措置入院

波留子は夢を見ていた。何処だか分からない場所でたった一人で立っているのだ。誰かいないかと声を出してもなんの返事も返って来ない。歩き出すと建物の陰から自分を見つめる視線を感じて其方そちらの方を見てみるが、直ぐ陰に隠れてしまう。何処どこからともなく声が聞こえて来る。

「ほら、あの女よ。いい歳して若い男誑たぶらかしたりするからあんな目に合うのよ、自業自得だわ。」

あんな目に? ふと自分の体を見下ろすと服はボロボロでまるでレイプされたかのようなさまになっているではないか。

「いやあ!」

「ハル、ハル、大丈夫だよ、此処は病院だよ。」

仙の声にハッと目を覚ました波留子を心配そうに仙が覗き込んでいた。

「夢?夢か。」

「物凄くうなされてたよ、怖い夢見てた? 酷い目にわせちゃってごめん。」

「大丈夫だよ。マコちゃんも付いててくれたし。それよりプレゼンは、無事に終わった。」

「ハル。うん、無事に終わった。俺何にも知らされてなかったから集中出来たし。ハルの方が大変だったのに俺の心配なんかして。波留子に何かあったら俺は生きて行けないよ。」

「大袈裟だなあ。仙、マコちゃんが笑ってるよ。」

此奴こいつ、お前にも責任があるんだからな!笑える立場か。」

「はいはい、役立たずで申し訳ありませんでした。ところでハルコ、娘さんさっき連絡した時、後二時間位しないと来られないって言ってたからもう三十分もしたら来ると思うよ。」

「有難う。私ってば一時間半も眠ってたんだ。ごめんね、マコちゃん。

あ、そう言えば夕飯食べてなかった。お腹空いてるでしょ、マコちゃん。なんか私も急にお腹空いてきた。」

「おっ、ハルコ復活のきざし。」

「うん。」

「なら丁度良かったかな、食べる物買いに寄ってて遅くなった。ハルさん、大丈夫。」

そう言いながら快斗と悠介が病室に入ってきた。

「まあ、お二人まで。すいません、ご心配かけちゃって。」

「差し入れって何?」

慎が尋ねると、

「お前にはハンバーガー、デカいの二つ買って来たぞ。ハルさんにはサンドイッチとおにぎりに適当に惣菜そうざい買ってみた。まあ、デパ地下だから味は間違いないだろう。」

「俺、じゃあ飲み物買って来る。ハルコ何飲む?皆んなは。」

希望を聞いて慎が部屋を出た、とぐにドアを少し開けて仙を呼んでいる。仙が廊下に出ると波留子に見せて貰った写真の娘が袋を下げ立っていた。

仙は後ろ手にそっとドアを閉めると向き直り、

「初めまして、九龍 仙 です。このような状況でお会いしたくはなかったのですが。お母さんから話は聞かれてますか。」

「はい、伺ってます。初めまして、私は長女の 小野おの りんと申します。母がお世話になっております。」

そう言って頭を下げるのだった。

「この度は本当に申し訳ない事をしました。彼女に、ハルさんには怪我をさせてしまって貴女にもご心配お掛けすることになってしまって申し訳ありません。

あ、申し遅れました。れは私の一人息子で、」

「九龍 慎です。俺がボディガードをするはずだったのにハルコに怪我させちゃって、ホントごめんなさい。」

「あら、貴方あなたがあのイケメンモデルの様な天才君ね。母がそれは自慢じまんしてたのよ、自分でんだわけでもないのにね。

あの、 お二人とも母は自立して生きて行こうと決めて働き出したんです。そして新しいパートナーを見つけた。無責任に聞こえるかもしれませんが、母が自分で望んだ結果起きた事なら後悔しないでしょう。今までずっと我慢する生活でしたから。だから、もう謝らないで下さい。本当はお正月に会わせて貰う約束だったのに前倒しになっちゃいましたね。」

凛のサバサバした物言いが波留子に似ていて仙も慎も少しホッとした。仙が凛と話している間に、慎は飲み物を買いに院内のコンビニへ向かった。そして仙が凛を病室へ案内した。

