新婚旅行⁉︎でアクシデント
三月に入り最初の週末を控えた金曜日の夕刻、仕事を終えたその足で仙と波留子は悠介の車で羽田空港へと向かっていた。
「全く、出発の日位せめて半休して時間に余裕を持って出ればいいのに。ハルさんまでしっかり終業時まで仕事して。忘れ物はないんだろうな。慎へのプレゼントはちゃんと持ったか。」
車を自ら運転しながら呆れ顔でそう尋ねる悠介に仙が、
「大丈夫だよ。プレゼントは波留子のバッグに入れてある。もし何か忘れてたら向こうで買えばいいよ。波留子も忘れ物ないよね。」
「はい、大丈夫。」
「慎に宜しく言ってね、姉さん。」
「うん、伝えるね。」
時間ギリギリで空港のカウンターにチェックインした二人は悠介や快斗とゆっくり挨拶も出来ぬままあたふたと手荷物検査所へ向かった。
「大丈夫かね、あんなにバタバタと。ハルさんは未だ脚だって治りきっていないんだろう。」
「うん。けど、楽しみだね慎の誕生日。」
「クスッ。あゝそうだな。凛さんと怜さんに無事出発出来そうだって連絡しておかなくちゃな。」
「あ、なら俺が連絡するよ。」
一方、波留子と仙はラウンジで
「仙、私何度も飛行機は乗ってるけどファーストクラスなんて贅沢一度もない。私の人生ではきっと経験する事のない贅沢だと思ってた。こんな夢みたいな贅沢させて頂いて、有難うございます。」
「ハル、止めてくれよ。これくらいの事でそんな大袈裟に礼を言われちゃこっちが恥ずかしいよ。いいかい、君は俺の妻で、今回の旅行が俺達にとってのハネムーンなんだ。贅沢でも何でもないさ。これからは飛行機に乗る時はファーストかビジネスだからね。」
「…」
「ハル?どうした。」
さらっとファーストかビジネスと口にする仙の言葉に波留子は絶句していたのだ。
初めてのファーストクラスでの空の旅は波留子が今まで何十回と乗ってきたエコノミークラスとは比べようもなかった。配られる飲み物はプラスチックなどではなく、冷たい物はグラスに、温かい物は陶器のカップに入れられサーブされた。食事も一食分が全て一枚のトレイに乗せられているエコノミーとは違い、それぞれ皿に盛られてサーブされた。眠くなれば座り心地の良い座席はベッドの様にフラットになり、しっかりと厚みのあるブランケットを掛けて周囲を気にせず眠ることが出来た。座席に用意されている備品の一つ一つも皆、ホテル並みの物が使用されていた。➖こういう贅沢が全て料金に上乗せされるからエコノミーとファーストは数倍も十数倍も料金格差が出来るのか。でもなんだか私みたいな庶民には逆に落着かないなあ。何かって云うと直ぐCAが来るし。私はショップへ行っても店員にくっ付いて来られるのは好きじゃないからなあ。こういうのも慣れなのかしら⁈ 仙は当たり前の様にCAに彼是注文してるもの。やっぱり住む世界が違うのかなぁ➖
「どうした、ハル。」
「あの聞いてもいい?」
「いいよ、何?」
「仙は昔からずっとファーストクラス使ってるの?」
「ううん、違うよ。俺が子供の時は親父がやっとビジネス利用出来るようになった位で俺や快斗はエコノミーだったよ。会社に入った時も最初のうちはずっとエコノミーのまま。役職に就いて初めてビジネスを利用して、今の部長職に就いてからだよファーストを利用出来るようになったのは。どうしてそんなこと…あゝハル、もしかして自分と住む世界が違うとか思ったんじゃない、図星か。バカだな、そんな事で悩むなんて。今の地位に就くまでにはそれなりに努力も勉強もしてきたし、今の地位に就いたら就いたでそれなりの仕事はちゃんとしてるんだからこれは正当な待遇の一つだと思ってるんだ。何十人もの部下の生活が俺の肩に掛かってる訳でしょ。そう思わない。」
言われてみれば確かにその通りだと波留子は思った。部署の社員達より早く出社して仕事の準備してるし、帰りも大抵他の社員達より遅くまで仕事をしてそれを当たり前の事としてこなしている仙。彼の決断如何では会社の損害や信用失墜にもなり兼ねない、そんな時も少なくない。そういう社会的責任を担っているからこそこういう待遇を利用してても落ち着いていられるのか、と納得すると同時にそんな立場のプレッシャーすら自然体で受け入れ受け止めている仙に対し改めて感心した波留子は、
