新たな始まり

「ハルさんの仮採用期間終了と正式採用に乾杯!」

「乾杯!」

「有難うございます。」

会社から離れた場所にある居酒屋の片隅で波留子、仙、桐生の三人はビールで乾杯していた。居酒屋にしたのは波留子のリクエストだった。

「ハルさん、ハルさんはどうして独身なんです。会社の連中みんなハルさんの歳知りたがるんですよ。でもハルさんのファイル、九龍ファミリーの意向でトップシークレットになってて人事部の者でも私以外見られないので彼是噂が立つんじゃないのかなぁ。だって歳知ってる僕でも実はもっと若いんじゃないかって疑っちゃいたくなるんですから。それにハルさんがどうこうじゃなくて、社長や快斗部長がハルさんにお熱上げてるのは間違いない事実でしょ。」

「何、そんなに大っぴらに騒いでるの親父達。」

「あゝ、ホントに全然知らなかったのか仙。」

呆れたように仙を見つめる修弥に対して苦笑する仙。すまなさそうな笑顔を見せて、

「修弥。そうか、ハルさんどうして黙ってたの。遠慮しないで言ってくれれば良かったのに。」

「別に遠慮した訳じゃありませんよ。私の上司は仙さんで、仙さんがどうこうって話じゃないから放っておいたんです。噂なんか直ぐ消えますから。そうやって気にするのが分かっていたから言わなかったんですよ。」

「ハルさん。…で修弥、ハルさんに対する黒い噂の出所は判った? 誰があんな酷い噂流したのか、誰が言い出しっぺで誰が広げたのか。」

「あゝ、大体は。噂の言い出しっぺはどうも社長御自身のようで、そこに尾鰭が付いて広まったようです。快斗さんの事も快斗さんが社長と口論していたのを偶々耳にした者がいたらしくそれで親子でハルさんを取り合ってる、というような話になったようです。どうしましょうかね。唯、一番悪意のある噂についてはお二人とは関係ない所から出ているようなので、もうちょっと時間を下さい未だ調べてる最中です。」

「放っておきましょう。私はお二人から食事や飲みに誘われただけで直接お二人から具体的な事言われた訳ではないですから。そのうち素敵な女性でも現れて噂も消えますよ。」

「だといいけど。念の為、家で揃った時に注意しておくよ。ハルさんに今辞められたら困るの俺だからね。」

「はい、お任せします。それにしてもさっきからお二人とも名前で呼び合って随分親しそうですけど昔からの友人とか何かですか?」

「そう。修弥は同期なんだ。大学時代同じゼミで付き合うようになって、修弥の頭のキレと手腕を買ってうちの会社に就職して貰ったんだ。ハルさんと知り合った経緯も彼には話してある。」

頷きながら黙って聞いていた桐生がここで、

「そう、ハルさんと知り合った翌日に興奮した仙に仕事の後付き合わされて惚気られたんだ、運命の女性に出逢ったって。でもまさか親父さんや快斗までハルさんのとりこになっちゃうなんてね、正直ハルさんに会って話してみるまで想像出来なかった。でも、ハルさんに会って話して、知れば知るほど魅力を感じるんだって判りましたよ。俺が独身なら間違いなく争奪戦そうだつせんに参戦してます。結婚してて助かったあ。」

「それって私が男をたぶらかす悪女のように聞こえるんですけど、違います⁉︎」

と怒ったような困惑したような顔つきで桐生に迫る波留子に、

「え、いや、そんなつもりで言ったんじゃ…いやどうしよう仙、ハルさん怒らせちゃったみたいだ。」

桐生同様に波留子の表情に焦りを覚えた仙が、

「ハルさん、ハルさんは誓って悪女なんかじゃないですよ。ハルさん自分で気付いてないんだから、どれだけ魅力があるか。だから心配なんです。」

仙の言葉は波留子をますます混乱させた。

「あのね、私は自分が言われる様な魅力があるかどうか知らない。けど、離婚してこれからの人生、自分に正直に生きようって決めたの。だからお世辞や嘘も最小限、出来るだけ自然でいたいから。唯それだけ、自分に正直に自然体で。それが問題を引き起こすって言われたら私はどうしたらいいの。」

「ハルさん。今の時代そんな風に生きたくてもなかなか素直に出せないでしょ、の自分なんて。だからそれが出来るハルさんに皆んな魅力を感じるんですよ。

ハルさん俺の息子が帰って来たら会ってみませんか。あいつきっとハルさんと気が合いますよ。」

➖十七歳の天才児か、どんな事話すんだろ、生意気な奴だったらどうしてやろう➖ちょっと大人気ない事を考えながら仙の言葉に頷いて見せる波留子だった。

桐生が腕時計に目をやると慌てたように、

「ハルさんすいませんが、八時過ぎたので僕は失礼します。仕事絡みの時は前もって連絡しておくんですけど今夜は今日仙と話してて決まった事なのであらかじめ連絡してなかったからもう帰らないと。」

「奥様との約束事ですか。良い旦那様なんですね、構わないですよ。」

「いや一番下の子が未だ小さいもんで妻が育児疲れしないように交代する事になってるんです。」

「えゝ、修弥もう帰っちゃうの。」

「なんだよ情けない声出して。今夜はハルさんのお祝いなんだからちゃんとエスコートしてくれよ。此れ俺の分。あ、今日はハルさんのお祝いだから仙と二人で折半せっぱんなんです。ハルさんは心配しないで。」

