容疑者との対峙《たいじ》

仙のスマホが鳴った。電話に出た仙が電話に向かって、

「はい…ホントに?じゃあ確認出来たんだ。分かった。うん、丁度ちょうど今マンションに着いたところなんだ。‥あゝ、うん、‥じゃあ昼食を済ませてから行くよ。うん、‥えっ、ハルさんも?‥医者からは介護人付きで一週間安静にしている事、っていう条件で退院許可が出たんだよ。いや、松葉杖借りてきたけど上半身の打身も有るから杖を使うのも痛くて未だ歩くのは大変なんだ。ちょっと待って。

ハルさん、昨日ハルさんを突き飛ばした犯人がつかまったって。やっぱり部屋に侵入《したのも同じ奴だったって。今快斗からなんだけど、警察の方に事情聴取の為にハルさんにも来て欲しいんだって、行かれる?俺も行くけど…。」力強く頷いて同意する波留子に強張こわばった笑顔を見せた仙はスマホに向かって、

「ハルさんも行くって言ってくれてる。直接警察署の方へ行けばいいの?‥うん、うん、じゃあ会社の方へ行けばいいんだね、分かった。‥ああ、呉々もバレないように慎重に頼んだ。じゃあ後で。」

「犯人捕まったんだ。」

慎が嬉しそうに尋ねた。

「あゝ、やっぱりうちの社員だったらしい。それで会社での侵入事件の事も有るから会社の方へハルさんにも来て欲しいって。全く!警察は横暴おうぼうだよ、怪我けがして安静にしてなきゃって言うのに。ハルさん無理しなくたっていいんだよ、ハルさんは被害者なんだから。」

「大丈夫。犯人にも会えるなら直接会ってどうしてこんな事したのか聞いてみたいし。」

「ハルコ強い!でも俺も付き添っていい?ハルコの事心配だし、介護人なんだし。」

「そうして貰えたら私は有難いけど会社の人達になんて言うんです。」

「まあそれはそれ、適当に理由は付けるから心配しないでハルコ。それよりお昼、どうしようか。外食じゃハルコしんどいよね。近所に牛丼屋があったけどそれでいい。」

慎は二人の希望を聞いて買いに出た。

「急転直下、とはこう言う事言うんだろうね。会社の監視カメラの方も顔が確認出来る状態だったって言うし、指紋も合致したって言うし。でもうちの会社にこんな酷い事を仕出かす人間がいたのはショックだな。」

「仙。きっと私みたいなのが突然現れたのがそもそもの原因なんだよ。私がいなければこんな事起きなかったんだよ。ううん、起こさなくて済んだんだよ。

悪い事しちゃったかなあ、私。」

「バカ言うなよ!ハルが悪い訳ないだろ。そんな事絶対言うなよ‼︎」

「ごめん、仙。」

仙が波留子に優しくキスをした。

「仙。私、仙のキス大好き。」

「俺も。ハルにキスされるとクラっとする位幸せ。」

ふふっと笑い合ってまたキスしていると、

「あゝあ、これから毎日こうやって見せつける気?俺、年頃よ、まっちゃうよお。」

慎が帰って来ていたことに驚いて離れようとして波留子が痛みに悲鳴をあげた。

「慎、からかうんじゃないよ。ハルさん大丈夫、ごめんね。」

「大丈夫。マコちゃん、ごめんね。今日だけ許して。」

そう言って慎に手を合わせると波留子が仙に再びキスしたので慎は後ろを向くしかなかった。

「ホントに今日だけだよお。」

そう言いながら。

三人は牛丼で昼食を済ませると仙の車で会社に向かった。会社の駐車場に車を乗り入れるとその場で仙が快斗に電話を入れた。

「もしもし快斗、俺だけど。今地下の駐車場に着いた。何処へ行けばいい。ハルさんを彼方此方歩かせたくないんだ。‥うん?うん、じゃあ自分の部屋へ行けばいいんだな、‥あゝ、そうしてくれれば助かるよ。あゝ、‥いやハルさんの怪我は外傷だけじゃないかもしれないんだ。今朝、脳のCT撮ってその結果、安静にして今週いっぱい様子を観察する必要がある、って言われてるんだ。ん?‥あゝ、慎が面倒を見てくれるって言ってくれたんで退院が許可されたんだよ。だから安静にしてなきゃいけないって‥あゝ、そう、そう言うこと。警察にはよおく言っておいてくれよ。病人をこんな風に引っ張り出すような真似して、何か起きたら責任追及するって。あゝ、頼んだ。じゃあこれから部屋に上がるよ、‥うん、じゃあ後で。」