「仙、仕事のプレッシャーは休暇中は忘れて一緒に楽しみましょうね。帰ってから、また企業戦士に貴方が戻る時は私も秘書として微力ながらお手伝いします。」
それを聞いた仙は波留子の体を抱き寄せおもむろにキスをした。周囲の殆どは既に就寝しており、機内の照明も最少限度に落ちていたため好奇の目を集めるような事はなかったもののCAの何人かが見ない振りをしてくれたのを波留子は気付いた、が仙に習い知らん顔を決め込む事にしたのだった。➖今、この瞬間此処には私と仙だけしかいないんだ➖と自分に言い聞かせて。
飛行機は現地時間で日本を出発したのと同日金曜日の夕刻、予定通り無事ボストンのジェネラル・エドワード・ローガン国際空港に到着した。手続きを終えた二人、特に波留子は、迎えに来ている筈の慎に早く会いたいとその姿を探すべく猛然と到着ロビーへと出て来た。すると、
「母さん、父さん、こっちこっち。」
そう呼び掛ける慎の声がする方へ顔を向けると外人の間に
「ハル、ハル大丈夫か。」
ぶつかったスーツケースの持ち主も心配そうに声を掛けてくれるが返事をしようにも痛みで声が出せない。仙に向こう脛を打った痛みで声が出ないが大丈夫だと言ってあげて、と頼み、仙が怪我をしている脚に当たってしまったので声が出ない、心配おかけしました、と本人が言っている、と伝えた。自分も急いでいた為大層勢いがついていた。もし酷かったら連絡してくれれば診察するが今は緊急手術で急いでいるので、と名刺を仙に渡し、仙に名前と宿泊先を聞いて立ち去った。
「母さん大丈夫。立てる。」
「マ、マコちゃん、会いたかった。痛あ…。」
通り掛かった空港の職員がやって来てどうしたのかと尋ねてきた。仙が事情を説明するとスーツケースは職員が運んでくれ仙と慎で波留子を支え立たせたが脚をついた途端、痛みに悲鳴を上げた。仙が波留子を抱き上げベンチに移動した。痛みで顔を
「これは…、波留子、痛いね大丈夫。」
「うん、少し此処で休めば平気。ごめんなさい、私ったらつい嬉しくて。角か何かにぶつけたんだね、気絶しそうに痛かったもん。」
波留子の脚の様子を見た空港の職員が医務室で診て貰うよう勧めてくれターミナル内を走るカートが呼ばれた。波留子達三人と職員一名に二人の荷物を乗せ医務室へと移動。医師の診断によれば、骨は折れてはいないようだがヒビが未完治の亀裂骨折の状態を再度激突した事で悪化させたようだ、との事だった。病院でレントゲン検査を受けた方が良いとアドバイスされ取り敢えずと痛み止めの注射と湿布を貼って貰い、なんとかタクシーに乗り込んだのだった。
「到着早々私がドジやったばっかりにご迷惑お掛けしました、ごめんなさい。」
「何謝ってるの、ハルコは悪くないでしょ。それより脚、未だ痛む。このまま病院行く。」
と慎に聞かれた波留子は今は休みたいと頼んだ。 波留子の声に異変を感じた仙、
「ハル、貧血起こしてる⁉︎ 顔色が悪い。まったく、無理しなくていいのに。慎、とにかく一旦ホテルに連れて行って休ませよう。体調が戻ってから病院へ連れて行こう。ハル、寄り掛かっていいよ。
ハル、お前に会えて本当に嬉しかったんだな。荷物が出てくるのが待ちきれずにいたんだよ。」
「そうだったんだ。俺も何か今朝は早くに目が覚めちゃってさ、俺が早起きしてもしょうがないんだけど。お陰で今朝は久々にジョギングが出来たよ。ハルコの笑顔、早く見たいよ。」
二人の会話をよそに波留子は仙に寄り掛かって眠りに堕ちていた。
ホテルにチェックイン後、部屋に入ると波留子はソファーでまた眠ってしまった。
「仙、ハルコまた寝ちゃったよ。大丈夫かな。」
「さっき打って貰った痛み止めが効いてるんだろう。慎、夕食未だだろ。ルームサービス頼もうか、彼女置いて出掛けるのは心配だし。」
ルームサービスで夕食を注文して仙と慎が波留子の様子を
「なんだって。」
慎に聞かれ電話の内容を話すと慎が、
「全く知らない病院でごちゃごちゃした手続きするより手間が省けていいかもね。ハルコってさ、転んでも唯起きないっていうか強運の持ち主だよね。」
「確かに。言われてみればホントにそうだな。」
互いの顔を見合って思わず笑い出してしまう仙と慎だった。