財布を出そうとした波留子に気付いた桐生がそう声を掛けた。

「はあ、いいんですか。」

「いいの!普通に飲み食いする時はちゃんと折半するから、ならいいでしょう。」

と仙に言われ納得する波留子。

「じゃあ、お先に。」

そう言って席を立った桐生は波留子に見えないよう仙にウインクして帰って行った。

「ハルさん未だ此処で飲む? それとももう少し静かな所にでも行く?」

「仙さんと二人ならまま言ってもいいかな。」

そう聞いて嬉しそうに頷く仙。

勿論もちろん。何処か行きたい所があるの。」

「あのね、一度でいいから屋台のおでん食べてみたかったんだ。行ってみない。」

「は、屋台⁈ またマニヤックだなあ。まあ俺も行った事ないからいいか。じゃあ此処出よう。」

居酒屋を出ると仙はタクシーを呼び止め運転手と話を始めた。少しして仙が、

「ハルさん、この運転手さんが美味しい屋台に連れて行ってくれるって。乗りましょう。」

そう言って波留子を先に乗せ自分も乗り込むと、

「じゃあ運転手さんお願いしますね。今日は彼女の就職祝いで彼女の行ってみたい希望の場所が屋台なんです。美味しい店教えてくださいよ。」

「お任せください、きっと気に入って頂けますよ。シートベルト締めて下さい。出発しますよ。」

タクシーでしばらく走ると静かな河岸にポツンポツンと間隔を開けて数軒の屋台が営業していた。その中の一軒の側にタクシーを停めると

「着きましたよ。」

そう言うと料金の精算を済ませドアを開けて二人を下ろし、運転手も車を降りて来て二人を屋台へ案内してくれた。

「親父さん、お客さんお連れしたよ。こちらの彼女の就職祝いで本人が屋台へ行ってみたいとのご所望だって。美味うまいもの食わせてやってくれよ。」

「そうかい、任しといてくれ。いらっしゃい、どうぞお座りください。兄ちゃんありがとよ。」

「あゝ、じゃあお客さん精々屋台の味、堪能たんのうしてって下さい。親父さんまたな。」

「有難うございました。」

波留子と仙は同時に運転手に礼の言葉を口にしていた。お互いを見て思いがけずハモっていた事に笑った。

「仲良いっすね、お二人さん。さて、何飲みますか。定番は日本酒だけどビールでもワインでもうちは用意してますよ。」

「ワイン、有るんですか?」

「はい、私ソムリエの資格持ってるもんで。」

仙と波留子はお互いに目を見張って、それから急に笑い出した。

「ごめんなさい、親父さんを笑った訳じゃないのよ。お互いおんなじ反応しちゃったから可笑おかしくて。」

「へい、お二人見ていて分かりましたよ。ホントに仲がいいや。で、何にします?」

「じゃあ私ワイン下さい。おでんには白の方が良いのかしら。」

「俺もワイン。」

「そうですね、無難なところでは白ですけど赤でも合うのはありますよ。赤白あかしろ何方どちらがお好きなんですか。」

「赤」またも二人揃っていた。今度は三人で笑い出していた。

「いやあ面白いね、お二人さん。じゃあ美味しい赤お出ししますよ。おでんは何がいいですか。もしなんでしたらワインに合うもの見繕みつくろいますよ。」

「じゃあお願いします。」

仙がそう言うのを待っていたように波留子は唯頷いて店主の顔を見た。

屋台の前には他にピクニック用の簡易テーブルと椅子のセットが二つ置かれ、そちらには客が座っていて仙達は幸運にも丁度屋台の席が空いた直後に来店した事が分かった。この店は繁盛している様だった。屋台の主人の話は本当らしくとても屋台で出すとは思えない上質で美味しいワインが提供された。そして店主がワインについて二人に彼是話してくれて気付くと随分遅い時間になっていた。

「わあ、もうこんな時間。親父さん今夜はスっごく楽しくて為になった。また来させて貰っていい。」

と波留子が言うと嬉しそうに頷いた店主が、

「あゝいつでもお出で。日曜定休だからそれ以外の日はいつも此処にいるよ。ハルさんなら一人でも大歓迎だけど、きっと仙さんが一緒に来るんだろうね。」

と仙に向かってニカッと笑いかけた。

「親父さん、さっきも言ったでしょ。出会いはナンパだけど彼とは何でもないの、私の上司なんだから。」

「上司が恋人だって構わないじゃない。最初の出会いは仕事じゃないんだし、不倫してるわけじゃなし。仕事に私情を持ち込んじゃ不味まずいけどそれさえきっちり守れればなんの問題があるもんか。なあ仙さん、あんたがしっかりすりゃいいだけの事よ。」

「親父さん! 俺達未だ付き合うとかって話にもなってませんよ。」

「なんだよ、そうなの。お前さん男だろう、ハルさんが歳上だからって遠慮する事ないだろ。逆にタイミング見計らって、なんて考えてると他の奴に取られちまうぞ。」

「親父さんってば。何要らぬアドバイスしてるの、仙さんが困ってるでしょ。あのね、さっきも言ったけど私と仙さんは誕生日一緒だから丸々十八も違うんだよ。下手すりゃ私の息子でも通っちゃうの。そんな大年増おおどしま、こんなイケメンが相手にするわけないでしょ。」

