【手帳の中の物語 ⑤】

『◭ボクがカズンと出会った話』


『カズン』が現れたのは、あの脱出の日から一ヵ月が過ぎたころでした。


 ボクは彼に会うまで、自分が塀の外に出たということをすっかり忘れていました。

 ただ、いくつか妙なことがありました。


   △


 まず、ボクの中にあった、うなされるような熱気がきれいに消えていました。

 あのなにかしていないと気がすまない衝動のことです。

 それに自分を殴りつけたくなる癖も出てこなくなりました。

 チャールズはその事をとても喜んでくれました。

『症状が改善してきたのでしょう』といってくれました。

 チャールズが喜んでくれたので、ボクもとてもうれしくなりました。


   △


 ボクはまた毎日学校に通うようになりました。

 成績も急によくなりました。これには父も母も喜んでくれました。

 先生にもほめられました。

 言葉遣いがとてもよくなったと言われました。

 それまでボクはずいぶんと乱暴なしゃべり方をしていたようですが、どんな風にしゃべっていたのかは覚えていません。


   △


 そう言えば、こんなこともありました。

 学校に行こうとしていたある日のことです。

 ボクは道端でバイクに乗った女の人に話しかけられました。

 真っ黒の長い髪をした、とてもきれいな女の人でした。

 彼女は「久しぶりね」と、そういいましたが、ボクは彼女に見覚えがありませんでした。

「……あの、人違いではありませんか?」

 ボクがそう答えると、女の人はあきらめたように首を振って、そのまま走り去っていきました。


   △


 とまどうことがあったのは確かだけれど、こういった変化はどれもボクにとっていいことばかりでした。

 少なくとも、ボクの周りにいる人たちにとってはいいことでした。だからボクはなにかオカシイな? と思いながらも、これでいいんだ! と思っていました。

 なんというか自分の中にちゃんとしたドアが、それもしっかりしたドアが取り付けられたような気分だったからです。


   △


 しかしそのドアを乱暴に開ける人が現れたのです。


 それが『カズン』でした。


 カズンが現れたその日、ボクは自分の部屋で大人しく教科書を読んでいました。

 足元には猫のモノがいて、しきりとアクビをしていました。

 と、ボクの部屋のドアにノックの音がなりました。


   △


 チャールズだと思っていたので、ボクが「どうぞ」と答えると、バタン! とドアが乱暴に開かれました。

 ボクはびっくりして慌ててドアを見ました。

 そこに立っていたのは、ボクより二つか三つくらい年上の男の人でした。

 すらりとした体つきで、短く切った髪を全部逆立てて、あごには無精ひげを生やしていました。

 もちろんボクの知らない人でした。乱暴でぶっきらぼうな感じで、ボクはすぐに怖くなってしまいました。

「あの、こんにちは」

 ボクは警戒しながら、そっと挨拶しました。


   △


 カズンはジロッとボクを見下ろしました。

 それからニッと笑いかけてきました。

 なんか嫌な予感しかしない、そんな笑い方です。

「よぉ、オレはカズン。お前の友達。もちろんお前の事は知ってるぜ、スケイプ」

 カズンはボクの手を握って乱暴に握手すると、ついでにモノの頭をワシャッと撫で、それからボクのイスにどっかりと座りました。

 そして革のジャケットからタバコを取り出すと、落ち着かない様子で火をつけ、煙を吐き出しました。

 本当はタバコを注意したいけれどできませんでした。

「なぁスケイプ、お前、全部忘れたのか?」

 カズンは突然そう言いだしました。


   △


 もちろんボクには何の事だか分かりませんでした。

「その……突然そんなこと言われても……」

「その様子だと忘れてるみたいだな。でもオレは覚えてるぜ。お前が何を見たのか。来いよっ!」

 カズンはボクの手から教科書を取り上げ、いきなり窓の外に放り投げると、ボクの手をつかんで強引に部屋から連れ出しました。

?」

 玄関を出ようとしたところで、チャールズがあわててボクたちの前に立ちふさがりました。

「よぉ、チャールズ。スケイプをちょっと借りてくぜ。」

 カズンがそっとチャールズの胸を押すと、チャールズはそのまま道をあけました。

 カズンは引きずるようにして、そのままボクを外に連れ出しました。

 家の前には一台のオフロードバイクがとめてありました。

 ホコリだらけでずいぶんと使い込んでいる感じでした。


   △


「懐かしいか?」

 ボクは首を横に振りました。

「まぁいいや。乗りな」

 カズンが先に前に乗り、ボクは彼の背中に手を回して乗りました。

 なんか逆らえないというか、体がいうことをきかない感じでした。

 カズンは次の瞬間アクセルを全開にして、すごい勢いで道路に飛び出しました。

 ずいぶんと荒い運転でした。信号無視は当たり前。他の車や歩行者に突っ込むようにして、街の中をすごいスピードで走り抜けて行きました。

 ボクは彼の背中にしっかりとしがみついて、周りのことはあまり見ないようにしました。

 と、しばらくしてバイクが止まりました。


   △


「着いたぜ! スケイプ」

 カズンの声にボクは顔を上げました。

 そこは海でした。アトランティスの海です。

 白砂のビーチには色とりどりのパラソルが開き、蛍光色の水着を着た女の人や男の人が、寝そべったり泳いだりしているのが見えました。

 子供達のはしゃぐ声が、波の音に合わせて聞こえてきました。