ルームサービスが届き、二人で食事を始めると匂いに釣られたように波留子が目を覚ました。
「なんだかいい匂い。」
「食いしん坊め、ようやくお目覚めか。」
仙に揶揄われながら身体を起こそうとした波留子は脚の痛みに顔を歪めた。
「痛あ、‥っつう。」
「そんなに痛むの。骨のヒビが広がっちゃったかな。折れてはいないって空港の医者は言ってたけど。」
「ああ、大丈夫だよ。落ち着きがないからバチが当たったんだよ、きっと。マコちゃん、会って早々ごめんね、心配かけて。本当にドジだね私。」
「ハルコ、仙から聞いたよ。俺に早く会いたいって荷物が出てくるのをやきもきして待ってたんだって。そんなに会いたがってくれてたなんて俺すっごく嬉しかった。なのに、また痛い目に遭わせちゃって。あんな所で声掛けないで俺が側へ行けばよかったんだよね、ごめん。」
「何言ってるの、母さんって声掛けて貰って嬉しくって、ちゃんと周りを気を付けてなくてドジったの。それより、‥外へ食べに行けば良かったのに。二人ともホント優しいんだから。」
「ハル、
「ううん、食欲ない。」
「やっぱり。」
「えっ?」
「そう言うんじゃないかと思った。でも全然食べないのは良くないよ。機内でも二度目の食事は殆ど食べてなかったでしょ。サンドイッチなら少しは食べられるでしょ。それとフルーツも頼んでおいた。食べたくなくても少しだけでも食べて、俺の為に。」
「うん。」
そうは言ったものの脚の痛みで食欲は出ずに半分も食べる事が出来なかった。そんな波留子を心配して仙が、
「今日ハルとぶつかった人ね、外科医師で緊急オペをする為に急いでたんだって。さっき電話をくれて波留子の脚、明日彼が診てくれるって、良かったね。」
「そうだったの、分かった。で、その手術は上手く行ったのかな。」
「ああ助かったって言ってたよ。」
「そう、それなら良かった。ねえ仙、脚だけど湿布じゃなくてアイスパックで冷やして貰えるかな、痛くて。」
「そんなに痛むの、ちょっと見せて。‥これ腫れてきてるね、これじゃ痛い筈だ。ルームサービスで用意して貰うよ。それとも、これから病院へ行く?」
「明日診て貰えるなら明日でいいよ。今は動きたくない。」
「分かった。じゃあ用意して貰うね。」
「ハルコ、脚、随分腫れてるね。顔色も悪いし、大丈夫なのかな。」
慎が心配そうに仙に尋ねると仙も首を振って、
「分からないけど今は冷やして様子を見よう。歩くのが苦痛なら歩かせない方が良いだろうし。」
仙と慎の不安は募ったがどうする事も出来ずにルームサービスでアイスパックを頼んで、波留子の脚を冷やしてやることしか出来なかった。
翌朝午前六時過ぎ、仙は明け方まで眠れずにいたらしい波留子がやっと寝息を立て始めたのに気付いた。波留子の脚を見て腫れが大して
仙は慎の部屋に電話を掛け昨夜の波留子の様子と今朝医師に電話した内容を伝え、八時迄に病院へ連れて行く事になったと話した。慎は電話を切ると早々にシャワーを浴び身支度を終え仙達の部屋へ駆けつけた。波留子も既に着替えは済ませていたが、顔色はやはり悪く寝不足の為かとても疲れて見えた。殆ど喋る気力もない波留子を仙が抱き上げ部屋を出るとそのままホテルの玄関へ向かった。早朝出発の為ロビーにいた宿泊客や、驚いて側へ駆けつけるホテルのスタッフに慎が簡潔に事情を話し急ぎ仙達はタクシーに乗り込むと病院へと向かった。
病院に着くと受付で慎がドクター・マーラーに午前八時迄に来るよう言われた、と告げ何処へ行けばいいのかと尋ねた。受付係は電話で確認を取るから、と数分待たされたが、直ぐに確認が取れたらしく今車椅子を持って迎えが来るので待つようにと指示された。ほんの数分程度の時間が仙や慎には長く感じられたが、空の車椅子を押してやって来るナースを見つけると
ドクター・マーラーは診察室の前の廊下に出て波留子達を待っていた。波留子の脚を一瞥すると直ぐにレントゲン撮影に行くようナースに指示。
レントゲンを撮り終え診察室へ戻って来た三人をそのまま室内に呼び入れるとデスク前のボードに骨の写真を映し出した。