波留子がそう言った途端、仙がテーブルを叩いた。

「ハルさん、今日約束したでしょ、自分を卑下しないって。なんで自分で勝手に決めつけるんです。俺がいつハルさんを年増だなんて言いましたか、思ってもいませんよ。

親父さん、俺だって正直に気持ち伝えたいですよ。でも未だハルさんは仕事始めたばっかりで、しかも俺の秘書として働いてくれてるのにもし気持ち伝えて受け入れられなかったら気不味くなって仕事に触りが出ちゃうんじゃないですか。勿論みすみす誰かに取られるような真似なんかする気ありませんよ。」

「仙さん…⁉︎」➖何言ってるんだ、おい。まさか仙、あんたまで変な事言い出す気じゃないでしょうね➖どう言ったら良いのか分からず 唯オタオタしている自分に波留子自身驚いていた。

「親父さんのせいだよ、こうなりゃ言うっきゃないか。ハルさん、初めてナンパした時にも言ったけどハルさんとの出逢いは運命だって感じた。一緒に飲んでハルさんの人柄が分かってきてますます惹かれた。あの後連絡がなくてひたすら待ってたニ週間、想いがつのってて自分でも信じられない位電話貰えた時は嬉しかった。ハルさんが気にするほど俺は歳なんか気にならない。俺は真剣にハルさんの事、」

波留子が慌てて仙の口を手でふさいだ。

「ストップ!あのね、言葉って一度声に出してしまったらもう無しには出来ないんだよ。軽はずみに口にしちゃいけない事ってあるでしょ。仙さん今酔ってるから。酔いが覚めて後悔するような事軽々しく口にするもんじゃないよ。」

「ハルさん…。そうですね、酔った勢い借りて、なんて情けない真似まねしちゃいけない、分かりました。今夜は止めときます、そろそろ帰りましょうか。親父さん、お勘定お願いします。」

「はいよ。ねえハルさん、人生は一度きりだからね、周りの人間が幸せにしてくれるわけじゃない。して歳の差で幸せが決まるもんじゃない。幸せは自分でつかむもんだよ、忘れなさんな。」

「親父さん。…うん、わかってるよ。だから私、幸せになる為に離婚って道を選んだんだから。でも有難う、忘れないようにするよ。ご馳走様、お休みなさい。」

「ハルさん、もう遅いからタクシーで送るよ。」

「大丈夫、一人で帰れますよ。」

「駄目。結構飲んでたし、送るって決めたんだ。あ、来たよタクシー。」

仙は通り掛かったタクシーを停めると波留子を先に乗せさっさと自分も乗り込み波留子の家へと向かわせた。思っていたよりも酔っていたようでいつの間にか眠ってしまっていた波留子。

「ハルさん、ハルさん着いたよ。」仙の声に起こされ辺りを見回すと自宅の直ぐそばに到着していた。

「運転手さんこの人家に送ったら戻って来るから待ってて貰えます。家直ぐそこだから。」

運転手にそう頼むと仙はタクシーを降り波留子の足下に気を配って車から降ろした。

「大丈夫? ちょっと飲み過ぎちゃったね。家まで歩ける⁉︎」

「大丈夫です。」

そう答えたものの言葉とは裏腹に足下あしもとあぶなげな状態である事を仙はしっかり見ていた。

「はい、じゃあしっかり歩いて。俺に掴まって構わないから。ごめんねハルさん、こんなに飲ませちゃって。」

「謝らないで下さい。仙さんのせいじゃないでしょ、私が飲みたくて飲んだんだから。謝られたらもう一緒に飲みに行けなくなっちゃいますよ。」

クスッと笑う波留子の声を聞いて少し安心した仙だった。

「あ、此処です。ごめんなさい、お手間かけさせちゃって。後は大丈夫。仙さん、有難う。お休みなさい。」

「うん、中入って鍵閉めて。確認したら帰るから。お休み、ハルさん。また明日。」

「お休みなさい。」

そう言って波留子が開けたドアの内側に消えるのを見送る仙だった。

翌日、少し重たい頭を抱えながらいつも通りに出社した波留子。バッグの中から大きな梅干しが入ったパックを取り出した。熱いお湯を沸かして濃いめのお茶をれると湯呑みに梅干しを一粒入れてそこに茶を注いだ。➖これでスッキリ、シャッキリするといいけど➖ふうふう言いながら梅干し入りのお茶を飲んでいるとじわっと汗が出てきて、そのせいか少し頭がスッキリしたような気がした。ちょうどその時、仙が部屋に入って来た。

「おはようございます部長。…昨日はご迷惑おかけしました。」

と挨拶の後小さい声で付け加えた波留子。

「おはようハルさん、どういたしまして。」

仙が部長室へ入ると直ぐに波留子は梅茶の用意をした。

「失礼します。今朝はコーヒーよりこちらの方が宜しいかと思います。どうぞ。」

そう言って梅干し入りの茶をデスクの上に置いた。

「うん。」

そう言って新聞を見ながら手を伸ばし掛けてカップではなく湯呑みが置かれているのに気付いた仙。両手でしっかり湯呑みを持つと中を覗いて、

「何か入ってる、何?」

「梅干しです。飲み過ぎた翌日には効果があるそうなので。私も先程飲んで気分がスッキリしました。どうぞ。」

割り箸と小皿が一緒に置かれている理由が分かった。お茶を半分程飲んでから割り箸で梅干しを取り出し口に放り込むと口中くちじゅうつばが湧き出た。顔を渋面しわくちゃにしながら梅干しを食べ、残りの茶を飲み干す。少しおでこが汗ばんだように感じながら何処かスッとした事にちょっと嬉しい驚きを感じた仙。既に秘書室へ戻っていた波留子にインターフォンでお茶のお代わりを頼んだ。今度は梅干し抜きで、と付け加えて。

