もうかえろう

 四十年だ。


 それほどまでの歳月があったにも関わらず、我々人類は得意の怠慢さを遺憾なく発揮し、なんの対策も講じることもなく、気づいたときには惑星発見から三十年が経っていた。

 私の歴史は怠慢の人類史と常に共にある。


 私の出生地は宇宙ステーション。そのカプセル内。

 自分の両親がどこの誰かもわからないまま、無重力発生装置の中でハイハイより先に歩き方を覚え、代わる代わる現れる外国人と話し、五ヶ国語を母国語として習得した。もちろん車なんて乗ったこともなく、その代わりといっては何だが、シャトルのコックピットにはベビーチェアーより長い時間座っていただろう。

 要するに、私は生まれたときからこの計画のために育てられていたわけだ。

 惑星発見と時を同じくして生まれた私は『とりあえず』の取り組みとして生まれながらに宇宙飛行士として育てられ、私自身、それを誇りに思ってきた。


 まぁ、宇宙飛行士が命がけっていうのは知ってたさ。

 でもなぁ、本当に死ぬって思うかよ。

 車の運転を知らずにシャトルを飛ばすこの私がだ。

 海外にも行ったことがないくせ、見ず知らずの惑星で一人旅なんてしているこの私がだ。


 ……。

 …………。

 ………………。


「はぁ――はぁ――ここ、から、ならっ――」

 酸素の濃度が落ちている。

 再びヘルメットを被り、あわててシャトルを飛び出した私はボンベを一本だけ担いで外へ出た。

 地図――なんてぜいたく品は持ってない。

 そもそも、今初めて人類が降り立った惑星だ。

 ……開拓者失格、だな。なんの機材も持たず……端末一枚だけなどと。

 コンピューター……行方不明のハイテクマシンを未開惑星でアテもなく探そうなどという所業を考えれば、かなりの装備不足ではあるが……


「はぁ――時間がっ――時間が無いっ」

 

 あと二年……


 長い? いや、短い、短すぎるのだ。


 四十年前発見された惑星は放置されていた。

 そう、三十年を放り捨てた人類はあわてて船を組み立てた。

 投げやりな人選で私を詰め込んだ。

 頑張って作ったマシンを詰め込んだ。

 打ち上げた。


 そして五年の船旅だ――

 

 私は先ほど降り立った。


 悟ったのだ。


「……無理だ……こんな惑星、あの量の爆薬でっ」


 気づいていた。


「マシンもない。大層な解析をする時間も無い」


 降りたとき、感じていたのは絶望だ。

 達成感など、ありはしない。


 果てしの無かった地平線。


 すぐにはぐれたマシンにも。


 この星、私の周りに希望の『き』の字もありはしない。


 こうしてマシンを探して走り回り、これまで宇宙飛行士として身に付けてきた冷静さとはなんだったのかと言ってやりたいくらいに軽率な判断で近場の山へ登り、そこから景色眺めている今でさえ……


「ち、きゅう……時間が……時間がない」


 そう、地球。


 もうそこまで来ているから。


 この星からでも、届きそう。

 名前も知らない山の頂上から手を伸ばせば届いてしまいそうなくらいの距離感だ。

 頂上は切り立った崖のようになっている。

 そこに立った私の正面に、これまで見たどんな写真よりも大きな青い星が座っている。

 雲が見える。

 陸が見える。

 私が育ったステーションだって、あの緑の地面のどこかにある。

 

「近い……でも、でも……ぁ」


 視線を落とした先――私の足元に転がっていたのは場違いな鉄。


 クモ。マシン。


「こんなところに……」


 どんな偶然かは知らないが奇しくも同じ場所へたどり着いていた人類の叡智――シャトルの何百倍も高性能――だったはずのマシンは力尽きていた。

 ボディはまだ綺麗。

 埃すら被っていないというのに電源はすっかり落ちている。


「なにが最後の希望だ。観測して何になる。こんなに巨大で、地平線の先が……あの地球より遠くにあるこの爆弾惑星がっ――」


 言いながらも私は長年にわたってしみこませてきたマニュアルどおりにマシンを端末につなぎ、電源を供給した。OSは壊れているものの、幸いデータは無事らしい。


「データ……そうか、ここまでの解析データは残っている、概算結果…………」


 文字。

 文字。

 文字。

 数字だ。

 文字。

 数字。

 数字。

 結論。


 そうか。

 お前達もそう思うか。

 無理だよな。

 無駄だよな。


 そう、言っている。


「終わりだ」


 端末から目を離し、仰ぎ見る。

 

