第6話 高級寿司屋             ~SUSHIは経費で落とせますか?~

 杉山教授はコーヒーをすすりながら考える。目の前の厄介な来客をどうやって追い払うかを。


「というわけで、3Dモデルシミュレータをお借りできないでしょうか?」


 日奈子ちゃんは杉山教授に研究の協力の依頼に来ていた。研究に協力することは別になんの問題もない。問題はその研究内容にある。


「すまない。よく理解できなかったからもう一度説明してくれないか?」


 もしかしたらさっきの説明を自分が間違って理解してしまっただけで、本当はもっと価値のある内容だったという可能性もあるかもしれない。その低い可能性にかけて杉山教授はもう一度彼女の説明を聞くことにした。


「はい、人間の顔をスキャンして作った3Dモデルを用いてシミュレータで360度動かして自分が一番カワイク映る角度を自動的に割り出すシステムを作りたいんです」


 杉山教授はコーヒーをすすりながら考える。やっぱりこいつは追い払おうと。


「実現できれば商業的価値も非常に高いと思うんです!!」


 問題はそこにある。たしかに実現できればそれなりに人気が出てしまうだろう。目の付け所は悪くないのだ。だからこそ不適切な実験内容として追い返すことはできない。しかし、ここで研究に協力してしまえば、しばらく3Dシミュレータを彼女が使うことになってしまう。そしてどれくらいの期間があれば完成するか見通しがまったくつかない。生物系の動きのシミュレートは時間がかかるのが常なのだから。そんな不確かな研究に協力するつもりになれない。こちらも必要だから3Dシミュレータが置いてあるのだ。余分にあまっているものなどない。


「話はわかった。だが、君は一つ勘違いをしている」


「勘違い?」


 杉山教授はやさしく彼女を諭すことにした。


「そう、勘違いだ。たしかに自分をカワ、...... こぎれいに撮れる角度を知りたいという需要はあるかもしれない。しかし、彼女たちはその過程も楽しんでいるのだよ。一枚、一枚写真を撮るたびに自分の違った一面を発見していく。そして最高の写真を撮れた時の喜び。それを彼女たちから奪うことは私にはできない。これは科学者としての矜持なのだ。すまないが君の研究に協力することはできない」


 日奈子ちゃんは押し黙る。自分の中で杉山教授の言葉を反芻しているのだろう。一瞬の沈黙を教授は緊張しながら彼女が答えを出すのを待つ。


「……なるほど。私の考えが浅かったようです」


 彼女がさくっと帰ってくれてよかったと杉山教授は安心した。いつのまにかカップのコーヒーは空になっていた。


「教授。さっき日奈子が出ていくのを見たんですけど、何を話していたんですか?」


 レイアさんが杉山研究室に日奈子ちゃんと入れ替わりに戻って来た。自販機に飲み物を買いに行っていたのだ。


「なに、他愛もない話だ」


 杉山教授はそれ以上話す気はないようだ。


「あ、そうだ飲み物買ってきましたよ」


 その手に握られていたのはバナナキャラメルミルクイチゴ牛乳。杉山教授はそれを見てぎょっとする。


「レイア君。前にもいったが、私の分の飲み物を買ってくる必要はないのだよ」


 杉山教授はまたもやさしく諭すようにレイアさんに言う。


「やだな教授。これくらい気にしないでくださいよ。を買ってきましたよ」


 杉山教授はカップを手に取りコーヒーを口に運ぼうとする。しかし、そのカップはすでに空だ。


「ふふ、BESTタイミングだったみたいですね」


 杉山教授は震える手でバナナキャラメルミルクイチゴ牛乳を受け取り、引きつった笑顔でレイアさんにこういった。


「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたんだ」


 杉山教授は日本の未来を憂いている。未来ある若者を育てることも研究者としての義務と自分に言い聞かせてバナナキャラメルミルクイチゴ牛乳を胃の中に流し込んだ。


(研究だけして人とかかわらない生活をしたい)


