第5話 福島へ(前編) ~見た目って大事~
矢羽田教授の情報研究室の三人は福島へ向かう。オリンピックに向けた専用サイトを作るための資料集めが目的だ。そして、その前日。日奈子ちゃんはすごく悩んでいた。
日奈子ちゃんは洋服ダンスの前で下着姿で正座しながら頭をひねる。
「遠出するようの服がない」
着ていく服を選ぶ以前に、持っている服がなかった。お金が入ればほとんど趣味に回してしまうためにかわいい洋服を買うという発想がなかったからだ。
「駅ってジャージで入ることができたっけ?」
女の子にあるまじき発想である。しかし、それも当然のことなのかもしれない。彼女が普段来ているのはジャージだ。大学にいくのもジャージ。当然部屋にもジャージしかない。
「あ、思い出した。たしか無人駅はジャージでもOKで、それ以外はジャージはだめだったような気がする」
ジャージだと自動改札で引っかかって駅内に入れない。どう考えても嘘なのにこの年まで騙されたままでいるとは、嘘をついた中学のころの同級生も思っていないだろう。もともと大学に近いところに家があったおかげで日奈子ちゃんは大学と家を行き来するだけで日々を過ごしていた。むずかしい数式のときかたは分かってもふつうに生活している人なら当然のことがわからない。知識の偏りがひどいのだ。
「あった!!」
日奈子ちゃんは洋服ダンスの奥かから中学生のときに買ってもらった服を引っ張りだす。それを着て玄関にある大きな鏡の前に立つ。ふりふりのついたミニスカートにパーカーを着ている。とても子供っぽくてかわいらしいデザインだ。
「これならいける」
しかし、ぴったりだった。中学生の時点で成長は止まっている。彼女はその事実に気付いたが、前向きだ。
「女の子は中学生が一番かわいいし、私も一番かわいい」
いろいろと意味不明である。何はともあれ、着ていく服は見つかった。これで新幹線に乗車拒否されることもないと日奈子ちゃんは満足げである。
そして翌日。
「日奈子。待ちなさい」
家を出ようとする日奈子ちゃんを日奈子パパが呼び止める。日奈子パパは彼女の頭のてっぺんから足元までゆっくり見おろし、それから目を閉じる。
「どうしたの?」
日奈子ちゃんはそのまま黙っている父の顔をのぞき込む。日奈子パパは財布から3万円を取り出し、日奈子ちゃんに手渡した。彼女はもらった3万円を握りしめ、家をでる。日奈子ちゃんは振り返って父にいう。
「待っててね、パパ。”ママドオル”いっぱい買ってくるから!!」
ママドオルは福島県のお土産として有名なお菓子。家族へのお土産を買おうとまっさきに考えるほどにいい子に育った。父はそのことをうれしく思いつつも、自分の意図がまったく伝わっていないことを悲しむ。家族のすれ違いは悲しいものだ。それでも父は何も言わずに笑顔で送り出した。
新幹線にのって福島に来た3人。3人には福島でやらなければいけないことがあった。
半径10キロメートル。震災から数年たち、復興が進む中でいまだに立ち入りが禁止されている地域がある。福島第一原発から10キロメートルの範囲に入ることはできない。原子炉の損傷や放射性物質の放出・拡散による住民の生命・身体の危険を回避するためだ。
そんな状況で放射線防護服を着て一眼レフを構える男がいる。そう、倉田くんだ。今回の目的は写真撮影。サイトに福島の写真を載せるために自分たちで取りに行く。彼にも迷いはあった。いくら放射線防護服を着ているとはいえ、体に全く影響がないとは言い切れない。応用物理学科の知り合いに聞いたところ、放射線防護服を着ていれば、大丈夫だろうといってはいたものの、自分が専門の分野でないために信じ切れていない。
「それでも誰かがやらなきゃいけないんだ」
倉田くんの本心だ。世界に真実を伝える。その崇高な精神のもとに彼は歩き出す。
日奈子ちゃんはそんな彼に聞いた。
「倉田くん、その格好はコスプレ?」
「止めないでくれ、日奈子ちゃん。僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ」