医師と直接会話するのは仙と慎に任せ波留子は医師の説明を仙に通訳して貰い、左脚に亀裂骨折を起こしていると告げられた。慎の問いに答えドクターが説明してくれたところによると、軽い亀裂であれば固定していれば一ヶ月程で大分痛みは和らぐ筈なのだが、最初に怪我した時の亀裂が伺ったお話よりも重症だったのではないかと思われる。加えて今回の衝突時同じ部分をスーツケースの角にぶつけてしまったのではないか。私のケースは機材を入れる為かなりハードな物になっています。その為、未完治の亀裂が再び大きくなってしまったのがこのレントゲン写真からも診て取れます、と。写真を示しながら説明を受けている仙も頷き自らも写真に指を当て確認しながら通訳していた。直ぐにギブスで固定するようナースに指示を出し、準備が出来るとドクター自らギブスを脚に固定してくれたのだった。痛み止めの注射を打ってくれた上で、痛み止めの錠剤を五日分出してくれた。今回の治療についてはドクターの損害保険を利用して面倒を見る、と申し出た。一週間後にもう一度診せて欲しいと言われた仙は、その日は息子の誕生日でもあり自分達夫婦が結婚式を挙げる事になっているのだと告げた。自分達は一月一日に入籍したばかりで未だ式を挙げていないので、息子の誕生日祝いをする為に此方へ来るタイミングで式を挙げる計画をしていたのだ、と説明した。それを聞いたドクターは、そんな目出度い式を前に本当にすまない事をしたと再び謝罪した。では前日の金曜日に診せて欲しいと予約を入れてくれた。ギブスで固定された事と痛み止めの効果が表れてきたのか波留子自身はかなり楽になったように見えた。
病院からホテルの部屋に戻ると波留子は仙と慎に頭を下げた。
「全く面目ない。アメリカに来てまでこんな迷惑かけてしまってごめんなさい。」
「もう、ハル止めてくれよ。ねえ、俺達夫婦なんだよ。慎と俺と波留子で家族だろ。そうやってハルに謝られる度に俺は距離を取られてるみたいで嫌なんだ。頼むから謝らないで、もっと俺を頼ってくれよ。慎を可愛がってくれるなら慎にも頼ってくれよ。波留子に頼られて迷惑だなんて一度も思った事ないよ。」
「仙。‥‥ごめ、じゃない。私、いつの間にか謝る事が癖になってたんだ。何か家で問題が起こる度に責められて謝ってばかりいたから。まさか謝る事が逆に仙を悲しませていたなんて思いもしなかった。あ、私、何て言えば良いのかしら。マコちゃん、私どうしたら…。」
「ハルコ、有難うって言えば良いんじゃない。」
「えっ⁉︎」
「何かして貰ったら礼を言えば良いんだよ。どんなに親密な仲でも自分の為に何かして貰ったら礼を言わなきゃね。礼を言われたら仲が良ければ尚更、役に立てた事が嬉しくなるでしょ。だからハルコは仙に有難うって言えば良いんだよ。そうだよね、仙。仙はハルコの為に何かしてあげられる事が嬉しいんだもんね、俺も同じ。」
慎の話をじっと聞いていた波留子は我慢出来ずに泣き出した。今までの人生でこれほど大切にされた事があっただろうか、そう思うと余計に泣けて涙が溢れて止まらなかった。仙も慎もこの突然の大泣きには驚きあたふたするばかりだったが、それでも波留子が泣きながらも有難うと繰り返し言っているのに気付くと二人して波留子を抱きしめた。いつの間にか三人が三人とも泣いていた。
仙や慎が泣いている事に気付いた波留子が、なんで二人まで泣いてるの、と言って笑い出した。仙も慎も泣いてないよ目にゴミが入っただけ、と同じ言い訳をして波留子がまた笑い出し、いつの間にか三人で泣き笑いしているのだった。
ようよう落ち着いて来た時、仙が、
「ハル、ずっと謝るのが当たり前だったなんて俺には信じられないよ。でもこれからは謝る必要なんてないからね。俺達は家族なんだ、有難うはいいけどごめんとか迷惑掛けた、なんて言わなくていいよ、お互い様なんだから。謝るのは悪い事をした時だけだよ。俺、ハルの為に動ける事が幸せなんだから。」
「仙ったらホントにモノ好き。ううん、仙だけじゃなくてマコちゃんも。親子揃って私みたいなドSの泣き虫が好きだなんて。」
「嘘!ハルコってサデイストだったの。」
「そうだよ。もう何回か仙をやり込めてるよ。」
仙は黙って苦笑いしていた。
「嘘だろ。仙はマゾなの⁉︎」
「んな訳ないだろ。」
三人はゲラゲラと笑い転げた。
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