結婚指輪

それから一週間後の週末土曜日に波留子が大泣きしながら慎のアメリカ出発を見送った。

「三月、誕生日祝いに来てくれるんでしょ。一ヶ月くらいあっという間だよ。泣かないでよ、ハルコ。俺まで泣きたくなっちゃうよ。」

「ごめん、マコちゃん。絶対泣かないで笑顔で見送ろうって決めてたのに。やっぱり寂しいよ、マコちゃんが居なくなったら。忘れないでよ、私のこと。」

「当たり前でしょ、俺のママなんだから。」

「うん、うん、三月に行くからね。絶対行くからね。メール、時々でいいから頂戴。」

「うん、するよ。」

「波留子、慎もう行かなきゃ。」

そう言うと波留子の体を慎から離してやった。

「じゃあ行くね。仙、ハルコにあんまり無理させないでよ。」

「あゝ、大丈夫だよ。」

「行ってらっしゃい。」

「気をつけてな。」

手を振って手荷物検査所の列へ向かう慎の後姿を目で追う波留子。そんな波留子を苦笑しながらいとおしそうに仙は見ていた。検査所を抜けた仙がもう一度振り返って二人に手を振ると波留子はまた泣き出した。

「ハルがこんなに泣き虫とは知らなかったな。」

呆れたような仙の言葉に、

「だって寂しくなっちゃうじゃない。それに心配だし。マコちゃんは大事な大事な息子なんですからね。」

「はいはい。俺が出張とかで何処か行く時もこんな風に泣くの?」

「なんで? 出張でしょ、泣かないよ。仙がいない間、会社の人達と飲みに行ったり出来るじゃない。きっと羽伸ばせるって喜んじゃうよ。」

「えゝ、何だよそれ、酷いなあ。」

やっと笑顔になった波留子と手を取り飛行機を見送る為、屋上へ向かった。

家に帰ると仙が、

「さあ、今日から本当に二人きりの新婚生活のスタートだぞ。」

と言えば、

「何言ってるの。今までマコちゃんが居たって全然遠慮してなかったくせに。」

と波留子が言い返す。

「いや、遠慮してたよ。だってこうやって好きな時に波留子を抱きしめてしたいだけキスして何処でもしたくなったら愛し合う、なんて出来なかったもん。」

「エッチ、仙のスケベ!」

「そうだよ、俺はエッチで結構、スケベで上等。波留子だからエッチになるんだから。なんなら今から此処で愛し合おうか。」

「ダメ!私これからネットで英会話。」

「えゝ、今日は休日だよ。」

「だって三月にアメリカ行った時にちゃんとしゃべれないと困るし、二月下旬に例の監督、東京案内しなきゃいけないでしょ。だから時間がないの。」

「俺は?何してりゃいいんだよ。」

「一時間だから、直ぐ終わるよ。そうだ! なら洗濯物畳んでおいてくれる。仙畳み方上手になったでしょ。やってくれたら英会話の後、やる事なくなるからデートしよう。いい?」

「ホント⁉︎、ならいいよ。」

「有難う仙、愛してる。」チュッ。

二月に入ると企画宣伝部は一気に忙しくなった。四月に合わせ新商品の企画を担当するグループ、それに合わせ宣伝製作の打合せ等々。毎日が目間苦しい速さで過ぎて行き、波留子と仙も今までのように一晩に何度も愛し合う気力も体力もなくなるほど仕事に奔走ほんそうしていた。二月下旬、後一週間程で指輪の納期予定という金曜日の夕刻、ジュエリーショップのデザイナーから仙に電話が入った。とても良質で色の良いブルートパーズの原石が手に入ったのでそこから二つの石を取り出す事にした。それを填め込めれば完成するので明後日の午後にでもお渡し出来る、との事。仙は明後日の午後、二人で伺うと約束して電話を切った。直ぐに波留子を部屋に呼び明後日の午後御徒町へ行こうと言った。

「今電話が来たんだ。予定より早く出来たから明後日渡せるって。丁度良かったよ。来週はコマーシャルの完成披露試写会があるし、例の監督から波留子にも試写会に出席して欲しいって頼まれたんだ。波留子、東京案内は俺も一緒に行くからね。」

「あらっ、私は初めからそのつもりでOKしてたんだけど。」

「結婚指輪は慎の誕生祝いに行った時、慎の前で填めないか。あいつも一緒に居たんだし。」

「わあ、それはナイス・アイデア。そうしよう、そうしよう。マコちゃんにも何か素敵なプレゼント持って行こ。」

日曜日の午後、仙と波留子は三度目の御徒町を訪れていた。引き戸を開けながらこんにちは、と声を掛けると奥から声がして暫くするとかのデザイナーがベルベットのトレイに指輪を乗せて出てきた。