「失礼します。」

トレイに急須を乗せて波留子が部屋に入って来る。小皿に乗った梅干しの種と割り箸をトレイに乗せ、湯呑みもトレイに乗せると来客用のテーブルにトレイを置いて湯呑みに茶を注ぐ、そんな様子を見ていた仙は波留子の側に来てソファーに腰掛け言った。

「ハルさん。」

「はい。」

「俺、ハルさんの事本気だよ。だからハルさんも真剣に考えて欲しいんだ、俺の事。酔った勢いで言っちゃいけないってハルさん言ったでしょ。夕べ一晩じっくり考えたよ。でも言わずにいる方がずっと後悔するって思ったんだ。だから素面しらふで言おうって決めて今朝は来たんだ。波留子さん、好きです、結婚して下さい。」

お茶を注いでいた波留子の手がガタガタと震え出し、それ以上持っていたら急須を落としそうで慌てて急須をトレイに置き湯呑みをテーブルに置くと何も言わず、いな、何も言えずトレイを持って部長室を出た。秘書室に戻ると小さなキッチンコーナーに飛び込むように入ってトレイを置くと腰が抜けたようにしゃがみ込んでしまう波留子だった。

「どうしたの、ハルさん。」

宣伝部の社員が部長室へ向かう途中キッチンコーナーで座り込む波留子に気付いて声を掛けた。が、波留子の耳には届かず再び声を掛けられてやっと我に返ったものの全身の震えが止まらない。

「大丈夫、貧血でも起こしたの。ほら立てる。」

波留子に手を貸して立たせると彼女のデスクに連れて行き座らせた。

「少し机に突っ伏して休むといいよ。部長には俺から知らせておくから。」

気が抜けて抜け殻のような、考えようとするのに思考が働かない。波留子にとってこんな驚きは生きてきて初めての経験だった。机に突っ伏したまま、自分が喜んでいるのか怒っているのか、悲しいのか嬉しいのか、頭の中が真っ白になってしまった様で全く何も分からなかった。

暫くそのままでいたのだろうか、上の方から声が聞こえてきた。

「ハルさん、大丈夫?」

➖仙の声、心配してる。大丈夫って言わなきゃ、私の方がずっと大人なんだから。大丈夫って➖心ではそう思うのに身体が動かない、口が動かない。ただ自分の鼓動がドキドキバクバクしているのが耳の中で響いて聞こえる。なまりになった様に重たい身体を無理矢理デスクから引きがしてもたげると顔は下を向いたまま、

「大丈夫です。少し目眩めまいがしただけですから。ちょっとの間此処で休ませてください。」

そう答えるのがやっとだった。そうして頭を抱えるようにして目を閉じた。そんな波留子の様子をうかがう仙の視線を痛いほど感じながら目を開ける事が出来ない波留子だった。

暫く頭を抱えて目をつぶったまま過ごした後腕時計を見ると間も無く九時半になろうとしていた。波留子は両手で頰をニ度パンパンと叩いて自分に喝を入れると部長室のドアを叩いた。

「失礼します。部長、ご心配お掛けしました。もう大丈夫ですので、今日の予定を申し上げて宜しいでしょうか。」

そう言って一日のスケジュールを読み上げ、

「十時に広告会社の方がいらっしゃいます。会議室にて企画第一グループの方々と一緒にミーティングです。此方が資料ですので目を通しておいて下さい。」

「ハルさん、さっきはごめん、仕事前に。」

波留子はその時やっと仙の方に顔を上げたが仙の表情が弱々しく見えて逆に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだった。

「今は就業中ですよ、仕事の事だけに集中して下さい。私もそうしますから。」

そう言うとありったけのエネルギーを振り絞るようにして笑顔を作って見せた。

「分かった、有難う。」

仙もそんな彼女にこたえるように微笑ほほえんだ。

仙に告白されたその日は一日がとても長く感じて仕事中に何度も会社を飛び出して何処かへ行きたくなる衝動しょうどうおさえなければならない波留子だった。そんな一日の就業時間がもう間もなく終わろうとする午後四時半過ぎ、廊下側のドアがノックされた。波留子がドアを開けるとそこにスーツケースを脇に長身のモデルかと思えるような美青年いけめんが立っていた。

「どちら様でしょうか。」

そう尋ねた波留子に青年は、

「Oh, You're Haruko, aren't you? I'm Makoto Sen's son. I'm happy to see you at first.」

「Oh, you're Makoto?! Nice to meet you. Why don't you come in? Your father is still working. Come in.」