電話を切ると波留子と慎に向かって、

「行こうか。」

仙は穏やかな口調に戻っていた。

エレベーターで上がって行き部長室へ入り企画宣伝部のオフィス側のドアを開けると社員達が一斉いっせいに仙や波留子達を見つけた。波留子の姿を見た社員達がどっと波留子達の元へ押し寄せて来る。

「ハルさん、昨日怪我したって、本当だったんだ。」

「救急車で運ばれたって聞いたけど⁉︎」

「足、骨折してるの?」

「手も怪我してるし、大丈夫?」

皆一斉に押し寄せて来て口々に尋ねるので波留子はその勢いにたじろいだ。が、それより一瞬早く仙が社員達と波留子の間に分け入り皆んなに落ち着くよう促した。

「皆んな、ハルさんを心配してくれるのは嬉しいけど、見ての通り、彼女昨日ビルの正面玄関で突き飛ばされて打撲や捻挫で上手く動けないんだ。皆んなが一気に彼女に近寄ったりしたら動けない彼女はどうなる?分かるだろう。だからね、落ち着いて。」

「部長、犯人は捕まったんですか。捕まったとか、捕まらずに逃げてる、とか色んな話が出てて自分達も落ち着かないんですよ。何だってハルさんが狙われたのかも分からないし。」

「分かった。じゃあ僕が自分で聞いている事実だけを伝えるよ。

犯人とおぼしき容疑者は警察によって逮捕されたそうだ。先日私の部屋に侵入した犯人と同一人物である可能性が高い。以上が私が知らされている事実で未だ犯人の性別や名前、犯行動機は聞かされていないから知らないんだ。それで、今日ハルさんがこんな体にも関わらず会社へ出て来て貰ったのは警察から現場検証や事情聴取を行いたいので協力して欲しいと頼まれたからだ。随分横暴だとは思うけれどね!

これから警察の人がこの部屋に来るが、下手に覗き見ようとしたりすると妨害行為と取られかねないからね、呉々もそんな事をしないで仕事にはげんで欲しい。会社としては無理を押してハルさんに来てもらっているのでこれ以上彼女に怪我などされては困る。今暇を持て余してる息子に彼女の世話を頼んだんだ。アメリカでボランティアで介護をしてるって言うから丁度いいと思ってね。以上。さあ皆んな、仕事に戻って下さい。」仙の号令のもと社員達はそれぞれの持ち場に戻って行った。

「さすが部長、部下の指揮は手慣れていらっしゃる、ねえマコちゃん。」

と波留子が小声で茶化ちゃかすと仙が顔をしかめて抗議した。気分を変えるように慎が、

「もうそろそろ警察が来るだろうからここのドアは閉めておかない。ハルコは自分の席に座る方が楽かな。」

同意の印に頷くと慎の助けを借りて波留子は自分の席に着いた。慎は波留子の後ろに立ったまま控えた。仙はデスクをはさむようにして波留子と向かい合って立ち警察が来るのを待った。

ほどなくして秘書室のドアがノックされ仙がドアを開けた。快斗を案内役に刑事と思しき男性二人と制服警官二人、その制服警官が手錠を掛け腰紐で繋いだ犯人を真ん中にして部屋に入ってきた。それはまぎれもなく先週金曜日にロビーで見かけた真っ赤な口紅を着けた八尾やお崇子たかこその人だった。

