事件、また事件発生

週が明けいつもにように午前八時半少し前に波留子は自室のドアの鍵を開け自分のデスクに到着。デスクの上にメモが乗っているのに気付いて手に取った。【 お前は不用品。さっさとこの会社を辞めろ!さもないと命が亡くなるぞ!!】メモを読んで誰が書いたものか直ぐに思い当たった。が、部長室共々鍵を掛けて帰った筈なのに何故此処にメモが置かれているのか、波留子はそちらの方が不安でならなかった。

➖もしかして企画宣伝部の方の鍵を開けて入った?でも余程のことがない限り内から私が締めるのを知ってて開ける事はない筈だけど➖そんな事を考えていると、

「おはよう、ハルさん。」

いつものようにそう挨拶しながら仙が部屋に入って来た。自分のデスク前でメモを握っている波留子の表情を見ると直ぐに、

「うん?どうした、何かあったの。」

と尋ねる仙。波留子は黙ってメモを渡した。メモを見た仙はそれを持ったまま部長室の鍵を開け部屋へ入って行った。波留子は慌てて仙の後を追い部屋へ入るとドアを閉めて、

「仙、私金曜日に此処を出る時部側の方も廊下側も鍵を掛けて行ったでしょ。それなのに今朝部屋に入った時そのメモが机の上に置かれてた。誰かが鍵を開けて入ったの。メモの内容よりそっちの方が重大問題よ。」

波留子の言葉にしっかり頷きながら仙は悠介と快斗、そして桐生に電話を掛け大至急部屋に来てくれるよう伝えた。

「ハル、有難う。それが一番問題だって事は肝に銘じておくよ。でも、それでも、こんなことする奴は断じて許せない。ハルにこんな酷い事!」

「落ち着いて、今皆んなが来るのに貴方が興奮してちゃ駄目。いつものカフェオレ四人分用意して来ます。」

そう言って波留子は秘書室に戻った。丁度秘書室に入った所に快斗が、そして桐生が入って来たのでドアを抑えて彼等を通してドアを閉め【会議中】の札を下げた。キッチンコーナーでコーヒーを淹れる準備を始めたところに悠介が到着。どうぞ、と悠介を部屋に通してドアを閉めた。

カフェオレを四人分用意してドアをノックしてから入って行くとソファーに座ったまま四人が波留子を見上げた。

「何でしょうか。」

と怪訝そうに波留子がカップを配りながら尋ねると、

「ハルさん大丈夫?」

と快斗が心配そうに聞いてきた。

「大丈夫。私はこんなメモでどうこう慌てたりしませんから。唯しっかり鍵を掛けて出た筈の部屋に侵入した人がいる、その事が怖いんです。申し訳ありませんが盗聴器仕掛けられてないかどうか調べて頂けませんか。」

小声で波留子がそう付け足した。

「盗聴器か、そういう事も有り得るな。有難うハルさん、その事も含めて考えよう。今、総務部長を呼びました。じき来る筈なので此方に通して下さい。それとこのビルの管理責任者も呼んだので通して下さいね。」

仙が波留子に言った。

「かしこまりました。」

波留子は自分のデスクに戻った。ほどなくして総務部長、ビルの管理会社の責任者がやって来たのでその都度部屋へ通し二人が入ったところで飲み物を運んだ。

「失礼します。」

そう言いながらカップを配ると直ぐにデスクへ戻った。彼等が部屋から出て来たのは昼近い時刻になっていた。皆が退室すると波留子が部屋に呼ばれた。ドアをノックしてから部屋に入るとドアのすぐ側に仙が立っていて波留子を部屋に入れると直ぐ鍵を閉めて波留子にシッと指で合図して抱き締めた。そして波留子の耳元で、

