上からどいてもらえると……」
「す、すいません!」
そういって倉田くんの上からあわてて降りるみかん先生。倉田くんはゆっくりと立ち上がり、肩を回して調子を確認する。すこし痛いが動く分には問題なさそうに思えた。
「そ、その、今回はこちらの不手際でひどいことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
そう言って深く頭を下げるみかん先生。その誠実な姿勢はいきなり殴ってくるような女性には見えない。
来園そうそうパンチをもらった倉田くんだが、とくに先生にたいして悪感情はない。園児を守らなければいけない立場上、みかん先生が不審者を撃退しようとするのは当然のことだ。自分が不審者扱いされたのに関しては納得がいかないが。
「まあ、仕方ないですよ。さっきのことはお互い水に流して仲良くしましょう。仲直りってやつです」
そういって倉田くんは握手をしようとみかん先生にむけて右手を出す。しかし、その手が握り返されることはなかった。
「いいえ、それとこれとは話が別です。あなたみたいにふざけている人と仲良くするつもりはありません。いったいどういうつもりでそんな恰好をして幼稚園に来たんですか?」
みかん先生は倉田くんをいきなりぶん殴ったことにたいしては、悪いとおもっているのものの、倉田くんと仲良くするつもりは微塵もなかった。みかん先生のつめいたい目が倉田くんを見据える。
「いや、それは……」
そもそも幼稚園にくることなど倉田くんは聞いていなかった。しかし、それを理由にしてもここで彼女を納得させることはできないように思えた。
「子供たちが怖がったらどうするつもりだったんですか?」
そう言う先生の声は震えていた。子供たちの心配だけとは思えないほどに。
(いったい何がそんなにあなたを怖がらせているんですか?)
そう倉田くんが聞こうとした時だった。ドアがゆっくりとひらき、おそるおそる部屋の中を覗いてくる大きなリボンを頭につけた幼女。
「宇宙人さん元気になったの?」
「ハ、ハナちゃん⁉」
部屋に入ってきたハナちゃんを見てみかん先生はびっくりする。
「いや、僕は宇宙人ではなくて……」
倉田くんがそう言いかけたところでみかん先生に思いっきり足を踏まれる。
「ぅぐっ!」
ちいさく悲鳴を上げる倉田くんにみかん先生は小声で話しかける。
「いったい何を言うつもりだったんですか⁉また、あの子を怖がらせるつもりですか?」
倉田くんはハナちゃんと初めて会った時を思い出す。たしかに倉田君を宇宙人と認識するまでは倉田くんを怖がっていた。宇宙人でなくなるということはまた彼女を怖がらせるということを意味している。
「でもそれなら僕が放射線防護服を脱げばいいだけじゃ……」
「あ、それもそうですね。…………ってあなた、その下は裸じゃないですか⁉」
みかん先生が拳を握る。倉田くんににらみを効かせて言う。
「まさか、裸で園内をうろちょろするつもりですか」
倉田くんは額に青筋を立てながらそう言うみかん先生にビビる。
「ち、違いますよ。でも、どうしますか?」
慌てて否定する。しかし、そうなると手詰まりだ。
「とりあえず宇宙人という設定で続けてください」
子供の夢をこわさないため、というよりも宇宙人じゃないなら、こいつはなんなんだという質問に答える方法がおもいつかなかったからだ。
「みかん先生が倒したから悪い宇宙人さんはよい宇宙人さんになりました!」
腰に手を当てて、えっへんと言うみかん先生。
(え、なにその脳筋理論)
倉田くんはみかん先生の言ったことに驚いて、先生を二度見する。しかし、幼女の反応は倉田くんとは違った。
「みかんせんせーすごい!」
子供は純粋だった。
「ねぇねぇ、宇宙人さんもいっしょにお外であそぼ」
ハナちゃんに手を引かれ外に連れていかれる倉田くんとみかん先生。二人はただただ彼女に引っ張られていった。
外に出ると、日奈子ちゃんは幼稚園児たちにもてあそばれていた。
「ひゃっ⁉」
園児の男の子にスカートをめくられる日奈子ちゃん。
「このお姉ちゃんシロパンはいてるぅうー」
(白パンだ)
ちょうど外に出てきた倉田くんは日奈子ちゃんのパンツをばっちりと見てしまった。
「……見た?」
日奈子ちゃんと目があう倉田くん。
「どうかしたんですか?」
倉田くんは大人だった。相手を思って嘘を付けるやさしい大人なのだ。日奈子ちゃんはその反応をみてほっとする。
「そ、そうです。こちらからは何も見えなかったので大丈夫ですよ!白いパンツにカワイイフリルとちいちゃいリボンがついていることなんてぜんぜんわかりませんでしたから!きれいなパンツだったから買ったばっかりなのかな、とか全然思っていませんから」
倉田くんのとなりにいたみかん先生にも日奈子ちゃんのパンツはしっかり見えていたようだ。思わず倉田くんは心の中で突っ込む。
(この人嘘へたくそか!)
