条件付き退院、そして

朝の検診を終え、朝食も済んだ頃、波留子は看護師に昨日付けられていた脳波を計測する装置をはずされやっと人心地ひとごこちついた気がした。回診時、前日から今朝にかけての脳波の測定結果を入念にチェックしていた担当医から、午前中にもう一度検査を受けて貰うと言われ波留子は少し気落ちした。未だ身体の彼方此方は痛むし、足の捻挫や腕の打撲もかかなり痛むがそれらは湿布して痛み止めを飲んでいれば徐々に良くなると思っていたのだ。頭の事など考えもしていなかった。

脳波のグラフをのぞき見ても波留子にはウネウネと線が波打っているようにしか見えない。何が問題なのか、と担当医に尋ねると所々に意識の混濁こんだくと思われる急激な変化が見られると言うのだが、それがどういう意味を持つのかしかとは分かりかね、波留子は具体的にどう問題なのかとさらに食い下がった。担当医の話では急激な意識の混濁こんだくは突然意識を失う、つまりは気絶きぜつると言う事でそれは更なる大怪我や事故につながると言うのだ。

「先生、それじゃ私退院出来ないんですか。」

「退院してそばで面倒を見たり、突然意識を失った時に対処たいしょ出来る方はいらっしゃいますか。絶対に起こすと決まった訳ではありませんから。一週間、安静に養生して、そう言うお世話が出来る方がお側にいらっしゃれば退院も検討しますよ。

まあ先ずは検査を受けてその結果を見ましょう。今のところは未だ疑いがあるだけですから、いいですね。」

しょげ返った波留子は医師の言葉に唯頷く事しか出来なかった。

九時過ぎ、予定より一時間も早く仙が病院に戻って来た。朝自分が帰る時には元気そうだった波留子が何故か気落ちしているようなのに気付いた仙は、

「頭のコードは外して貰えたんだ。なのに元気ないのは脳波の結果で何か言われたの。」

と尋ねてみた。すると波留子から今朝もう一度脳の検査を受ける必要があると医師に言われた事、その結果次第では一週間このまま入院するか、退院しても一週間は安静に過ごして様子を見てくれる人が必要、と言われた事を話した。

「一週間入院してたら年越し病院でしなくちゃ。なんかがっかりだよ。」

「でも未だ分からないじゃない。検査受けて結果が出てから考えよう。今彼是悩んでも仕方ないでしょ。波留子がちゃんと元気に回復してくれる事が大事なんだから! 大丈夫、きっと大丈夫だよ。」

そう言って波留子の肩を撫でながら慰める仙だったが、それは波留子をと言うより自分自身を慰めているのだと仙自身が一番分かっていた。

仙が病室に戻って間も無く、看護師が車椅子を押してやって来た。検査室へ移動する為だった。仙は一緒に付いて行かせて欲しいと看護師に頼んだが、廊下で待たされるだけだと言われ、それでも構わないから、と食い下がって根負けした看護師がじゃあ車椅子を押して行かれますか、と言ってくれた。

先ずはCT撮影、波留子は検査室に入ると台の上に横にされ頭を固定された。目をつぶっていると大きな音に囲まれて眠りにちて行きそうだった。➖ダメ、ダメ!こうやって眠っちゃうのがいけないのかも。我慢我慢がまんがまん

「小林さん、終わりましたよ、起きてください。」

看護師に声を掛けられハッと目を覚ました波留子は自分が眠ってしまっていた事がショックだった。

検査を終え車椅子を中に入れるよう看護師にうながされた仙は、車椅子を押して検査室の中へ。泣きそうな顔で自分を見ている波留子に驚いた。

「どうしたの。何処か痛む。」

首を横に振って否定するが話そうとしない波留子。車椅子に移って検査室を出ると看護師から診察があるので診察室の前で待っていて下さい、と案内された。

他にも待っている患者さん達がいたので車椅子をすみの方へ移動させ仙は小声で波留子に再度尋ねてみた。波留子は、先程のCT撮影の際横になって眠気をもよおしたが眠るまいと頑張った、筈が眠り込んでしまっていたのを看護師に起こされたのだと言う。今朝担当医に言われた事が頭に残っている為ショックだったのだと語った。

「なんだそんな事か、びっくりさせないでよ。あれって音が大きくて単調に続くからつい眠くなっちゃうんだよ。俺も人間ドックで受けた時眠っちゃって看護師に起こされた事あるよ。心配のし過ぎだよ。もっと気を楽にしないと怪我が病気になっちゃうよ。」