「直ぐに管理会社の人が盗聴器のチェックに来るからそれまでは迂闊にお喋りするなって。ハルさんは心配しなくていいからね。何があっても俺が守るから。」

頷いた波留子も仙の耳元で、

「有難う。心配はしてないよ、いつも傍に仙が居てくれるから。」

そう言って仙の頰にキスした。そして手振りと口の動きで口紅が付いているから拭くように、と仙に伝えてカップをトレイに乗せ持って出て行った。

そろそろ昼休みに入ろうかという時になって管理室の人間が二人と朝呼ばれていた責任者が仙の元にやって来た。心得ていた波留子は無言で頷くと仙に例の件でお客様がいらっしゃいましたと告げて三人を通した。部屋の中で盗聴器検知機をあちこち移動しながら捜したが部長室には仕掛けられていない事が判明。そして次に、波留子のいる秘書室で検知機のスイッチを入れた。その途端、嫌な音が鳴り出し検知機を移動させ机に近づけると音が一段高く早くなり盗聴器の存在を知らせた。管理室の男性が机の下に潜ってみると電話器の真下に当たる場所に仕掛けられているのを発見、直ぐに写真を撮り剥がし取って盗聴器を開け電池を抜いた。更に検知機が鳴り続けていた為動き回って捜すとキッチンコーナーにはご丁寧に二つも仕掛けられていた。全て手袋をした状態で写真を撮ってから取り外し証拠が消えないように盗聴器は三つとも別々の袋に保管された。自分で口にしたものの実際に盗聴器が三つも仕掛けられていた事に波留子はショックを受けた。メモの内容よりよほど執念深さを感じる陰湿な行為に恐怖を覚えた。

盗聴器は指紋が出るかどうか調べ、出た場合には社員のものと合致するかどうか照合し警察へ通報する事となった。管理室の三人が退室すると急に膝の力が抜けたようにその場に座り込んでしまった波留子。部屋に戻って電話を掛けていた仙は開いたドアの外に座り込んでしまった波留子を目にすると電話を切り直ぐに飛んで来て彼女の体を支え部長室のソファーへ連れて行って座らせた。仙はその後直ぐに企画宣伝部の社員を集め先週金曜日に部長室への侵入があった事を告げた。場所は言わず盗聴器が仕掛けられていた事、指紋を検出出来次第警察に通報する旨を告げた。もしも先週金曜日に何か不審な人物や行動を取る者を見かけたり心当たりがある者は自分に知らせて欲しいと話した。そして盗聴器が発見された事で、鍵を掛けたのに侵入され波留子が今ショック状態にある為部長室で休ませている、用がある場合は自分に先ず直接電話で連絡してから来室するように、と依頼した。部の社員達も盗聴器が仕掛けられていた事にはショックを受けたようで、仙にオフィスの方も調べた方がいいのではないかと進言する者もいた。仙がその旨管理会社に依頼して至急調べさせると約束すると皆安心したようで、波留子の様子を尋ねてきた。ショックを受けただけだから暫く休めば大丈夫だろう。そっとしておいてやって欲しいと話し部長室に戻った。波留子はソファーに座っていたがその表情は読み取れなかった。仙は波留子の横に座り彼女を抱き寄せた。

「波留子ごめん、怖い思いさせて。部の社員達にはハルがショック受けて此処で休んでる、って話してあるから心配要らないよ。これは嫌がらせなんてもんじゃないよ、恐喝と言う立派な犯罪だ。絶対犯人を捕まえてやるよ。犯人が捕まるまでは俺が送るからね。」

仙の言葉に驚いた波留子は、

「えっ、大丈夫。部長が部下の送迎なんて変でしょう。まさか本当に仕掛けられてるなんてびっくりしたの。それも三つもなんて、ちょっと怖くなっちゃって。」

「うん。ねえハル、例の俺達の部屋だけど最後に見た部屋に決めたよ。今直接オーナーと交渉してて多分今月中に鍵を受け取れる。そしたら来月まで待たなくても使えるよ。家具はそのまま使っていいそうだから。」