そう言って慎を秘書室に入れて仙に慎の到着を告げに行こうとした時、いきなり慎にハグされてしまった波留子。

「えっ⁉︎」

ドキッとして動けずにいると頰にキスの挨拶。

「ハルコ可愛い。一緒に行こう。」

言うなり波留子の肩を抱いたままスーツケースを引っ張って部長室のドアへ向かった。ドアをノックし開けるとデスクで仕事をしていた仙が顔を上げた。

「慎! 連絡が来ないからいつ帰ってくるのかと思ってたよ。あゝハルさん、息子のマコ、ト…っておい、お前ハルさんに何した。ハルさんどうしたの、顔真っ赤だよ。」

「俺はハルコに挨拶しただけだよ。彼女ちゃんと英語で応対してくれたから、ならアメリカ流の挨拶で良いかなと思ってハグしてチュウしただけ。ハルコ、チュウには慣れてなかった⁉︎ 可愛い。」

そう言ってまたもハグして波留子を驚かせた。➖ははあ、アメリカ流ね、確かに!もう長い事こんな挨拶してないからやられたわ、情けない➖慎の体を一旦いったん離すと、

「慎さん、貴方よりずっと歳上の人間を揶揄っちゃいけません。ちょっと久し振りで不意を突かれて上がっちゃった私も情けないけど。お返ししないとね。」

そう言って波留子は慎にハグをしてその顔を両手で自分に近づけ両頰に優しくキスをした。

思わぬ応酬で優しくキスされると真っ赤になってしまった慎だった。

「Haruko, you're the great!Wonderful ‼︎ 仙、仙が惚れただけのことはあるよ。仙の運命の人、ハルコ。」

「こらっ、お前はいつも一言ひとこと多いんだって。それに人前で父親を名前で呼ぶなって言っただろうが。ああハルさん、ごめん、これが昨日話した愚息ぐそくだ。」

「なんだよその愚息って。俺IQ二百だから愚息じゃないよ、ねえハルコ。」

➖IQ二百!!?どんな知能だ、にしてもこいつ、慣れ慣れしいぞ、人の事ハルコハルコって、此処は日本だぞ➖

「ハルコ、今夜一緒に食事したいんだけど、行かれる、行かれるよね。俺、帰国したら先ずハルコに会ってみたかったんだ。仙がついに運命の人に出逢ったって言ってたからさ。もし気に入らなかったらどうしようって思ってたんだ。で、もし気に入ったら絶対一緒に食事に行ってもっと沢山たくさん話して仲良くなりたいって考えてたんだ。だから今夜一緒に食事に行こう。」

➖今日は朝からずっと変だ。正式採用になった途端、私の生活どうなっちゃうんだ➖返事にきゅうしている波留子を見て仙が慎をさとすように、

「慎、帰り間際に突然現れたお前のような相手に食事に誘われてお前だったら行くか。自分中心に物事推し進めるんじゃないよ。ごめんね、ハルさん。」

「じゃあ仙、じゃない、父はハルコと一緒に食事したくないの。」

「だからそう言う事じゃなくて、‥」

「あのすみませんが、慎君誘ってくれたのは有難いけど今日は予定があるから無理。ごめんなさいね。」

「予定が、‥誰かとデート。父は気に入らない?」

「私の予定がどのような用件でもそれを貴方に話さなきゃならない義務も義理もないでしょ。ちなみに部長、もう就業時間過ぎました。すみませんがこれで失礼させて頂きます。」

そう言い置いて仙の返事も待たずに波留子は部長室を出て行った。呆気あっけに取られ仙の顔を見た慎は泣き出しそうなくらいかなしい顔をした父を見た。

「仙、何かあったの、ハルコと。」

慎が仙に問い掛けると仙は昨夜の事と今朝の出来事を話して聞かせた。

「だったら尚更なおさら帰しちゃ駄目だ。ハルコ明日から会社来ないかも。消えようとするよ、きっと。彼女の目は仙の事を追い掛けてた。ハルコは仙の事好きなんだよ、あゝ全く!」

そう言うと慎は急いで秘書室へのドアを開けすでに波留子がいないと知って直ぐに仙に向って、

「追いかけないとハルコをうしなうよ。」

そう言い捨て慎自身が波留子の後を追った。

慎のさまを見て慌てて後を追う仙。二人がエレベーターホールに着いた時、ちょうど波留子が閉まりかけたエレベーターに乗ろうとしていた。先に慎が猛ダッシュで波留子の腕を掴みエレベーターホールに引き戻すとそのまま向かって来る仙の方へと彼女の身体を放り出した。自分の身に何が起きたのかも自覚出来ないまま身体が放り出され、気付けば仙に抱き留められているではないか。

「えっ、あ、部長何で、…」言葉の出てこない波留子を仙がしっかと抱きしめた。抱きしめられた波留子は全身の力が抜けて行くのを感じていた。ドキドキバクバク言っている自分の鼓動が頭の中を占領してしまったように何も考えられずにいた。仙の腕が少しゆるむとそのまま膝が崩れて座り込みそうになり必死に仙にしがみ付いてしまった。仙はもう一度波留子を強く抱きしめた。

「ハルコごめんね、急に体投げたりして。部屋に戻ろう。」慎の一言で仙が波留子の身体を離し、慎と仙が支えるようにして波留子を部長室へ連れて戻った。部屋に入ると直ぐに慎がドアを閉め波留子に向かって尋ねた。