倉田くんはみかん先生が嘘をつくのが苦手な人だという事をうすうす感じていたが、まさかここまで下手くそだとは思っていなかった。むしろわざとやっているんじゃないかと思うほどに自分が見た情報を詳細に語っている。
涙目になる日奈子ちゃん。
「う~~。倉田くんのばか」
なぜか倉田くんの方が罵られる。日奈子ちゃんは恥ずかしくなって、走って逃げだす。そして転んだ。
(あ、ほんとにリボンがついているんだ)
一瞬でそこまで見えていたみかん先生はかなり動態視力がいいのかもしれない。日奈子ちゃんは涙目のまま立ち上がり、ぎっとこちらを睨み、それからまた走り出した。
「すいません、私昔から嘘をつくのが苦手で!」
みかん先生は倉田くんに謝る。
「いや、正直なのは良いことだと思いますよ」
「あの、追いかけなくていいんですか?」
「僕が追いかけるのは違くないですか?」
逃げた原因が後ろから追いかけてきたら余計必死に逃げるだろう。
「それに矢羽田教授が慰めているんで大丈夫ですよ、ほら」
そう言って倉田くんは矢羽田教授と日奈子ちゃんのいる方を指さす。
「ショタこわい」
「幼稚園児をショタとか言うなよ、あと泣くな」
矢羽田教授は、日奈子ちゃんの頭を不器用になでながらなだめる。
「ほら、これでチーンして……。元気だせよ」
矢羽田教授は日奈子ちゃんの鼻にティッシュを押し当てて鼻をかませる。
「ね」
「まるで父親みたいですね」
そんな話をしていると倉田くんは放射線防護服のすそを引っ張られていることに気付く。
「宇宙人さん、肩車して!」
ハナちゃんは倉田くんの前でぴょんぴょんはねながらおねだりする。はねるたびに頭のうえのリボンもいっしょにはねる。
「いいですよ」
倉田くんはハナちゃんを肩にのせて歩く。放射線防護服をきた人が幼女を肩に乗せているへんてこな様子が子供たちの琴線にふれたのか、まわりにほかの園児も集まってきた。
すこし歩いて満足したのかハナちゃんが倉田くんの肩から降りると、まわりに集まってきた子たちが次々に倉田くんにお願いを始める。
「次ぼくもー」
「あ、ずりーぞ。僕がさき!」
思い思いのことを言っていく園児たち。そんな彼らを制してハナちゃんは大声でいう。
「ダメ―!宇宙人さんは次はみかんせんせーを肩車するの!」
「わ、わたし?」
みかん先生もハナちゃんの言ったことに驚いている。
「ね?宇宙人さん。みかんせんせーにも肩車してあげて」
ハナちゃんは倉田くんの方を向いてお願いする。倉田くんとしては別にしても構わないが、相手は大人の女性だし、子供にするのとはわけが違う。
「えっと……しましょうか」
倉田くんはみかん先生の方を見て聞く。
「しなくていいです!」
当然みかん先生は断った。そっぽを向いてしまう。
『仲良くするつもりはないです』
そんなふうに言ってくる人が肩車をしてほしいわけもない。
「ですよね」
かわいた笑いがでる倉田くん。子供は時として突拍子のないことをいう。
「ほら、順番にしてあげるから並んでください」
倉田くんは子供たちを並ばせる。我先にと並んでいく子供たちをみて、倉田くんは思った。
(僕の肩にはすごい価値があるのかもしれない。メジャーリーグから声がかかる日もちかいな)
肩にのるだけで笑顔になってくれる子供たちのおかげで完全に調子に乗っていた。
楽しそうに子供たちと戯れる倉田くんと日奈子ちゃん。そんな風景を矢羽田教授は写真に収めていく。
倉田くんはへとへとになりながらも全員の肩車をしてあげた。さすがに疲れたので木陰で休んでいると、ふと園長先生を見かけた。向こうも倉田くんが見ていることに気付いたのか、倉田くんのほうにやってきた。
「園長先生。今回は協力してくれてありがとうございます」
「こちらこそ。子供たちとあそんでくれてありがとう。とってもたくましかったわよ。それと、ごめんなさいね。うちのこがいきなりあなたをのしてしまって」
みかん先生のパンチを痛みを思い出す倉田くん。
「いえいえ、こちらこそ配慮に欠ける行いでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
実際、倉田くんのほうに問題があった。子供たちに受け入れられたのは運が良かっただけに過ぎない。いっぽ間違えれば子供たちに恐怖心を与えていた可能性もあっただろう。
園長先生は子供たちのいる方を向く。しかし、その目にいま映っているのは子供たちではなかった。彼女はもっと遠くのものを見ている。
「実はね。震災があったころ、この辺の人口はあんまり変わらなかったのよ」