そもそも止めていない。しかし、完全に自分によっている倉田くんにはそんなこと関係ない。倉田くんは震える手で、放射線線量計を取り出す。計測器の数値が動いて行くのを緊張しながら見つめる。
「よし」
基準値を下回る放射線線量。倉田くんはすこしだけ安心した。そしてデータのばらつきを考えて、2回目の計測を始める。一度の計測で正しい結果が出るとは限らない。いくつかのサンプルをとって平均をだすのは基本だ。今回は時間もないので10回もやれば十分だろう。そんな彼をさめた目で日奈子ちゃんは見ている。
矢羽田情報研の面々は今、福島県にいる。ガチ装備でいるのは倉田くんだけだ。日奈子ちゃんはふりふりのついたミニスカートにパーカーを着ている。
「せっかくの遠出なのにおしゃれしないなんてもったいないですよ。見てくださいよ、このスカート。それに対して、なんですかそのあつくるしい格好は?」
日奈子ちゃんはその場でくるっと回ってスカートをひらひらさせてそう言うが、そもそも暑苦しいとかそういう問題ではない気がする。ここは福島県白河駅。例の原子力発電所がある場所と同じ県ではあるものの、一度も立ち入り警戒区域にすらなったことがない地域だ。そもそも福島県は広い。県内の出来事であってもそれほど身近な事件というわけではないのだ。まして震災から数年たった今ではもう、誰もきにしていない。当然駅の周りにいる人も他の県の人と同じようにふつうに生活している。いつもと変わらない日常をいつものように過ごしているのだ。むしろ倉田くんが目立ちすぎて視線を集めているせいで日常をぶち壊している。
「ふふ、たまにはスカートをはくのも悪くないですね。私の太ももがみんなの視線を集めています。とても気分がいいです」
もう一度言うが、日奈子ちゃんは視線を集めているのは倉田くんであり、日奈子ちゃんの生足ではない。たまのおしゃれも隣にいる人が目立ちすぎてまったく意味をなしていなかった。
矢羽田教授がトイレから戻ってくる。教授はなぜかサングラスをしている。日奈子ちゃんはその理由を聞く。
「教授、今日はどうしてサングラスを付けているんですか?」
「ん?ああ、これか。俺くらい有名人になるとこうやって変装しないとファンに見つかっちまうからな。出かけるときの必需品なんだ」
「へー、そうなんですか」
棒読みで相槌をうつ日奈子ちゃん。日奈子ちゃんは矢羽田教授のファンなんて見たことがなかった。日奈子ちゃんは思う。やっぱりこの中では自分が一番まともだな、と。
「ほら、目的地に向かうぞ。お前ら」
矢羽田教授は歩き出す。二人もそれについて行く。
「今回はサイトに掲載するための写真を撮りにきたってことは話したな。これから向かうのがどこかわかるか?」
矢羽田教授は二人を試すようにそう質問した。オリンピックという国際的な注目を集めるイベントが起こるときにわざわざ福島に取材にきた。その時点で答えは分かり切っている。
福島第一原子力発電所。2011年3月11日のに起きた地震により引き起こされた津波に襲われた福島第一原発はメルトダウンを起こし、漏れ出る放射能を封じるためにあらゆる施策が取られた。現在は沈静化し、周囲の放射線線量も徐々に下がり始めている。しかし、いまだに立ち入り禁止区域のすべてが解除されたわけではなく、完全にこの件が解決したとはいえない状況にある。中に入れないために原発周辺の情報もほとんどなく、海外メディアからの注目度はかなり高い。
「立ち入り禁止区域に入るんですね」
倉田くんは矢羽田教授の意図をしっかりとくみ取っていた。あらかじめ放射線防護服を着こみ、高いカメラも用意した。準備はとっくにできているのだ。二人はそれなりに長い付き合いだ。言わずともそれくらいは……。
「はあ?何言っているんだ、倉田。立ち入り禁止区域に入れるわけないだろ?」
しかし、倉田くんの考えと矢羽田教授の考えは違っていた。