「ハルコ、父は本気なんだ。今まで一度だってこの人が本気で好きになった人見たことないんだ。こんな気弱になっちゃうのかって言うくらい父は弱気になってる。爺ちゃんや叔父貴からも交際迫られてるんでしょ。でもハルコは父が一番好きでしょ、違う⁉︎ もしも歳の事気にしてるんならそんなの変だよ。もし波留子が男だったら十八違いなんて気にしないんじゃない。今の世の中どっちが上でも下でも関係ないよ。二人が幸せならそれでいいんだから。」

「慎…さん、私、あのそうじゃなくて、」

波留子が話そうとしたその時、仙が波留子の口を優しいキスで塞いだ。

「やった!」

慎の歓声が遠くに聞こえたが、仙に唇を奪われたまま激しく高鳴る鼓動で頭がクラクラしてこのまま死んでしまうのではないかと波留子は思った。が、そうなる前に優しく仙に抱きしめられていた。

「座ろう、ハルさん。」

そう言うと波留子をソファーに座らせ直ぐ隣りに仙も座った。そして波留子の身体を自分に向けると、

「ハルさんからの返事も待たずにこんな事してごめん。でも今朝俺が気持ちを伝えた事でハルさんがいなくなるんじゃないかって怖くなって、つい。こんな若造じゃ頼りないって思ってる?でも若くてもそれなりに地位も責任も持って生きてるよ。息子とだって離れててもちゃんとコミュニケーション取ってる。ハルさんが心配する事は一つずつ俺が消して行くから、頼むから俺のそばに居て、俺と一緒に生きて欲しいんだ。」

「…あっ、私は後三年もすれば高齢者の枠に入れられてしまうの。もしかしたら遠くない将来認知症、なんて事だってありる。そうなった時にこんなはずじゃなかったって言ったって遅いんですよ。楽しむより介護に苦しむ方が長いかもしれない。貴方をそんな事で苦しめたくない。勿論、私だってこれから先一人で生きるより誰かと一緒に生きて行ければきっと、絶対楽しいって分かってる。でも、同時に背負わせるものを考えたら…仙さん、仙さんの事は好きです。でもだからこそ義務で世話させるような事はしたくない。」

「ハルコ、女性の方が長生きなんだぜ、父と一緒なら二人で同じ位の長さ生きていけるんじゃないの。父が面倒見られなかったら俺が面倒見てやる。俺、ボランティアで老人ホーム行ってるから大丈夫だよ。‥けど、ハルコはそう言う事言ってるんじゃないんでしょ。父の事大事に想ってるからこそそんな事が気になるんだよね。でもさ、一緒に暮らしてみなきゃ分からないじゃない。もしかして暮らしてみたらお互い合わない、って思うかもしれないし、逆にもう絶対離れたくないって気になるかもしれないし。」

「ハルさん、結婚しよう。」

慎の方を見て話を聞いていた波留子は驚いて仙の方へ顔を向けた。

「結婚、して下さい。」

仙が重ねて自分にプロポーズしている。波留子自身信じられない事に涙があふれ出した。そんな波留子の涙を両手で拭いながら、

「してくれる?」

そう呟く仙にいい暫く考えた末に波留子がコクンと頷くとまた仙に抱きしめられてしまうのだった。

「やったあ、仙やったじゃん。ハルコ今頷いたよ。ね、ハルコOKなんだよね。」

仙から少し身体を離すと波留子が首を横に振って言った。

「結婚は駄目。」

「えっ何で、だって今頷いたじゃない。」

慎が信じられないといった表情で波留子を問い詰めようとした。それを仙が止めて、

「ハルさん、俺の事は好きなんだよね。」

頷く波留子。

「分かった。じゃあハルさんはどうしたいの。」

責めるのではなく落ち着いて静かに尋ねる仙の優しさが嬉しく思えた。

「さっき慎君も言ってたでしょう。一緒に暮らしてみなきゃ分からないって。一緒に暮らしてみれば良い所も悪い所もお互い見る事になるんだからその上でなおお互い一緒に居たいと思えるようならそれから先の事考えても遅くはないでしょ、だから一ヶ月、一緒に暮らしてみるって言うのはどうですか。」

すると仙がそれに対し、

「分かった。でもお互いを知る為に一緒に暮らすならせめて三ヶ月位は必要でしょ。」

波留子の口から溜息が洩れた。

「一ヶ月なんて本当にあっという間でお互いを知るなんてところまでいかないよ。ね、いいでしょ、三ヶ月。」

と仙が重ねて言った。波留子は承知するしかないと腹を決めた。そして、

「分かりました。なら悠介さんと快斗さんにはきちんと話しておくべきですね。その上で私達が一緒に暮らす事は誰にも言わずに秘密にしておいて貰いたいんです、桐生さんにも。約束して貰えますか。」