「うん。でも今ちょっと考えられない、ごめんなさい。」

「いいよ、分かってる。でも何かあれば、必要ならいつでも使えるって事は覚えておいて。」

「はい。」

仙に抱き締められその温もりを感じると波留子は徐々にいつもの元気を取り戻し、逆に沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。➖私が邪魔だと思うなら直接私に言ってくればいいものを何だってこんな陰湿な仕掛けなんてするんだろう。あの人なんだろうか、先週帰り際に感じたあの視線はやっぱり悪意だったんだろうか?➖波留子の頭の中は様々な考えが駆け巡っていた。仙が自分を呼んでいる声に我に返った波留子。

「ハル、今日は俺コマーシャルの完成試写会に行かなきゃならない。今、慎に連絡したから今日は慎に送って貰って。」

「そんな。マコちゃんにまで迷惑掛けなくてももう大丈夫ですから。」

「俺が安心したいんだ、頼むよ波留子。」

「分かりました。じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます。」

波留子がそう言ってお互い安心した途端、二人のお腹が鳴った。同時に笑い出した二人。

「そう言えばもうお昼過ぎてますね。何か買って来ましょうか、それとも食べに行きますか。」

波留子がそう尋ねると、

「え、お昼一緒に行けるの。なら一緒に行こうよ。」

言うが早いか仙は波留子の手を握って立たせた。

「多分、宣伝部の人達も一緒だと思いますけどね。」

波留子の言葉通り、波留子と仙が部屋から出て行くと部の社員達数名が直ぐに波留子の様子を確かめにやって来た。これから波留子と一緒に食事に出る旨伝えるとやって来た社員達も心配だから一緒に行くと言い出した。勿論、食事代は自分達がそれぞれ払うから連れて行けと言われ仙は断れなかった。

「みんなが一緒なら安心。でも念の為廊下側は鍵は閉めて行くね。部室側は開けておくから誰かに見ていて貰えると嬉しいんだけど。」

と波留子が尋ねると、早番で昼食に出た人達がそろそろ戻ってくるからその人達に頼んで行きましょう、と言うことになり早番で出ていた社員が二、三人戻ったところで事情を話し、よく警戒しておくよう頼んで皆で会社を出た。

近くのビルに入っている居酒屋の奥座敷を陣取り個々に定食を注文すると皆が今朝の侵入事件の話を始めた。一体何の目的で侵入したのか、企業スパイの可能性は、等々取り留めもなく話は続いたが、仙や波留子は波留子のデスクに置かれていた脅迫文のメモについては何も言わなかった。唯皆んなの話を黙って聞いていた。

会社へ戻ると桐生が部屋の前に立っていた。仙や波留子の顔を見ると笑顔で声を掛けて来た。

「午後二時半から重役会議が開かれます。出来ればハルさんにも今朝の状況をお伺いしたいので出席願いたいのですが宜しいですか、仙部長。」

と仙に確認を取りに来たのだった。そして部屋に入ると丁度鍵師がドア鍵を付け替えている最中で、

「早いに越したことはないと思い鍵を交換させてます。今まで使っていた鍵を調べて貰いましたが、無理に開けた様子はないとの事なので、総務で保管されている鍵を使って開けたとしか考えられません。新しい鍵は複製等容易には出来ないものに替えます。今日中に重役クラスの部屋は全て鍵を交換する手配をしました。総務での保管方法については会議で話し合うことになるかと思います。」

「さすが修弥は手配が早いね。本来はこれって総務の仕事でしょ、総務部長は何してるの。」

仙の問いかけにちょっと困ったような苦笑いを浮かべた桐生が小声になって、

「今朝の話合いの後、僕が総務部長と一緒に鍵を確認しに行ったんだ。保管庫からは鍵が無くなってた。」

「え、じゃあ総務の保管庫から持ち出された事は確実なんだ。」

「そう。でもそれだけじゃなくてその無くなった鍵が部長の机の引き出しから出て来たもんだから部長真っ青になって腰抜かしちゃってさ。今動ける状態じゃないんだ。」

それを聞いた仙は溜息を吐いた。

「部長がそれじゃあこの緊急事態に総務では何も対処出来ないって事か⁉︎ それについても重役会議で話し合う必要があるな。取り敢えずは修弥、悪いが総務部長代理として動かしてくれないか。」