「えぇ!?でも撮影する許可はもらったって」
「いやいや、撮影するならどこだって許可はいるだろ」
最近はどこもうるさいのだ。下手に無許可で写真をツイッターに上げでもしたら
……口にだすのもおそろしことになる。個人レベルならそこまで問題にならないことも多いが、彼らは一応、大学に所属している人間だ。大学の責任問題になってしまっては事だ。
教授が撮影の許可をもらったという話を聞いた倉田くんは立ち入り禁止区域の撮影許可だと勘違いしていた。
「それはまあ、確かにそうですけど……。立ち入り禁止区域内や、原発が見えるような場所での放射線量を取るとかしなくていいんですか?」
倉田くんも矢羽田教授が言っていることは分かるものの、納得は出来ない。実際に原発に近づいて資料を集めないのであれば、わざわざサイトにそれに関した記事を掲載する必要がないように思える。
「20ミリシーベルト」
矢羽田教授は唐突にそう言う。倉田くんは意味がわからず聞き返す。
「はい?どういう意味ですか?」
「放射線線量の基準値の一つだ。年間で20ミリシーベルト未満なら健康的に被害はないと言われている。でも、そんなこといわれても実感がわかないだろ?ふつうに生活している写真を見た方が安心するんだよ。人間っていうのはそういう生き物だ」
たしかに基準としている数値があれば、その数値を越えているか超えていないかを判断するのは簡単だ。しかし、本当に知りたいのは数値ではなく、そこが安全かどうかなのだ。だから、と矢羽田教授は駅構内を見渡してから話し続ける。
「少なくともこうして事件後も普通に生活している人がこれだけいる時点で、文字通り、ただちに健康に影響はないってわけだ」
本来なら過去の事例からどれくらい健康被害がでるのかが予測できれば一番だが、十分なデータがそろっていない。有名なチェルノブイリの原発で起きた事故は参考にするには規模も被害も違い過ぎる。似通った前例がない以上、これからどうなるかは誰にもわからないのだ。しかし、一つだけ確かなのは現時点までで福島に住んでいる人のほとんどに放射線が原因と思われる健康被害がでていないことだ。そしてそれを伝えるためには福島県内のリアルを見せる必要がある。一番簡単にそれができるのは、ふつうに、いつもどおりの生活を送る人たちの写真を撮ることだった。
「そもそも観光サイトに載せる必要がなくないですか?」
日奈子ちゃんがそう指摘する。彼女はせっかくオリンピック用のサイトだから明るい話題だけ掲載すればいいと考えている。マイナスな部分をサイトに掲載しては人を呼び込めないと考えるのは自然なことだ。しかし、矢羽田教授も理由があって動いている。
「必要だ。わざわざネットで日本人が作ったサイトを見るような連中が福島第一原子力発電所について知らないなんてありえないからな。誠実な情報サイトじゃなければいけない。まあ、見せ方は工夫するが」
矢羽田教授は楽しいだけのサイトではダメだと考えている。信用を得ることに重きを置いたのだ。しっかりとした理念をもって仕事にあたっている矢羽田教授に対して倉田くんは言う。
「同僚のエビフライをとったりする人には見えないです」
昨日のお昼の出来事だ。某研究室の某教授といつものように食事をとっていた
。矢羽田教授は某教授に電話が入ったすきに彼の皿にのったエビフライをかすめ取った。普段はそんなことしているくせに、まともなことを言っている矢羽田教授におどろいて目を丸くする倉田くん。一方、日奈子ちゃんは目をキラキラさせて教授をほめる。
「なるほどさすがです。教授!!」
「お、日奈子ちゃんは素直でいいな。倉田みたいになるなよ」
矢羽田教授は倉田くんを睨んで、うちの学食はエビフライが高いんだから仕方ないだろうが!、と小声で反論する。
「ところであそこのお店でママドオルを買ってきてもいいですか」
目をキラキラさせながら、お店を指さす日奈子ちゃんを見て矢羽田教授は思う。自分の話はたぶんほとんど聞いていなかったんだろうな、と。でも、仕方がないことだ。だってママドオルうまいもん。