「いらっしゃいませ。御足労お掛けしました。此方が御依頼の指輪になります。どうぞ手に取って御覧になってみて下さい。自分で言うのもなんですが、こんなにシックで素晴らしい出来になるとは。デザイナー冥利みょうえいに尽きますよ。」

「ホントだ。濃くて綺麗な青ですね。うん、填めてしまうとパライバの輝きが隠れてシックな感じになるんだ。で、てのひらの方に返すと、何とも言えないカラーですね、このパライバという石は。」

「確かに。見た目は石だけみたいで派手さは感じないけど、指を開いた時や掌側は派手だ。」

「気に入って頂けましたか。トパーズはお二人に全く同じ物を着けて頂きたいと思いましてどうしても一つの原石から二つ取り出したくて、此方を探すのに時間がかかってしまいました。私のデザインをそのまま採用して頂いて、感謝してます。」

「いえ、此方こそ本当に素晴らしい指輪を作って頂けて嬉しい限りです。有難うございました。」

「有難うございました。」

仙に続き波留子も礼を述べた。するとデザイナーが、

「奥様もうすっかりお怪我は良くなられたんでしょうかね、お元気になられて良かった。これ、奥様に気持ちばかりのプレゼントです、どうぞ。」

小さなケースを差し出され波留子がそっとその蓋を開けるとそこには指輪で使われているのと同じバゲットカットされたパライバトルマリンのピアスが入っていた。

「此れは、‥頂けませんよこんな高価な品。」

「いえ、此れはバゲットカットしている中で微妙にサイズが合わずに填められなかったモノを二つずつペアにして下げてみたんです。折角だからちょっとメレダイヤ入れて。気に入って頂けたなら使って下さい。指輪と合わせたらお洒落かと思いまして。」

「えゝ確かに。でも、こんな高価な物、本当に宜しいんですか。」

頷くデザイナーを見て波留子は微笑むと、

「うふっ、有難うございます。では遠慮なく頂戴しますね。大切に使わせて頂きます。」

「有難うございます。」

仙が代金の確認をすると此方も予定より幾分安くなっていた。驚いた仙がデザイナーに尋ねると、自分のデザインを受け入れ、そのまま形にさせてくれたのはお二人が初めてだったのでその礼も兼ねて、と原石が予定していたより少し安く手に入れる事が出来たので実はそれほど引いてはいないのだと語った。仙も波留子もその説明に安堵し納得した。その上で仙は当初予定されていた金額を現金で支払い、余った金額で慎へのバースデープレゼントを依頼した。

指輪を受け取った二人は真っ直ぐ自宅へと戻った。指輪の入ったケースを見つめながら、

「何だかドキドキする。」

「何が?」

「こんな風にオーダーメイドで結婚指輪を作るなんて考えた事もなかったから。来月、指に填める時が楽しみなような、恥ずかしいような。」

「何が恥ずかしいの。」

「だって、きっとマコちゃんに冷やかされるもん。」

それを聞いて仙はひらめいたと言い、

「じゃあ波留子、いっそ慎を立会いに結婚式挙げようよ。」

「えっ?」

「俺にとってはこれが初めての結婚なんだよ。ちゃんと式を挙げたいし、ハルのウェディングドレス姿も見てみたいじゃないか。向こうでなら恥ずかしいも何もないでしょ。慎に連絡して教会探して貰おうよ。」

「いいの? 神様の前で誓ったら本当に私と添わなきゃいけなくなるんだよ。」

「はあ⁉︎ 当たり前だろ。そうしたいから式を挙げようって言ってるんじゃないか。」

「仙。本気で私と…。仙、私来月渡米するまでに運動して、エステ行って、もっと磨いて綺麗になるよ。頑張る、私。」

仙は首を横に振った。

「そのまま、今のままの波留子が俺は好きなの。それでなくても怪我は未だ完治してないでしょ。それに最近ちょっと痩せてきてるのにこれ以上頑張られたらもっと痩せてギスギスになっちゃうよ。そんな波留子、見たくない。」

「仙、私貴方と出来るだけ長く楽しい時間を過ごせるように体力作りするから、それならいいでしょ。…有難う、仙。貴方と結婚して良かった。」

「俺も。愛してるよ、波留子。」

仙はその夜、慎にメールを送った。

【 波留子に慎の誕生祝いに行った時アメリカで結婚式を挙げようと言って承諾を得た。もう隠さなくて良いから良い教会を探して欲しい。 仙】

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