病室の中で凛と九龍一家の挨拶が一渡り済むと仙が暫く話もあるだろうから、と気をかせ皆で廊下に出た。

「お母さん、スッゴく優しくてカッコいい人だね仙さんて。それにお母さんの事本当に想ってくれてる。息子の慎君はお母さん言ってた通り、お父さん以上かも。ホント、モデルみたい。あんなに見た目も良くて頭も良いんでしょ、神様は不公平だよね。二物にぶつ三物さんぶつも与えられる人もいれば一物いちぶつも与えられずに人をねたむしか出来ない人もいる。お母さん突き飛ばしたのってそのたぐいの人だね、きっと。」

「分からないけどね。でも、今日会社の人から何が何でも仙を自分のモノにしたがっててその為ならどんな事でもしかねない人がいるって聞いたから怖いなあ、って思ってたらこの有様ありさま。けど、そんな風に思い詰めちゃうなんて可哀想かわいそうな人だよね。」

あきれた!もしかしたらその人にやられたのかもしれないっていうのに、何同情してんの、ホントお目出度めでたいんだから。はい、これ着替えと洗面道具。今晩一晩なんでしょ。」

「多分。」

「帰ったらどうする?階段の昇り降り大変じゃない。ホテルにでも居る。」

「そんなの勿体無いよ。大丈夫だよ。それより廊下に出したまんまじゃ悪いから入れてあげて。」

言われて、ああそうだったと凛も気づき廊下にいた九龍ファミリーに声を掛けた。病室へ戻って来た仙に凛は、

「明日退院した後、家だと動き回るのが大変だと思うのでホテルに居るように言ったんですけど勿体無いって聞かないんですよ。仙さんから言ってやってくれませんか。」

苦言くげんが出された。そこで仙が、だったらと凛に波留子とのこれまでの経緯を聞いているかと尋ね簡略に説明した上で、二人で暮らす為のマンションが既に用意出来ていてベッドさえ購入すれば其処で過ごせるがどうだろうかと話した。その話は初耳だと凛は言ったが、仙の説明から自分の年齢やかつての結婚生活の事などを考えるとあっさり仙の申し出を受け入れられない波留子の気持ちも凛には充分理解出来た。その上で母が一歩踏み出そうとしているのだと納得した凛は、そういう事ならそのマンションで養生ようじょうさせて貰えれば母も少しは楽に過ごせるのではないか、と同意を示した。凛に同意を得た事で仙は早速マンションのオーナーに連絡を取る為病室を出て行った。仙との話を終え振り返って波留子の方を見ると、慎と一緒に、痛む身体からだかばいながらも楽しそうに食事を取る波留子の様子に、凛はほんの少し母が遠い存在になったようで寂しさを感じていた。暫くして病室に戻って来た仙が凛に、

「今、オーナーさんと電話で話したんですが、これから先の事も踏まえてマンションは私が買い取る事にしました。先方が売買契約の書類を準備するのに数日掛かるとの事でしたが入居は明日で構わないとの許可を頂いたので、明日朝一でベッドを搬入するよう家具店にも手配して来ました。これで大丈夫ですよ。」

と告げた。そんな仙の行動力に凛は驚いて、

「えっ、購入って、先程のお話では試しに数ヶ月暮らすだけとか。そんな簡単に買うなんて…。」

「大丈夫ですよ。もしハルさんに駄目出しされたとしてもあのマンションは資産価値がありますから。でも俺はあのマンションをハルさんに気に入って貰えると信じてます。だから心配無用です。」

「本当に? …有難うございます。普段は強気ですけど、娘の私達でも呆れる位脆もろい時があるんです。そこが可愛いトコでもあるんですけどね。それを踏まえた上で母の事、大切にして頂けますか。」と仙に尋ねた。

「勿論。凛さんが仰ることは分かります。でも、俺には彼女が仰る以上に脆く感じられて時々消えてしまうんじゃないかって不安になる事もあるんです。だから、俺はハルさんのかたわらで彼女を守って一緒に生きていきたいんです。俺は絶対ハルさんを悲しませるような事はしない、したくない。ハルさんを一人にはしません。約束します。」