「了解。じゃあ副部長へ一報入れておいてくれ。後でゴタゴタするのは敵わないから。」

「あゝ分かった。それとハルさんの事だけど会議にずっといる必要はないだろ。状況を話して何か質問があれば先に済ませて貰いたいんだ、いいかな。」

「あゝそのつもりだよ。そう時間はかからない筈だ。」

「有難う。じゃあ総務には連絡しておくから頼みます。と言うことだからハルさんも二時半からの会議には一緒に来て下さい。」

「かしこまりました。」

「あゝ、あとコーヒー淹れて貰えますか。」

「はい、直ぐに。」

コーヒーを淹れ部屋へ持って行くと仙がデスクで電話中だった。そっとコーヒーを置いて立ち去ろうとすると仙が手振りで待つようにと言っている。電話を終えると波留子を見て、

「指紋が出たらしいんだ。照合して貰ってるんだけど、結果は早くて明日の昼頃だそうだ。帰りは慎に頼んだけど今夜ハルさんが一人になってからが心配なんだ。娘さんに泊まりに来て貰えるかな。」

「そんなあ。幾ら何でも大袈裟ですって。確か私のファイルは極秘扱いで一般社員は閲覧不可だって、前に桐生さん仰ってたじゃないですか。なら自宅の住所なんて分からないんだし、何もありませんって。部長、心配し過ぎですよ。

それよりマコちゃんが来てくれるなら一緒に食事して帰ってもいいですか。」

「あゝハルさんがそうしたいなら構わないよ。でも本当に気を付けて、約束だよ。」

笑顔で頷くと波留子は下がった。

午後二時半、重役会議が始まった。先ず口火を切ったのは仙。今朝自分が出社して来た際の出来事を語った。続いて波留子にも自身が出社した際の状況を話すよう促した。波留子は先週金曜日の退社時、いつも通り部長室のドア、手前の秘書室のドアニ箇所、オフィスに通じるドアは秘書室側から鍵を掛け、廊下側は廊下に出て間違いなくドアを閉め鍵を掛けた事、そしてドアノブを回し掛かっている事をいつも通り確認した事を語った。そして今朝出社して来た際、ドアの鍵はちゃんと掛かっておりそれを解錠して室内に入ると金曜日の退社時片付けて定位置の物以外何も無かった筈のデスク中央にメモが置かれていた事を話して聞かせた。重役達は一様に黙って彼女の話を聞いていた。波留子が話し終えると、ちょっといいですか、と重役から手が上がった。金曜日に鍵を掛け確認もしたと言うが絶対にそれは間違い無いのか、と。

波留子は落ち着いた様子で、

「金曜日は部長の息子さんが就業時間終了間際にいらっしゃって、ちょうど退社時は部長や息子さんと一緒でした。お二人の目の前で鍵を掛け確認したので聞いて頂ければ確認が取れます。仙部長、覚えていらっしゃいますか。」

「あゝ、慎が、息子が掛かっているのを確認したのを覚えてる。確かに鍵は掛かっていたし帰る時に彼女のデスクには何も乗っていなかったのも確かです。」

「だとすると間違いなく何者かが侵入したという事ですね。どうやって入ったんでしょう。」

その質問に答えたのは桐生だった。

「今朝、仙部長からの一報を受け直ぐに部長室、秘書室を調べさせたところ盗聴器が三台仕掛けられているのを発見しました。三台とも秘書室に仕掛けられていた事から部長室への侵入はなかったものと思われますが、念の為今日中に重役室は全て鍵を交換させて頂きます。尚、交換後の鍵は複製困難な鍵ですのでもし予備が必要な場合、私の方へ直接ご連絡願います。但し、余程の理由がない限り予備の鍵はお渡し出来かねます。

