挙式前日

翌日からレンタカーを借りて、慎の案内でボストンの観光名所を見て回った。ボストン美術館やイザベラ・ガードナー美術館と云った、本来波留子が好きな所は脚の悪い波留子の為に敢えて外し、ボストンコモンを少し歩いたり、フリーダムトレイルを車で回った。

「ハルコ、もう直ぐセント・パトリック・デイ・パレードが行われるよ。」

「なあにそのパレード。」

「聖パトリックの祝日。アメリカでは此処ボストンから始まったんだ。アイルランドのお祭りなんだって。聖パトリックの祝日には皆んな緑の服を着て祝うんだ。クリスマスより賑やかだよ。」

「ふうん。でも何で緑の服?」

「アイルランドは森林の多い国で別名『エメラルドの島』って呼ばれてるんだって。だからアイルランド出身者は自国のシンボルカラーを身に着けて祝うんだよ。」

「そうなんだ、面白そうだね。アイルランドならアイリッシュビールか。」

「そう。よく知ってるね、ハルコ。」

「ふふっ、お酒は嫌いじゃないからね。」

「でも今は脚の事もあるんだし、程々ほどほどにね。」

仙に注意された波留子は慎に舌を出して笑って見せた。

ボストンに到着してから四日目、朝食を取りながら今日は何処へ行こうか、と話していた時波留子が慎に、

「マコちゃんの大学へ行ってみたい。マコちゃんが勉強したり友だちとお喋りしたりして過ごしている場所を、この目で見てみたい。」

「いいけど、直ぐ飽きちゃうよきっと。」

「飽きないよ。親ってね、自分の子どもが過ごしている場所がどんな所か興味あるものなのよ。」

「へえ、そう言うものかな。ちょっと恥ずかしい気もするけど、なんか母親っていいもんだなあ。でもハルコ、親はって言ってたけど仙は一度も見に来たことないよ。」

「それは忙しかったからじゃない。それか、貴方を信用してるからよ。私だって娘達は信用してたけど、女の子だし、抜けてる所があるのも分かってたからね。私は未だマコちゃんの事知らない事だらけでしょ、だからもっと知りたいの。仙だって本当は見てみたいって思ってるんじゃないの。男親ってなかなか素直に口に出せないからね。」

「いやあ、俺の場合は自分も卒業した大学だから行かなくても分かってるんだよねえ。」

そう言って苦笑いしている仙。

「えゝ、仙もMITの卒業生だったの。はあ、親子揃って本当に頭が良いこと。あれ、えっ、て事は桐生さんも…。」

頷いている仙を見ながら溜息混じりに苦笑いする波留子だった。

波留子のリクエストで三人はこの日、マサチューセッツ工科大学を訪れた。勝手知ったるなんとかで、仙はキャンパス内の駐車場に車を駐めた。波留子は慎の案内で慎が学んでいた建物を見て回り、キャンパスに出てきた時にはさすがに疲れたのかベンチに座り込んでしまった。溜息を洩らす波留子に、

「疲れた、大丈夫。」

「うん、少しだけ。やっぱりアメリカはスケールが違うね、広い、広い。私は大学へ行って何を勉強しようって具体的な目標が見つからなくて、大学行かずに資格取る為に専門学校へ行っちゃったけど、こんな環境の良い所で学べるなら行けば良かったかな。