「ハルさんがそうしたいって言うなら黙ってるよ。でも三ヶ月過ぎて一緒にいたいって思ったら結婚してくれるでしょ。そしたらもう誰にも隠さなくていいでしょ。」

「未だ何も約束出来ません。三ヶ月暮らせるかどうかも分からないですから。もしも三ヶ月続いたら、その時その先の事は考えましょう。」

かなわないなあハルさんには。分かったよ。そうと決まれば、未だ親父達社内にいるだろう。電話してみるね。」

悠介も快斗も未だ残っていて、慎が帰国して来ている事、二人に話したい大事な事があるから直ぐに仙のオフィスに来て欲しいむね話して電話を切った。

「慎が帰って来てるって言ったら親父凄く喜んでたよ。二人とも直ぐ来るって。」

「仙、二人にちゃんと話して納得させてよ。ハルコが二人にうらまれちゃったら大変だからね。」

「当たり前だろ、言われなくても分かってるって。」

先ず悠介が部屋に飛び込んで来て慎を見つけると、

「マコト、帰って来たか、おかえり。また背伸びたな、随分イケメンになりやがって、女の子達泣かせてるんじゃないか。」

「止めろよ、爺さん落ち着け。ハルコが驚いてるぞ。」

慎に言われ照れ笑いしながら波留子の側へ行くと、

「ハルさん、慎カッコいいだろう。俺に似たんだな、きっと。」

そう自慢げに言いながら波留子の顔を覗き込んだ。

「ハルさん、泣いてたの。仙、お前か、それとも慎?ハルさんに何したんだ。」

「何騒いでるの親父。」

そう言いながら部屋に入ってきた快斗。波留子の姿を見つけると直ぐ寄って来て、

「ハルさん。あ、慎、お帰り。もうハルさんに会ったのか、ずるい奴だなあ。」

そう言って波留子の肩を抱こうとすると慎が波留子の手を取って快斗から引き離した。

「駄目だよ快斗。ハルコが困っちゃうでしょ。さあ、とにかくみんな座って。」

慎が場を仕切るように皆をソファーに座らせた。

「仙、じゃない、父から話がある。きちんと最後まで聞いて下さい。」

慎が殊勝しゅしょうにも頭を下げた。その様子から真面目まじめな話だと気付いた悠介と快斗は黙って仙が話し出すのを待った。

「実は昨日でハルさんの使用期間が終了したんだ。今までずっと、親父や快斗がハルさんを食事に誘ったり飲みに誘ったりしてたのは聞いたよ。でも俺はハルさんと一緒に仕事をする立場だし、二人と同じような事をしたらハルさんが仕事しずらくなるだろうと思って一度も誘ったりしなかった。昨日仮採用が無事終了した事を祝う為に初めて誘ったんだ、それも二人きりじゃなく修弥と一緒に。途中で修弥が帰っちゃったから途中からは二人になったけど、酔った勢いで迫るような事はしないで別れたよ。だけど、夕べ一晩ずっとハルさんの事が頭から離れなくて考えて、やっぱり俺はハルさんを愛してるんだって改めて悟った。だから今朝、仕事始める前にハルさんに気持ち伝えたんだ。多分今日一日、ハルさんには辛くて長い一日だったと思う。

少し前に慎が此処に来て彼女を気に入って、俺の背中を押してくれた。そしてハルさんが気に病むような事なんか何もないって彼女を説得してくれて、ハルさんも俺に好意を持ってくれていた事教えてくれたんだ。」

「何、どう言う事。ハルさんも仙が好きって事?」

快斗が驚いたように立ち上がってわめいた。そんな快斗に仙は頷いて、

「そうだ、ハルさんが俺の気持ちを受け入れてくれたんだ。勿論、親父や快斗の事もずっと考えていたんだと思う。だからこそ直ぐに返事なんてして貰えなかったし、慎曰く、ハルさんが此処を辞めていなくなるかもしれないって脅かされた。そう言われて俺は本当に心から彼女を失いたくないんだって分かった。必死に彼女を引き留めて…やっと本音が聞けたんだ。」

波留子が悠介と快斗に向かい頭を下げた。

「ごめんなさい。お二人の気持ちは嬉しかったけど、何がとか何処がって言う事じゃなくって、でも二人には私という人間を全部分かって貰えそうに思えなくて。

でも仙さんとは、初めて話したあの日から言わなくても分かって貰えるって言うか、感じ方や考える事が似てるみたいで。ホントにちょっとした些細ささいな事でも私が思うのと同じ様に考えて動いてくれたり、話したりしてくれてる事が凄く嬉しくて有難かった。私を勝手に美化したり自分の理想にはめ込む様な事を一切しないで有りのままの私を見てくれて受け入れてくれてました。

ただ一つ、私が気になっていた十八歳と言う年齢差。私の方が先に、うんと先にお婆さんになってしまった時に仙さんが後悔するのだけは見たくなくて。」

「だから、そんなハルさんの危惧きぐをなくす為にも俺達一緒に暮らしてみてお互い上手くやって行けるかどうか様子を見る事に決めたんだ。」

「俺も親父も振られたって事か。…ハルさん、本当に仙が好きなの。」

波留子は黙って頷いた。

「分かった。」

快斗はそれだけ言うと黙り込んだ。

「何処で暮らすんだ?」

悠介が尋ねた。

「未だ決めてない。取り敢えず三ヶ月一緒に暮らしてみてお互いの相性を見ようって事にしたんだ。でもこれは誰にも秘密にしておいて欲しいって、ハルさんのたっての希望なんだ。」

「もし暮らしてみて合わなかった時、仙さんに変な噂が立っちゃまずいでしょ。それに立場上、上司と部下が一緒に暮らしてるなんて会社の人達に知られたら大ごとになっちゃう事は目に見えてますから。お願いします、内緒に、秘密にしておいて下さい。」