では他に小林さんへご質問はございますか。もしないようでしたら彼女は通常業務に戻って頂きますが。」

と桐生が重役達に告げると、皆一様に頷いたので波留子は退室を許可された。

部屋に戻った波留子はいつも通り業務をこなしながら会議が終わるのを待ったが、会議はなかなか終わらないようで仙は戻って来ない。彼が不在中に今夜のコマーシャル完成試写会について製作会社から二度ほど電話が入ったが、仙が戻らずにいた為企画宣伝部の当該部署の課長に電話を回した。五時十分前、今日三度目の電話が製作会社から入って波留子が応対している最中にようやく仙が部屋に戻って来たので、この電話が三度目である事と会議中の電話は担当者に回した事を告げてから電話を切り替え波留子はやっと安堵した。電話を置いてホッとした所へ慎が波留子を迎えにやって来た。

「ハルコ、もうそろそろ終わる?」

と声を掛けてきたので今部長が電話中だからそれが終わったら試写会へ出るための準備をして送り出せば仕事は終わりだと話した。

「あゝでも部長がマコちゃんに話があるって仰ってたから電話が済んだら一緒に行きましょう、それまで待っててね。」「うん。あのさ、今朝仙からの電話今一詳細が分からなかったんだけどその話かな。」

「えゝ、そうだと思います。あ、電話終わったみたい。ちょっと確認しますね。」

そう言うと部長室のドアをノックしてから開け慎が到着している旨告げた。二人とも入るように言われたので慎に声を掛け部長室へ入った。

「慎、わざわざ済まなかったが今日はハルさんを一人で帰したくなくて呼んだんだ。実は今朝、ハルさんを脅迫する様なメモがデスクに置かれていたんだ。先週金曜日に三人で帰る時にハルさんが鍵締めたろう、で今朝も鍵は締まってたのにメモが置かれてたんだ。その上盗聴器が三つも仕掛けられているのが発見されて悪意のあるイタズラでは済まされない状況なんだよ。重役の部屋の鍵は全て今日のうちに交換したし、盗聴器から指紋は採れたそうで照合作業を依頼してるんだが誰が何の為に、って言うのが未だ断定出来ないから怖いんだ。」

「そんな事が起きてたの、それじゃあ心配だよね。仙は今夜試写会があるって言ってたものね。」

頷いて答える仙を見て慎が波留子に、

「じゃあ今日は俺がハルコのボディガードだね。安心していいよ、俺武術は空手に柔道、剣道の有段者だからね。」

「ええ、そうなの。そんなモデル体型なのに⁉︎ 何処にそんな筋肉付いてるの。でもそれなら安心ね。じゃあマコちゃん、夕飯食べて帰りましょ、私奢るから。」

「わあ本当に⁉︎ ラッキー。」

「こら、図に乗るなよ、お前の役目は彼女の警護なんだからな。」

「分かってるよ、任せて。」

「では部長、本日の試写会に出席される方々の名簿と簡単なプロフィールメモしておきましたので目を通しておいて下さいね。今回のコマーシャル担当グループの方々もご一緒されるんですよね。あちらで皆さんお待ちですからお急ぎ下さい。」