「ああ、行ってこい。すぐ戻ってくるんだぞ」
「やったあ!!」
うれしそうにお店に向かって走っていく日奈子ちゃんを見送る矢羽田教授。矢羽田教授は、研究室のメンバーの自分への敬意が日ごとに失われていくような気がしてならなかった。
三人が写真を撮りに来たのは幼稚園だ。矢羽田教授はこの幼稚園で写真を撮影する許可をもらったのだ。子供たちが元気に遊ぶ姿を写真におさめることで福島が安全に生活できる場所だということを印象付けるのが目的だった。そして今、三人の前には大きな赤いリボンを頭につけた幼女がいた。
「はわわわ」
とても震えている。
「あの……」
「ひっ!!!」
倉田くんに声をかけられてびっくりした幼女はひっと悲鳴をあげる。
「倉田!お前は黙ってろ。お前の格好にびびってんだから」
矢羽田教授はひそひそ声で倉田くんに注意した。それから幼女にやさしく話しかける。
「おじさんたちはこの幼稚園に用事があってきたんだけど、先生たちのところにあんないしてくれないかな?」
幼女は目をうるうるとさせ始める。そんな反応を予想していなかった矢羽田教授は思わず声を上げる。
「なにぃ!俺でもだめなのか」
幼女は泣いた。日奈子ちゃんは幼女の前にかがんでなだめる。
「だ、だいじょうぶだよ。あのおじさんたちは怖い人じゃないから。だいじょうぶ。だいじょうぶだから」
「っん。わたしどっかに連れていかれちゃうの?」
幼女は鼻をすすりながら日奈子ちゃんに尋ねる。
「大丈夫です。私が守りますから!」
さっきから日奈子ちゃんが大丈夫しかいっていない。それでもなだめ始めてから10分ほどすると、幼女的に安全な人あつかいになったらしく日奈子ちゃんに対する警戒心はだいぶ弱くなった。
「ふふ、かわいいリボンですね」
「えへへ、ママにもらったの!」
いつのまにかとても打ち解けていた。幼女もだいぶ落ち着いてきたようで、だんだんとほかの二人の方もちらちら見るようになりだした。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。これなんなの?」
倉田くんを指さしてそう言う幼女。それをみて日奈子ちゃんは思う。
(ぎゃくに私が聞きたい。この人なんなんだ)
日奈子ちゃんは倉田くんからすっと目をそらして幼女の質問に答える。
「彼は宇宙人です」
「そうなんだあ」
幼女は純粋だった。
「せんせーに会いたいんでしょ。連れてってあげる!」
幼女は日奈子ちゃんの手を取って言う。
「ほんとですか。良かった、いきましょう二人とも」
幼女に怖がられていじけている二人を日奈子ちゃんは手招きし、ようやく先生の元へ向かうことができた。
幼女がとつぜん立ち止まり大きく手を振りだす。
「みかんせんせー。お客さんだよ」
エプロンをつけた女の先生がそれを見て走り寄ってくる。幼女の前まで走ってきて先生は言う。
「もうどこ行ってたの。ハナちゃん。え、お客さん?」
先生は来客者たちの外見と、ハナちゃんの顔がなき脹れているのを交互に見て、一瞬で判断した。放射線防護服を着ている男とサングラスをかけている男、あきらかに怪しい。
先生はすばやく腰を落とし姿勢を低くする。あまりの速い動きに彼女のつけているエプロンがふわっと舞い上がる。そして屈伸運動によるインパクトをのせた先制パンチを倉田くんのみぞおちに打ち込む。
突然のことに倉田くんは反応できない。痛みから反射的に身をかがめるが、彼女の攻撃はそこで終わらなかった。倉田くんが完全にガードをする前に彼女のけりが倉田くんの股間を打ち抜いた。
「ふぅ~、次は誰からいっとく?」
先生は倒れ込んだ倉田くんの背中を踏みつけてそう言い放った。完全に獲物を見る目で日奈子ちゃんと矢羽田教授を威嚇してくる。
今度は日奈子ちゃんと矢羽田教授が震える番だった。
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