第13話 BADトリップ

 地面に横たわる血袋の山。破れたその穴から流れ出る血の海で俺の地球が汚れていく。



 俺の地球――汚してしまった。

 え? いやいや、そこじゃねえだろ……俺はなんて事をしちまったんだ。


 ……それ以前に、俺は本当に人を殺したのか? 手には今でも生々しく、人を壊した感触がしっかりと残っている――しかし、その状況を受け止めることなんて到底出来ない。



「いやいヤ、人を殺せる免罪符なんて存在しないナ~」

 お前、今から考えようとしてる事まで先に言うなよな……。

「それに始めてじゃないじゃン。よっ人殺シ。」


 え?


 アマニタはそう言って、その小さな手で俺の肩をポンと押した。いつの間にか俺は断崖絶壁の淵スレスレに立ちつくしていて――、俺はアマニタに押されたほんの少しの反動でバランスを崩し崖へと落ちていく。


「おぉ、押してくれてありがてえ。実は自分じゃ勇気がなくってな」


「ハ。あまったれんじゃねェ。お前が思ってるような死なんて、存在しなイ」


 えぇ……そんなこと言うなって……。


 俺は仰向けの格好で、どこまでも深く落ちていった。回りの景色がどんどん暗くなっていく。俺はただひたすらに、底の無い穴に延々と落ちていく。

 穴の側面は、さっきの血袋から流れ出た血がここまで滲みこんできているのか、赤黒く動いているように見える。今更ながら、改めて悪い事をした気がした。すいませんでした。本当に、すいません。



 …………そうなんだよな。

 現実でも、しつこいって言われるまで謝るのは俺の悪い癖だ。

 謝れば謝るだけ済む事なんてないのにな。心のどこかで謝ればいいや、怒られたらいいや、だなんて思ってんのかもな。

 そんな頭の中の一人言で間を持たせている間も――俺はどんどん落ちていった。

 落ちれば落ちる程、地上の光は届かなくなっていき壁の血生臭さもわからなくなっていった。



 やがて、俺の周りの空間は漆黒に包まれていく。こうなるともう、落ちていっているのかどうかすらわからなくなってくる。景色は本当の暗黒だ。全身がこんなにも長い時間地面から離れている経験なんて、した事が無い。

 スカイダイビングでもしない限り、そんな機会等無いだろう。普段生きている上で、重力というのは意識する事はなくとも切っても切れない関係だ。故に重力が働いている事には、不満があっても、不安にはなる事は無い。

 しかし、地面を忘れそうな程長い間重力がどっちに働いているかもわからないでいる今の状況、

 こんなにも重力を感じたいと、恋しくなる事が来るなんて思ってなかった。ってか普通の人は、そんな気持ちになることなんて無いだろう。


 そして。

 もはや視力は必要無いので、俺は目を忘れた。人間の形を保っている必要もないだろう、俺はアメーバのように特定の形を保つ事をやめた。物事を考えると、体がムズムズと動いて不快極まりない。でも生きている以上、何も考えないでいられるような構造はしてないのだ。人間というやつは。

 『何も考えないでいよう』とする事すら、考えなくてはならないのだ。

 全ての感覚を遮断された俺を襲うのは、本当の孤独。

「しんどい。しんどすぎる。こんな状態が生きている証だとするならば、俺は死にたい。無くなりたい」


 気付けば思考がそのまま口に出ていた。


「だからサ~」


 そんな事を考えている横で、間髪いれずアマニタがチャチャを入れる。


「さっきも言っただロォ。死って言うものはもっと崇高なものなんだヨ。お前らみたいな積み木崩しガ、逃げ場に使うような所じゃねーノ。それに俺の幻視をそんな無駄遣いしないでくれないかナ」


 ごめん。なに言ってっかよくわかんねえや。


「ああもウ! イライラさせんなよナ!」


 そうアマニタが言った瞬間に、テレビのチャンネルを変えたように回りの状況が変わる。

 俺は一人立っていた。

 目の前には、テレビの画面がいくつも写し出されている。


 よく見ると、映っているのは……全部俺?