「有難う、ハルさんのメモにはいつも助けて貰ってるよ。じゃあ慎、呉々もハルさん頼んだぞ。ハルさん、家に帰ったら電話するよ。」

「はい。行ってらっしゃいませ。」

そう言って仙を送り出し、部長室をざっと見回し忘れている事がないか確認すると部屋の灯りを消し秘書室へ出て鍵を締めた。

「へえ、これが新しい鍵なんだ。これじゃあ複製は難しいね。」

「そうね。でもイタズラであって欲しいな。」

「イタズラにしちゃあやり過ぎでしょ、鍵掛かってる部屋にわざわざ侵入なんて。あの人じゃないのかなあ。」

「あの人って、推測でモノを言っちゃまずいよ、後でしっぺ返し食いかねない。用心、用心ってね。さあ帰りましょう

か。オフィスの方に挨拶してくるね。」

そう言って波留子はオフィスに残っている社員達に挨拶して中からドアを閉めて鍵を掛けた。最後に秘書室の灯りを消しドアの鍵を掛けて慎と共にエレベーターに向かった。

ロビーに着くと慎がコンビニで買い物があるからロビーで待っていて欲しいと言って、一旦ビルの外へ出て行った。仕方なく波留子はロビーの中をゆっくり歩き回って時間を潰すことにした。企画宣伝部の社員達がロビーを横切りながら波留子に挨拶したり声を掛けてくれたりして退屈はしなかった。

レセプション係の女性が波留子を見留めるとついと側へやって来て声を掛けた。

「あのお、仙部長の秘書の小林さん、ですよね。」

「はい、そうですけど。」

「私、レセプションを担当している総務の神田と申します。ちょっとお時間宜しいですか。お耳に入れておきたいことがあって。」

「はい。構いませんけど、私、今人を待っているので此処から離れる訳にはいきません。此処で宜しければお話し下さい。」

「じゃあ、彼方のソファーに座りませんか、此処は皆さんの通り路で邪魔になってしまいますから。」

頷き波留子は彼女と一緒にソファーへ移動した。入口が見える場所に波留子は席を取り神田が話すのを待った。

「あの、実はうちの部の八尾と言う女性の事なんですが。」

「はい。」

「彼女、小林さんが入社されてからちょっと変なんです。小林さんの事調べてるらしくて私達レセプションの係は最初に小林さんが社へいらした時の事を細かく聞かれたんです。小林さん、八尾さんと当社に入社される前からお知り合いですかそれでトラブるがあったとか。」

「トラブル? いいえ。だって私、その八尾さんという方と直接お目に掛かった事有りませんからトラブルの起こしようがないと思いますけど。」

「そうなんですか。だったら尚更、彼女には気を付けて下さいね。」

「え、どういう事でしょう。」

「私の同期で仲が良かった子が彼女に嵌められて会社辞めざる得なくなったんです。その理由が仙部長と何度か親しげにお喋りしていたから、って。」

「はあ?お喋りしてただけで。」

「えゝ、その友人も私と同じレセプション係だったんです。で外出先から戻られた時や預かり物をお渡しする機会にちょっとお話したりして、その事を部署で話した時八尾さんが聞いてたらしくて、彼女入社以来ずっと仙部長を狙ってるそうで、私達にも自分は絶対仙部長を落としてみせる、絶対彼と結婚するんだって。だから、佐野さんが寿退社決められた時も総務部長に後任秘書に自分がなれるよう取り入ってたんです。どうも刑部(おさかべ)部長と八尾さん付き合ってるみたいなんですよね。で、手を回そうと画策かくさくしていたところに小林さんが後任に決まって、しかも仙部長が自ら依頼されたとか。もう八尾さんの荒れ方ったら凄かったんですよ。彼女、自分が欲しいもの手に入れる為なら何だってする人なんです。総務の同僚や後輩もかく言う私も痛い目に合ってるんです。だから気を付けて下さいね。小林さんに対する怒りって今まで見た事ないくらい怖かった。」

聞いていて波留子も怖くなった。それ程までに一人の人間に執着しゅうちゃくするその八尾と言う女性の心が怖かった。

「その八尾さんっておいくつ位の方なんですか。」

「確か三十五、六だったと思います。私と一回り位違うはずですから。」

「ふうん、そうなんだ‥。あ、マコちゃんこっちこっち。」

戻って来た慎に手を振って呼んだ。波留子が呼んだ人物を見て神田が驚いた。

「え、あの方部長の息子さんでしょ。」

「えゝそう。今日は部長が仕事で外出されて遅くなるので一緒に夕食でも食べよう、って誘ったの。マコちゃん、此方レセプション係の神田さん、此方こちら仙部長のご子息の慎さん。ね、マコちゃん私が夕食に誘ったのよね。」