「失礼します。」

そう言ったのは私服警官の一人、若い方の刑事だった。

「九龍 仙さん、は貴方ですね。」

頷く仙。

「そして小林波留子さん⁉︎そうですね。」

波留子は軽く頷いて「はい。」と答えた。

「昨日の朝、小林さんが出社されたおりに、鍵が掛かっていたにも関わらず机上に脅迫文が置かれていた、と言うのは間違いありませんか。」

「はい、間違いありません。」

「先週金曜日に鍵は間違いなく掛けた?」

「はい。金曜日は部長と部長の息子さん、此方が息子の慎さんです。お二人の目の前で鍵を締め慎さんがドアを回して確認されましたから。」

「この部屋の鍵は部長と貴女のお二人だけがお持ちなんですか。」

その問いには仙が答えた。

「いいえ、私共二人と企画宣伝部の金庫に一つ、総務部の鍵保管庫に一つ、そしてこのビルの管理室に一つの計五つです。」

「分かりました、有難うございます。ところで小林さんが受け取られた脅迫文はどうされましたか。」

「メモに直接触ったのは私と部長、それに人事部長の桐生さんだけです。彼がメモを調べて貰うからとビニールの袋に入れました。多分もう警察にお渡ししてあるかと思いますが⁉︎」

波留子がそう言うと警官が、

「はい、提出されています。そのメモに残されていた指紋はこの八尾崇子ともう一人、総務部長の刑部おさかべ氏のものでした。彼には会議室の方で待っていただいています。勿論もちろん、警官付きで。別途べっとお話をお伺いする事になっています。

誰かが鍵を開け侵入したと分かって盗聴器が仕掛けられているのではないか、と初めに仰ったのは小林さんだと伺っていますが、何か思い当たるふしでもお有りだったのでしょうか。」

「いいえ。でも私供の部署は企画宣伝部です。新しい企画や宣伝案件について他社にねらわれる可能性があるのではないかと考えた結果、可能性の一つとして盗聴器の事をお話ししたまでです。」

「なるほど。では他に理由はないと。」

「他の理由は考えていませんでしたので他の理由と言われてもお答えしかねますが。」

「分かりました。」

ここまで刑事は波留子の表情や態度の細かい点まで見逃すまいとしているようだったが、波留子にはやましいところがある訳ではないので逆にその視線を跳ね返すように刑事の視線を受け止め返していた。

「では次に、昨日の夕刻の事件についてお伺いします。小林さんは九龍 慎さんとご一緒だったと伺っておりますが、間違いありませんか。」

慎と波留子を交互こうごに値踏みするような視線で見て来る。

➖この視線、如何にも調べてやるぞ、って感じ満載で気分悪きぶんわる➖そんな思いをおくびにも出さずに波留子は刑事の問いに対し、

「はい、一緒でした。」と答えた。

「立ち入った事をお伺いしますが何故ご一緒に?」

「昨日は夕刻からコマーシャルの完成披露試写会がありまして社長も営業部長も仙部長と御一緒に其方へ行かれるので慎さんがお一人で食事は寂しいから、と仰っていらしたのでお誘いしたんです。それで一緒に会社を出たんです。慎さんは今冬休みで日本に帰国されているので此方にはあまり親しい方もいらっしゃいませんので。」

波留子の返答にはよどみがなかった。

「なるほど、そういう事だったんですか。よく分かりました。では一緒に会社の正面玄関を出た所で突然背後から突き飛ばされたという訳ですね。」

「はい。丁度階段に差し掛かる所でしたので足を踏み外してそのまま階段下まで落ちてしまいました。」

「ええっと、左足首の捻挫、左腕打撲、左手首捻挫、全身打撲と。あ、今朝ほど病院から連絡⁉︎ 頭部強打による意識混濁の疑いあり、安静不可避⁉︎

‥いやあこれは申し訳ない事をしました。そんな状態の方をお呼びしてしまって。」

「今頃ですか、刑事さん。朝、其方からの要請があった際にその旨お伝えしましたよね。」

快斗が腹を立て言い寄った。

「申し訳ありませんでした。未だ朝の時点では医師からの報告が上がって来ておりませんでしたので。」

「だから、病院に確認して下さいと申し上げたじゃないですか。彼女の体調に問題が起きたら警察が責任持って頂けるんでしょうね。うちの父は刑事部長と古い付き合いですからしっかりクレーム入れさせて頂きますよ。第一、被害者である彼女に対して先程からうかがっていると容疑者に取調べしている様な物言いで失礼しつれいきわまりないでしょう。」