「スケイプ、まだ思い出せないか? 海だぜ?」

 もちろん海です。分かっています。

 でもただの海です。


   △


「何を思い出すの?」

 ボクにはそうとしか答えられませんでした。

 カズンはやれやれと首を振りました。そしてまたポケットからタバコを取り出して火をつけました。

 カズンはボクの首筋を子猫でも捕まえるようにつかむと、荒っぽく揉みました。


「あのな、お前の見たモノの事だよ。お前は塀の外に出た」

「塀? なんの話かさっぱり分かりません。人違いじゃないんですか?」

「お前の話だよ! お前はこの世界の外に出た! 外の世界を見たじゃないか!」

「見てないです。ボクは塀の外になんか行ってないし、なにも見てないです。だいたいブライトの街から出たこともないです」

 カズンはいらいらとタバコをふかすと、ボクの肩をつかみ、くるりと海のほうを向かせました。

 潮風がまともに顔に吹き付けてきました。波の音がゆっくりと聞こえてきます。


   △

 

 カズンは僕の耳元で声を上げました。

「思い出せ! 『穴掘りスプーン』と『カモフラージュシート』、それに『ウィルスカード』も使ったろ! お前が脱走の計画を立てたんだ。そしてお前はこの世界からの脱走に成功した!」

「そんなことしてませんよ」

「思い出せよ! スケイプ! 脱獄者! お前はこの世界を囲む檻から抜け出した! そしてこの世界の外を見てきたんだよ!」

「ボクはどこにもいってません。部屋で勉強してただけです」

 実際そうだったので正直にそう答えました。


   △


「クソッ! ダメかよ!」

 カズンは地面にタバコを投げつけました。そしてブーツで踏みつぶして火を消しました。というよりもタバコを粉々にしました。

 彼は僕にずいぶんと怒っているようでした。でもやっぱりボクはなにも覚えていなくて、なんだかカズンにすまない気持ちがしました。

「なぁ、思い出せって!」

 カズンはバイクをおり、砂浜と道路をへだてるコンクリートの塀の上に飛び乗りました。そして砂浜に向かって、叫ぶようにしゃべりました。

「スケイプ! 海だ! お前は巨大な海を見たんだよ! 巨大な石と葉っぱの転がる荒地! 巨大な月! どうして思い出せない? あんなものを見たってのに!」


   △


 ふいに波の音だけがボクの耳に流れ込んでました。

 みんなが動きを止めてカズンのことを見ていました。

 まるで時間が止まったようでした。


   △


 そしてボクの中にそっと、しかしすばやいスピードで『巨大な海』『巨大な石』『巨大な葉っぱ』『灰色の壁』『トンネル』『ドア』『地面に掘った穴』『オフロードバイク』の映像が音もなく流れました。

 それは記憶というよりは、なにかの映像のようでした。

「どうだ? 思い出したか?」

 カズンはボクを振り返り、またニッと笑いました。


   △


 でもボクは首を横に振りました。

 映像は浮かんだけれど、それはボクの記憶ではなかったからです。

 だってそんなものを自分の目で見たことがなかったから。

「クソッ! バカがっ!」

 カズンは塀の上から飛び降りると、

 けるひまもありませんでした。

 その固い拳はボクのコメカミをきれいにとらえ、目の中に星が飛び、その星の光に何だか懐かしさを感じ、それっきりボクの意識が飛んでしまいました。


   △


 気づいたときにはまたベッドの中でした。

 まるで全てが夢のようでした。

 でもそれは夢ではありませんでした。

 次の日にまたカズンがやってきたのです。


   △


「ようスケイプ、昨日は悪かったな」

「カズン、また来たの?」

「ああ。頭は痛まないか?」

「うん。大丈夫」

「それなら、出かけようぜ!」

「でも、学校に行かなきゃ……」

「必要ねぇ!」

 カズンは今度はかばん、筆入れ、ノートをひとかかえにすると、また窓の外に放り投げてしまいました。


   △


 止めるひまもありませんでした。

 カズンはボクの手をつかむと、また外に引きずり出し、ボクたちはまたバイクで出かけました。

 行き先はまた海でした。

 でもその日も何も思い出せず、イライラしたカズンに殴られました。

 そしてまたベッドで目覚め、翌朝にまたカズンがやってきました。

 そのたびにチャールズが止めてくれるのですが、チャールズはなぜかカズンの命令に逆らえないようでした。


   △


 そういうことが一週間続きました。

 続いたあと、ボクはついに思い出したのです。

 ボクが街の外に出たことや、街の外で見た光景を。


   △


 


   △


 続きはまた明日にします。

 あと一回で作文は終わりです。

 なんとかここまで書けたので少しホッとしています。


 明日の午後は裁判が待っています。

 結果がどうなるか不安だけれど、いまさら不安なになってもどうにもならないことも分かっています。

 決めるのはボクじゃなくて、他の人たちだからです。

 でもこの作文を読んでもらえれば、ひょっとしたら許してくれるかもしれません。

 とにかく明日で作文は終わりです。


 あともう一つだけ。

 ボクがずっと抱えてきたこの世界の違和感の秘密、それが今頃になって何だか分かってきたような気がします。

 でもそれをこの作文で書くことが正しいのかどうか分かりません。それが裁判にどう影響するかも分かりません。

 でも答えはすぐそこまで近付いている感じがします。

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