仙にそうなぐさめられ少しだけ気持ちが軽くなれたような気がして波留子は笑顔を浮かべた。

「そう言えば予定より一時間も早く来ちゃって大丈夫なの。」

とベッドの搬入の事を思い出し波留子が尋ねると、

「あゝ、慎が立ち会ってるから大丈夫。早く終わったら連絡するって言ってた。」

言うが早いか慎からのメールが入った。仙はこれから診察を受けるために今待合室にいるが時間が掛かりそうだ、と返信すると慎が此方へ来ると再度メールが届いた。

「ベッドの搬入が終わったからこっちへ来るって。」

それを聞いて波留子は嬉しそうに笑った。

三十分程待たされた後、波留子の名が呼ばれ仙が車椅子を押して診察室に入って行った。

「小林さん。えっと貴方は、ご主人ですか。」

「いえ、僕は婚約者です。」

仙が答えると医師は頷いて、

「それなら一緒にお話を聞かれても構いませんか。」

と波留子に確認し、波留子が頷いたのを見て医師は話し出した。

「先程のCTの結果が出ました。此方が小林さんの頭の中、此処にわずかな影らしきものが見えてるでしょ。これがもしかすると意識混濁の原因かもしれません。でも極々ごくごく薄いものなので疑惑の段階で絶対にそうとは言い切れません。なので、今朝お話ししたように何方どなたかが側でて頂けるようでしたら退院しても結構です。でも婚約者もお仕事がお有りですよね、それだと難しいですかね。」

丁度そこへ診察室のドアが叩かれた。看護師がドアを開けると慎が立っていた。仙は慎に中へ入るよう言って医師に慎が仙の息子で波留子とも仲が良いむね話した。その上で、医師から今一度波留子の状態を慎に話して貰った。それを聞いた慎が、

「分かった。一週間、ハルコの世話して様子を記録しておけばいいんだね。いいよ、俺がやる。ハルコ、何でも用を言いつけていいからね。先生、俺ボランティアで老人ホームへ行ってるんです。介護はそこでやってますから大丈夫です。」

「いやあ、頼もしい介護人ですね。では退院を許可しましょう。先ずは今週金曜日に予約を入れますからその時に記録を持参して下さい。まあ何も起こらなければ後は怪我の治癒ちゆを待つだけになりますから、気を楽に持って下さいね。」

医師にそう言われ看護師に病室へ戻って待つよう指示を受けて診察室を出た。

待合室に出ると誰もが三人を、特に仙と慎をまぶしそうに見ていることに波留子は気付いた。

「やっぱり二人揃うと目立つのねえ。」

「え、何が。」と仙。

「自意識がないところが憎たらしい。」と仙の手を軽く叩いた。

「仙も慎も背が高くて、スタイル良くて、顔もいい。だからみんなが注目してるの。そんな二人を一人占めしてる私って罪な女。」

それを聞いた二人が笑い出した。

「父、これなら大丈夫だよ。ハルコはいつも通りのファニーハルコだもん。」

「そうみたいだな。」

「何それ。」

冗談を言って笑いながら病室に戻った後、波留子は着替えたいから、と二人に外へ出てくれと頼んだ。が、仙は自分が手伝わなきゃ着替えられないだろうとゆずらず結局仙に着替えさせて貰う事になった。波留子はブツブツ言いながらもちょっと嬉しそうだと仙は思った。

着替えを済ませ退院手続きを仙が行なっている間、波留子は慎からベッドの事を聞かされた。仙が購入したベッドはキングサイズで搬入はんにゅうに時間がかかった事、代わって慎のベッドはダブルのロングサイズを頼んだ為此方も搬入に苦労した事を慎が面白おもしろ可笑おかしく話してくれて、枕等まくらなどの備品は全部慎が今朝勝手にチョイスした事が分かった。

「俺のセンスの良さにハルコ驚くよ。」それを聞いてちょっぴり不安になる波留子だった。

「手続き済んだよ。」

仙がそう言いながら病室に戻って来た。

「仙、病院の費用、体が動けるようになったらちゃんと用意してお返ししますから。暫くの間貸して下さいね。」

「いいよ、そんな事。波留子は被害者なんだ。犯人が分かったら請求してやるよ。こんな酷い目に合わせた奴絶対許せない。」

「仙。」

「さあ、じゃあ新居へ帰りますか。」

慎がそう言って立ち上がり波留子を車椅子に乗せた。

「病院内はこれで移動していいんだよ。」

仙が心配そうな顔をした波留子にそう教えてくれた。

「さあ、帰ろう。」

仙が言うと慎が車椅子を押して病室を後にした。

病院入口で車椅子を降りた波留子に看護師が松葉杖を貸してくれた。不要になったら返却してくれればいいから、と言ってくれたので借りる事にした。仙が車を玄関に廻してくれたのは有り難かった。