「はい。もう何も申し上げる事はなさそうですね。母ったら、父と離婚したと思ったらあっという間にこんな素敵な人と幸せつかんじゃって。なんだか母がうらやましくなっちゃいました。宜しくお願いします。」

「ねえ、さっきから二人で何コソコソ話してるの。凛、サンドイッチ食べ切れないからこっち来て食べない。」

波留子が言うのにこたえて、

「サンドイッチあるの、じゃあちょっと頂こうかな。

ねえ、お母さん、明日退院したら仙さんが部屋を用意してくれてるって。そっちの方が階段昇り降りしなくて済むからそっちに行きなさい。その方が私もちょくちょく様子見に帰る手間てまはぶけるし、しっかり養生してお正月に皆んなでパーティ開きましょうよ、ね。」

凛にそう言われ驚いた波留子は、

「え、何言ってるの。今月中に鍵を貰えるとは言ってたけど‥仙、一体どう言うこと。」

「うん、さっきマンションのオーナーに電話してハルさんが怪我して階段の昇り降りに支障をきたして困ってる、って話したらここよ承諾しょうだくしてくれて明日マンションで待ち合わせて鍵を受け取る手筈なんだ。そしたら直ぐにベッドを搬入出来るよう手配したから心配ないよ。って事で親父、悪いけど明日午前中有給使わせてもらうよ。」

「ちょ、ちょっと!本人無視して勝手に話を進めないでよ。私行くなんて言ってないからね。」

「あら、そうなの。なら明日一人で帰って来なさいよ。私だって仕事あるのに急に休みなんて取れないんだから。仙さんに休み取って貰わなくても大丈夫だって言うならやってみなさい。」

娘にそう言われてしまい、言い返す言葉もなくしょげ返る波留子。すると慎が、

「ハルコ、マンションだったらエレベーターで上がれるし、部屋はワンフロアだから階段もなくて楽だよ。それにハルコが許してくれるんなら俺来月アメリカに戻るまで一緒に暮らしたい。ハルコ、駄目⁉︎」