イライラがつのっていた快斗は思いっきり嫌そうな顔つきでそう言いはなった。刑事部長と言われ刑事の顔つきが変わった。明らかに動揺しているのが波留子にも分かって少し可笑おかしかった。それでも何とか対面たいめんたもとうとして刑事が、

「昨夜のうちに手配して頂いた監視カメラの映像と、ビル内廊下に設置されているカメラにしっかり犯人が写っておりました。金曜日の夜、此方の秘書室へ侵入したのも小林さんを突き飛ばしたのも此処にいる八尾崇子と見て間違いありません。指紋については先程も申しましたように彼女の指紋と刑部おさかべ部長の指紋の両方が検出されていますので、共謀きょうぼうの疑いが濃厚です。」

「あの刑事さん、どうしてこんな事件を起こしたのか私どうしても本人にお聞きしたいんです。聞いても構いませんか。」

波留子が座ったまま身を乗り出すように刑事に迫った。

「本人は未だ黙秘の状態なんですが、聞くだけ聞いてご覧になりますか。構わないですよ。」

「八尾さん、八尾崇子さん。私は噂でしか伺っていないのですが、貴女が仙部長と結婚されたがっているとか。複数の方が貴女ご自身が部長を落としてみせると仰っているのを聞いていらっしゃるようですが、貴女は部長とお付き合いなさった事がお有りなんですか。それかご自身から部長にお付き合いしたいと申し込まれた事はお有りですか。

もしもどちらもない、と言うのでしたら貴女は部長に対してご自身で出来ることは何もせず、ただ口で仰るだけ、ご自身が邪魔だと感じた相手には意地悪をなさる。これって本末顛倒ほんまつてんとうじゃありませんか。もしも、八尾さん、貴女が本気で仙部長の事が好きで好きで結婚したいくらい好きだって仰るなら、何故刑部部長とお付き合いなさってるんです。本当に好きな人がいたら他の人となんて絶対付き合えませんよ。だってそれって自分が好きな人に対する背徳行為はいとくこういでしょ。好きな人が自分に振り向いてくれないなら振り向かせる努力しなきゃいけないんじゃないですか。貴女、きっと子供の頃親御さんが何でも欲しがる物を与えてくださったんでしょうね。ご自身で努力する必要もなく。仙部長は努力をせずに人をねたんだり、人を陥れるような真似をする人間がお嫌いです。ですから貴女が選ばれる事は決してない、と私は断言できますよ。一緒に仕事をさせて頂いて御自身にも大変厳しい方ですからね。」

波留子が言葉を切った途端、八尾が凄い勢いで波留子に襲い掛かろうとして警官にロープを思い切り引っ張られた。

「お前みたいな婆あが言いたい事ほざいてんじゃないよ!お前がこの会社に入ってこなきゃ私が部長秘書になれたんだ。そうすりゃ部長だってあたしの魅力に惚れ込んだに違いないのに。どんなコネを使って部長の秘書になったんだ婆あ。」

「婆あって私?貴方に婆あ呼ばわりされる言われはありませんけど。私は仙部長から直に前の秘書 佐野さんが結婚退職されるというので丁度職探しをしていた私に合っていると思うからやらないかってお誘いを受けたんです。それがコネと言うなら部長ご自身のコネ、ですかね。」

「なんで?なんであたしじゃなくてこんな女がいいの?どう見たって私の方が若いじゃない。あたしの方が綺麗でしょ。」

「八尾君、僕は若さも美しさも秘書の第一条件には何ら関係ないと思うよ。秘書の仕事というのは如何にその上司に快適に仕事をさせるか、それに尽きるんじゃないのかな。君みたいに周囲の人に対してねたそねみで動き回るような人は仕事がおろそかになってしまうよね。僕は例え大金を積まれてもそんな人を秘書になんて選ばない。第一君は美しくなんかないよ。美しさと言うのは外面がいめんを化粧で飾るものなんかじゃないと僕は思う。内面の美しさがあってこそ、その人の美しさがにじみ出るものなんじゃないかな。君は僕を愛してなんかいないよ。君は誰も愛せないよ、だって君が愛してるのは君自身だけなんだから。