「ねえマコちゃん、気が付いてた?今の看護師さん、マコちゃんに一生懸命アピールしてたでしょ。」

「そうみたいだね。でも日本人のアピールは控え目だよね。あっちじゃモロに自分を見てくれってアピールしてくるからあんなんじゃ分からないよ。それにタイプじゃないし。」

「あらまあ、それは残念だったね彼女。どんな子がタイプなの、マコちゃんは。」

びたりしないで天然な子がいいなぁ。」

「おい、それってハルさんじゃないか。」

「あゝ分かった⁈ さすが仙、鋭いなあ。」

「鋭いじゃない、ハルさんは俺のパートナーなんだからな。」

「分かってます。でも、ハルコみたいにサバサバしてて楽しい子がいいって言うのは本当だよ。」

「有難うマコちゃん。後三十歳若かったら考えたかもね、こんないい男残念だな。」

「なんだよハルさんまで。」

「あら、いてるの。だから、後三十歳若かったらって言ったでしょ。今の私は貴方、九龍 仙が好きよ。」

「わあ、未成年の目の前でそんなチューしていいと思ってんの。」

「ぬかせ!あっちでしょっちゅう女の子とチューしてるのは誰だ。」

仏頂面ぶっちょうづらで窓の外に目をやるしかない慎だった。

「さあ、着いたよ。車置いてくるからさき行ってていいよ。」

そう言って玄関前で波留子達を降ろすと仙は駐車場へ車を走らせて行った。

玄関はナンバーを打ち込み玄関ドアの鍵を差し込むと自動解除されるようになっていて、慎がナンバーを打ち込みドアを開けてくれた。

「セキュリティはしっかりしてるんだね。」

波留子が言うと慎が頷いて、

「そうだね。でも出来ればドアマンにもいて欲しいな。」

➖此処は日本だぞ、ドアマンなんかいたって皆んな恐縮するだけだろうが➖波留子は心中呆あきれていた。

波留子が慣れない松葉杖に四苦しく八苦はっくしながらゆっくり歩を進めていた間に仙が追いつき、三人でエレベーターに乗って上がって行った。

「寝具は全部マコちゃんが選んで用意してくれたんですって。見るのが怖いなあ。」

と波留子が言えば、

「慎、まさか真っ黒とかじゃないよな。」

と仙があやしんで尋ねる。

「えっ、ブラック?嘘お、そりゃあないよね。」

「さあね、見てのお楽しみ。さあ、着いたよ。」

慎が先に降りて鍵を開けに行き、波留子は仙の助けを借りながらゆっくり部屋へと向かった。慎が開けたまま待ってくれているドアの前に着くと仙が波留子の体を抱き上げた。

「ひえっ!」

驚いた波留子はそう奇声を上げ仙の首に思い切りしがみついた。

「ハル、波留子、そんなにしがみつかれたら苦しいよ。慎靴脱がせてあげて。」片方は突っかけていただけなので抱き上げた時にポトンと落ちてしまったパンプスを拾い上げ、脱がせた方と揃えて慎が玄関に並べて置いてくれた。

「仙、止めて、歩けるよ、大丈夫だから。私重いんだから、ねえ下ろしてってば、仙ったら。」

波留子がぼやいても知らん顔を決め込んだ仙はそのまま波留子を抱いて部屋に入って行った。

部屋に入ると丁度中央に当たる場所の壁を背景に大きな花束が花瓶にしてあった。

「これは俺と慎から、退院祝い。」

波留子は生まれて初めてのお姫様抱っこと生まれて初めての大きな花束のプレゼントに感激した。感激して涙があふれて止まらなくなってしまった波留子。抱いてくれている仙におもむろにキスをした。それは仙にとって初めて貰うしょっぱいキスだった。

キスを終えてようやく下ろして貰えた波留子は今度は慎を呼んで慎の両頬に優しくキスをして有難う、とささやいた。

部屋の中は綺麗に掃除されているようで、きちんと整理もされていた。

「とっても素敵なお部屋。二人とも本当に有難う。私こんな大きな花束貰ったのも、お姫様抱っこされたのもこの歳にして初めてだったの。だから物凄ものすごおく嬉しくて涙が止まらなくなっちゃった。今日からお世話かけてしまいますが宜しくお願いします。」

そう言うと仙と慎、二人に不自由な身体でぎこちないが深々と頭を下げる波留子だった。改まって波留子に頭を下げられ仙と慎も慌てて居ずまいを正し、此方こそ宜しくお願いします、と口々に言って頭を下げた。顔を上げお互いを見やって思わず吹き出してしまう三人だった。

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