波留子が二人に頭を下げ頼み込んだ。

「って事は未だあきらめなくていいんだ。三ヶ月経って二人が合わなきゃ解消するんでしょ。なら秘密にしとこうよ。うん、決まり。」

快斗の発言がちょっと意地悪く思える仙だった。

「で、どうするの。二人の仮住まいは。」

「仙、何処かマンションでも探したら。しがらみを一切捨てて二人がお互いを見つめる為にもその方がいいと思うよ。ハルコはどう思う。」

慎にそう聞かれ波留子も出来ればその方がいいと答えた。

「住む場所は仙さんが選んで下さい。勿論、私も意見は言わせて貰いますけど、仙さんがどんな所を選ぶのか知りたいから。」

「ありゃ、早速試されちゃうね、仙。」

と慎。

「そんな、試すなんて、…唯、仙さんの趣味や好みが分かるかと思って。」

「あゝ、ハルさん分かってるよ、慎は冗談で言っただけだよ。でも俺、ハルさんの期待を裏切らない様に頑張るよ。ハルさん、いつから一緒に暮らす?」

「直ぐになんて見つからないでしょうし、年の瀬にバタバタしたくないし。だから年明け、来月半ば過ぎか下旬辺りでどうですか。探すの大変かしら。」

「分かった。大丈夫だよ、それまでに良い所探すよ。」

仙の言葉を聞き慎が、

「じゃあ今夜は俺の帰国祝いと二人の仲を祝ってみんなで食事に行こうよ、いいでしょハルコ。」

「じゃあ、友人に電話で断り入れて来ます。」

「え、ホントに約束有ったんだ。」

慎は唖然と秘書室へ向かう波留子の後ろ姿を見ていた。

波留子が入社以来、それぞれが個別に波留子とは食事などに行ってもこうして四人が顔を揃える事はなかったので波留子は嬉しかった。そんな波留子の様子に気付いた慎が、

「ハルコ嬉しそうだね。」

と声を掛けた。

「だって私が就職の相談に伺った時以来ですもの。私のせいでギスギスしてるって噂も流れてたから辛かった。」

安堵あんどした様にそうもらした波留子の言葉に、

「あゝ、その噂流した奴知ってる。総務の八尾だよ。」

「なんだ快斗、お前知ってたのか。どうして教えてくれなかったんだ。俺はつい最近まで知らなくてハルさんに嫌な思いをさせちゃってたのに。一体何だって彼女がそんな酷い噂を流したんだ。」

「あれっ、気付いてなかったの。」

「何を。」

「彼女ずっと仙にアタックしてたじゃん。」

「はあ?」

「気付いてなかったんだ。仙は本当にそういうのうといよなあ。だから、佐野さんが結婚で会社辞めるって言い出した時、彼女自分が仙の秘書になるんだって吹聴ふいちょうしてたんだよ。新規で募集しなかったしさ。なのに突然ハルさんが現れてそのポジション取られて、挙句に仙は全く気付いてなかったろうけど、ハルさん見る時のお前の目は周囲にはバレバレな位ハートになってたぜ。だから、良からぬ噂立ててハルさん追い出そうとしたんだろ。でもハルさん皆んなに人気があってめる気配ないし、だから俺か親父とくっ付けようとでもしたんじゃない。あいつ以前俺にちょっかい出そうとしてた事もあったんだ。その時俺はっきり断ったんだよ、好みじゃないって。八尾が欲しいのは愛情じゃなくて派手な暮らしが出来る金や部長夫人って肩書きだからな。あんな奴に引っ掛かる奴はバカだぜ。うん?どうした親父。」

「そうだったのか!」

「えゝ何、親父も彼女に迫られたの?」

「あゝ、もしハルさんとあの日出会ってなかったらわれてたかもしれん。やあ助かった。」

「良い歳して鼻の下伸ばしてたのかよ、エロ爺い。でも彼女の本命は入社した時から仙だったぜ。仙は全く気づかなかった様だけど。」

「その人、真っ赤な口紅着けてる人じゃない。」。

慎が快斗に尋ねる。

「うん、そうだよマコ知ってるの?」

「あいつかあ、なら知ってるよ。去年年末に帰国した時俺にび売って来て、キモかったからさ。」

「何だって⁉︎ 初耳だぞ、そんな話。」

仙が驚いて慎を問いただそうとすると、

「だって、あんなキモいの忘れるに限るじゃん。まあ仙が気付かなかったのは分かる気がする。だって全く仙の好みじゃないし、仙そういうの疎いから。

ハルコ。ね、分かったでしょ。仙は見た目はイケてると思うけどそういうとこちょっと抜けてるから浮気の心配はないと思うよ。多分、ハルコの方がモテてるみたいだから仙の方がハルコの事心配なんじゃない、ねえ仙。」

「波風立てる様な事言うんじゃないよ。ハルさん気にしないでね。」

波留子は笑って受け流してはいたが、八尾の事は気になった。

「あのう、八尾さんって私未だお会いした覚えがないんですけど。会ったことあるのかなあ、真っ赤な口紅着けてる人なんでしょ、会ったら覚えてる筈だけど…。」

「会ってないよきっと。総務に行くことなんて滅多にないだろうし、彼女が上に上がって来られる訳もないから。気にしないで、関わらない方がいいよ。結構あの人怖いから。」

そう快斗が答えた。

「とにかく、みんな、俺とハルさんの事は絶対に秘密にしててくれよ。特にそんな怖い人がいるなら尚更。ハルさんに何かされたら困るからね。」

波留子以外の全員が拳を上げて賛同していた。

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