君がうちの社員であったことすら今僕は恥ずかしいよ。」

仙の言葉は彼女のプライドに風穴かざあなを開けたかのように八尾はその場にへなへなと座り込んでしまった。

「もういいだろう、こんな奴さっさと連れて行ってくれ。君は懲戒解雇処分ちょうかいかいこしょぶんの通達を受け取る筈だ。よって退職金は一切出ないからそのつもりで。それと、小林さんへの傷害事件については民事の方でもしっかり慰謝料を請求させて貰うから覚悟しておいて下さい。」

快斗がき捨てるようにそう八尾に言うと刑事達は頭を下げ彼女を連れて出て行った。

「はあ、疲れた。」

「ハルコ、大丈夫?水飲む?」

「うん。今、ちょっと気分‥わる

そのまま波留子は意識を失い、気付いた時には部長室のソファーに寝ていてかたわらには仙が手を握ってくれていた。

「ふう、仙。」

手を握ったまま祈っていたのかぎゅっと瞑っていた目を開けると仙の目は充血していた。

「仙、私どうしたんだっけ、心配かけちゃった⁉︎ ごめんね、ちょっと興奮し過ぎたみたいだ情けないね。」

そう言いながら弱々しい笑顔を見せる波留子の顔に手を当てて、

「気絶したんだよ。気が付いて良かった。」

とだけ言って波留子を抱き締めた。

「皆んなは? もう大丈夫だから起こしてくれる。‥有難う、仙。」

「ハル、俺波留子のこと死ぬほど愛してる。さっき波留子が倒れた時周りの事なんか構ってられなくて波留子しか見えなかった。こんなに一人のひとを愛せるなんて思いもしなかった。波留子、ずっとずっと一緒にいて欲しい。俺を一人にしないでくれよ。」

波留子はちょっと驚きはしたが仙の気持ちを優しい笑顔で受け止めた。

「仙、私はずっと貴方と一緒よ。何があっても貴方が私を必要としてくれる限り私は貴方のそばにいる。約束する。だから落ち着いて、ね、仙。」

痛まぬ方の手で仙の顔を上げ優しくキスをすると、

「もう大丈夫。慎君や他の人は?秘書室で待ってるなら呼んであげて、ね。」

そう言うと仙の手をぎゅっと握ってから離した。

仙が秘書室のドアを開けると慎が飛び込んできて、

「ハルコ、ハルコもう大丈夫なの。ハルコが気を失ったら仙ったら物凄い速さでハルコを抱いてこっちの部屋に入って鍵掛けちゃって入れてくれなかったんだ。凄く怖い顔、生まれて初めて見たよ仙のあんな顔。」

「そうだったの、ごめんね心配掛けちゃって。多分興奮し過ぎて酸欠さんけつになったんじゃないかな。」

「ハルコの担当医に電話したんだ。先生もう直ぐ来てくれるからちゃんと診て貰おう。ああホントに怖かった。」

慎の後ろには快斗や悠介までやって来ていた。悠介が波留子の顔を見ると、

「ハルさんすまなかった。こんな事件を起こすような人物を見抜けなくて雇っていたなんて雇用主こようぬしとして情けない限りだ。本当に済まなかった。」

「会社は働く人材を雇用するんですもの心の中の有り様まで分かる筈ないですよ。気に病まないで下さい、他の社員達が気の毒ですから。」

「ハルさん、警察にはクレームするよ。こんな病人を、ちゃんと警告したにも関わらず無視して立ち会わせて、挙句あげくに具合悪化なんて‥クソ、腹わたが煮え繰り返るよあのキザっぽい刑事。」

「あの、仙の行動は社員の方達には見られてないですか、大丈夫ですか。」

「ハルさん、何気にしてるの、そんなのどうだっていいよ。」

「良くない!良くないでしょ、今知られるのは特に。」

「大丈夫だよきっと。オフィス側のドアは閉まってたし、廊下側も警察の奴が閉めて行った後だったから。」

と慎。それを聞いてやっと胸を撫で下ろす波留子だった。

結局、波留子は医師の往診を受けるために会社におらねばならず、ならば、と仙が仕事を終えるまで慎と一緒に部長室のソファーで静かに待つ事となった。ソファーで待っている二人が何も話さずにスマホをいじっているのが気になって仙は仕事をしながら二人の様子を窺っていた。時々クスリと笑うタイミングが重なることはあっても二人が話している事はないので偶々かと思っていたが、同じタイミングで笑う事が増えてきて仙はイラついた。そして我慢の限界に達すると、仙がいきなりデスクを両手で叩いた。《 バン 》