「え、あ、うん。前にハルコと食事に行きたいって誘った時彼女先約があって行かれなくてさ、今日は父が遅くなるって言うんで彼女が気を利かせてくれたんだ。ハルコお待たせしちゃってごめんね、出られる。」

「ええ。神田さん、教えて下さって有難う。お話伺っててちょっと怖くなっちゃった。でも用心しなきゃいけないって事はよおく分かりました。精々身の周りには気を付けてるようにしますね。

良かったら今度一緒にランチにでも行きましょう。ね、如何。」

「あ、有難うございます約束ですよ。でもホントに気を付けて下さいね。私ももしまた何か聞いたらお教えしますから。じゃあ、失礼します。あ、あの、失礼します。」

と神田は慎にも照れながら挨拶して立ち去った。

「どうしたの、ハルコ。」

「うん、神田さん総務部の人で、八尾さんが本気で仙を狙ってるから側にいる私が邪魔らしいって。何するか分からないから、気を付けて下さいって教えてくれたの。彼女の同僚は八尾さんに会社辞めさせられたって。総務の女性達は相当八尾さんを恐れてるみたいよ。部長さんともお付き合いしてるって。」

「はあ?総務の部長と?それなのに仙を狙ってるってどう言うつもりだ。あの女、信じられない奴だな。ハルコ、だから無くなった筈の鍵が部長のデスクの引き出しに入ってたんだ。ヤバイな、真面まじイカれてるよ。ハルコ気を付けなきゃ。

今夜仙が帰ったら話しておく。八尾の事調べないと。会社の為にもほっとけないからね。

取り敢えず今夜は俺がハルコを守るから、食事に行こう!お腹減った。」

ハルコは慎の言葉に立ち上がり一緒に外へ向かった。

「マコちゃん何食べたい。」

「うーん、肉、かな。ステーキか焼肉がいい。」

「うん、じゃあスタンドステーキ行ってみない?」

「スタンドステーキ?何それステーキの立食いとか?」

「そう、当たり。一度行ってみたかったんだ、いい?」

「ハルコがスタンドステーキをねえ。いいよ、その代わり俺食べるからびっくりしないでよ。」

そんな話をしながら玄関を出て入口前の階段を下りようとした、正にその瞬間、突然波留子の身体が慎から離れるように突き飛ばされ宙に浮いた。一瞬、慎もそして波留子自身も何が起こったのか判らぬまま波留子の身体は階段途中に足を引っ掛け慎が腕を伸ばしたが届かずバランスを崩したまま飛び出すように階段下へ落ちて行った。

「ハルコ!」

慎は直ぐ背後を振り返った。小走りに走り去る女の後姿を見つけ追いかけようとしたが、波留子の事が気になり一瞬いっしゅん躊躇ちゅうちょしたすきに女の姿は人混みにまぎれ見失ってしまった。

「ハルコ、ハルコ。」

波留子の元に駆け寄ると波留子は動けずにうめいていた。

「ハ、ハルコ、大丈夫?」

「…」

「大丈夫ですか。」

「ハルさん?ハルさん大丈夫。」

波留子を知る社員達が側へ集まって来て声を掛けるが、意識もはっきりせずに返事が出来ない波留子だった。誰かが救急車を呼んだ、と言った。周りに人が集まって波留子の様子を見ている。慎が波留子の体をかばいながら、

「誰か警察呼んで。彼女突き飛ばされたんだ。誰か突き飛ばした奴見なかった。」

慎同様後姿を見た者はいたが顔を見た者はいなかった。其処へ丁度何事かと駆け付けた警備員に慎は事情を説明して監視カメラを確認するよう指示した。パトカーが到着するのとほぼ同時に救急車も到着。波留子を救急車に乗せ、慎は簡略かんりゃくに事情を説明し、後をその場にいた顔見知りの社員に頼んで波留子と一緒に救急車に乗って病院に向かった。