そう言ってハルコの手をにぎった。➖そんな風に甘えられたらイヤとは言えなくなっちゃうじゃん、狡いよ➖はあ、と溜息ためいきいた後、

「分かった。じゃあマコちゃんが世話してくれるのね、それならいいよ。」

「ハルさん⁉︎ おい慎、お前何勝手に同居決めてるんだ。お前のベッドなんかないぞ。」

「じゃあ仙さん、明日の朝マコちゃんのベッド、追加してあげて下さい。私の世話してくれるのに床に寝かせたりしたら可哀想でしょ。」

「ハルさん本気?」

頷く波留子の嬉しそうな顔を見た仙は両手を上げ、

「分かったよ、降参!しょうがないな、ハルさんの頼みじゃ聞かないわけにいかないか。その代わり慎、今度はきっちり仕事して貰うからな、覚えとけよ。」

波留子と慎は波留子の痛くない方の掌でハイタッチして喜んだ。悠介や快斗は仙と二人の対照的な様子にゲラゲラ笑い出していた。

じゃあそろそろ、と凛が言い出したのを潮に悠介や快斗も慎を連れ凛を送って行くから、と席を立った。病室の前で別れ際に凛が改めて、

「あんな母ですが、宜しくお願いします。それと今日は妹は出張中で来られず申し訳ありません。帰り際になってしまってごめんなさい。」

「いいえ、お気遣いなく。こちらこそ、あんな素敵なお母さんを預けていただけて感謝します。今日は驚かせてすみませんでした。

また検査で何か変わったことがあったら直ぐ連絡させて頂きます。お正月お会いするのを楽しみにしてます。妹さんにも呉々も宜しくお伝え下さい。」

そうして凛を囲むように皆んなが帰って行った。

病室に戻った仙は波留子の様子から、皆んなの手前かなり無理して元気を装っていた事が分かって苦笑した。

「ハル、怪我して痛いのは皆んな分かってるんだから、そんなに頑張る事ないのに意地っ張りだなぁ。」

「だって、つらそうな顔してたら余計な心配させちゃうでしょ。それでなくても皆んなの予定が私の為に狂っちゃったんだから。」

「バカだなハル。でも俺には弱いとこ見せてくれて嬉しいよ。」

「見せたくて見せてるわけじゃありません。でも、もうちょっと突っ張るの限界、ホントに。痛み止め切れて来たのか足がズキズキ痛むし、身体からだひねって倒れたみたいで脇も痛むし、でも手も痛いからさすることも出来なくて、辛い。」

薄っすら目元に浮かぶ涙がその痛さを表しているように仙は感じた。

「眠ったら?痛い所言ってくれればさすってあげるから。俺此処に居るよ。」

「明日の朝マンションに行くんでしょ。だったら帰って体休めないと、午後から仕事なんだし。」

「大丈夫だよ。それに此処個室だから眠くなったらソファーで寝られるし。俺の心配はいいから、今は自分の体の事だけ考えて。ゆっくり休まなきゃ、ね。」

「うん、ありがと。」

「おやすみ。」

「あ、お願い、してもいい。」

「何?キスならお願いされなくてもするつもりだけど。」

「違うよ!眠るまで手をつないでて欲しいの。さっき怖い夢見たから。いい?」

「なんだ、そんな事か。幾らでも繋いでてあげるよ。だからお休み。」

仙のキスを受けながらあっという間に眠りに堕ちる波留子だった。

波留子は夢を見ていた。今度の夢もまた波留子は一人でたたずんでいた。海が見えている訳でもないのに、何故か春先の海辺にいるような感覚に囚われていた。とてもおだやかな気分でのんびり散歩しているようだ。と、ずっと先の方から誰かが走って来るのが見える。歩みを止めずに走って来る人の方へ進んで行く。段々近づいて来てそれが仙だと判り波留子は嬉しくて手を振って仙の名を呼んだ。仙も嬉しげに手を振り返しながら走って来る。ふと自分の隣に人の気配がして其方に目を向けると真っ赤な口紅を塗った八尾が自分を睨みつけているではないか。彼女の手には包丁らしき刃物が握られている。その刃がキラッと光った途端、きゃあ、と言う自分の悲鳴で波留子は目が覚めた。

「大丈夫だよ、俺が居るから。波留子、夢だよ、心配しなくていいんだよ。」

そう言いながら仙が優しくなぐさめてくれていた。

「あゝ、ごめんなさい。」

「また怖い夢?」

「うん。途中まではとっても穏やかだったの。だから、びっくりして‥大声出しちゃった⁉︎ 私。」

「そんな大声ではなかったけど、びっくりした。」

「ごめんなさい。」

「うん、大丈夫だから。もう誰にも波留子を傷つけるような真似はさせないから安心していいよ。」

「有難う、仙。」

「おやすみ。」

そして波留子はまた直ぐに眠りに堕ちた。今度は夢を見ることもなくぐっすり朝まで眠り続けた。

翌朝、目が覚めた波留子はベッドの横の椅子に座ったまま自分の手を握り眠っている仙に気付いた。波留子は空いている方の痛む手でそっと仙の髪を撫でた。

「うん?起きたのハル。おはよう。」

「仙、一晩中手を握っててくれたんだ、有難う。お陰でぐっすり眠れた。」

「良かった。俺もいつの間にか寝ちゃってた。今何時だ?六時半か。

ハル、俺一旦家に帰るね。着替えてマンション行って鍵貰わなくちゃ。退院は朝食後だから十時頃でもいいかな。ベッドを設置したら直ぐ迎えに来るから。」

「うん。急がなくてもいいよ。どうせ私動ける訳じゃないから。車でしょ⁉︎ 寝不足で大丈夫? 運転気をつけてね。」

「うん、じゃあ行って来るね。」

サッとキスして仙は病室を出て行った。

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