でも専門学校へ行ったから秘書の資格が取れて、そのお陰で今の仕事に繋がったんだよね。…うん、やっぱり私は専門学校行って良かったんだ、ね。」

仙は波留子の話を聞いて隣でクスクス笑っていた。

「何が可笑しいの。」

「えっ、いや、ごめん。波留子が後悔したり、自分で肯定したり、一人で完結してるの面白い。はたで見てると飽きないよ、ハルは。ホント楽しい人だよね。」

「ホントそうだよね。ハルコは見てるだけでこっちを楽しませてくれるんだから。」

それを聞くとふくれっ面になる波留子。

「あゝ、また二人で私の事オモチャにして。」

二人が吹き出して笑うのを睨みつけてはみたものの、二人が楽しそうに笑っているのに釣られてそのうち二人と一緒になって笑っていた。


翌日に慎の誕生日と仙と波留子の結婚式を控えた十日の朝、波留子の怪我の状態を診て貰うため三人は病院へやって来た。ドクターマーラーの問診を受けた後ギブスで固定したままレントゲンを撮り、前回の写真と重ねて見せてくれたドクターはカルテにある波留子の年齢を見て驚いていた。慎の通訳によると、波留子くらいの年齢だと最初の転落時の亀裂状態から見ても折れなかった事の方が不思議だと思われる。よほど骨密度が高いのだろう、との事。その上で、約一週間でこの回復力ならギブスで固定しておけば当初の予定より早く完治できるだろうと言ってくれた。ドクターは波留子に普段から運動をしているか、食事についてはどんな注意を払っているのか、と彼是尋ねてきたが、波留子の返事は、別に特別な事は何もしていない、と素っ気ないものだった。そんな事よりも、と波留子はドクターに明日の結婚式に松葉杖を使わずに歩いてもいいかと尋ね、あっさり却下されて凹んでしまった。松葉杖をいた花嫁なんて格好悪くて新郎に申し訳ないのだ、とドクターに詰め寄る波留子をなだめながら仙が、慎しかいないんだから気にしなくていいよ、と言った。だが波留子は大層気に病んで凹んでしまったようだった。

午後になると慎は翌日の誕生日を親子で過ごす代わりに今夜は友だちが皆んなで祝ってくれると言うので出掛けるから夕食は二人で食べて、と言い残し出掛けてしまった。波留子は慎が出掛けると仙に、

「こっちへ来てからずっと観光しててさすがにちょっと疲れちゃった。案内役のマコちゃんも居ない事だし、今日は部屋でのんびり過ごしたいな。もし仙が行きたい所があるなら別だけど。」

それを聞くと仙がニヤニヤしながら言った。

「やっと根を上げたな。本当は昨日辺りもう休みたい、って言うかと思ってた。言ったろう無理しなくて良いんだって。慎に合わせてたら俺だってバテる。して波留子は脚を怪我して動くのが大変なんだから。いいよ、今日は何処へも出ないで部屋で寛ぐとしよう。映画でも見る。」

二人はルームサービスでアフタヌーンティーセットを頼むとテレビで懐かしい映画を見て過ごした。夕食にはサンドイッチとフルーツの盛合せを頼んだのだが、

「凄い量だね。サンドイッチ一人分で良かったかも。」

「そうだね。でもしっかり食べておかないと式の最中に貧血、なんて事になったら大変だよ。時間はたっぷりあるんだからゆっくり食べればいいよ。それともまたテレビでも点けてみる。」

「ううん、もう映画はいいや。久し振りに仙とお喋りを楽しみたいし。」

「そう言ってくれるなんて嬉しいよ。」

仙は波留子をソファーから立たせ松葉杖を渡した。

「明日の式、せめて教会の中を歩く時だけでも松葉杖なしで歩いちゃダメかな。」

「なんでそんなにこだわるの。波留子の身体に余計な負担掛けて脚が悪くなったりしたら困るでしょ。絶対ダメだよ。」

「えゝ、せっかくのウェディングドレスなんだよ。裾を引きずってしとやかに歩きたいじゃない。固定してるんだから大丈夫だよ。」

「ダ〜メ。言うこと聞けないなら中止にするよ、いいの。」

「‥‥嫌だ。」

「じゃあちゃんと松葉杖使おうね。大丈夫、牧師様の前に立つ時は松葉杖外せるように俺が支えるから。それならいいでしょ。」

波留子はそれ以上反論出来ずに頷くだけだった。

夜の十時過ぎ、慎の部屋から今ホテルの部屋に戻って来たと電話があり、明朝八時にホテルを出るからそれまでに食事と身仕度を終えるように、と付け加えて電話は切れた。仙は慎からの電話の内容を波留子に伝え今夜はゆっくりお風呂に入って早めに休もうと提案した。

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