 彼の心を一瞬でおるほどにバナナキャラメルミルクイチゴ牛乳はまずかった。





 


 それから数日後、倉田くん、矢羽田教授、日奈子ちゃんの3人はお寿司屋さんに来ていた。


「というわけで断られちゃいました」


 日奈子ちゃんが杉山教授に研究の協力を依頼しにいったときのことを二人に話す。


「あいつは断り切れない性格だからな。さぞ困っただろうに」


 矢羽田教授は震えて笑いをこらえながら言う。


「ええ、きっとそうでしょう。それでも断るくらいですからよほど手伝いたくなかったんでしょう。今度いっしょにご飯をたべるときにからかってあげないといけませんね」


 倉田くんも笑いをこらえながら言う。あいかわらず二人は杉山教授とお昼を食べている。仲が良いとは絶対に認めないが。

 

「なんでですか、それじゃあまるで私が迷惑な人みたいじゃないですか」


 日奈子ちゃんはぷいっと顔を背ける。二人の変なのに絡まれた杉山教授がかわいそうみたいな論調が気に入らなかった。倉田くんは苦笑いをして日奈子ちゃんに弁解する。


「そもそも日奈子ちゃんがそんなものを作ろうとしたのが僕からすれば驚きです。相変わらずジャージなのに」


 寿司屋に来てもジャージな日奈子ちゃんは胸を張って倉田くんの質問に答える。


「私、思ったんです。最近いろんな人とかかわる機会が増えてきて『大将、日本酒ちょうだい』仕事にきちんと向き合うことの大切さを感じました。『何でのむ』私も研究者を目指すものとして誰かを笑顔にできるような研究をしたいって『お燗で』ちょっと矢羽田教授、私の話ちゃんときいてますか⁉」


 日奈子ちゃんがいいことを言っている最中にお酒を頼みだす矢羽田教授。完全に寿司屋を満喫している。


「お前らも早く好きなの頼めよ。今日は俺の財布からだすからな」


 その財布の中身は大学からおりた予算だ。


「でも、予算でこんなことして大丈夫なんですか?」


「これもちゃんと仕事だから安心しろ」


 矢羽田教授はそう言って大将から受け取った日本酒をぐいっといく。


「仕事といっておきながら飲むんですね」


 倉田くんがため息をつくと日奈子ちゃんが彼のすそをちょいちょいと引っ張る。


「どうしたんですか?」


「倉田くん。その……初めて、だからどうすればいいかわかんない。」


 日奈子ちゃんは頬を赤くしてすこしうつむいている。彼女は回らないお寿司屋にくるのは初めてだった。二人は、ふつうに楽しんでいるのにこんなことを聞いて邪魔してしまうことが申し訳なく思えた。


「ふつうに注文すれば大丈夫ですよ」


 倉田くんは日奈子ちゃんに教える。なんら特別なことなどない。注文したいものを注文すればいいだけだ。


 日奈子ちゃんはすこし逡巡したあと、恐る恐る注文する。


「え、えんがわをお願いします」


「あいよ」


 大将はぶっきらぼうに返事をして握り始める。シャリの上にネタをのせる。それだけの作業なのにとても美しく感じた。そしてすっとえんがわの乗った皿が日奈子ちゃんの前に置かれる。日奈子ちゃんは目をキラキラとさせて、えんがわをまじまじと見る。