 地球。

 五年前に私は旅立った。

 皆に見送られ。

 ステーションで出会い、結婚した妻と、その息子に励まされ。笑顔でシャトルに乗り込んだ。

 残った十年のうち半分をかけてたどり着き、二年で解析を終え、適切な箇所に爆薬を仕込み、わずかに残った燃料から逆算した地球への帰還がギリギリの場所で惑星を離脱、直後に起爆し私は晴れて英雄として地球へ舞い戻る――はずだった。


「マシンはもう動かない……いや、手元のデータだけでも十分、か」


 そもそも論で無駄だった。

 シャトルに眠る爆薬はあらゆるものをそぎ取ったギリギリの量まで搭載され、それをすべて使ったところで擦り傷程度しか残さないであろうことは目に見えている。

 ダメ元――ですらないかもしれないレベルなんだから。


「なぁ……お前だって、つらいよな」

『…………』


 足元でうずくまったままのマシンと二人。


「なぁ……お前、天才なんだって? AI、人工知能……なんだか知らねぇけど。シャトルの中でもずっと勉強してたよな」

『…………』


マシンはうずくまったまま崖の下を見ている……ような気がする。

なんとなくだがわかるのだ。


五年間――

人類の叡智を結集して作られたこのマシンは解析のためのノウハウすら詰め込みが間に合わず、シャトルの中でもデータのインストールが行われていた。

それを手伝ったのは、私。


「なぁ……そんならさ……ほかのロボットとかと地球で勉強したいよな……こんなとこで……人間なんかの私と、嫌だよな」

『…………』

「ははっ……バカらしい」


 風がないのに、寒い。

 いや、感じない。

 分厚い宇宙服越しでは風どころか音も、温度も、何もかもを感じられない。


「最後にあの地球の光くらい、バイザー無しで見たいよなぁ」

『…………っ』

「?」


 手に持った端末からかすかに振動が伝わった。

 ……なんだ、ああ、データの受信が完了……


「いや、待てよ」


 座りこんだままのマシンから吸い出し終わったデータを確認する。

 液晶をスクロールし無意味と化した解析データを無視しつつ。

 一番下まで流し終え……これ、か……

そう、一番下には正体不明のデータが一つ、それもじかに置かれていた。


「どこから紛れ込んだのか……マシンのシステムデータから、いや、こいつに限ってそんなことはないだろう」

『…………』

「…………開いても」

『…………』

「許してくれ」


 分厚い手袋でそのファイルをタップする。


「…………」

『…………』

「…………」

『…………』

「……お前、頭でっかちだぞ」

『…………』

「私と同じだろう。生まれてすぐ、このマシンに詰まれてさ、突貫作業で勉強して、人間のコトなんか、私くらいしか知らないだろうに」


 ファイル形式:画像ファイル

 ファイル名:MY FAMILY


「何が家族だ。私一人だろう」

 

 シャトルに詰まれたカメラの映像を切り取った一枚の画像データ。

 シャトルの中の様子を二十四時間撮影し、それを数年以上の時差のある地球へ送りつけるという非効率的なシステムだ。

 その映像をこっそりくすねたこのマシンはもう、動かない。


 灰色の大地に風が吹く。

 嵐を見る。

 切り立った崖の端に改めて歩み寄り、手の届きそうなくらい近くにある地球を掴もうとし、それでもやっぱり、届かない。


「ずっと一緒にいたんだな」

『…………』

「報われねぇなぁ」

『…………』

「でも、さぁ。なんか、お前のためにも最後までやらなきゃいけない気がしてきたよ」


 大きく息を吸い、吐く。

 ボンベに残ったすべての酸素を吸い込むくらいに息をすると、幾分思考も落ち着いた。


「なぁ、見てるかよ」


 遠くて近い地球には。

 私の妻と、子供たち。


 そして、見知らぬ、隣人たち。


 巨大な青の球体を望んだ私は続けて視線を下ろし、正面の地平線、その少し先に着艇した、見えないシャトルを一瞥し、目をつぶる。


 ああ、もう、二年といわず、今すぐに会いたいよ。

 妻と、子と。


 そして、見たこともない、自分の両親に。


 目で見なくともわかる丸暗記の操作で端末を動かし、完了した。


 地響き――砂嵐――


 ……。

 …………。

 ………………。


 そして――


「……日の出――何年ぶりか……」


 地平線の彼方。

 赤い球体が膨れ上がり、灰色の大地を染め上げる。

 一人で立った見知らぬ山の頂で、私は最後に、五年ぶりの来光を拝みながら、彼らとの再会を願って、目を閉じた。

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ひとりぼっちだったわくせい【一日一本お題二つでSS/惑星・再会/17/3/24】 ふるふるフロンタル @furufuruP

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