「えっ、どうしたの?」

と驚いた波留子が仙に尋ねると、

「さっきから二人で何してるの。話してるわけでもないのにクスクス一緒に笑ったりして。」

「父の仕事の邪魔をしないように話してないんだから、時々笑うくらいいいじゃないか。」

「だから、何してるんだって聞いてるんだ。」

「スマホで対戦ゲームしてたの。これなら片手でも出来るから。邪魔だったか、ごめんなさい。マコちゃん、向こうの部屋行こうか。」

「ハルコ、歩くの大変じゃない。」

「直ぐそこだもん大丈夫だよ。」

「あゝ分かったよ。いいよ其処で遊んでて。ハルさん動かす方がずっとイライラが募っちゃう。」

「有難う、仙さん。でも私も目が疲れたからそろそろ止めようと思ってたんだ。マコちゃんまた次回ね。画面見続けて少し頭クラクラする。」

「えっ、ホントに?ごめん、気が付かなくて。じゃあ休んで。横になる?」

「ううん、そこまでしなくても大丈夫だよ。ちょっと目を閉じてるね。」

「じゃあ隣に行くよ。そしたら‥ほら、これなら寄り掛かれるから少しは楽でしょ。」

二人のやり取りをきもきしながらも仕事に集中しようとする仙だったが、慎が波留子の肩に腕を回して自分に寄り掛からせるのを目にすると、

「あゝもうダメ!」

「どうしたの、仙。」

慎にとがめられると、

「自分でも信じたくないんだけどな、俺は、俺は今猛烈にお前に嫉妬しっとしてる。」

「はあ、なんで?波留子に肩を貸してるから。」

「分からない。分からないけど今、お前が彼女に対して取る言動の全てに嫉妬してる。自分の息子に嫉妬するなんて‥俺は頭がおかしいんだろうか。」

「いや、可笑しい事なんかないよ。それ程までにハルコを好きになれるなんて凄いじゃない。ねえハルコ、そう思わない‥ハルコ?眠ってる。仙、ブランケットない。横にしてあげた方がいいよね。」

「うん。だけど大丈夫かな。ちゃんと記録しておかないと。

波留子がどうかなりそうで昨日からずっと怖いんだ。変だろ、いい歳した男がさ。」

「仙‥何言ってるの、ハルコがどうかするわけないじゃない。いつからそんなネガティヴ・シンキングする人間になっちゃったの。怖いと思うなら、心配で仕方ないなら彼女の手を握っててやりなよ。さっきあの女とやり合ってた時、表面上物凄くしっかりしてるみたいだったけど、実はハルコの手、凄く震えてたんだ。自分でおさえきれないほど。だから疲れたんだよ、きっと。本当なら仙が気付いて手を握ってあげてたらもっと気が楽になれてたんだろうと思うよ。

まあ警察もいたし、あの場じゃどうする事も出来なかったか。」

「そうだったのか、知らずに頑張らせちゃったんだな。後少しで終わるからそのまま寝かしておいてあげて。慎、彼女を、優しくいたわってくれて有難う。」

「何、突然。気持ち悪い事言うなよ。俺はハルコに会って彼女の人柄が気に入ったの。それが事実なんだから、変な事言うなよ。だから仙が波留子を泣かすような事したら承知しないからな。」

「絶対にそれはない!」

「はいはい、分かったから早く終わらせちゃいなよ。」

少し早かったが、仕事を片付けた仙はオフィスの方へ顔を出し、事情聴取のせいで波留子が疲れて倒れてしまった事を話し、波留子の体に負担をかけないよう自分が車で家まで送って行くから心配しないように、と話した。これで彼女と連れ立って車で帰っても不自然ではない、と伏線を張れたわけだ、仙は心中そんな事をチラッと考えた。

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