当時のことをそう振り返る。なんとなく悲し気な感じがする。
「それはいったい……」
倉田くんは言いかけて気付く。居住禁止区域にいた人たちはそこに立ち入りできなくなったときに霞のように消えてしまったわけではない。当然周辺のどこかに引っ越すことになる。それならばふつうは人口が増えるはずだ。誰もこの地域に来なかったという可能性は低い。
「みんな出ていってしまったんですか?」
つまり、元からいた人たちが、出ていったことになる。矢羽田教授の質問に園長先生は答える。
「ええ、彼女はちょうど就職を決める時期だったから同期の人間はほとんど県外へ行ってしまったのよ」
放射線に対する恐怖心。いまでこそ、自分の体に特に影響が出ていないから、大したものではないとおもっているだろうが、当時はどう思っていたのだろうか。自分のまわりの人たちが危ない物だといって、遠くの地に越していく背中をただ見ているのはどんな気持ちになるのだろうか。
「だから、嫌いにならないであげてね。ほんとはいい子なのよ」
園長先生はまた書き仕事にもどるといって園内に戻っていく。倉田くんはみかん先生の言葉を思い出す。
『いいえ、それとこれとは話が別です。あなたみたいにふざけている人と仲良くするつもりはありません。いったいどういうつもりでそんな恰好をして幼稚園に来たんですか?』
「そりゃあ、僕のことを嫌いになるわけだ」
自分と仲良くするつもりはないと言われたものの、子供たちの前ではいっさい険悪な雰囲気になっていない。子供たちの前では彼女は明るく元気なみかん先生なのだ。その内心はどうだったのだろうか。
そんなことを考えていると、ハナちゃんが倉田くんに話しかけてきた。
「ねぇねぇ、宇宙人さんはほんとはなんて名前なの?」
「ぼ、僕は宇宙人だよ」
「あのね。私ほんとうは知っているんだ。宇宙人じゃないってこと。私のために嘘をついたんでしょ。ほんとうは宇宙人さんはせんせーとけんかしちゃったんだよね?だから仲直りしてほしかったの!」
(なに、この幼女すごい)
さっき肩車を先生にさせようとしたのは二人に仲良くしてもらうためだったらしい。
きっと仲直りなんて簡単にできるようなものではないくらいの溝が倉田くんとみかん先生の間にはある。しかし、子供からすればそんなことは関係ない。なんとなく仲が悪そうだからいっしょに遊んだら仲良くなれるでしょ、的な発想なのだ。単純だが、真理でもある。
「そうだね、いつまでも仲が悪いままじゃいけないよね」
倉田くんはハナちゃんの頭をなでる。
(僕がみかん先生を肩車するべきなんだ!)
倉田くんは覚悟を決めた。
時間もいいころあいになり、たくさん写真を撮れたので、そろそろ帰ることになった。幼稚園というのはけっこうはやく閉まってしまうから仕方がない。最後に今日ここにあつまった全員で写真をとることになった。
「みんなーお写真を撮るから、集まって―――」
みかん先生は矢羽田教授が写真をとるために園児たちを集める。
「「「「「はーい」」」」」
倉田くんは、これをチャンスだと考えた。もうここでやらなければあとがない。
「そうだ。僕が肩車しますよ」
倉田くんは自然な提案をみかん先生にする。写真をとるときに『肩くもうぜ』みたいなことをいうこともあるし、何もおかしくはない。
「え?」
いや、あきらかに不自然だった。困惑するみかん先生。
唐突に肩車をするといいだす倉田くんにみかん先生は反応できない。みかん先生は茫然としてしまう。倉田くんはその一瞬のスキをついて彼女の股ぐらに頭を通し、肩車をした。
「え、ちょっとやめてください⁉おろして、おろしてってばあああああ」
顔をまっかにして叫ぶみかん先生。倉田くんの肩のうえでみかん先生は暴れまわる。
パシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャ
そしてそれを連写する矢羽田教授。楽しそうに歓声をあげる子供たち。ちゃっかり自分のスマホで写真をとる日奈子ちゃん。それぞれが今を思い思いに生きている。もしかしたらここにいる人たちがそろうことはもう2度とないかもしれない。それでもこの瞬間がきえることはない。彼らの生活はいまたしかにここにあるのだ。
「倉田、お前がうつっている写真ぜんぶ没な」
「え~、なんでですか!」
放射線防護服が映っていたら趣旨から外れるのは当然のことだ。倉田くんの努力とはいったい。
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