「倉田くん、倉田くん。見て下さい、えんがわですよ」


「ええ、えんがわですね」


 日奈子ちゃんは、えんがわを見てとても喜んでいる。見られるだけでこんなに喜んでもらえるならば、捌かれたひらめさんとしてもこれ以上にない幸せだろう。


 倉田くんも暖かいまなざしをそんな彼女に向けていた。


「はっ」


 日奈子ちゃんは倉田くんのそんな目に気付いたのか、咳ばらいをする。


「ふ、回らないとはいえ、たいしたことはないですね」


 さっきまであんなに喜んでいたのに、もうどや顔をしているあたりが彼女らしい。


「そうですね。日奈子ちゃんがえんがわを注文できるくらいですから、たいしたことありませんね」


 日奈子ちゃんはいじわるなことを言う倉田くんのほうにベーっと舌を出す。無理矢理に流れを変えるために矢羽田教授に今日寿司屋にきた目的を聞く。


「今日はいったいここで何をするんですか?」


「日本にきた外国人がオリンピックを見る以外にやってみたいことってなんだと思う?」


 矢羽田教授は倉田くんと日奈子ちゃんに問いかける。


「”日本の文化に触れるのはあくまでついでだ”って前に言ってましたよね」


 倉田くんは以前矢羽田教授が話していたことを思い出す。無理に日本独特のものを勧めるよりも、スポーツ観戦に集中できるように母国のライフスタイルと同じように生活できるサポートをする。その一環としてイスラム教徒のためのハラール食をだせるレストランを探してきた。


 しかし、矢羽田教授はそんなこといったけか?みたいな顔をしてとぼける。


「日本にきた外国人がオリンピックを見る以外にやってみたいこと。それは日本でしかできない体験だ」


 その時と言っていることが真逆だ。


 まあ、驚くことではない。大学教授というのはたまにそういうところがある。前に言っていたこととぜんぜん違うと聞いているほうは思っても、彼らの中では理論立ててつながっているのだ。特に説明したりするわけでもないのでその溝は埋まらない。大学教授がきちがいと言われる所以だ。


 倉田くんは日本でしかできない経験について考える。寿司屋に来ている以上、すしに関連することなのだろうが、矢羽田教授の思惑通りにことが進んでいくのがなんとなく癪に障ったのであえて違うところを攻めることにした。


「日本でしかできない体験って、世界遺産でも取材するんですか?」


 海外旅行といえば、まずは世界遺産だろう。富岡製紙場が世界遺産に登録されたのは記憶に新しい。東京からもいきやすいだろう。いや、日光のほうが近いだろうか。


「あぁ!世界遺産⁉そんなもんほかのサイトのリンクでもはっとけ!」


 世界遺産で腹が膨れるか!と不満げに矢羽田教授はいう。 


「自分が行きたくないだけじゃないですか」


 矢羽田教授はぶらさっがている木板にかかれたメニューを指さしていう。 


「おい、ここのメニューを見てみろ、どう思う」


「値段が書いてないです」


「そうだ、それだけじゃない。外国人にはあれは読めん。いや、認識できないというほうが正しいな」


 矢羽田教授は昔を思い出しながら語る。これは10年ほど前のことだ。矢羽田教授は、Mr.Steveを連れてこの寿司屋にやってきていた。当時の彼は、まだ日本に来たばかりで、日本語の会話もすこししかできなかった。店の中に入ると、とたんに彼は感嘆した。


「 Wow、これはすばらしい」


 矢羽田教授は彼に尋ねる。いったい何がそんなにすばらしいのか、と。


「あれはshoというものだろう?WABISABIだね」


 そういってMr.Steveが指さすものを見た矢羽田教授は小声で彼に指摘する。


「あれはメニューだ」


 Mr.Steveがまだ日本文化に染まり切っていないころの失敗談だ。まあ、数字も書いていないのにメニューとわかるほうがおかしい。ちなみにMr.Steveは、今では一人で通うくらい寿司が好きらしい。


「なるほど、僕ら日本人からしても不便ですしね。仕入れの値段がわからない以上、仕方がないところはありますが」


「そこで俺たちの出番ってわけだ。倉田、お前だったらどうする?」


「英語のメニューを作ればいいんじゃないでしょうか?」


 読めないのだから英語で併記するのが一番簡単だ。


「そいつはできないですね」


 しかし、倉田くんの意見を大将が否定する。


「今ひいきにしてくださってる方たちは今の店の雰囲気を気に入ってくださっているんです」


 その目からは絶対にそんなことをするつもりは無いという強い意志を感じる。


 たしかにメニューに英語を表記すれば外国人でもすぐにわかるだろう。しかし、それは店の中の雰囲気を大きく変える。彼ら板前は寿司だけを売っているわけではない。この空間も売っているのだ。