 それもバイト中の姿や家で電話をしている姿、中学生の頃の学校の風景等、どれも実際にあった事のように見える。その姿を客観的に見る格好で、映像は映し出されていた。



「見ての通リ、これはお前の今までの姿ダ」


 アマニタは話し始めた。


「どの映像を見てモ、変わり映えしないナ、お前という人間ハ」


 そして後ろから俺の首を掴み、バイト中の映像に首を無理やり向けさせた。

「ほれ見ロ、バイト中のお前はどうすれば楽が出来るカ、サボれるかということばかり考えているナ」


「この事が何を意味するかわかるカ? お前はサボる事で自分自身を必死に守ろうとしていル」

 言ってる意味が良くわからない。そのままそいつは他の映像に首をどんどん向けさせる。


「これだけじゃなイ。友達と遊んでいてもそウ、買い物に出かけてもそウ、彼女とデートしていてもそウ。どれも変わり映えしなイ、ちっぽけな行動指針が全て全面に出てきていル。

それは何カ、自分でもわかるだロ。お前はどうすれば自分が責任を持たなくていいかという事ばかり考えて生きていル。自分を守る為にはどうしたらいいかという事が全ての行動の源ダ。

しかもそれを自覚して生きていル。

このテレビの画面にハ、本人が日常的に認識している自分の姿であったリ、理想、常識等といった頭の中で普段意識出来る部分を具現化したものが映るんダ。

このお前の映像はなんダ? 自分を守りたいという気持ちト、それ故に起こした行動に対して後悔の念でほとんど埋まっているじゃないカ。つまらない人間だナ」


 辛くなってきた。


「まあいいヤ、そこでだナ、この幻視空間ではお前自身が普段認識出来ない、もっとお前の奥底に潜んでいる部分にアクセスする事を目的としていル。目の前のテレビは、普段から認識している部分であるとさっき言ったナ?」


 そういうとアマニタは俺の首を持つ手に力を込めて、あり得ない角度までゆっくりと回し始める。


「普段見えない角度まで見えるようにするのがこの幻視の意義ダ。

お前の奥底に眠っている記憶、それはトラウマ程度の物からこの世の真理まデ、どこまで理解出来るかはお前の素質次第」


 ギリギリと首は後ろに向けて回され続ける。

 やめろ、俺はそんな物は見たくない。


「目をそむけるんじゃなイ。覚悟を決めロ!」


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!」


 あと少しで首を回し切り、一つのテレビが見えてきそうな所で俺はアマニタを振り払った。

 瞬間、全てのテレビの画面が割れる。


 ……………………………………。

 息を切らせて、俺は黙っていた。


 ――――少しの間の沈黙を、アマニタが破った。

「じゃア、お前は一体どうしたいんだヨ」


 俺は答えない。


「……。まぁいいヤ。内面から攻めるのは不可能か。死にたいなんて駄々っ子聞くのももう飽きタ。多少壁は高くなるガ、お前が望んだんダ。お前の信じる道を行ケ」


 アマニタがそう言い放った瞬間に、空間に亀裂が入り、ガラスのように大きな音を立てて崩れた。

 それと同時に――――今までの出来ごとがまやかしだったんだという確信が俺を満たす。


「……………………………………。

……………………………………。

……なんだ。やっぱりお前が見せてたまやかしなんじゃねえかよ。なかなか面白かったぜ」

 アマニタは黙っていた。

 なんて強がりを言っているうちに。とある部屋にたどり着いた。


 「え……おい、なんだよ……これ……」


 その部屋は忘れていたが、とても馴染みのある部屋だった。


「お~い、ご飯出来たから皿の準備おねが~い!」


 やっぱりそうだ。

 台所にいたのは、変わらない母さんの姿だった。

「ほら何ボケっとしてんのさ、もうご飯出来たから早く準備して」


 まぎれも無く母さんだ。

 なんで? 気持ちの整理はつかないけれど、とにかく何か話さなくては。俺は空気を読まずに話し始める。


「はは、久し振り。母さん俺はもう、子供じゃねえんだよ。にしても母さんは全く変わってな――――」


 ドッ


 ん?

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