「お、大袈裟おおげさだよ、救急車なんて。」

やっと話せるようになった波留子が言った。

「大袈裟じゃないよ、ちゃんと診て貰わなきゃ。仙にも知らせないと。」

「ダメ!大事な試写会なんだから。せめて検査済むまでは待って。」

「ハルコ‥。分かった、じゃあ検査して様子が分かったら連絡するよ。今日は爺ちゃんや叔父貴も仙と一緒だし。」

「うん、…ごめんね、マコちゃん。ステーキ食べ損なっちゃったね。」

「そんなのどうでもいいよ。それにしてもあの女!ハルコを突き飛ばしたの間違いなく女だった。監視カメラで顔が判るといいんだけど。痛むの、辛そうだね。」

波留子は苦痛に顔をゆがめていた。

「到着しましたよ。はい貴方、先に降りて下さい。はい、降ろしますよ。」

ストレッチャーに乗せられたまま救急室へと運ばれ慎は廊下で待つよう指示されて中では波留子の体を彼方此方チェックや検査が行われつつしレントゲンが撮られた。慎が待っている間に会社へやって来た警察官達が到着した。警察官から襲われた時の状況を慎は尋ねられた。慎は状況を説明し、またその前に波留子が神田から聞いたと言う話も警官等に伝えた。

三十分も経っただろうか、中から医師が出て来た。

「先生、ハルコの怪我は。」

「骨は折れていませんでしたよ。頭を打っているので今晩一晩は様子を診る為に入院が必要です。左足に酷い捻挫ねんざを起こしてます。それと左腕を打撲と擦過傷さっかしょうを負っています。手首にも捻挫を起こしているので、手も足も不自由でかなり不便でしょうが、明日もう少し検査をして頭の方に問題がなければ自宅療養も可能かと思われます。まあ今の所全治四週間と言うところですかね。ただ、未だ全ての検査は出来ませんのでこれから負傷箇所が増える可能性はあります。そうなると完治までは更に掛かるかも知れません。」

「今、お話は伺えますか。」

と警察官が尋ねると短い時間でしたら、と医師が許可した。慎は警察官達と共に波留子の元へ入って行った。

「お疲れのところ申し訳ありませんが、二、三質問させて下さい。」

頷いて答える波留子。

「小林さん、貴女ご自身は突き飛ばされるような心当たりはお有りですか。」

「私自身にはありません。」

「では、突き飛ばした相手の顔ご覧になりましたか。」

「いいえ、後ろからでしたから見ていません。」

「分かりました。今はこれだけで結構です。また後日お話をお聞きするかもしれませんのでその際は宜しくお願いします。お大事に。」

と言い置いて帰って行った。

「ハルコ、俺が付いていながらホントにごめんね。さっき爺ちゃんからメールが来て爺ちゃんは秘書から連絡受けたって。丁度プレゼンの最中だったから未だ仙には言ってないみたい。これから連絡するね。」

「あ、じゃあ娘にもお願い出来る。服汚れちゃったし、着替えを届けて欲しいから。」

「分かった。じゃあ番号教えて。」

慎は救急室から出て行った。看護師が波留子の様子を見に来て血圧を測ると病室へ移動すると言った。同行者が連絡をしたら直ぐに戻ってくるから少し待って欲しいと頼み、慎が戻って来ると病室へ移った。ベッドへ移ると頭に何やら沢山の線が取り付けられ波留子はロボットになったみたいだと弱々しく笑った。その笑顔に慎は幾分か救われた気がした。

「良かった。笑えるようなら少しは安心だ。俺、仙に怒られるとばかり思ってたのに仙怒らなかった。なんか逆にすげえ怖いんだけど。」

「大丈夫だよ。マコちゃんのせいじゃないって分かってるんだよ、きっと。それよりさっき打った痛み止めのせいかな、ちょっと眠くなって来た。少し眠らせて。」

そのまま波留子は眠りに落ちた。

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