「でも、それじゃあ……」


 店側を変えることは出来ない。何もしないでお客だけ増やすなんて夢みたいなことができるのだろうか。


「たしかに店の方を変えるのは無理だな。だから観光客のほうに変わってもらう。動画にして寿司屋の楽しみ方を外国人にレクチャーしようってわけだ。粋な寿司の食べ方ってやつをな」


 たしかにその理論に破たんはないように思える。


「でも、大将はどうして僕らに協力しようと?」


 店の空気を変えたくないなら、外国人旅行者を積極的に取り込みにいく必要はないように思えた。別にお金に困っている様子もない。大将はどうして協力しようと思ったのだろうか。


「勘違いしてほしくないんですが、外国人のお客さんにも来てほしいんです。より多くの人に私の握った寿司を食べてもらいたいと思っています。ただ、外国人のためのお店にはしたくない。それはやっちゃいけないことだし、ここに来る外国人のかたも望んでいないと思うんです。あくまでうちのやり方に従ってもらう。そういう意味でこっちの流儀を知ってもらうってことが一番だと思うんですよ」


「そうだよなあ」


 教授は分かっている呈でうんうんとうなづいている。顔が真っ赤だ。あきらかに飲み過ぎている。


「同じ飲食店でもここまで違うものなんですね」

  

 倉田くんは以前、ハラール食をメニューに取り入れようとしていた『うますぎる料理店』にいったときのことを思い出す。一方は、新たなお客を手にれるために自分たちが変わろうとし、また一方は新たなお客を手に入れるためにお客自身に変わってもらう。


 彼らはどちらも少しでも多くの人に自分が作ったものを食べてもらいたいと願いながら全く別の方法をとっている。


「別にどっちが間違っているってわけじゃない。どっちも正しい。自分が大事にしたいものがどこにあるかがきちんとわかっているからこそできることだ」


 矢羽田教授は語る。その姿はすこしだけさびしそうに見える。


「そういう信念ってやつを俺も見つけておけば、………………大将、大トロ!」


 矢羽田教授は何かを言いかけてやめる。そんなことより今はうまいすしを食べるのだ。


「あいよ」


 大将は不愛想に返事をして、握る。極上の素材を熟練の腕を用いて握るのだ。まずいはずがなかった。


         板前ははその一貫に魂を込める



 矢羽田教授は握られたすしをゆっくりと口に運ぶ。旨みが口のなかに広がっていく。舌の上でとろける脂が体に溶けこむ。大トロという名の贅沢を存分に味わった。


「そういえば撮影用のカメラはどこにあるんですか?」


 倉田くんは思い出したかのように矢羽田教授に尋ねる。


「持ってきてない」


「持ってきていないって、レクチャーするための映像をとるんでしょう?どうするんですか?」


「今日一度にやることを全部終わらせたらこの店にもう来れなくなるだろうが!!」


 また来る気満々だった。もちろん大学から降りた予算を使ってだ。


「最後に一つだけお前らに言っておきたいことがある」


 矢羽田教授は決め顔で締めくくる。


『経費で落とせるSUSHIはうまい‼』


 矢羽田教授は高笑いをする。うまい寿司にうまい酒、最高の気分だった。





 しかし、このときの彼らはまだ知らなかった。経費は最強だと信じて疑っていなかったのだ。支給された予算が尽きれば経費も糞もない。そうなれば来年度予算が下りるのを待たなければいけない。

 そして次年度の予算を出すか決めるために活動報告が義務付けられている。予算編成を決めるためにもその提出期限はかなり早いのだ。タイムリミットは刻々と迫っていた。

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